12月30日(水)

また夜になった。時刻は1時31分。いや今、32分になった。日付けは12月31日。寝て起きたら大晦日になる。例によって、ふとまた子どもの頃のことを思い出しているのだけど、あの頃はこんなに遅くまで起きていることができたのは大晦日の夜だけだった。20歳からもう3年も年を重ねてしまえば、何もない日でも深夜1時過ぎまで起きているのなんて当たり前になった。丑三つ時が怖くなくなったのはいつからなのだろう。一人で寝るのが平気になったのは、大晦日や正月が待ち遠しくなくなったのはいつからなのだろう。当時の私が、明日がなにか特別な日であるような気になっていられたのはどうしてだったのだろう。あの頃と何も変わらない世界を生きているはずなのに、いつからか世界を驚きや不思議に満ちた場所として感じられなくなってしまった。そして、そうなってから途方もないほど長い時間が過ぎてしまったように思う。

大人になってからほとんど気にしなくなったけれど、照明を落とした部屋の暗がりをじっと見つめていると、視界にチカチカと光る細かい粒みたいなものが見えてくるということがある。一見黒色で塗り潰されているようにしか見えない暗闇に、よく目を凝らすと白っぽい光の点が無数に漂っている。おそらく眼球の中の何かが見えているのだろう。しかし、子どもの頃の私はこれが不思議でならなかった。目を瞑っていてもそうだ。何も見えない、つまり真っ暗にしか見えないはずなのに、しばらくしていると暗がりの中に散らばるように数え切れないほど多くの小さな光の粒が浮かんできて、点滅しながらゆっくり輪を描いて流れている。そこからさらに時間が経つと、背景から黒い渦みたいな模様が滲み出るように現れてきて、無数の粒と混ざり合いながら、視界全体に単に真っ黒とは言い切れない複雑で豊かな景色を映し出す。眠れずに目を閉じているとそれに寝付けない不安が重なって、心細くなった私は思わず隣で寝ている父の布団に滑り込んでしまうのだった。

私が今見えているものは他の誰の目にも同じように見えるものなのだろうか。誰かに確認しようにも伝える言葉を持たなかったあの頃の私は、目の前に広がる不思議な景色をただ感じることしかできなくて、気が付けばまた何事もなく朝になっていた。目を瞑って布団に横たわるというたったそれだけのことが、あの頃にはとても濃密な経験として感じられていた。あの輝きはいつ失われたのだろう。そこには姉がいて、祖母がいて、父がいて、祖父がいて、私はその中の一人として世界のさまざまな事柄に対する捉え方を把握しながら、同時にその取り憑かれるような不思議さを急速に失っていったのだった。

 

時刻は2時36分。父が私の部屋の前の廊下を通る音が聞こえる。ドアの開く音。小便が便器に落ちる音。便器に水が流れる音。水が管を通っていく音。父が軽く咳をする音。この真っ暗な部屋の中にスマートフォンの画面だけが眩しく光っていて、画面を打つこの両手の親指とパーカーの袖をわずかに照らし出している。画面の光に照らされて私の顔もぼんやりとこの暗闇に浮かび上がっているだろう。しかし私はそれを見ることができない。自分の顔を自分で見ることができないという事実がとても不思議なことのように思えるときがある。他人の顔はよく見えるのに自分の顔は鏡を通してしか見ることができない。そして今見ることができるのはこの指とパーカーの袖と、そして画面だけだ。ときどきまぶたを閉じて眼球を休ませながら、書いた文字の先にまた文字を繋げていく。

いま私は頭の中で考えた言葉を打ち込んでいるのだろうか。それとも文字を打ち込みながら考えているのだろうか。そもそも何かを考えているのだろうか。考えているのだとしたらそれはなんなのだろうか。

考えていることと身体を動かすことの間には絶対的な隔たりがある。今こうして文章を書いている間にも、私は不断に私の親指を動かし続けているけれど、「この続きにどんなことを書こうか」と考えることはあっても「次は右の親指をこういう風に動かそう」などと考えることはない。私は何かを考えながら、全く別の仕組みで自分の指を動かし続けている。これは一体どういうことなのだろう。考えてみれば不思議な話だ。しかしそれも、考えてみれば、の話でしかない。あの頃のように切実に世界の不思議さを感じるわけではない。

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どうやって生きていくんだろう

#5まあるい気持ち!ちゃぱうぉにか☆坂爪圭吾さん・あきと氏 - YouTube

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そういえば以前、ちょうど一年ほど前に、いつもお世話になっている素敵な雰囲気を醸し出しているS氏といつもお世話になっている素敵な雰囲気を醸し出しているK氏に誘われて新潟市内の漫画喫茶でツイキャスを行った動画がユーチューブに残っているはずだよなーと思って探してみたら、あった。映像や写真に映っている自分の姿を見ると「なんなんだこの物体は…」といつも思うのだが、今回もひどい有り様で見ていられない。しかしせっかくだから見よう。私は一年ほど前、いったい何を考えて生きていたんだろう。

恐ろしくてまだ冒頭の数分ほどしか見てないのだが、この頃の私は新潟駅近くのシェアハウスに住んでいて、大学には在籍していたものの通学はしておらず、かといって退学するほどの決心も付かなかったので今よりもっと社会から浮遊しており、本屋で立ち読みしたり、スマホのゲームアプリをインストールしてはアンインストールしたり、川沿いの芝生で昼寝をしたり、シェアメイトとDVDを観ながら一緒に鍋を作って食べたりする非常にゆるい毎日を送っていた。生活費は相変わらず父からの仕送りを当てにして、だらだらと昼まで寝て夜は遅くまで起きるという今とほとんど変わらない生活を送っていた。「あっという間にまた一年が過ぎてしまったなあ」なんて考えると自分が情けなく思えてくるけれど、最近はなんとなくこれはもう仕方がないことのような気がしている。私の人生はとてもゆったりとした速度で進んでいて、私はただ自分の人生のこのスピードに自分を合わせていくことしかできない。

さて。冒頭だけ見た感じだと、私は無料で家を拾ってくるのが得意なS氏とK氏に「何もしなくていいから、とりあえずそこで留守番をしていてくれないか」的なことを誘われているようだ。ありがたい話である。しかし私はありがたい話をもらっても、若手のお笑い芸人みたいにわかりやすいリアクションを取ることができない性質なので、このときもネットサーフィンで仕入れたどうでもいい話題を挟んだりして話の筋を掴み切れていないような雰囲気を醸し出している。名実ともに無職になった今とは違い、当時はまだ大学生という肩書きで自意識を守っていたためか、声がかかったらすぐ動いていく瞬発力みたいなものを今ほど持ち合わせていなかったような気がする。今もそんなにないか。

 

動画を見るのは勇気が要るから、とりあえずここで今年一年をザッと振り返ってみることにしよう。この動画は昨年12月に収録されたものだ。それからすぐ、一年くらいご厄介になっていたシェアハウスは解散して、私は実家に住まいを移すことになった。そのまま3ヶ月ほど何もしない毎日を過ごして、3月下旬にようやく大学を中退。それからS氏に誘われて熱海のお宅に1ヶ月ほど滞在させて頂いた。その後一旦実家に戻ってまた3ヶ月何もしない毎日を過ごす。いろいろと煮詰まってきた私は、友人に誘われて8月初旬に川崎で1ヶ月の住み込みのバイトを始めて、9月からは八王子にある知人のシェアハウスに移り住む。そして9月下旬、金がなくなったので止むなく実家に帰る。再び煮詰まってきたタイミングで今度はK氏に誘われて、9月中旬から2週間ほど佐渡のお宅で生活させて頂く。そのままの勢いで10月11月とK氏とH氏に誘われて新潟と関東を行ったり来たりする生活を送って、そして12月にまた実家に戻って来た、という流れになる。7月以降から本格的に日記を書き始めたため、この一連の過程で起きた自分の心境の変化については拙いながらもそれなりに記録することができた。これは個人的に良かったと思っている。自分からは何も行動を起こせず、誘われるがままあちこちをうろつき回る非常に受動的な一年間だったけれど、そのときどきで考え方が変化していき、少しずついろいろな自意識から解放されつつあるようにも感じる。

 

さて、これから私は何をしたいんだろう。どうやって生きていくんだろう。そうやって考えながら、またいつものように一日を部屋の中で終えてしまいそうな気がしたので、大好きな生パスタ屋さんに足を運ぶために、今日は電車で新潟まで向かうことにする。あそこの生パスタは本当に美味しくて、たとえ予定調和の喜びだったとしてもその日一日を「とりあえず今日はこれ食べられたから良い一日だったわ」と思わせるほどの力がある。早くあの生パスタが食べたい。

 

ていうか、たかが個人の日記でしかないこのブログで他の人のことについて言及するのは、やっぱりあんまり良くないのかな。そういうことする人なんだ、って思われたりするのかな。うわーどうしよう。「おれ、こんなにスゴイ人と知り合いなんだぜ」みたいな感じで自慢してくるイタイ大学生みたいな雰囲気が醸し出されていなければいいんだけど。

 

話を戻します。ん、なんの話をしていたんだろう。

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どうやったら生きていけるんだろう

一昨日、夕食に新潟駅前でラーメンを食べた。接客をしている店員さんを見ていると「おれには絶対にこういうことはできないな」としみじみ感じる。注文するときやお冷のお代わりをもらうとき、私はあまり大きな声を出して店員さんを呼ぶことができないのだが、その日も私が空のコップを手に取りながらしばらくそれを見つめていると「お注ぎしましょうか」と店員さんが駆け寄って来てくれた。私のことを何も知らないはずの彼女がそれでも私に親切に接してくれたのは、それが彼女の仕事だからだ。私にはきっとできない。なんというか、私は不特定多数の人に同じように接しなければならない状況になると自分がどのような態度で振る舞ったらいいのかよくわからないのだ。演技しているような自分の振る舞いに居心地の悪さを感じてしまう。

たまにこういう気分を味わうために街に出るのも悪くない。酒に酔った背広姿の中年男性、待ち合わせをしている様子の清潔感のある若い男性、友達と再会して歓喜の声を上げている女性二人組、品のある洋服店でパリッとした制服に身を包んでいる女性従業員、だるそうな顔をしたコンビニの男性スタッフ、赤信号を走って渡るスーツ姿の男性、すれ違いざまに目が合ってしまった初恋の人に似ている若い女性、おそらく何らかの障害を抱えているように見える少女と彼女を背負う中年女性、座席の隅を陣取って辺りを睨むように見つめている髪の長い男性。街にはいろいろな人がいる。そしてその中の一人として私もいるのだ。これから私はどうやって生きていくんだろう。どうやったら生きていけるんだろう。

前回は、早寝早起きをして生きていきたい、なんてふざけて書いてしまったけれど、でも私の場合、人生について真剣に考えるといつもロクなことがなかったというのも、また疑いがたい事実のような気がしている。思えば大学に入学したくらいの頃から「知らない間に大人になってしまったんだなぁ…人生はもう始まっているんだなぁ…」という倦怠感がいつも私の身体にまとわりついていて、ときどきその反動から今までの全てをリセットして初めから何もかもやり直してしまいたい衝動に駆られることもあった。他の人たちはどうやって生きているんだろう。何もかもわかったような顔をして生きているように見えるけれど、その確信はどこから来るんだろう。何が楽しくて生きているんだろう。本当にそう感じていたということもあるけれど、今になって思えば、そんな風にさえ考えていれば自分の目の前にあるものからいつまでも逃れられるような気がしていたからなのかもしれない。現実に対してずっとぼんやりとした感覚を抱いたまま多くの時間を無為に過ごしてきてしまった。

世界をおおいつくす「愛の新自由主義」―—vol.3|生きる理由を探してる人へ|大谷ノブ彦/平野啓一郎|cakes(ケイクス)

さっき読んだ記事の中に「愛の新自由主義」という言葉があった。「新自由主義」という言葉を使うとどうしても「悪いのは時代のせいだ」「悪いのは社会のせいだ」というような〈自分の人生の問題を社会という漠然とした何かに責任転嫁しているような感じ〉が醸し出されてしまって最適な言葉としては推しがたいところがあるのだけれど、しかし私にはパッと目にしただけでなんとなく言わんとしていることが分かるような気もしてしまったのだった。つまり経済格差が広がっているようにものすごく注目される人と全然注目されない人の格差も広がっているというような話だろう。

「愛」と言うと大袈裟だけど、自分が承認されること、誰かに好ましく思われること、誰かに親切にしてもらうことは、私にとってずっとどこからか突然降ってくるような出来事であり、ただキッカケを待つことしかできないものだという感覚があった。要するに私は人付き合いが下手であり、他人との適切な距離感が掴めなくて苦労することが多い…なんてことをここに書くのは果たして「正解」なのだろうか。みんな自分の本当に思っていることだけを話してくれたらいいのに、適当なウソを吐く人たちが多すぎるせいでソッチが基準になっているような気がするのは私だけだろうか。

でも。とか言って私も適当にウソを吐きながら生きているということを忘れそうになっていた。あ、だめだこれ以上考えるの面倒くさくなってきた。収集つかないけどやめよう。

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12月15日(木)、16日(木)

23時24分。今日は久しぶりに新潟まで出掛けていたのだが、帰りの電車で降りるべき駅を乗り過ごしてしまったため、これから急遽終電の村上まで向かうことになった。駅員さんに「村上駅の近くに漫画喫茶とかなんかそういうものはありませんか」と尋ねたら「たぶんないと思いますが、ビジネスホテルならあると思います」とのことだった。日が落ちてから急に冷え込んできた。私は死ぬのだろうか。お金があって良かった。駅に着いたらまずコンビニでお金を下ろそう。コンビニがあって良かった。イヤホンを耳にはめながら大橋トリオのあたたかい声色に全身を委ねていたらこんなことになった。びっくりした。イヤホンを取ったらいきなり非日常が始まっていた。

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というわけでホテルに着いた。コンビニでは結局お金を下ろせなかったけど、クレジットカードがあったからなんとか泊まることができた。クレジットカードがあって良かった。一人でビジネスホテルに泊まるのなんて大学受験のとき以来なんじゃないか。ダブルの部屋しかないということでホテル代に6000円もかかったけれど、あまりこういう経験をしたことがないのでちょっとウキウキする。私から何もしなくても物語は勝手に始まってしまうものなんだなと、ちょっとウキウキする。

8時54分。起きた。寝る前にある人のつぶやきにいいねをしたら、その人が夢に出てきた。その人と私がそういう感じだった頃に、昔その人とそういう感じになったことがある人が今はもうそういう感じではないはずなのにツイッターでその人に絡んだりするのが個人的にとてもイヤだったので、もし自分がそういう感じでなくなることがあれば絶対にそういうことはするまいと思っていたのだが、私も同じことをしてしまったことになる。私にはそういうところがある。何の話をしているのか自分でもよくわからないので、この部分だけ後で消すかもしれない。とりあえず起きた。一人で午前中に目を覚ますのなんて大学受験のとき以来なんじゃないか。外は一晩で雪景色にかわっていた。

昨日の夜、ホテルにチェックインするときに書かなければならない身分証明書的な用紙に〈職業〉という欄があって、私はそこにためらわず〈無職〉と書いた。書けるようになった。そういえば私がまだ子どもの頃、父がビデオ屋さんでカードを作るときに、職業欄に自営業じゃないのに〈自営業〉と書いていたことを今ふと思い出した。私は幼心に「ん?」と思った。しかし、私をよく外に連れ出してくれる社会的には無職としか呼びようのない素敵な雰囲気を醸し出しているK先輩は以前、市役所的な場所で何か公的な書類を書くときにためらわず〈無職〉と書いていたことがあって、そのときに私は「おお…!」と思ったのだった。私はKの真似をするような気持ちで〈無職〉と書いた。書けた自分が嬉しかった。

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どうやって生きていきたいんだろう

どうやって生きていこうかと考えると、どうやって生活を成り立たせていくのか、要するにお金はどうやって調達するのかという話にすぐ回収されてしまう。もちろん現実的にそういうことを考えるのはとても大事なことだと思うけれど、でもその前に、私はこの人生をどうやって生きていきたいのかということをまず考えるところから話を始めなければならない。それは、正直に言って自分でもよくわからないのだけど、ただいつまでもこんな暮らしを続けることはできないなと、最近やっぱり思うのだ。

私は父から月5万円の生活費を支給してもらっていて、住むところは実家があって食費も光熱費も年金も健康保険料も支払ってもらっている。もしこれから働くときに必要になるのであれば、自動車を購入する費用を貸してやるとさえ言っている。本来なら食うためにお金を稼がなければならないところを実家の経済力に依存することでそれをせずに済んでいる。といっても父はいつまでもこの状況が続いて構わないと思っているわけではなく、私が経済的に自立することを心から願っており、私もまたそれを願っている。にもかかわらず私は、ここ二週間は完全に昼夜逆転した生活を送ってしまい、完全に自分が悪いにも関わらずそんな自分に勝手に落ち込んでいて、「私が始めたいと思ったわけでもないのに、人生は勝手に始まっていて…」みたいなことをもっともらしくブログに書くような毎日を送っている。私が改めたいと思っているのはこの「知らないうちに勝手に生活リズムが乱れがち」という点で、「経済的に自立していない」という点よりも遥かにどうにかならないものかと頭を悩ませている。

ここで一つ、結論が出る。

私はどうやって生きていきたいのか。その回答の一つは「早寝早起きをして生きていきたい」になる。

生きるとはなんだろう。生きるとは、私は日が出ているうちに活動することだと思う。仕事をするにせよ(仕事をするということが実は私にはわからない。書類のコピーを取ったり、お茶を汲んで上司に出したり、みんなで朝礼をしたり、お客様を迎えたり、かかってきた電話に返事をしたり、忘年会のお店を決めたり、偉い人にお酌をしたりすることなのだろうか。私にはわからない)、このまま仕事をしないにせよ(仕事をするということが分からない私は、仕事をしないということもわからない。三日かけて徹夜で『ドラゴンクエスト6』をプレイしたり、車で関東まで連れて行ってもらって色々な人と顔を合わせたり、公園に散歩に行ったり、ひたすらDVDを借りて観たり、いきなり夕飯にお好み焼きを作ったりすることなのだろうか。私にはわからない)、日中になんらかの活動をするという意味では同じだ。そのためには午前中に目を覚まさなければならない。深夜には眠りについていなければならない。

さて。ここからが問題なのだが、私は早寝早起き「しなければならない」というくらいのモチベーションで、はたして本当に早寝早起きすることができるのだろうか。できない気がする。早寝早起きするためには、例えば夜11時くらいには眠たくなっておらねばならず、朝7時くらいには充分に睡眠がとれた状態になっていなければならない。でもそれは早寝早起き「しなければならない」というモチベーションでは達成できないのではないか。つまり私が早寝早起きできるようになっているときは、早寝早起きしなければならないから早寝早起きしているわけではない。早寝早起きしたくなっているから早寝早起きしているのだ。それには例えば、日中にほどよく身体を動かして、夜はゆったりとお風呂に浸かる時間を設けるなどして、結局はその一日をどう気分よく過ごしたのかということが左右してくる。ではそれらを実行すればいいのか。しかしかといってこれも同様に、ほどよく身体を「動かさなければならない」というモチベーションで達成できるものでもないだろう。そのためにはきっと、例えば飼っている犬が散歩に連れていって欲しがっているとか、職場の通勤に使う移動手段が自転車しかないとか、そういう結果的に身体を動かしてしまいたくなってしまったという事情が左右してくる。ではそのためにはどうすればいいのか。そしてまたそのためのそのためにはどうすればいいのか…と、この論理は永久に繰り返されて、自分自身を自然と早寝早起きしたくなってしまう状態にもっていくにはどうすればいいのか、私はいつまでも知ることができなくなる。つまり「○○をしなければならないからそのためには○○をしなければならない」というような発想でものを考えている限り、私は永遠に当初の目的を達成することができないのだ。

さて。ということで私は「早寝早起きをして生きていくことができない」という結論になった。もう少し正確に言えば「早寝早起きをして生きていきたいと思ったところで結局は早寝早起きをして生きていくということはできない」という新しい結論が生まれた。詰んだ。

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どうやって生きていこう

私は、会社に勤めているわけでもなく、アルバイトをしているわけでもなく、職業訓練校やハローワークに通っているわけでもなく、資格や公務員試験の勉強をしているわけでもないという意味で、何もしていない。生活費は今月の初めに父親が知らず知らずの内に振り込んでくれたお金が5万円ほど口座に残っていて、来月また振り込んでくれるかどうかはわからないけれど、必要なときにはそのお金で、本を買ったり、レストランで食事をしたり、電車賃を払ったりすることができる。恥ずかしながらよく知らないのだけれど、おそらく税金や年金や保険も払ってもらっている。働いている人たちはきっと自分の貯金額や収入を誰かに話したりするのは気が引けることなのかもしれないけれど、働いておらず、かつ、そのことにもそんなに罪悪感を抱かなくなってきた私にとっては、むしろ明らかにした方が清々しい気分になる。

私は、働いていない自分を「必ずしも全ての人間が働かなくたっていいじゃないか!そもそも人間には愚行権っていうのがあって…」みたいな調子で説教くさく正当化したいわけではなく、「一般的な生き方とは違うかもしれないけれど、でもこれは新しい生き方で…」みたいな調子でうさんくさく正当化したいわけでもなく、ただ成り行きでこうなってしまったとしか言えない。そんな自分を後ろめたく思うときもあれば、なるようにしかならなかったんだよなと思うときもある。自分でも自分を説明する言葉が見つからないから、わざわざ説明しなければ自分を受け入れてくれない人とは、なるべく話したくないなあ、と思う。でもきっと多くの人は受け入れてくれないだろうから、ずっとこのままというわけにもいかないんだろう。やっぱり今のまま死んでいくのは、自分としてもどうかと思っている。

生きていくということは、やっぱり他人と関わりながら生きていくということで、たぶん私は今、他人と関わるという所でつまづいているんだと思う。自分と社会、自分と初対面の人とを結びつける言葉がなくて、自分を支える関係性が、家族とごく少数の友人とこのブログくらいに限られてしまっている。それは私が望んでいることではない。私は他人と会うのがそんなに好きな方ではないけれど、でも、他人と関わり合うことなしに自分の人生を全うできるとも思っていない。私はたまに「人間が好き!」みたいなことを言っている人を見かけると「それはちょっと違うんじゃないか」と脳内でちょっかいを出したくなってしまうくらいには人間のことがそんなに好きではないけれど、「でも、そんな風に思ってしまう自分もどうなんだろう」と思うくらいには自分の社会性のなさを嘆いている。改めたいと思っている。

話がそれました。今の自分を説明する言葉としてたぶん世の中的に一番通りが良いのは「無職」とか「ニート」とかいう言葉になるんだろう。でも、どちらもどうしてもネガティブなイメージが付きまとっていて、扱いづらい。あえて使うとすればネタとして使うことになるのだろうけど、そういう風なこともそんなに自分からはしたくない。発展性がない気がする。どう名乗るかなんて要するに言葉の問題でしかないのだから、自分で作ったっていいのではないかとも思うけれど、そうするとどうしても限られた人としか関係を築けないような気がして躊躇してしまう。せっかく社会と関ろうとしているのに自分から間口を狭めるようなことはしたくない。でもなんかこれはあれか。そうでもないのか。わからない。というかそんなことより、とりあえずなんでもいいから働いてみれば一発で済む問題じゃないか、という点については重々わかった上で今は置いておきます。

私はどうも肩書きほしさに仕事に憧れているところがあるみたいで、例えばツイッターのプロフィール欄に「ライター」とか「編集プロダクションを経て、独立」とか「出版社勤務」とかそういう言葉があるだけで世の中に包まれているという安心感が全然違うだろうなあ、と、なんとなく思ってしまう。きっとこれはコンプレックスみたいなものだろう。

それにしても、肩書きってなんなのだろうか。もちろん私は、人と人との関係において究極的には肩書きなんて必要ないと思う方の人間だけど、でも、今はそういう話をしているわけではない。やっぱり人は不特定多数の人を前にいきなりまっさらな自分をさらけ出してしまえるほど強くはなくて、自分を認めてくれる分厚い関係性の蓄積が背後にあったり、すでに多くの人に価値として認められた自分以外の「何か」を身にまとったりすることによって初めて心の安定を保てるんじゃないか。この世の中には自分では想像もできないほどたくさんの人間がいて、その人たちがみんな「私を承認して」「私を承認して」と言っている中に、たった一人でぽつんと、真っ裸で立ちながら正気を保ち続けるなんて、やっぱり私には難しいと感じてしまう(私はこのブログにおいてはパンツ一丁くらいにはなろうと思っているけれど、ツイッターではできない)。

ところで。話は脱線するんだけど、いつから人類はこういうようなことで悩むようになったんだろう、と、書きながら疑問が湧いてきてしまいました。私は小規模な地方都市の新興住宅地に住んでいて、当然のようにご近所付き合いも地域の共同体的な関係性もさらさら経験することなく育ってきてしまったのだけど、おそらく昔の人は初対面の人と会う機会なんてそれほどなくて、ほとんどが顔見知り同士の関係の中で生まれて死んでいったのではないでしょうか。いや、わからないんだけど。でも、田んぼとか耕してたらやっぱり定住するしかないわけだからやっぱり…あれ?でも宮崎駿さんが『もののけ姫』を作るときに参考にしたという歴史学者の網野善彦さんは、日本人はそれほど定住者が多くなかった、みたいなことを言っていたんだっけ。ん?あれ?

話を戻します。でもその前にちょっと寝ます。

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12月13日(火)

自分自身と良い関係を築くのは難しい。昨日の夜、一昨日辞めたばかりのはずのツイッターをこっそりブラウザ上から覗いてみたら、いつもお世話になっている素敵な雰囲気を醸し出しているK編集長からわざわざ言及があり、私のブログまで紹介してくれていた。これは私も反応しないわけにはいかないと、反射的に自分のツイッターにログインし、一度捨てたはずの自分のアカウントを取り戻してしまった。「た、ただいま。。照」と返信してみたけれど、これが正解だったのかわからないからしばらくドキドキしながら画面を見つめる。すると、それに「かわいい!」と言及してくださる方がどこからともなく登場して、私は「ああ、ツイッターやってて良かったな」と思った。「こういうこともあるんだな」と。

それから日頃お世話になっている素敵な雰囲気を醸し出しているHプロデューサーから連絡があり、「明日の早朝、関東方面に車で向かおうと思っているけど良かったら乗らないかい?」とのお誘いを受ける。外力によってしか自分を駆動できない私は、新潟の冬にやられてメンタルを損ないがちな毎日から少しでも距離を置きたいと思って、「私をぜひ暖かい関東へ連れて行ってくださいお誘いありがとうございます」と返答したけれどそれと同時にイヤな予感がした。左のこめかみ辺りから頭痛がし始めていたのだ。おそらく風邪を引きはじめている。そしてその夜はなぜか床に就いても全く寝付けず、深夜5時になっても眠れなかった私はさらにメンタルが絶不調になっていく。そして気が付いたら約束の6時。ということで今回はドタキャンさせていただく形になったわけだが、H氏には大変申し訳ないことをしてしまった。

自分自身と良い関係を築くのは難しい。自分自身と良い関係を築くことができないと、その先にいる現実の他者とも良い関係を築くことができない。コミュニケーション全般において、私は基本的に自分を相手より低く見積もるところから出発して実際に話をする中で後から修正を図っていこうとするタイプの人間なのだが、それがヘンな暴走の仕方をして周囲に迷惑をかけることもしばしばある。自分で自分を卑下していると、卑下した分だけ後からヘンな揺り戻しが起こったりする。

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ツイッターのアカウントを消そうと思ったとき、私は心の中で一つの懐かしい記憶を思い出していた。それは私がまだ5歳か6歳の頃。家族みんなで服屋さんか何かに買い物に出掛けたとき、私はわざと家族の輪から外れて遠くの方まで一人で店内をうろつき回っていたことがあった。私にはそうする目的があった。私は家族に自分が迷子になったと思わせて、自分を探させたいと思っていたのだ。私を心配してほしい、私がいなくなったらどんなに不安かを感じてほしいと思っていた。そういえば、海水浴に出かけたときなんかもそうだ。私は家族が遊んでいる付近からわざわざ遠くの方へと泳ぎに行った。浮き輪で波に揺られながら、小さく見える父や姉が私を探し出すのをジッと楽しみに待っていた。「もうそろそろ帰るよ」なんて言われてすぐに合流してしまってはつまらないと思っていた。それから、夜、布団の中に入って「今夜はどんな夢を見ようか」と考えたりするときなんかには「自分の葬式の夢を見てみたい、自分が死んだときに皆がどのような反応をするかを知りたい」と思ったりしていた。他の人がどうなのか知らないけれど、私にはそういうところがある。

それでいて私は、自分が家族の誰にも気付かれることなく置いていかれてしまうことをなによりも恐れていた。今でもたまに見る夢がある。そこでは明日家族みんなで温泉旅行に行こうということになっているのだけど、でもなぜか私一人だけ荷作りなんかをしているうちに彼らに置いてけぼりにされてしまうのだ。実際にそんなことがあったわけではないけれど、似たようなことならあった。家族で夏祭りに出掛けたとき、私と姉が出店でいつまでもオモチャをねだっていると、それに怒った父が私たちを置いていってしまったのだ。夏の夜にオレンジ色の出店の灯りがポツポツと光っている様子と、知らない人たちがざわざわと自分の周りを取り囲んでいる不安とが混ざり合った、独特の風景が今でも心に残っている。

それにしても、この置いていかれるということの恐怖はどこからやってくるのだろう。こうして思い出してみると、私が子どもの頃に感じていた恐怖のほとんどは、自分が一人ぼっちになってしまうこと、そしてそのことにすら誰も気が付いてくれないことにあったような気がする。去年辺りからずっとそうだけど、私は子どもの頃の記憶をよく思い出すようになった。恋人がいたときなんかはとくに、自分がその当時の自分に戻ってしまっているようにも感じた。今でもそうだ。私は自分のことをどこかで未だに子どもだと思っている。

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