実家にて

午後6時頃、今日の分の日記を二千字以上は書いていたのに、手元が狂って全部消去してしまった。一回くらいは下書き保存をしておくんだった。ダメだもう。ダメだもう今日は書く気がしない。一部しか選択してないはずだったのに、なんで一気に選択範囲が文章全体まで広がったんだろう。それに初めてじゃないぞこの現象は。一体どうなってるんだはてなブログは。と、しばらく部屋でうめき声を上げていた。別にいつものように大した内容を書いていた訳ではなかったけれども、それでもせっかく書いた文章が消えてしまうのは辛いものなんだなあと思った。そうして私は今日の分の日記を書き残しておくのは諦めて、部屋を出て、リビングの椅子に腰を下ろし、テレビを点け、ゴッホの特集が組んであったNHKの美術番組を観ながら台所にあった豚汁の残りをすべて飲み干すなどした。

時刻は12時を過ぎた。それから私は布団の上で寝転がり、ユーチューブでいつものゲーム実況の動画を小一時間ほど観ていると、知らぬ間に眠りに落ちていた。目が醒めると、もうこの時間だった。カラカラに乾いた喉をオレンジジュースで潤して、台所でそのままになっていた洗い物を片付ける。冷蔵庫を開けると、小瓶に詰められたニンニクの味噌漬けが目に付いた。半分ヤケクソになりながら、二粒ほど手に取って口の中へと放り込む。昨日と今日で軽く十粒以上は食べているけれど、はたして私の身体は大丈夫なのだろうか。子供の頃に「ニンニクの食べ過ぎはあんまり身体に良くないから、子供は一日二粒までにしなさい」とよく祖母に言われたものだが、大人は何粒までなら大丈夫なのか教えてくれなかった。誰も何も教えてくれない。大人になるということはそういうことなのかもしれない。

 

部屋掃除をする

東京から新潟に到着したのは一昨日。昨日は疲れて泥のように眠っていたが、今日は10時頃に起床して、自室の掃除に黙々と取り掛かっていた。横浜の知人の家で生活していたときの感覚がまだ身体の中に残っているうちに取り組まなければならないことだった。

知人宅は一軒家だった。古い家で、ところどころ壁の塗装が剥げたり修繕が必要な箇所があったりはするが、家の中は整然としていて、余計なモノが一切置かれておらず、家自体が持つ静かで落ち着いた雰囲気に合うよう家具や小物や生け花が丁寧にしつらえてあった。品の良い家だった。

人間は自分の意志に従って生きているようでいて、実は環境からかなり多くの影響を受けている。掃除の行き届いた部屋に入ると、自然と背筋が伸びる。その場所を大切に扱っている人の気配を感じるからなのか、なんとなく「しっかりしなきゃ」という気分になる。逆に、ほこりまみれの空間にいると「まあ人間ってこんなもんだよね」という気分になる。横浜で生活していた頃、知人宅から歩いて十数分ほどのところにある図書館によく通っていたのだが、まさにあそこはどんよりと空気が沈んでいて、だからこそ私にとっては変に居心地の良い空間だった。暖房が点けっぱなしのまま何時間も換気をしていない部屋の、少し呼吸しづらく感じるあの感じ。平日の昼間に図書館に来るのはだいたいが高齢者か、まあいかにも働いてないんだろうなという感じの人たちで、髪の寝癖をそのままにしている人もいれば、部屋着のまま外に出てきたんじゃないかという人もいた。どちらかと言えば私も彼らと同じような部類だから、馴染んではいたと思う。鼻から息を吸い込むと、隣りに座っている人の皮脂の匂いがふんわりと漂ってくるような、そんな感じの場所だった。

私がお世話になっていた知人の家は、そこと正反対の雰囲気だった。というか、そうなってしまわないために私が家の管理を任されていたのだった(と、自分では解釈している)。平日の昼の図書館に居心地の良さを感じてしまうような私が、その仕事をどれくらいきちんとこなせたのかは分からない。しかし、私の人生においては非常に重要な意味を持つ経験になった。

ただ、経験したことをすぐに言葉にしようとすると、学校で書かされた感想文みたいに、どうしてもありきたりな表現になってしまう。だからそこで感じたことを、今の時点でこれ以上は書けない。経験がちゃんと身体に染み付いていれば、日常のふとした瞬間に思い出すだろう。きっとこれから、また何度でも思い出したり考え直したりしていくと思う。ともかく私は今日、横浜の家を掃除していたときのような気分で、自分の部屋を掃除したのだった。

 

ほとんどがゴミ

部屋は綺麗になった。知人宅で掃除をしていたときの感覚を思い出しながら自分の部屋を掃除すると、部屋にあるほとんどのモノはゴミだった。大学の実習で使っていた白衣や、一度も袖を通していない雨合羽、サイズの合わない手袋、高校の名前が刻まれたジャージ…タンスには山ほど要らない服があった。

大学の頃に着ていた服は、当時の暗い気持ちを思い出して今更もう着る気が全く起こらないから、ほとんど捨てることにした。あの頃はユニクロへ買い物に行くのにさえ緊張して、何を買ったらいいのか分からないまま試着室を何十回と往復したりしていた。すべてが嫌だったなあ。

そういえば、私は二十歳を超えるくらいまで、自分で自分の服を買うということをほとんどしたことがなかったのだった。自分の感覚で服を選ぶということが、恥ずかしくてどうしてもできなかった。たまに服を買いに行くことはあっても、自分が「カッコいい」と思っている服が他人からは「ダサい」と思われているのかもしれないと思うと、途端に自分の感性を信じられなくなった。服屋へ行くと、どうすればいいか分からなくなる。だから怖くて行けなかった。

他人から「ダサい」と思われないようにしたい。そう思えば思うほど、何を着たらいいか分からなくなる。似合ってもないくせに格好付けているクラスメートが、なによりも嫌いだった。自分を格好良いと勘違いしている馬鹿にだけはなりたくなかった。けれども明確なのはそこだけで、自分が何を「イイ」と思い、自分が自分をどういう風にしていきたいのかは全く分からなかった。

 

 

タンスを漁りながら、過去の自分を思い出す。この服はどこでどうやって手に入れたもので、その時の自分はどんな気持ちだったのか。いろいろなことを思い出す。良いことも、悪いことも。手に取ってはどんどん捨てた。気の向くままに放り込んだら、満杯のゴミ袋が6袋できた。部屋のほとんどがゴミだった。私はきっとシンプルなのが好きなのだ。自分の部屋を、ほとんど何も置かれていないシンプルな部屋にしてみたい。まずはそこから始めていきたいと思った。

#20

実家のタンスから引っ張り出してきたスヌードゥが伸び切っていたために、二重巻きにすると首元がダルダルになり、三重巻きにするとムチウチになったみたいになる。どうしたもんだかな、と思いつつもひとまず三重巻きにして、ああ、首が苦しいなあ、と思いながらモゾモゾしているうちに列車は東京駅へ到着した。バスが発車するまでの数時間を、駅構内のマクドナルドで過ごす。

狭いフロアに、人が入って来ては去る。隣りの座席にはアジア系の外国人の女性が座っていて、しばらくするとその彼氏と見られる男性がやって来た。二人が席を立つと、空いた座席にスーツ姿の男性二人が座る。おそらく同じ会社の上司と部下なのだろう。上司がどうでもいいような冗談を言うと、部下は仕方なさそうにそれに反応してボソボソと言葉を返す。油っぽい匂いのする揚げ物を口に運びながら、二人の会話は途切れることなく続いていく。聴きたくなくても聞こえてくる上司の大きな声に次第に嫌気が差してきて、私はイヤホンを耳にはめて自分の内側に意識を集中することにした。例によってカーペンターズを流す。曲が流れ始めると店内のざわめきが消えて、さっきまで騒々しいばかりだった目の前の風景が一気に感傷的なムードに包まれていく。コーヒーをすすりながら、ぼんやりと宙を見つめる。およそ二ヶ月に渡った横浜での日々は、今日を以って一旦の区切りが付く。これから24時ちょうど発の高速バスに乗って新潟へ向かう。

 

もうじき今年も終わる。今年は、お世話になっている方からありがたいお話を頂いたことで、沢山の素敵な人との出会いに恵まれた素晴らしい一年になった。半年前には、こんな風になるなんて思ってもみなかった。そういえば今年の春頃、私はどういう訳か精神科の病棟に連れて行かれていたのだった。大学を中退してから一年が経ってもずっと実家で惰眠を貪り続けていた私は、ついに親族から「コイツはどこかが悪いのではないか」と疑われて病院に行くことを勧められた。あれがちょうど半年前。とにかくすることがなかったので、とりあえず連れられるがままに病院へ行ってIQテストのようなものを受診した、その辺りまでは楽しめた気がする。でも、医者は私を発達障害ということにして薬を出そうとしていたみたいだけれど、私は最初からそんなつもりじゃなかったし、診断結果もそうじゃなかった。なんというか、発達障害だろうがなんだろうがどうでもいい話でしかなかった。これは私の生き方の問題で、病院でなんとかできる話ではなかった。ハローワークに行かないと病院に連れていかれるのかよと思った。もう随分と昔の話に思える。長いようであっという間の一年だった。

考え事をしながら、ふと、「人の間に立つことで初めて人は〈人間〉になる」という言葉が頭をよぎった。駄洒落みたいでなんだか胡散臭いけれど、もしかしたら本当にその通りかもしれないと思った。ただ生きているだけでは人間になれない。誰とも会わず、誰とも話さない。そんな日々が長く続くと、自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなる。他人に囲まれて初めて人間になれる。部屋の中でユーチューブを見ているときの私は冗談抜きで人間じゃなくなっているような気がする。放っておくと一人ぼっちになってしまう私にとって、自分から声を掛けなくても自然にさまざまな人との関わりが生まれる環境にいたこの数ヶ月は、本当に貴重な時間だった。稀有な経験だった。

 

自分以外の誰かの人生に想いを馳せると、今まで散々見つめ続けてきたはずの自分の人生が少し変わって見えてくる。頭に思い浮かぶ誰も彼もが、あのまま一人で実家に閉じこもっているだけでは決して出会うことがなかった。自分がそんな恵まれた環境に居られたことを、本当に有り難いことだと思う。

他人と会って、なんてことのない話をする。それがどれほど人の心を救うか。相変わらず私は定職に就かずぷらぷらしているが、そんな私でも相手と関わることができた。何者でもない私のままでも他人と関わることができたという経験は、何者かでないと家族からさえも冷たい視線を浴びせられるこの世界で、得ようと思っても得られない自信になる。他人と関わるにはコツがいる。そのコツが少しずつわかりかけているような気がする。

 

今日、久しぶりに会った人に「なんとなく明るくなったね」なんて柄にもないことを言われてしまった。自分としては、自分がどのように変化しているのか全く実感がない。明るかろうが暗かろうが、私は私を私だとしか思わないけれど、一般的に「明るい」と思われた方がきっと健康的なんだろうし、関わりやすい気持ちにもさせるのだろう。嬉しかった。この世界に、自分がラクに息を吸える場所が少しずつ増え始めていると思った。

#19

自分で髪を切ったら、左側のもみあげがなくなってしまった。私は自分の顔があんまり好きではないのだが、どちらかというと左半分側の方の顔がまだマシだと思っていたから、これでいよいよ全体的にダメな感じになってしまった。と、思いきや、一通り切り終えてみて、そんなに嫌じゃないと思っている自分がいる。この髪型が良いかどうかは知らないが、伸び放題になっていた今までの髪型よりはマシになっている気がする。

なんでも自分でやってみると、思いの外、気付かされることが沢山ある。いつもは面倒臭くてやらないのだけれど、今日は珍しく合わせ鏡をしっかりと行い、自分の側頭部や後頭部をマジマジと見つめながらバリカンを当てた。

日頃、生きていて、自分の側頭部や後頭部を意識する機会なんてほとんどない。少なくとも私は一切ない。しかし頭の約3/4を占めるそれらの領域を意識するとしないとでは、客観的に頭全体を見たときの印象が大きく変わるようだった。知っているようで知らなかった。そのことを私は今日ようやく腹の底から理解した。

だから、髪の毛を均一の長さでカットしてはいけなかったのだ。いつもは襟足や揉み上げや前髪や後ろ髪やつむじ周辺やサイドの髪の毛をいちいちバリカンの長さを調整しながら切り分けるのが面倒臭くて、途中から、5センチなら5センチで一気に同じ長さで全部刈り上げていたけれど、それではいけなかったのだ。なぜなら頭は完全な球体じゃないから。それぞれの部位に合わせて適切な長さに揃えなければ、全体的に見たときにおかしなバランスになる。今までは髪が長くなると首の後ろの髪の毛が絡まって嫌だなあと思うことが多かったけれど、それも今考えれば当たり前の話だった。前髪と襟足の長さが同じで良い筈がなかった。それもこれも「自分にも他人と同じように側頭部と後頭部がある」ということを忘れていたことが原因だった。自意識が肥大化すると本当に些細なことにさえ気を配る余裕がなくなってしまうから恐ろしい。

今まで自分が全く意識できていなかった部分を他人に見せつけながら生きてきたのだと思うと、恥じ入るしかなかった。しばらく洗面所の鏡の前で心をざわつかせていた。今日は些細だけど重要なことを学んだ。でも、こういうことって他にも沢山あるんだろう。

 

22時7分。新潟駅南口の出入り口付近の壁に背をもたれかけながら通り過ぎていく人たちの襟足についつい目をやってしまう。言われてみれば、男性も女性もほとんどの人が部分ごとに頭髪の毛の長さを変えている。こういうことを「視野が広がった」というのだろう。他の人たちにあるのと同じように、私にも後頭部がある。襟足がある。

自分の後頭部を意識しながら生きることは、車の運転中に、内輪差を意識しながら左折するときの感覚に似ている。「車幅感覚」と呼ばれるものは、最初に言葉で教えられただけでピンと来るものではない。運転を繰り返し練習していくうちに、ある時、ふと「あ!これか!」と分かるようなものだ。その「あ!これか!」が、今日、私の後頭部と側頭部に訪れた。どうでもいい話だった。これから23時40分発のバスで東京へ向かう。

#18

梅干しを思い浮かべると唾液が出てくるみたいに、高速バスに乗るといつもカーペンターズを聴きたくなる。24時11分。これから、東京駅八重洲口鍛冶橋駐車場発の高速バスに乗って新潟へ向かう。新潟には二日しか滞在しない予定だ。明日はお世話になっている人のイベントにお邪魔して、明後日は実家にあるバリカンで自力の散髪をする。それからすぐ、その日の深夜の高速バスでまた横浜まで戻っていくつもりだ。結局、美容院には行かなかった。行かなくたっていいと思う。この際だからいっそ美容院縛りの人生を生きよう。高速バスが往復で6千円くらいだったから、ヘアカットを4千円と見積もって、2千円で横浜〜新潟間を行き来できたと考えることにしよう。こういうよく分からない計算を、たまに私はやったりする。

比較的元気が残っているうちに、切なくなったり寂しくなったりしたときの心の準備をしておくのはいいかもしれない。私にとって「切なくなったらカーペンターズを聴く」というのは、もはや一つのおまじないのようなものになっている。切ないから聴いているのか、聴いているから切なくなるのか、切なさに酔っているだけで本当は切なくなんかないのか、だんだんだんだん聴いているうちに分からなくなるおまじないだ。夜行バスに乗り込んだら、ブランケットを膝に掛ける。イヤホンを耳にはめて、スマホから『雨の日と月曜日は』を流す。車窓を流れていく深夜の高速道路の風景と、眠れぬ夜を過ごしている知らない誰かのつぶやきが流れるツイッター。その二つを交互に眺めながら、センチメンタルな気分に浸っている自分に酔う。

曲は、原曲よりもよく分からないピアノの上手な誰かが弾いているカバーの方が好きだ。Apple Musicに入っている『美しきピアノ集〜カーペンターズ編〜』みたいな安っぽいタイトルのアルバムをよく流す。他の曲に比べてなぜか極端に音質が悪いのだけど、その辺りも、ラジオかカセットを聴いているような懐かしさがあって、むしろ好きだ。高音質だからいいってもんじゃない。こもったように響く割れた高音は、ささくれ立った独りぼっちの心にちょうどいい。

 

6時51分。さきほど新潟に到着し、これから始発の電車で目的地へ向かう。寒い。早朝の新潟はこんなにも寒いのか。水風呂にでも入っているかのような寒さだ。ここ1カ月くらい、風邪が治ってはまた風邪を引き、を繰り返している。コンビニで肉まんとお茶とコロッケパンを購入し、電車に乗って目的地へ移動する。早朝の電車にはまばらな人。垢抜けなさが丁度いいと言ったら失礼か、都会から帰ってきたばかりのせいか、どうしてもそういう目線で見てしまう。列車を取り囲んでいる山の一角から朝日が昇りはじめるのが見えた。

いつもお世話になっている方に車で集合場所まで送ってもらい、現地に到着。囲炉裏を囲みながら皆で朝ご飯を食べる会に参加する。初対面の人もいれば、会ったことのある人もいる。「普段は何をされているのですか?」という類の質問には未だに上手く答えられず、素性を明かしすぎて少し不審に思われた感じもあったけれど、致命的なミスは犯さなかったように思う。横浜にいた数ヶ月、様々な人との出会いに恵まれたおかげで、多少は人並みの社交性のようなものを身に付けられたのかもしれない。どうでもいい話をどうでもよくなさそうに話すには、それなりの技術が必要だ。ぎこちない笑顔を浮かべながらキッチンで白菜を浅漬けにしたり、囲炉裏の火をぼうっと眺めたり、餅を食べたり、薪を運んだりする朝を過ごす。

 

実家の近くに住んでいる参加者の方に、車で家まで送ってもらい、そのまま自室の布団に倒れ込んで寝た。さきほど起きて、テーブルの上に置かれてあったカレーを食べる。現在の時刻は22時51分。自分ではまだ分からないが、こうしている今も、実家ないし地元の空気感が確実に自分へと染み込んでいるのだろう。危ない。出発する日を決めていて良かった。油断すると沼にはまって動けなくなる。

 

賭けるものがないと、勝負には出られない。と、かつて陸上競技で名を馳せた著名なアスリートが発言していたのをふいに思い出す。何も持たないこの私に、賭けられるものなんてあるのだろうか。生き様、なんて言えるほど、きっと私はかっこよく生きてはいけないだろう。

#17

‪メールの末尾。「お体を大切に」と「風邪には気を付けて」が混じって「お体には気を付けて」と書いて送ってしまった。お体に気を付ける、とは何のことを言っているのだろう。相手は何をどうやって気を付ければいいのだろう。ギリギリ意味は伝わるにしても、なんというか、もやっとした感じは拭いきれない文面になってしまった。要件を伝えた後に、最後に一言、気を利かせて相手の健康を気遣う言葉を添えたつもりだったが、これでは逆効果だったかもしれない。迂闊だった。これだからメールは難しい。

もし送り直せるとしたら「お体をたいせつに」と書き直したかったなあ、とふと思う。「大切に」をあえて「たいせつに」と書くことによって、どこか自然な柔らかさを醸し出せるようにしたかった。どうだろうか。少しあざといだろうか。冷静になって考えると、なんだかあざとい、というか少しサムいような感じがしてきた。なんとなくワザとらしくて、むしろ嫌な感じさえする。どうすれば良かったのだろう。やっぱりここはふつうに「大切に」と書けば、それで良かったのかもしれない。というか別に「お身体には気を付けて」でも問題ないような気がしてきた。なにより、こうやってグチグチと細かいことを気にしている方がよっぽど良くない。語れば語るほど墓穴を掘っているような気がする。問題はそういうことじゃない。気持ちが込もっていればなんだっていいじゃないか。

なにはともあれ、メールを書くのは難しい。奥が深い、と言った方が適切かもしれない。他人と面と向かって話すときは、相手の目付きや表情や声色や態度から相手と自分がちゃんと噛み合って話しているかどうかをなんとなく察することができたつもりになれるけれど、手紙やメールの場合はノーヒントだ。暗闇の中に自分を投げ込んでいくような気分になる。なれなれしくもなく、よそよそしくもない、その絶妙なラインを見つけ出すのが難しい。対面のときでさえ難しいのに、顔が見えないともっと難しくなる。間合いを間違えると、どこかで必ずしっぺ返しを食らう。自分の知らない所で審判が下され、自分の知らない所で自分の株が下落していく。生きるというのはいつだって孤独との戦いだ。そこを見誤るとかえって余計な苦労が増える。

どんなに長く、どれほど親密に同じ時間を過ごしたことのある人でも、一人で過ごしているときに何を思い、どんなことが考えているかまでは分からない。他者が他者であるということはどこかに必ず自分では絶対に窺い知れない部分を持っているということだ、と何かの本で読んだことがある。分からないものに触れるのは怖い。怖いから、分かったつもりになろうとする。目の前に相手がいるときは、醸し出す雰囲気を通じてなんとなく相手を分かったような気になる。けれど、本質的に他者は暗闇だと思う。メールや手紙を書くときにこそ、その暗闇の片鱗に触れるような感じがある。何を考えているか分からない。どんな気持ちになっているか分からない。そんなよく分からない存在に対して、自分からアプローチを取っていく。

 

話は変わるけれど、数日前の夜、布団にもぐって天井を見上げていたら、ふと「もしこの天井一面に大きく人間の顔が描かれていたら、さぞかし怖いだろうな」と思った。きっとその表情は、怒っているのでも悲しんでいるのでもなく、何を考えているか分からない無表情に近い顔をしていた方が怖い、ような気がする。もしも私が絵が上手かったら、何を考えているか分からない不気味な人間の顔を、巨大な紙にものすごく写実的に生々しく描いてみたかったなと思う。「誰かに見られているかもしれない」という気配を感じると、急に背筋がゾッと寒くなる。そんな絵が天井にあったら、気味が悪くて眠れないだろうなと思う。

 

そういえば、子どもの頃、夜九時以降も居間でテレビを観ていると、祖父がしつこく怒鳴り続けてくる、ということがあった。私と姉が居間でテレビを観ていると、廊下の方から「トントントン」と祖父が階段を降りてくる音が聞こえてくる。しばらくすると勢いよくドアが開いて、なんとも言えない表情をした祖父が「今日は勉強したのか」といきなり訊いてくる。「してないよ」と答えると途端に不服そうな顔になり、即座にドアを閉め、今来た道を戻っていく。その一連の行動が、私たちが居間を出るまで何度も繰り返された。

回数を重ねる度に祖父の顔は歪んで、口数は少なくなっていった。いきなりドアが開いたかと思うと、すぐに無言でドアが閉まる。開いたドアの隙間から、一瞬、睨みを効かせた祖父の表情が垣間見える。そのときどんな顔をしていたか、今はもう思い出せない。

「癇癪を起こす」ということを地元の方言では「ごっしやける」と言う。祖父はよくごっしやける男だった。そうやって祖父を無視し続けていると、次第に祖父はごっしやけて、階段をトップスピードで降りて来ては、ドアを猛烈な勢いで開けたり閉めたりするようになる。叩き付けるようにドアを閉めて、怒鳴り散らしながら廊下を走り去っていく祖父に「そんなに勢いよく閉めたらドアが壊れるでしょうが!」と、姉と二人で半分茶化しながら噛み付いていたことを思い出す。私はあのとき、怖かったのだろうか。たしかに怖かった気もするけれど、それ以上に不気味さみたいなものを感じていたかもしれない。自分とは全く違うように生きている人間に触れたときに感じる不気味さ。どうしてそんなに怒れるのか、子どもながらに不思議だった。今でもまだ分からない。人はあんな風に怒れるものなのだろうか。言いたいことがあるのなら、言葉で説明してくれたらいいのに。祖父は、それができない男だった。

とにかく祖父はヘンな男だった。しかし、ふとしたときに思い出す。社会的には成功した男だったようだが、幸せとは程遠い所に生きていただろうと思う。けれど、それも本当のところは分からない。祖父には祖父にしか見つけられない幸せがあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。祖父はどんな世界に住んでいたのだろう。とはいえまだ存命なので、訊こうと思ったら訊けるのだが。

#16

この一週間ほど、体調があまり優れない。最初は軽い喉の痛みからはじまって、鼻水、鼻づまり、痰、それに倦怠感。そのせいで気分が落ちているという訳ではないけれど、朝、目が覚めたときに喉の奥がヒリヒリと乾燥しているのを感じると「まだ治ってないのかよ」とうんざりした気持ちになる。でも、鼻声のときの自分の声は好きだったりする。だるさを風邪のせいにできるのもお得感があったりする。体調なんて悪くなくても基本的に毎日をイキイキと過ごしているようなタチではないから、傍目から見たら、私の雰囲気はきっとそれほど変わらないだろう。

今朝は、小学校の頃のクラスメートたちと美術館のような場所へ見学に来ている夢を見た。そこに並んでいる絵画にはどれも見たことがないほど色鮮やかな模様が描かれていて、不思議なことに、毎秒ごとに色や形が変わっていった。万華鏡を覗き込んでいるかのような美しさが、そこらじゅうを満たしていた。触れるとまた模様が変わる。私は、壁に並んだ絵や、出入り口付近に置かれた土産物に次々と手を触れながら歩き、それらが一つ一つ鮮やかに色や形を変えていくさまを楽しんで眺めていた。すると、近くで友人Mと友人Kが口論をしているのが見えた。私はそれぞれの肩を持ちながら喧嘩の仲裁に入り、そして(夢の中ではありがちなことだが)いつしか宙を浮いていた。空中で寝そべりながら、私は辺りを見渡した。外はどしゃ降りの雨が降っていた。それから友人らとともに、傘を差して美術館を出た。

深夜、何度も目を覚ました。風がごうごうと強く鳴っていた。七時半、布団から起きて台所へ向かうと、今朝出すはずのダンボールのゴミが家主の手によってすでに片付けられていた。先を越されてしまった。ゴミ当番を任されているからこの家に置かせてもらっているようなものなのに、今日は役目を果たすことができなかった、と、思いながらノソノソと布団に戻ると、またすぐに眠りに落ちた。九時半、ふたたび目を覚ますと、辺りは一転して静けさに包まれていた。時折鳴く鳥の声に混じって裏の雑木林が風でサラサラと揺れる音が聞こえてくる。私は布団から身体を起こして、パソコンを開いて日記を書いた。朝食にきな粉と蜂蜜を混ぜたヨーグルトと、昨夜作っておいたスープを温めて食べた。

#15

何かの雑誌に掲載されていた、哲学者の國分功一郎さんと千葉雅也さんの対談で「人間には『心の闇』が必要だ。今の世の中は、本来は闇に隠れているべきはずの心の内側に光が当てられすぎている」というような話が語られていたことがあった。「心の闇」という言葉はふつう良くない意味として使われる。けれど、そこでは若干違うニュアンスで話されていた。

どういうことか。詳しい内容を覚えてないので、ここで迂闊なことを書くわけにはいかないのだけれども、そこで言われていた「心の闇」とは、どうやら「何か具体的な行動を起こす前に心の中に湧き上がってくる、その行動の根拠になるような気持ち」、つまり「動機」のようなもののことについて言っているらしかった。

本来であれば、何かの行動を起こす前に「なぜそうしたいと思ったか」なんてことを自分で説明できなくてもいいし、する必要もない。私たちは、いつもいつも、何かを「やりたい」と思う気持ち(動機)がまず最初に心に巻き起こってから行動に移る、という順序を辿るわけではないからだ。知らぬ間にやっていたこと、やっているとなぜか心が落ち着くこと。「やりたい」と思ったから「やる」、という単純な構図で、自分の行動や今の状況を説明しきれない場合はたくさんある。(むしろ「動機」は実際に何かに取り掛かってから、後付けで語られることの方が多かったりする。)

なのに今の世の中では、たとえば企業の面接などで、なぜ自分がその選択をしたのかを、いわゆる「志望動機」というものを通じて、事前に理路整然と説明するよう求められたりする。そうでなくても、進学や就活やさまざまな他人と関わりの中で「これからあなたは何をやりたいのか」と尋ねられる場面はしばしばある。

自分が何をやりたいのかなんて分からなくて普通だ。考えれば考えるほど分からなくなって当然だ。自分の「ほんとう」の気持ちは外に出そうとすればするほど、どこまでも闇に隠れていく。けれども表の世界では、それを容赦無く「明らかにせよ」と迫られる。すると当たり障りのない言葉で無理矢理にでも説明するしかなくなり、いかに目の前の相手にとって通りの良い文句をそつなく話すことができるか、という不毛な営みに巻き込まれることになる。動機なんて分からなくてもいいし、説明できなくてもいい。人間の心なんて、そもそもよく分からないものだ。闇に光を当てることより、より豊かな闇を持とうとすること。長くなったけれど、冒頭の話を私はそういう意味として受け取った。

 

現代は、「とりあえず皆、これを信じておけば大丈夫」みたいなものがどんどん消えていって、良くも悪くもそれぞれが自分で自分の信じられる価値観を採用して生きていかなければならなくなった。既存の価値観を信じられない人は、既存の価値観に対抗する価値観を信じるようになるかもしれないし、それすら信じられない人は自分でオリジナルの価値観を作ろうとするかもしれない。いずれにせよ、大変なことだ。

信じられる何かを自分以外の誰かに求めているうちは、自分よりも輝かしく生きているように見える人たちの間を、いつまでもさまよい続けることになる。かといって、それを自分自身の内側に求めはじめると、「たしかな気持ちはどこにあるのか」という答えの出ない問いに絡め取られて、どこへも身動きが取れなくなる。どうやって生きていけばいいのか。その答えは人の数だけあって、自分の答えは自分で作っていくしかない。違うと思ったら壊してまた作り直す。その繰り返しだ。

そういえば、最近は「どうやって生きていけばいいのか」なんて大それた疑問に頭を掻き回されて、にっちもさっちも行かなくなるなんてことはあまり無くなった。きっと目の前に「やるべきこと」があるからだろう。掃除、洗濯、皿洗い、玄関の落ち葉を掃いたり、庭の枯れ草を抜いたり、メールを返信したり、知人から頼まれた用事を終わらせたり。やるべきことがあるというのは幸せなことだと思う。

自分が何をやりたいのかは、私にはまだ分からない。もしかしたらずっと分からないのかもしれない。ただ、どうやって生きていけばいいか分からなくても、今こうして生きているというのはきっとたしかなことだから、生きながらでも考えていけばいいのではないか。と、そんな呑気なことを考えられるくらいには、それなりに生きているなと思える日々を送っている。