12月15日(木)、16日(木)

23時24分。今日は久しぶりに新潟まで出掛けていたのだが、帰りの電車で降りるべき駅を乗り過ごしてしまったため、これから急遽終電の村上まで向かうことになった。駅員さんに「村上駅の近くに漫画喫茶とかなんかそういうものはありませんか」と尋ねたら「たぶんないと思いますが、ビジネスホテルならあると思います」とのことだった。日が落ちてから急に冷え込んできた。私は死ぬのだろうか。お金があって良かった。駅に着いたらまずコンビニでお金を下ろそう。コンビニがあって良かった。イヤホンを耳にはめながら大橋トリオのあたたかい声色に全身を委ねていたらこんなことになった。びっくりした。イヤホンを取ったらいきなり非日常が始まっていた。

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というわけでホテルに着いた。コンビニでは結局お金を下ろせなかったけど、クレジットカードがあったからなんとか泊まることができた。クレジットカードがあって良かった。一人でビジネスホテルに泊まるのなんて大学受験のとき以来なんじゃないか。ダブルの部屋しかないということでホテル代に6000円もかかったけれど、あまりこういう経験をしたことがないのでちょっとウキウキする。私から何もしなくても物語は勝手に始まってしまうものなんだなと、ちょっとウキウキする。

8時54分。起きた。寝る前にある人のつぶやきにいいねをしたら、その人が夢に出てきた。その人と私がそういう感じだった頃に、昔その人とそういう感じになったことがある人が今はもうそういう感じではないはずなのにツイッターでその人に絡んだりするのが個人的にとてもイヤだったので、もし自分がそういう感じでなくなることがあれば絶対にそういうことはするまいと思っていたのだが、私も同じことをしてしまったことになる。私にはそういうところがある。何の話をしているのか自分でもよくわからないので、この部分だけ後で消すかもしれない。とりあえず起きた。一人で午前中に目を覚ますのなんて大学受験のとき以来なんじゃないか。外は一晩で雪景色にかわっていた。

昨日の夜、ホテルにチェックインするときに書かなければならない身分証明書的な用紙に〈職業〉という欄があって、私はそこにためらわず〈無職〉と書いた。書けるようになった。そういえば私がまだ子どもの頃、父がビデオ屋さんでカードを作るときに、職業欄に自営業じゃないのに〈自営業〉と書いていたことを今ふと思い出した。私は幼心に「ん?」と思った。しかし、私をよく外に連れ出してくれる社会的には無職としか呼びようのない素敵な雰囲気を醸し出しているK先輩は以前、市役所的な場所で何か公的な書類を書くときにためらわず〈無職〉と書いていたことがあって、そのときに私は「おお…!」と思ったのだった。私はKの真似をするような気持ちで〈無職〉と書いた。書けた自分が嬉しかった。

〈更新中〉

どうやって生きていきたいんだろう

どうやって生きていこうかと考えると、どうやって生活を成り立たせていくのか、要するにお金はどうやって調達するのかという話にすぐ回収されてしまう。もちろん現実的にそういうことを考えるのはとても大事なことだと思うけれど、でもその前に、私はこの人生をどうやって生きていきたいのかということをまず考えるところから話を始めなければならない。それは、正直に言って自分でもよくわからないのだけど、ただいつまでもこんな暮らしを続けることはできないなと、最近やっぱり思うのだ。

私は父から月5万円の生活費を支給してもらっていて、住むところは実家があって食費も光熱費も年金も健康保険料も支払ってもらっている。もしこれから働くときに必要になるのであれば、自動車を購入する費用を貸してやるとさえ言っている。本来なら食うためにお金を稼がなければならないところを実家の経済力に依存することでそれをせずに済んでいる。といっても父はいつまでもこの状況が続いて構わないと思っているわけではなく、私が経済的に自立することを心から願っており、私もまたそれを願っている。にもかかわらず私は、ここ二週間は完全に昼夜逆転した生活を送ってしまい、完全に自分が悪いにも関わらずそんな自分に勝手に落ち込んでいて、「私が始めたいと思ったわけでもないのに、人生は勝手に始まっていて…」みたいなことをもっともらしくブログに書くような毎日を送っている。私が改めたいと思っているのはこの「知らないうちに勝手に生活リズムが乱れがち」という点で、「経済的に自立していない」という点よりも遥かにどうにかならないものかと頭を悩ませている。

ここで一つ、結論が出る。

私はどうやって生きていきたいのか。その回答の一つは「早寝早起きをして生きていきたい」になる。

生きるとはなんだろう。生きるとは、私は日が出ているうちに活動することだと思う。仕事をするにせよ(仕事をするということが実は私にはわからない。書類のコピーを取ったり、お茶を汲んで上司に出したり、みんなで朝礼をしたり、お客様を迎えたり、かかってきた電話に返事をしたり、忘年会のお店を決めたり、偉い人にお酌をしたりすることなのだろうか。私にはわからない)、このまま仕事をしないにせよ(仕事をするということが分からない私は、仕事をしないということもわからない。三日かけて徹夜で『ドラゴンクエスト6』をプレイしたり、車で関東まで連れて行ってもらって色々な人と顔を合わせたり、公園に散歩に行ったり、ひたすらDVDを借りて観たり、いきなり夕飯にお好み焼きを作ったりすることなのだろうか。私にはわからない)、日中になんらかの活動をするという意味では同じだ。そのためには午前中に目を覚まさなければならない。深夜には眠りについていなければならない。

さて。ここからが問題なのだが、私は早寝早起き「しなければならない」というくらいのモチベーションで、はたして本当に早寝早起きすることができるのだろうか。できない気がする。早寝早起きするためには、例えば夜11時くらいには眠たくなっておらねばならず、朝7時くらいには充分に睡眠がとれた状態になっていなければならない。でもそれは早寝早起き「しなければならない」というモチベーションでは達成できないのではないか。つまり私が早寝早起きできるようになっているときは、早寝早起きしなければならないから早寝早起きしているわけではない。早寝早起きしたくなっているから早寝早起きしているのだ。それには例えば、日中にほどよく身体を動かして、夜はゆったりとお風呂に浸かる時間を設けるなどして、結局はその一日をどう気分よく過ごしたのかということが左右してくる。ではそれらを実行すればいいのか。しかしかといってこれも同様に、ほどよく身体を「動かさなければならない」というモチベーションで達成できるものでもないだろう。そのためにはきっと、例えば飼っている犬が散歩に連れていって欲しがっているとか、職場の通勤に使う移動手段が自転車しかないとか、そういう結果的に身体を動かしてしまいたくなってしまったという事情が左右してくる。ではそのためにはどうすればいいのか。そしてまたそのためのそのためにはどうすればいいのか…と、この論理は永久に繰り返されて、自分自身を自然と早寝早起きしたくなってしまう状態にもっていくにはどうすればいいのか、私はいつまでも知ることができなくなる。つまり「○○をしなければならないからそのためには○○をしなければならない」というような発想でものを考えている限り、私は永遠に当初の目的を達成することができないのだ。

さて。ということで私は「早寝早起きをして生きていくことができない」という結論になった。もう少し正確に言えば「早寝早起きをして生きていきたいと思ったところで結局は早寝早起きをして生きていくということはできない」という新しい結論が生まれた。詰んだ。

〈更新中〉

どうやって生きていこう

私は、会社に勤めているわけでもなく、アルバイトをしているわけでもなく、職業訓練校やハローワークに通っているわけでもなく、資格や公務員試験の勉強をしているわけでもないという意味で、何もしていない。生活費は今月の初めに父親が知らず知らずの内に振り込んでくれたお金が5万円ほど口座に残っていて、来月また振り込んでくれるかどうかはわからないけれど、必要なときにはそのお金で、本を買ったり、レストランで食事をしたり、電車賃を払ったりすることができる。恥ずかしながらよく知らないのだけれど、おそらく税金や年金や保険も払ってもらっている。働いている人たちはきっと自分の貯金額や収入を誰かに話したりするのは気が引けることなのかもしれないけれど、働いておらず、かつ、そのことにもそんなに罪悪感を抱かなくなってきた私にとっては、むしろ明らかにした方が清々しい気分になる。

私は、働いていない自分を「必ずしも全ての人間が働かなくたっていいじゃないか!そもそも人間には愚行権っていうのがあって…」みたいな調子で説教くさく正当化したいわけではなく、「一般的な生き方とは違うかもしれないけれど、でもこれは新しい生き方で…」みたいな調子でうさんくさく正当化したいわけでもなく、ただ成り行きでこうなってしまったとしか言えない。そんな自分を後ろめたく思うときもあれば、なるようにしかならなかったんだよなと思うときもある。自分でも自分を説明する言葉が見つからないから、わざわざ説明しなければ自分を受け入れてくれない人とは、なるべく話したくないなあ、と思う。でもきっと多くの人は受け入れてくれないだろうから、ずっとこのままというわけにもいかないんだろう。やっぱり今のまま死んでいくのは、自分としてもどうかと思っている。

生きていくということは、やっぱり他人と関わりながら生きていくということで、たぶん私は今、他人と関わるという所でつまづいているんだと思う。自分と社会、自分と初対面の人とを結びつける言葉がなくて、自分を支える関係性が、家族とごく少数の友人とこのブログくらいに限られてしまっている。それは私が望んでいることではない。私は他人と会うのがそんなに好きな方ではないけれど、でも、他人と関わり合うことなしに自分の人生を全うできるとも思っていない。私はたまに「人間が好き!」みたいなことを言っている人を見かけると「それはちょっと違うんじゃないか」と脳内でちょっかいを出したくなってしまうくらいには人間のことがそんなに好きではないけれど、「でも、そんな風に思ってしまう自分もどうなんだろう」と思うくらいには自分の社会性のなさを嘆いている。改めたいと思っている。

話がそれました。今の自分を説明する言葉としてたぶん世の中的に一番通りが良いのは「無職」とか「ニート」とかいう言葉になるんだろう。でも、どちらもどうしてもネガティブなイメージが付きまとっていて、扱いづらい。あえて使うとすればネタとして使うことになるのだろうけど、そういう風なこともそんなに自分からはしたくない。発展性がない気がする。どう名乗るかなんて要するに言葉の問題でしかないのだから、自分で作ったっていいのではないかとも思うけれど、そうするとどうしても限られた人としか関係を築けないような気がして躊躇してしまう。せっかく社会と関ろうとしているのに自分から間口を狭めるようなことはしたくない。でもなんかこれはあれか。そうでもないのか。わからない。というかそんなことより、とりあえずなんでもいいから働いてみれば一発で済む問題じゃないか、という点については重々わかった上で今は置いておきます。

私はどうも肩書きほしさに仕事に憧れているところがあるみたいで、例えばツイッターのプロフィール欄に「ライター」とか「編集プロダクションを経て、独立」とか「出版社勤務」とかそういう言葉があるだけで世の中に包まれているという安心感が全然違うだろうなあ、と、なんとなく思ってしまう。きっとこれはコンプレックスみたいなものだろう。

それにしても、肩書きってなんなのだろうか。もちろん私は、人と人との関係において究極的には肩書きなんて必要ないと思う方の人間だけど、でも、今はそういう話をしているわけではない。やっぱり人は不特定多数の人を前にいきなりまっさらな自分をさらけ出してしまえるほど強くはなくて、自分を認めてくれる分厚い関係性の蓄積が背後にあったり、すでに多くの人に価値として認められた自分以外の「何か」を身にまとったりすることによって初めて心の安定を保てるんじゃないか。この世の中には自分では想像もできないほどたくさんの人間がいて、その人たちがみんな「私を承認して」「私を承認して」と言っている中に、たった一人でぽつんと、真っ裸で立ちながら正気を保ち続けるなんて、やっぱり私には難しいと感じてしまう(私はこのブログにおいてはパンツ一丁くらいにはなろうと思っているけれど、ツイッターではできない)。

ところで。話は脱線するんだけど、いつから人類はこういうようなことで悩むようになったんだろう、と、書きながら疑問が湧いてきてしまいました。私は小規模な地方都市の新興住宅地に住んでいて、当然のようにご近所付き合いも地域の共同体的な関係性もさらさら経験することなく育ってきてしまったのだけど、おそらく昔の人は初対面の人と会う機会なんてそれほどなくて、ほとんどが顔見知り同士の関係の中で生まれて死んでいったのではないでしょうか。いや、わからないんだけど。でも、田んぼとか耕してたらやっぱり定住するしかないわけだからやっぱり…あれ?でも宮崎駿さんが『もののけ姫』を作るときに参考にしたという歴史学者の網野善彦さんは、日本人はそれほど定住者が多くなかった、みたいなことを言っていたんだっけ。ん?あれ?

話を戻します。でもその前にちょっと寝ます。

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12月13日(火)

自分自身と良い関係を築くのは難しい。昨日の夜、一昨日辞めたばかりのはずのツイッターをこっそりブラウザ上から覗いてみたら、いつもお世話になっている素敵な雰囲気を醸し出しているK編集長からわざわざ言及があり、私のブログまで紹介してくれていた。これは私も反応しないわけにはいかないと、反射的に自分のツイッターにログインし、一度捨てたはずの自分のアカウントを取り戻してしまった。「た、ただいま。。照」と返信してみたけれど、これが正解だったのかわからないからしばらくドキドキしながら画面を見つめる。すると、それに「かわいい!」と言及してくださる方がどこからともなく登場して、私は「ああ、ツイッターやってて良かったな」と思った。「こういうこともあるんだな」と。

それから日頃お世話になっている素敵な雰囲気を醸し出しているHプロデューサーから連絡があり、「明日の早朝、関東方面に車で向かおうと思っているけど良かったら乗らないかい?」とのお誘いを受ける。外力によってしか自分を駆動できない私は、新潟の冬にやられてメンタルを損ないがちな毎日から少しでも距離を置きたいと思って、「私をぜひ暖かい関東へ連れて行ってくださいお誘いありがとうございます」と返答したけれどそれと同時にイヤな予感がした。左のこめかみ辺りから頭痛がし始めていたのだ。おそらく風邪を引きはじめている。そしてその夜はなぜか床に就いても全く寝付けず、深夜5時になっても眠れなかった私はさらにメンタルが絶不調になっていく。そして気が付いたら約束の6時。ということで今回はドタキャンさせていただく形になったわけだが、H氏には大変申し訳ないことをしてしまった。

自分自身と良い関係を築くのは難しい。自分自身と良い関係を築くことができないと、その先にいる現実の他者とも良い関係を築くことができない。コミュニケーション全般において、私は基本的に自分を相手より低く見積もるところから出発して実際に話をする中で後から修正を図っていこうとするタイプの人間なのだが、それがヘンな暴走の仕方をして周囲に迷惑をかけることもしばしばある。自分で自分を卑下していると、卑下した分だけ後からヘンな揺り戻しが起こったりする。

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ツイッターのアカウントを消そうと思ったとき、私は心の中で一つの懐かしい記憶を思い出していた。それは私がまだ5歳か6歳の頃。家族みんなで服屋さんか何かに買い物に出掛けたとき、私はわざと家族の輪から外れて遠くの方まで一人で店内をうろつき回っていたことがあった。私にはそうする目的があった。私は家族に自分が迷子になったと思わせて、自分を探させたいと思っていたのだ。私を心配してほしい、私がいなくなったらどんなに不安かを感じてほしいと思っていた。そういえば、海水浴に出かけたときなんかもそうだ。私は家族が遊んでいる付近からわざわざ遠くの方へと泳ぎに行った。浮き輪で波に揺られながら、小さく見える父や姉が私を探し出すのをジッと楽しみに待っていた。「もうそろそろ帰るよ」なんて言われてすぐに合流してしまってはつまらないと思っていた。それから、夜、布団の中に入って「今夜はどんな夢を見ようか」と考えたりするときなんかには「自分の葬式の夢を見てみたい、自分が死んだときに皆がどのような反応をするかを知りたい」と思ったりしていた。他の人がどうなのか知らないけれど、私にはそういうところがある。

それでいて私は、自分が家族の誰にも気付かれることなく置いていかれてしまうことをなによりも恐れていた。今でもたまに見る夢がある。そこでは明日家族みんなで温泉旅行に行こうということになっているのだけど、でもなぜか私一人だけ荷作りなんかをしているうちに彼らに置いてけぼりにされてしまうのだ。実際にそんなことがあったわけではないけれど、似たようなことならあった。家族で夏祭りに出掛けたとき、私と姉が出店でいつまでもオモチャをねだっていると、それに怒った父が私たちを置いていってしまったのだ。夏の夜にオレンジ色の出店の灯りがポツポツと光っている様子と、知らない人たちがざわざわと自分の周りを取り囲んでいる不安とが混ざり合った、独特の風景が今でも心に残っている。

それにしても、この置いていかれるということの恐怖はどこからやってくるのだろう。こうして思い出してみると、私が子どもの頃に感じていた恐怖のほとんどは、自分が一人ぼっちになってしまうこと、そしてそのことにすら誰も気が付いてくれないことにあったような気がする。去年辺りからずっとそうだけど、私は子どもの頃の記憶をよく思い出すようになった。恋人がいたときなんかはとくに、自分がその当時の自分に戻ってしまっているようにも感じた。今でもそうだ。私は自分のことをどこかで未だに子どもだと思っている。

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12月12日(月)

最近、もう何年も前に作られた中学生の頃の同級生たちのLINEグループに久しぶりの連絡があって、都合が付けば正月休みに再会しようか、などという話が巻き起こっている。私は大学を中退したけれど、彼らは大学を卒業しただろう。私は働いていないけれど、彼らは仕事に就いているだろう。私は恋人がいないけれど、彼らには恋人がいるかもしれない。私は親から仕送りをもらっているけれど、彼らは自分で金を稼いで経済的に自立しているだろう。ありのままの自分を肯定したい、なんてクサいことを言っても始まらない。私と彼らが顔を合わせれば、そこにはきっと微妙な空気の摩擦のようなものが起こり、お互いにとってあまり良い時間にはならないだろう。私は彼らと連絡を取ることができない。彼らの前で平然と「いやあ、いろいろあったから今は何もしていないんだよね」などと笑って答えられる自信なんて、今の私にはない。

私は今のような状態になっても、金銭的にそれほど不自由なく生活することができているという点で恵まれている。それは実家(=父)が健在で、私が生活するだけの経済力なら担保できるからだ。確認したことはないけれど、おそらくそうだろう。父がどう思っているのかは知らないけれど、彼はなんだかんだ言っても私に毎月生活費を振り込んでくれ、私もなんだかんだ言ってもそれを当てにして生活してしまっている。今までもそうだったが、このような構造があるおかげで、私は本来なら引き受けざるを得ないであろう現実社会との関わりやそれに伴う痛みから逃れることができている。変わりたいと思いながら、変われない。

働きに出ない理由なんて挙げようと思えばいくらでも挙げることができる。でも、本当のことを言えば自分でもよくわからない。なんでもそうだけど、自分で思い付くことなんてのは所詮、要するに変われない自分を認めてほしいというような欲望の派生でしかなくて、本当の意味で自分をまるっきり変えてしまうような決定的な現実は自分で自分に突きつけることができないものなのだ。私は自分が本当に変わりたいのかどうかわからない。問題を問題だと思っているうちは問題を解決できないという、そういう身も蓋もない話なのかもしれない。結果は自分で思い知るしかない。

シャワーを浴びて、髪を乾かす。今日一日だけでも気分よく過ごすということを目標にしたらどうなるだろう、と、シャンプーを泡立てながら考えていた。さきほど昼食を食べながら読んだ本の中に「人は一人では変わることができない。でも誰かに寄り添われながら、互いに互いを変え合うことならできる」というような言葉があった。私は幸運にも男女問わず素敵な雰囲気を醸し出している人たちと多く出会えたことによって、一人でいるときにでも「もしあの人だったらどう振る舞うだろうか」などと考えて真似をしてみることがあった。そうでなくても、後から気が付いたら、彼らが私に話した言葉をあたかも自分が考えた言葉のように誰かに話していたこともあった。私は彼らと同じようにはなれないけれど、自分の無意識のどこかに、彼らがどんな場面でどんな振る舞いをしていたかという記憶が蓄積しているのだと思うと、自分が前よりも少しだけ頼もしく感じられるような気がした。

自分が本当に思っていることなら、きっとそれを信じて誰かに投げかけてもかまわないのだろう。私がそれを本当に思っていれば、そのことだけは伝わるはずだし、もしそれが間違っていたとしても、その先のどこかに私自身を変えていく機会が開かれているはずだ。本当に思ってないことを話しては、書いてはだめだ。しかし、それをときどき私はしてしまう。偉そうなことを話してしまうときはたいてい、自分の中に燻っている小さな不安や劣等感を忘れようとして、他者を否定するか、自分を否定するかしてその場を乗り切ろうとしているのだ。あらかじめ用意した言葉で自分の心のやわらかい部分を包み隠し、言葉の篭城を築き上げて閉じこもる。そんなことをしていてはだめだ。そこには現実の他者がいない。他者と触れ合うことなしに、自分を変えていく痛みも自分が変わっていく喜びもない。自分から離れられない。

こんなことを書いている時間があったら、さっさと服を着て髪を乾かして出かけよう。昨日から目が疲れて痛みもあるから、緑を見に公園でも行こう。帰り際に目薬でも買おう。

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12月11日(日)

自分が始めたいと思ったわけでもないのに、人生は勝手に始まってしまっている。「これからどうやって生きていこう」とか「自分は何者なんだろう」みたいなことを考えるときはいつも、すでに始まっているこの人生というものに対して一歩引いた場所からものを考えようとしてしまっているけれど、でも、本当はどこにもそんな場所なんてないのだ。私は人生から逃れられない。どんなに考えを巡らせていても、身体はいつも人生の内側にいて、それを外側から加工したり設計したり修正したりすることはできない。私は勝手に始まってしまったこの人生に否が応でも参加しなければならない。いや、そう思うよりも前に参加させられてしまっている。

部屋の中にいても文字を打つ指が震えてしまうくらい空気が冷たくなってきた。布団から出られないでいるうちに、時計は夕方の6時を回った。ここ最近は、日頃お世話になっている方と数日前にファミレスで会食したこと以外は、わざわざ日記に書くまでもないほど自堕落な生活を送ってしまった。後から振り返って自分で自分に失望するくらい時間を台無しにすると、さすがにブログを書く気も失せてしまう。

1時間ほど前、そんなダラダラとした生活に変化を起こそうと、後先考えず唐突に数年使っていたツイッターのアカウントを消した。思い付いたときは「本当にこんなことをして大丈夫なのだろうか」と思ったけれど、いざ消すときは呆気なかった。今はまだあまり実感が湧かないけれど、やはり後から不便さを感じるのだろうか。まだわからない。

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3年ほど前に初めて登録してから、私はヒマさえあればスマホツイッターをながめるようになっていた。移動中の電車の中や寝る前の布団の中はもちろんのこと、当時からヒマの多い毎日を過ごしていた私は、一日のあらゆる時間帯にツイッターを開いていた。私にとってネットと言えばほとんどツイッターのことを意味する。そのくらい入れ込んでいた。世の中の動きも主にツイッターを通して知った気になった。著名人をフォローして彼らのシェアするニュースの記事を読んだり、実際に面識のある人をフォローしてその人の近況を知ったり、アートやイラストの作品を紹介するアカウントをフォローしてその画像を眺めてみたり、とにかくさまざまな情報を雑多に掻き集めていた。

ツイッターの使い方には個性が出る。私は誰かを「おもしろい」と思う手前の「おもしろいと後で思うかもしれない」と思った段階で気安くフォローしていたため、先月まで私のフォロー数は2000を越えていた。タイムラインには毎秒ごとに新しい投稿が流れる。私は共感したものや「おもしろい」と思ったものを次々とお気に入りにした。ツイッターを使い始めた当初は、自分の発言も似たような感覚で好き勝手に投稿していた。どのように見られているかなんて考えなかった。いま考えると鳥肌が立つけれど、当時は人生に対する不安や迷いが今よりもっと切実で、画面越しの誰かに対してまで気を払う余裕がなかったのだ。笑えないほど暗い投稿を繰り返し、おそらくかなり近寄りがたい雰囲気を漂わせていただろう。2年ほど前にそうした自分の姿のあまりの痛々しさに耐え切れなくなって、一度過去のつぶやきを全て削除した。

それ以降、自分ではあまりつぶやかなくなった。たまに声をかけられたとき以外は、誰かと交流するわけでもない。最近は自分でも何をつぶやいたらいいのか本当にわからなくなっていたのだけど、それは、前よりも少しはマシなくらいには自然と他人の視線を気にできるようになってきたからだろう。しかしそれと同時に、おそらく自分と他人ではツイッターの使い方が大きく違うのではないかという想いがごまかせないほど強くなってきた。私の関心があることや私が考えているようなことは、知り合い同士で楽しく何気ないやり取りを交わしている他人様のタイムラインにはきっとそぐわないに違いない。それにフォローしてくれている人にもいろんなタイプの人がいる。自分の思っていることをそのまま表現しながら全ての人に当たり障りないような形に、しかも140字以内にまとめあげるなんて芸当は、私にはできなかった。なにより直接話したことのある人に、直接話すことができない場所で嫌われたくなかった。いろいろな人がいろいろなことを言う場所で、それでも静かに堂々と振る舞うことが自分にはできなかった。

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そのような理由で、このままツイッターをダラダラと使い続けるのはどうなんだろう、と長いこと思っていたのだった。私のように対外的な他人との関わり方の固まっていない人間が何の後ろ盾もなくそのまま世の中(=ツイッター)に打って出るのは、心理的にかなり厳しい。情報収集しづらくなるのは不便だけど、しかしそれもはたして本当に有意義な行いだったのかはわからない。とりあえず今は日記をほそぼそと書き続けながら、引き続き自分と世の中との接点を模索していきたいと思う。

ツイッターのアカウントを消すときに一番恐ろしかったのは、たとえネット上の仮初めの繋がりであっても親交のあった人たちから受けたフォローを失ってしまうことだった。思えばツイッターを始めたのは、3年ほど前のこじらせ方がピークに達していた大学生の頃だ。私がツイッターを利用していた時期は、現実にもネットにも心を通わす相手が一人もいなかった状態から、少しずつ自分を奮い立たせて他人の前に立っていった、その時期に重なる。まともな状態でなかった私は「フォローしてくれているということはたぶん自分を嫌ってはいないはずだ…!」なんていちいち考えながら恐る恐る生きていたものだが、おかげさまで今はもうそんなことを考える必要はなくなった。と、たぶん思う。またどうでもいい長文を書いてしまった。ドシッとしていればいいのだ。目が疲れたから今日はもうこの辺で終わろう。

12月5日(月)

昼夜逆転のサイクルに呑み込まれつつある。昨夜ユーチューブでウォッチドッグス2のゲーム実況の動画を見つけてしまったため、就寝が遅れに遅れてまたも午前4時くらいになってしまった。うなされながら起きたのは、午後1時過ぎ。近所に住んでいた保育園の頃からの幼馴染のKくんが夢に出てきた。

大人になったKくんは「おれも今はパソコンでようやくまともに仕事ができるようになったけど、それまでは大変だったんだよ。お前だってきっと何か見つかるさ」という現実的なアドバイスを私にくれた。私は「いやお前はそれで上手くいったかもしれないけど、おれが同じようにやって上手くいくとは限らないだろ」と思った、そのタイミングで目が覚めた。激しく降る雨の音が部屋に響き渡っていた。

学習机が片付けられたはずなのに、なぜか昨日よりも散らかっているように見える部屋を見渡しながら、布団にくるまってユーチューブを開く。布団から出たのは午後2時過ぎ。居間に降りてパンを一枚トースターに入れた後、いちごジャムとバターを塗って食べた。テーブルに置いてあった目玉焼きを食べて、隣に並んでいたソーセージはラップに包んで冷蔵庫に入れた。その頃にはもう午後3時になっていた。

シャワーを浴びて、服を着替えて、部屋にあった燃えるゴミの袋から十数冊のノートを取り出してリュックに入れ、玄関を出た。父が昨日知らぬ間にゴミ袋に入れていたらしいが、これらはまだ捨てられない。まだ噛みしめていない。私は雨の中リュックを担いで図書館に向かった。歩きながら音楽を聴く。青葉市子さんの『yura yura』という曲がなんとなく雨に似合っていて、少し自分に酔いながら街を歩いた。少しではなかったかもしれない。

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そして今、図書館にいる。コンビニで買ったタラタラしてんじゃねーよを2つ平らげて、午後の紅茶(あたたかいミルクティー)を一気に飲み干して、むせて、施設の中にある飲料水で喉のむかつきを和らげてから座席に腰を落ち着かせている。脚の筋肉が落ちているためか、歩いているとときどき膝がカクンと折れる。それに腹と胸にたまった贅肉も邪魔だ。顔も膨れていて横から見ると自分が自分でないような気がする。そういえば洋服を買おうと思いながらもう何日も経っているけれど、気が進まないのはなにも、朝起きられなくて日が出ているうちに外出できない、という理由だけではないだろう。自分に服を選ぶセンスがないということや、そもそもどんな服を着ようが不恰好になるほど太ってしまったことに直面したくないのではないか。と、放っておくとこんな風に頭は勝手にいろんなことを考えてしまう。最初は記憶を頼りに書いていたはずの文章が、こうして文章を書いている現在の自分自身に追いつこうとしているのだ。もうこれ以上書くべきではないのだろう。午後6時半を回った。そろそろ図書館に来てしようと思ったことをやろう。

と、そんなことを思ってブログから手を離した私はしばらくスケッチブックに絵を書いていた。しかしそれにも飽きたので、いつものようにツイッターを開く。そして興味深い記事が目に止まる。

男同士で傷を舐め合ってもいいじゃないか! 「男らしくない男たちの当事者研究」始めます。 - messy|メッシー

最近個人的に読もうと思って読んでいない本1位の『非モテの品格』の著者で評論家の杉田俊介さんと、ツイッターでそのつぶやきをたびたびお目にかかる度に問題意識が自分と近いと勝手に感じているまくねがおさんの対談がメッシーで連載されるらしい。この日記のどこかでも書いていると思うが、私は自分自身の中にいわゆる男らしさ的な感性がそれほど備わっていないがゆえに、社交上の付き合いなどで男の子的な会話(例:「女の子にモテたい」「誰々ちゃんが可愛い」「あいつはホモだ」など)の流れになると違和感を感じて突っかかりたくなる(例:「モテることで本当に満たされるのか?」「人間を容姿で判断してもよいのか?(お前が他人のこと言えるのか?)」「同性愛の何が悪いのか?」など)ことがたびたびあった。かといって私は、今までもこれからもおそらく女性に対して恋愛感情を抱く異性愛者であって同性愛者ではないだろうから、このモヤっとした感じは一体なんなんだろうなあと思っていたところに、男性学を始めとするこれらの「男らしくない男でも別にいいじゃないか」系の言説と出会って、なんとなく自分の内面的な問題意識に重なるような気がしていたのだった。と、また大袈裟に書いてしまった。つまり私は、自分と同じように「男のくせに」ウジウジしていて現実に上手く乗り出せない人(というか、そんな私に共感してくれそうな人)の匂いを嗅ぎつけて、そういう人たちがどのように世の中と折り合いを付けているのかを知りたいと常々思っているのだった。というわけで今回も読んでみた。

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結果、非常に共感する内容でした。とくに杉田さんが笑いながら話した

そうだよね、男は「愚痴」は言えるけど、心からの「弱音」はなかなか吐けないんだよね。

という一言がとても胸に沁みました。非常によくわかります。私は割と年がら年中「弱音」を吐いているような節がありますが、この文のニュアンスではおそらくそれも自分に対する「愚痴」であって、心からの「弱音」ではないかもしれません。

とにかく、非常に更新が楽しみな連載が始まりました。私はとても嬉しいです。

〈更新中〉