新発田にて(2)

15時29分。駅前の喫茶店にて。

寝て、お節を食べ、寝て、お節を食べ、寝て、お節を食べ、を繰り返している。それ以外の時間も、スマホツイッターフェイスブックを見るか、ユーチューブでいつも聴いている音楽をまた聴くか、テレビを見るか、自分の書いたブログを読み返して誤字脱字がないかチェックするか、といった具合である。せっかく数ヶ月ぶりに家族で顔を合わせているというのに、天気や体調や料理の話題から少しも話が深まることはなく、きまずい沈黙を埋めるようにテレビからは芸能人たちの空虚な笑い声が聞こえてくる。

私が子供だった頃はあれほど食事中にテレビを付けることを嫌った祖父も、ここ十数年はすっかりテレビ浸けの生活を送るようになった。悲しいことに、祖父は楽しいからテレビを観ているわけではない。むしろテレビに映る人々や、彼らを観ている自分自身を誰よりも軽蔑している(ように私には見える)。しかし、それでも祖父はテレビを付けずにはいられない。なぜか。人の声が聞きたいから、黙っていると発狂しそうになるからだ。私にはそうする気持ちが痛いほどよく分かる。今、祖父はひとりきりで施設に暮らしている。正月ということで、父が実家へ連れ帰ってきたのだった。

祖父は言う。やることがない。やりたいこともない。仮にやりたいことがあっても、今さら何かをやろうという気力も体力もない。もちろん経済的に困っている訳ではない。施設に居れば黙っていても料理が出てくるし、身体は日に日に弱っていくが、今すぐ寝込んでしまうほど辛い訳でもない。何不自由ない生活。見る人が見れば、幸せそのものかもしれない。でも。本人はそうではない。地獄の中にいるようだ、と、祖父は言う。生に執着はない。これ以上生きていたいという気持ちもない。ときに死にたいとさえ思うこともある。しかし今すぐ死ぬことはできない。考えてみれば動物のほうが幸せかもしれない。動物は考えなくていい。動物のように考えずに死ねたら一番いい。でも、自分は人間だからきっと死ぬ瞬間までいろいろなことを考えてしまうだろう。と、そんなようなことを、昨夜、酒に酔った祖父は繰り返し私に話した。

いつもそうだが、実家に長く滞在すると、心がくじけそうになってくる。せいぜい三日が限度だ。それ以上いると、こじらせてもう大変なことになる。私にはかつて家族の閉鎖的な人間関係の中で閉じこもり、実際に多くの貴重な歳月を無駄に過ごしてきてしまった苦い過去がある。私は弱い。強かったら、きっとここにこうして愚痴のようなことを書いてはいないだろう。

 

今、私は駅前の老舗の珈琲屋さんに来ている。WiFiが無料で使えることだけが売りの巷の安っぽいカフェなどとは一線を画す、昔ながらの珈琲店である。ああ、三が日だというのに開店してくれていて、ありがとうございます。

マスターの弱々しいくらいに優しい声色が、冷えてこわばった私の心と体に沁み入ってくる。やはり昼下がりはこうでなくてはなるまい。家のリビングのソファで、ガスストーブの熱気にもんもんと焚かれながら、どう考えたってつまらないテレビ番組を、つまらないという感情を噛み殺しながら観る、そんな場合ではない。玄関から出て行こうとする私に掛かる「どこに行くの?外は寒いよ」という家族のさりげない一言も、振り切ることができて良かったと思う。

本来であれば、彼らに対して、外の世界はもっと驚きと豊かさに満ちているよ、と伝えられる息子・孫でありたかった。私が家族に対してつい批判的になってしまうのには、彼らが言外に発する私への期待にうまく答えることができない自分自身に対して、なんとも言えない罪悪感のような気持ちを抱いてしまうから、というのもあるのだろう。

尊重はしても、迎合はしない。たとえ血縁は繋がっていようとも、私たちは別々の人生を生きている。

 

やはり三日も実家にいると、一度断ち切ったはずのかつての関係性が次第に元へ戻ってしまいそうになる気配を感じる。まず、物理的に距離を取ること。それから、互いに干渉し合うことなく意思決定すること。どれだけ親しい間柄でも、人と人とが互いに互いを個人として認め合いながら生きていく、ということの大筋は守るべきだと、まずは自分に言い聞かせる。実家にいると、「自分のことは自分でやる」という個人として生きる上での原理原則がじわじわと切り崩されていくのを感じる。血縁家族としての「情」が、近代的な個人としての「自由」を制限していく、わざわざ知ったような言い方をして書くと、そういう構図である。簡単に言えば、私が周囲から差し伸べられる気遣いに簡単に甘え過ぎている、という、ただそれだけのことなのだが。

こうして言語化しておかなければ、今頃自分がどうなっていたのか分からない。それは「優しさ」の名の下に、気を抜くとすぐに私の懐へ忍び寄ってくる。言葉は何のためにあるのか。切断するためだ。他者と適切な距離を取るためにこそ言葉はある。

 

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突然だが、今いる場所の写真を掲載する。そういえば、以前から、今の自分に足りないのは視覚的な感受性なのではないかという気がしていた。この日記に関しては、ひたすらテキストのみに意識を集中させていこうと思ってはいるけれど、今回は実験的に載せてみよう。こんな場所で私は今日の日記を書いている。写真も、もっと上手に撮れるようになりたい。

 

20時23分。実家。

実家といえども、ここは父の家だ。この場所で一番偉いのは父である。それはつまり、この場所に文句があるのなら最終的には私が出て行くしかない、ということだ。そういう世の道理的なことが、去年の夏頃からようやく私にも身に沁みて分かるようになってきた。筋を通す、ということ。どんなに親しい間柄でも礼儀や節度を忘れてはならない、ということ。横浜での生活を経て、人間社会の仕組みのようなものが少しずつ分かりかけている。

 

ふと、祖父のことを思う。昨夜、一通り弱音を吐き出し終えた祖父は、ずいぶん酒に酔ったのか、それからすぐにふにゃふにゃの笑顔を見せて布団に入った。小さな子供のような、呆けた笑顔だった。私はこのどうしようもなく不器用な祖父を嫌いになることができない。

 

今、一階のリビングから、なにやら父と祖父が小競り合いを起こしているような気配が伝わってくる。自己主張し合う男たちの姿が目に浮かぶ。それぞれの立場と心情を考えたときに、相手の言葉にいちいち親身になって寄り添うことができないのは私にも分かる。が、それにしても、お互いがわざわざ感情的にならなくてもいいことで衝突し合っているように見えるのは、おそらく私の見間違いというわけではないだろう。怒りをぶつけ合ってもどうにもならない。そんなことはお互い分かっているはずなのに、それでもやってしまうということは、どういうことなのだろう。

相手の話は聞かないのに、自分の話を聞いてもらえないとすぐにすねる。自分も相手に不満があるのに、相手が自分に不満を持っているということを、あえてことさらに問題にして、相手に対して過剰に防衛的になり、むしろ攻撃する。自分の心情を穏やかに言葉にすることができず、本音を口にしようとすると怒るか泣き言を言うしかなくなる。私は彼らに、男、というものの悪い側面を見る。男はどうしてこうなのか。私は彼らのように生きたくなかったから、いや、そうなりたくても、私にはそうなる余地がなかったから、今のこの生き方を選んでいるのかもしれない、と思う。

新発田にて

19時29分。実家。

とくに書きたいことも、書きたいという気持ちすらもあったわけではなかったのだが、昨日の日記で「この日記も今年はできるだけ書いていきたい」というようなことを書いてしまったので、その手前、いきなり何も書かなくなるのはいかがなものかと思い、とりあえず書きはじめてみることにする。書くことはまだ決まっていない。とりあえず書きはじめてみて、それから何か書きたいことが湧いてくればそれを書いたらいいし、湧いてこなければ、それはそれでその枯渇し切った自分自身の内面世界を書いていけたらいいのかなと思う。

 

さて。ふと思ったのだが、人は、どうして書くのだろうか。書きたいことがあるから、書くのだろうか。書きたいという気持ちがあるから、書くのだろうか。

・・・人は、だなんて大きく出てしまったけれど、べつに、私は、でもよかった。というか、私には私のことしかわからないのだから、私は、と、書くべきだった。

というわけで、改めて、私は、どうして書くのか。書きたいことがあるから書くのか。書きたいという気持ちがあるから書くのか。

 

質的にも量的にも非常にお粗末ではあるが、まがりなりにも4年近く日記を書いてきている。そうして思うのは、「書きたいことがあるから、書く」もしくは「書きたい、という気持ちが湧いてきたから、書く」というような順序で気持ちが動いて文章を書きはじめる、ということは、今までそれほど多くなかった、ということだ。

体感としては、今日のように、「とりあえず書きはじめてみる、すると意外にも筆が進む。ふと我に帰ると、結果として文章(のようなもの)ができている」という感じ、と言ったらいいだろうか。まあ、ここはあくまでも「日記」ということで、ただ私的なことを漫然と書き連ねているだけの場所(それに甘んじていられる場所)なので、このブログに投稿されているものが他人様の前にお出ししても恥ずかしくないくらいの一端の「文章」と呼べるものかというと、間違いなくそうではない。誰かに読んでもらうための文章、誰かに読まれることが前提の文章。そういったものを書くためには、おそらく今よりもっとシビアな視点が必要になってくる。もちろん心構えも変わるだろう。私自身、もし今書いているこの文章を他人前で発表するということになれば、もっと気持ちを引き締めて文章に臨む。

 

しかし、こうして日記を書くことに関しては、それがない。ある必要がない。なぜないのかといえば、日記を書くことに、意味も、意義も、目的も、メリットもないからだ。日記を書くことによって達成されるものは何もない。書いてみて、楽しかったら、続ける。楽しくなかったら、止める。それだけだ。

いや、正確には、この日記を書いている最中に、いわゆる「楽しい」という気持ちさえ起こっていないような気もする。書く、ということに集中している間、私は、日常生活を生きているときの私自身とは少し違った状態になっている。例えば、今がそうだ。今の、この感じ。

この感じ、がどういうものなのかをダイレクトに言葉にするのは非常に難しい。ニュアンスで汲み取っていただくしかない。文章を書き続けているうちに、だんだん頭の中が重くなって、こめかみの奥がジンジンと熱くなってくる、この感じ。もしかすると私はこれを味わいたくて日記を書いているのかもしれない、とさえ思うが、ともかく、無目的に文章を書き続けることの中からしか味わえない感覚があるのは、たしかだ。

 

 

 

私はべつに、ここで何かを解明しようと思っているわけでも、読んだ人に楽しんでもらおうと思っているわけでもない。だから、今日の日記は唐突にここで終わる。

しかしまあ、こういう風にわざわざ言い訳めいたことを書いてしまうあたり、やっぱり私は自分で打ち立てた問いを自分で解決する論文のような文章、もしくは読んだ人に楽しんでもらえるエッセイのような文章を、自分でも書くことができたらいいのになあ、と、心のどこかで思っているのだろう。しかし、その辺のことも今日はまあもういいとする。

自分の思考を自由に走らせ、疲れたら立ち止まり、飽きたら出ていく。そういう、言わば公園か原っぱのような場所で遊ぶように、この日記を書いてきた。今、このままじゃだめなのだろうな、という思いと、このままでもいいじゃないか、という思いの二つで揺れている。意義があると思ってやっていたわけではないが、公園で羽を伸ばすことは、私の心を解き放つ上で結果的にとても大きな意義があった。しかし、いや、だからこそ、公園で遊ぶのはもうそろそろいいだろう、と、自分で自分に思ってもいる。

 

新潟にて

8時51分。新潟駅

高速バスは7時過ぎ頃に新潟駅南口に到着した。それからすぐ実家のある新発田駅へ向かう予定だったが、そういえば新年だし、べつに先を急いでいるわけでもないので、せっかく新潟駅付近にいるんだったら近くの白山神社へ初詣にでも行って来ようと思って白山駅へ向かう。目的地は白山駅から歩いて五分ほど。神社に着くと、やたらと人でごった返していて萎える。出店まであって少し驚く。客層もなんだか大学生くらいの若い子から20代後半くらいの新米夫婦みたいな人たちが多いような印象で、俺みたいな人間がこんなチャラチャラした場所に来るんじゃなかったと思う。でも一応お参りだけはしておく。儀礼の力は恐ろしいと思う。なぜお前はお参りしたのか論理的に説明してみろ、と、もし誰か訊かれても絶対に答えられない。十円玉を財布から一枚手に取って投げ、二礼二拍手一礼をする。何も願わない。何も祈らない。そもそも、願う、とか、祈る、ということが、私にはどういうことなのか未だによく分からない。周囲の勢いに呑み込まれるように本殿の前でただ頭を下げ、それから足早にその場を去った。

人混みの中、神社の職員のような人たちが、鳥居の下や出入り口付近で「足元に段差がありますのでお気を付けてお通りくださーい!」とひたすら拡声器で絶叫していたのにうんざりする。子供じゃないんだから言われなくても別に分かる。過剰な注意喚起。過剰な親切心。ただ鬱陶しいだけである。というか、そもそも転んだって別に構いやしないだろうが。正月らしく一応初詣には行ってみたが、結局、情緒もへったくれもないのは同じだった。

これだけ言っておいてなんだが、来たついでにおみくじも買った。なんだかんだ言ってもやはり初詣に来たなら買わなきゃならないような気がして、気が付いたら巫女さんバイトの女の子に二百円を支払っていた。中吉だった。特筆すべきことは何も書いてなかったが、とりあえず今年はチャレンジの年になるとのことだ。チャレンジは、していきたい。この日記も今年はもう少し書く頻度を上げていきたいと思う。

東京にて

21時55分。鍛冶橋駐車場。

高速バスを待つ人たちの群れに紛れて、この、出っ張って座れるようになっている、待合所の隣にあるコンクリートブロックの上に腰を下ろした。このスペースは言葉でなんと言い表わしたらいいのだろう。高速バスが出入りする駐車場の近くに、雨が凌げるように屋外用の屋根が設けられているのだが、その屋根に微妙に入りきらない敷地のギリギリの場所に、本来はきっと敷地を仕切るフェンスの足場でしかないはずのコンクリートブロックがまるで椅子のように突き出していて、ちょっとしたベンチみたく座れるようになっている。数分前、ここ鍛冶橋駐車場に到着したときにちょうど人ひとり分のスペースが空いているのが見えたので、幸運にも私はこの場所に座ることができたのだった。出発まであと二時間弱。さすがに早く着きすぎてしまったような気もする。

冷気が、アスファルトの硬い質感とともに尻へ伝わってくる。辺りは窒息するくらい多くの人でごった返しているというのに、人々の隙間から時折刺すように冷たい風が吹き抜けて、思わずクッと肩に力が入る。メガホンからひっきりなしに聞こえてくる大音量のアナウンスも、この空間をより不愉快なものにしている。高速バスの発着情報を告げる女性スタッフの声色は、聞いている人たちの心をあえて不安にさせるかのようにいちいち語気がトゲトゲしく、焦燥感に満ちていた。彼女の声の緊張が耳に入ると、こちらにまでそのいやな感じが伝染してくる気がして、急いでイヤホンで音楽を聴いて耳に栓をした。が、音はそれを突き破って容赦なく脳内へなだれ込んでくる。不快だ。つじあやのの少女のように澄んだ可愛らしい声でも間に合わない。

いよいよ辛くなってきた。荷物をまとめて一旦この場を離れる。

 

23時5分。同上。

それから有楽町駅方面まで少し歩いて、商業ビル構内にあるトイレやコンビニのイートインコーナーなどで暖を取った。トイレとコンビニは都市を生き抜くのに欠かせない。砂漠の中のオアシスのような場所だ。トイレで冷えた体を暖めて、コンビニでスープ春雨を飲みながらスマホを充電した。

晦日の東京に人影は乏しく、店はどこもシャッターを下ろしていた。それでも街の灯りは消えない。昼夜問わずきらびやかな街である。パチンコ屋の下品な広告。商業ビルの窓や入り口から漏れてくる光。イルミネーションに彩られた現代的な装飾の広場。しかし、そうかと思えば、煙草の吸殻をあちこちに投げ捨てられた古臭い商店街が、高架下の薄暗い道をうねるように伸びている。私はまだこの街のことを何も知らない。

駐車場へ戻る道すがら、路上で自作の曲を歌う一人の女性とすれ違った。彼女の足元に立て掛けられた看板によると、彼女は、自称ナースシンガー。地方で看護師をしながら歌手を目指しているとのことだ。「ほんとうに笑えているのかな〜」という歌詞の一部が、彼女の目の前を通り越して私の視界からすっかり消え去った頃に聞こえてくる。どこかで聞いたようなメロディ。甘ったるい声。いわく「ほんとうには笑えていない」人に対して何かを物申すような内容の歌詞にピクっと反応して、なぜかふと、「それが人生ってものではないのか」という言葉が湧いて出てきた。ほんとうに笑えているかどうかなんてことを、何処の馬の骨とも分からない他人にとやかく言われる筋合いなんてあるのだろうか。他人の心配をする前に自分の心配をしろよ。と、ここまで書いて、いや、でも自分から他人前に立って世の中に勝負を仕掛けているという意味では、彼女の方が私よりも先を歩いているのかもしれない、と思う。おれに文句を言う資格なんてあるのか。いや、でも先ってなんだ。生きるのに先とか後ろとかってあるのか。いや、たとえあったとしても彼女と私の人生を比較する道理なんてどこにもない。というか、なんていうか、こんな風に視界に入った人をすぐに断罪なんかしたりして、私は何か心の余裕を失っているのかもしれない。そういえば最近俺は知らず知らずのうちに目付きが険しくなっているのではないか、と心配になるときがある。

 

24時19分。高速バス車内。

ぶつぶつ書いているうちに、年が変わった。情緒もへったくれもない年越しだった。来年の抱負を語る前に、今年が始まっていく。家で紅白歌合戦を見ながら「やっぱり紅白はつまらないねえ」と家族で愚痴を言い合っていた頃が懐かしい。

銀座にて

午後2時16分。くもり。

銀座のドトールにいる。3時過ぎから緊張を強いられる予定が一件入っているということもあって、胸がそわそわして気が気でない。ので、久しぶりに文章を書きたい気持ちになって、ブログを開いた。こういうときのためにこのブログはある。こういうときのためだけにあると言っても過言ではない。黙っていると、色々な思いや考えがどこにも吐き出されることなく自分の中でだけ延々と渦巻いて平静でいられなくなってしまう。だから、そんなときにこそ日記を書く。というか、そんなときでないと日記なんて面倒くさくて書いていられない。誰よりもまず私自身にとって、文章を書くという行為が必要なのである。文章には前後がある。直線的な秩序がある。書くことで、自分自身の内側で渦巻いている言葉の洪水に一筋の秩序が与えられる。文章という形式に落とし込むことで外部化されて、初めて客観的に自分の心を透かし見ることができる。自分の中にある、なんとなくそわそわして落ち着かないような身体の感じ。それに一番適しているような言葉を探し出して当てはめる。その行為にのみ集中する。すると意識がその一点に集中して、だんだん他のことが気にならなくなっていく。周りで起きているさまざまな刺激に中途半端に反応しては動じていた身体の状態から抜け出して、自分で選択した一つの対象にひたすら意識を注がせるだけの状態に変化する。そうすることで、次第に自分の意識を自分の手元に取り戻していく。

…とかっていうようなことを書いているうちに胸の動悸がだんだん穏やかになってきた。きっと内容うんぬんではないのだ。何かを書くという行為それ自体によって私は癒されているのかもしれない。土をいじって泥団子を作る。黙々と草むしりをする。冷たい流水に手を浸す。空に向かって大きく伸びをする。言葉を思い付くままにただひたすら吐き出し書き続けることの中には、それらに匹敵するような心地良さがある。最低限の日本語文法に従ってさえいれば、どのような言葉の羅列であっても構わない。とにかく書くこと。文字を打つこと。スマホの画面に浮かんだ文字を左右の親指を駆使して叩く。もしかしたら、こうして親指を動かしていることがただ楽しいのかもしれない。

動悸がしたのはコーヒーを飲んだからなのか、それとも緊張する予定があと少しであるからなのか。もしかしたらこの喫茶店の雰囲気のせいということもあるかもしれない。ほぼ全ての席が客で埋まっている店内は、決して居心地が良い雰囲気とは言えない。自分の中で言葉の洪水が起きているときは、目の前の景色や様子の良し悪しをパッと見で判断できなくなる。むしろ、自分の心のさざ波立った状態を外の世界に投影するかのように、わざわざ居心地の良くない空間に吸い寄せられていくこともある。

予定の時間まであと五分。こうしてはいられない。席を立って、目的の場所まで向かう。

新潟にて

右目に違和感がある。さっきから何度も目をこすり、コンタクトレンズを外して携帯用のレンズケースに入っている洗浄液に浸してまた目に入れ直したりしているのだが、しばらくするとまたイガイガしてくる。駅前のトイレにある洗面台の鏡で、右目の下瞼の裏側をめくってみると少し赤くなっているのが見えた。とすると、この目の違和感の正体は、異物がどうのこうのとかっていうことではないかもしれない。目に異物が入ったから、もしくはコンタクトレンズに異物が付着していたから目がイガイガするのだと思っていたが、この分だと、もしかするともっと病的な何かの原因で下瞼が炎症を起こしてしまっていたからなのかもしれない。そんなことを思いながら、もう一度、目にレンズをはめてみる。洗浄液に浸されたレンズは冷たく潤っていて、装着してすぐの頃は、何の違和感もなく快適である。しかし、数分も経たないうちに、また、たまらないようになってくる。だめだ。違和感という域をもはや越えている。痛いという程ではないが、私の目がこのレンズを拒絶しているのは明らかだった。やはり原因はこのレンズに違いない。この、二週間で交換することになっているソフトコンタクトレンズ。そうして照明の下で改めて手に取ってみると、直径の三分の一ほどの亀裂が端から走っているのが見えた。ので、親指と人差し指でそれを潰して、道に捨てた。

今回のコンタクトレンズはどのくらい使うことができたのだろうか。大学生の頃に眼鏡からコンタクトに初めて変えたばかりのときは、ちゃんと眼科で検査した後に購入したり、手を洗ってからレンズを触ったりしていたものだが、時が経つに連れてだんだん使い方が乱れ、今はとりあえずネットで安いレンズを買い、違和感があったときは手が汚れていようがなんだろうが目からレンズを外してはめ直し、それでとりあえず目に入れてみて大丈夫だったらオッケーみたいな、そういう野蛮な感じになってしまった。当然、使う期間も適当。耐用回数を越えて使うこともざらにあった。今回はどのくらい使っていたのだろう。覚えていない。そんなどうでもいいことはもう覚えていない。

 

ていうかこ、んな風に今あったものすごくどうでもいいことを適当に書いてみて思ったんだけど、やっぱりこのくらいの力の抜き加減で文章を書いているのが、今の自分にはちょうどいいのかもしれないなあ。なんか今日のハイライトというか、「今日の私はこんな風にいつもと違う特別なことをやりましたよ!」みたいなことを書こうとしてしまう心の働きが、日記を書いているときの私にはあるのだけれど、そんな風に力んでいると文章って全く書けなくなるんだよなあ。それって多分、文章を書くっていう行為自体が「余剰」というか、本質的に、生きていくのに必要のないことだからなのではないかと思ったりするんだけど、そんなことはまあいいや。ともかく、この日記に関してはもっと雑に書いていきたい。上手く書こうとして書かないでいるより、下手でもいいからとりあえず書いてひたすら蓄積する。オチも、伝えたいことも、伝わりやすさも、そういうことは一旦脇に置いて書き続ける。自分の無意識をここに置いてくるような気持ちで、雑に書き続けていきたいと思う。

喫茶店にて

手紙を書くのが苦手すぎる。ラインもチャットもメールも電話も苦手だが、手書きで手紙を書くのが一番苦手かもしれない。苦手すぎて頭が千切れそうになる。とある方から送られてきた手紙の返事を書きに今日は喫茶店に来ていたのだが、数分前に何を書いたらいいか完全に分からなくなって何もかもが嫌になり、思わず頭を掻き毟るということを、久しぶりにやった。難しすぎた。顔の見えない相手に対してどれくらいの丁寧さで書いたら丁度良くなるのかがいつも分からない。たかだか手紙を書くためだけにどうして俺はこんなに苦しまなければならないのだろう。くそだ。もう本当に俺は手紙を書くのに向いていない。というか相手の顔色を伺いながら行うことのできないあらゆるコミュニケーションが苦手だ。だいたい、これだけ苦労して手紙を書いているけれど、手紙で伝えられる俺の気持ちなんて、対面で視線を交わしたときの俺の瞳の柔らかさとか瞼の力の入ってなさとか肩の力の入り加減とかそういうのに比べたらもうほんの少しの情報量でしかない。手紙で伝えられることなんて要するに「あなたのことを肯定的に思っていますよ」くらいのことでしかないのだから、そんな基礎的なことを言うためだけに、どうして時候の挨拶とかそういう改まった表現を踏まえながら文章を書かなければならないのか意味が分からない。私にとって文章というのはこういう風にぶつぶつとモノローグを書くときに使いたくなるツールなのであって、他人とコミュニケーションをとるためのものではないのである。実際、文章というもの自体が誰かと対話、ダイアローグをするのに向いていないものなのではないかと思う。いや自分の意見を率直に言い合うような対話ならいい。挨拶や贈り物なんかの、主にお互いの親密さを確認するために行われる、さりげない儀礼的なやり取り。そういう毛づくろい的なコミュニケーションのために文章を書くのがとにかく苦手だ。苦手、というのは要するに、目の前に相手がいないと、自分と相手との間にどれくらい親密な関係性が築けているか判断できないから、どうしても過剰に改まってしまって気を遣いすぎて自滅するということだ。でも、馴れ馴れしくなるよりはずっとマシなんじゃないかと思うからどうしても敬語になるんだよなああああ。いやいや、でも、そういうのもういいんじゃないのかっていうことも思う。そういうのいいからもっと親しみを込めてフランクにやっていければいいんじゃないですかって自分でも思います。でもほらやっぱり文章でそういうことをするのって後で冷静になって読んだときに冷めるじゃないですか。書いているときはまだいいけど、後から読むと自分が取っている他者への態度の馴れ馴れしさに引くじゃないですか。これはもう性分なんですよね。だからツイッターとかフェイスブックとかも苦手だし、過剰に改まらないと投稿ができない。でも本当はもっと気楽に他人とコミュニケーションを取っていきたいという気持ちがあります。というか、生身の私自身は意外とそういう人間ですよ。むしろ礼儀を知らないで怒られるような、だらしのない人間ですよ。ただ言語だけの私になると、それがまったく逆になる。神経質な自分ばっかり出てくるようになる。どうしてだろう。自分でも分からない。不思議だなあ。

 

5時を過ぎた。この喫茶店に入ったのは12時過ぎ頃だったから、かれこれ5時間くらいここにいることになってしまう。ああ。たかだか知人から来た手紙の返事を書くだけなのに。しかも結局一行も書けずに一日が終わった。自分の愚かさに気が狂いそうになっています。どうしたんだおれ。集中力のなさがすごいぞ。こんなもんだったかおれ。いやあでもこんなもんだったんだよなあおれって。何でもそうだけど、やらなければいけない!!って力んでしまうとすぐにこんな感じになってしまうのだよなあ。ああああ。やめたい。手紙を書くのをやめたい。ここに愚痴を書かなかったら喫茶店で発狂しているところだった。はあ。