四月二十二日

20:37 自室

今日は滞在先の家から横浜駅まで自転車で出掛けていった。目当ての中古屋で、これから自分が使っていくべき携帯電話を探すためだった。道中ですれ違う人たちの服は、そのほとんどがもう薄着に変わっていて、景色はすっかり初夏といった様相だった。都会で季節を知らせるものは、人々の身に付ける服だけだ。私も、昨日買ったばかりの水色のワイシャツを一枚だけ素肌に羽織って、街を走った。横浜駅までの道もようやく頭に入ってきている。

 

結論から言うと、携帯はまだ購入するに至っていない。でも実際に店頭まで足を運んで良かった。やはり買い物ってこういうものだよなと思った。ネットで見ているだけだと、ほかの選択肢がすぐにチラついてしまって、何かを買う、と決める瞬間の「これだ!!!!」という勢いが生まれにくい。やはり実際の店舗で店員さんにいろいろ訊いたりしながら買うのが一番自分の性に合っている。

 

昨日今日と入念な下調べをした結果、とりあえず今は四つくらいの選択肢に絞れている。新しい携帯電話を買う、ということはもう決まっている。問題は、どんな携帯電話を買うか、ということだ。

というわけで、今、私の目の前にある選択肢は次の四つだ。

① 中古のiPhone6sを買う 

② 中古のiPhoneSEを買う

③ 中古のガラケーを買う

④ 中古のフューチャーフォンを買う

しかし携帯やスマホ市場は、SIMや契約会社などとの兼ね合いがいろいろと複雑に絡み合っていて、調べれば調べるほど無限に選択肢が見えてくる。だが、それではいつまで経っても埒が明かない。なにより今回は、可能な限り早く電話を使えるようにしたいのだ。

どんな携帯電話にするか。携帯電話は、もう現代人が普通に生活するにあたって、なくてはならないものになっている。一人に一台は必ず当たり前に持っている、現代人の必需品だ。私も高校生の頃からずっと使っている。16歳の頃だから、使いはじめてからもう10年か。そう考えると、かなり長い。

四月二十一日

22:16 自室

パソコンで日記を書くのに慣れない。いつもはiPhoneの小さな画面に映るそれよりさらに小さなキーボードの文字盤を、左手と右手の親指をカサカサと動かしながら打ち込んでいる。もちろん姿勢は良くない。前かがみで、背筋は猫背。目と画面の距離も近い。

良くない姿勢でいると、心なしか気分も暗くなってくる。気分が暗くなっているから姿勢が悪くなるのかもしれないけれど、そんなことはもうどちらでもいい。心身一如という考え方もある。つい「心」にばかり偏ってしまいがちだからこそ、「身」にあえて目を向ける。抽象的なことを考えるのも大切だけど、ていうか、私の場合は放っておくと勝手に抽象的なことばかり考えて未来への不安とか過去の後悔とか生きる意味とかを延々と考えて止まらなくなってしまうからこそ、考えてばかりいる自分自身の在り方それ自体を物理的な面から疑ってみるという視点も、同じくらい大切にしてやらなければならない気がする。姿勢が悪くなっていないか、とか、単に腹が減っているだけなんじゃないか、とか、そういえば最近新しい洋服を買っていないんじゃないか、とか。

というわけで、今はできる限り背筋を伸ばして、姿勢に気を付けながら文字を打っている。 パソコンで文字を打つときは、必然的に目と画面との間に距離ができるから、自分が打ち込んでいる文字以外のものがいろいろと視界に入ってくる。手とか壁とか床とか机とか机の上に置いた小物とか。余計なものがたくさん目に入る分だけ、スマホで打ち込んでいるときのように画面の中へのめり込まんとする没入感がないから、集中力は途切れやすい。でも、その分、頭だけの世界に没頭して終わりのない思念のループから逃れられずに苦しむということも少ないような気がする。

 

ただ、私は別にそういう効果を狙ってノートパソコンで日記を書いてみようと思ったわけではなかった。昨日の昼過ぎに、私の使っていたスマホが突如ブラックアウトして、それからウンともスンとも言わなくなった。丸二年は使ってきた、iPhone6。数ヶ月前に画面が割れてから基盤が剥き出しになるくらい破片がこぼれ落ちても構わずに使い続けてきたのだが、それもついに限界を迎えてしまった。だから日記を書くときも仕方がないからパソコンを使うしかない。

ハプニングが起こると、それはそれで元気が出る。もちろんiPhoneが使えなくなったのは不便だ。でも、よく考えたらここ数年はずっとスマホに頼りきりの生活を送っていたから、そこからついに解放されるという嬉しさもあった。なによりスマホが壊れたことで、私の目の前に新しい課題が現れたのが嬉しかった。最近はひたすらネットの求人サイトを見て「どこのバイトの面接に行こうか…」ということばかり考えながら鬱々とした数日間を過ごしていたのだが、スマホが壊れて電話が使えなくなったことで、それどころではなくなった。電話が使えなくなったら、仕事どころではない。仕事を探すより電話を探すことの方が今は緊急性が高い。四の五の言っていられない。

考えてみれば、住民票を新発田から横浜に移したのも、免許証を無くすというハプニングが背中を押したから成し得たことだった。自分だけではなかなか踏ん切りが付かないことでも及びも付かないところから不意打ちされることによって弾みが付く、ということがある。

そのときはコンビニで免許証のコピーを取った後、コピー機の中に免許証を置き忘れて二週間くらい気が付かなかった。気が付いてから思い当たるコンビニというコンビニを何件も巡って店員さんにお願いして、警察署にも出向いてわざわざ紛失届まで書いた。結局、紛失届を書き終えた後にダメ元で立ち寄ったコンビニで発見、またすぐに警察署に戻って紛失届は取り消してもらった。見つかって本当に嬉しかった。あまりにも嬉しかったからその弾みで、ずっと迷っていた横浜への住民票の移転届を提出できたのだった。

そもそも住民票を移す手続きをするつもりだったから免許証のコピーを取りに行ったのに、いざコピーを取ってもそれを市役所に提出する踏ん切りが付かないのだから、私の優柔不断さも酷いものだと思う。迷ってばかりだ。迷ってばかり。自力では迷いの中から抜けられないから、こうやっていつも外側から訪れる偶然に導かれて歩みを進めているのが、私の人生のような気がする。

そういえば、免許証を見つけたときはもちろん嬉しかったのだが、いま思えば免許証を探すために必死にコンビニの店員さんに聞き回っていたことの中にも不思議な嬉しさがあった、ということを書きながら思い出した。コンビニの店員さんとは、いつもなら商品をレジに通すときに機械的な会話をするだけだ。でもそのときに限っては、誰もが人間的な対応をしてくれた。こちらが誠実にお願いすれば、それに応じて答えてくれた。私も事情が事情なだけに必死になるより他に仕方なかった。いつもはシステムの中に馴らされていても、一枚剥がせば誰でも暖かい血が流れている。その暖かさに久しぶりに少しだけ近づけた気がして、嬉しかった。

 

話を戻す。というわけで、今の私には「なんとかして携帯を入手する 」という緊急性の高い課題が目の前にあって、今日は中古のスマホを探したり調べたりしていた。だから今日中には新しい携帯を手に入れよう、と意気込んでいたはずだったのだけど、途中でまた興味が逸れて、なぜかいきなりバリカンで自分の頭を丸刈りにしたり夜中に中古屋で服を買ったりしていた。自分でも自分がどうしてこんなに脈絡のない行動を取っているか分からないので、そのことについて今の時点ではまだ上手く言葉にすることができない。ていうか、この間の座禅のときもそうだったけど、なにごとも体験した直後はうまく言葉することができないものだと思う。自分にとって意義深い体験であればあるほど、今の自分自身が持っている言葉では表現しきれない。

 

なんというか、ここ一ヶ月くらいは自分がこれからどうやって生きていくかということばかり考えていて落ち込んでいた。こうやって分かりやすくビジュアルを変えることができて、外側のモノに目が向けられるようになったのは良かったと思う。こういうのはどん詰まっているときほど効果がある。そういえば十代の頃も季節と一緒にガラッと髪型を変えていた。十代の頃の気持ちを未だに引きずっているのだとすれば、見た目も十代の頃に近づけていけばいいのかもしれない。

ふと気が付くと、また猫背になっている。この間、座禅をしていたときも気付くとすぐに猫背になっていて、背筋を気にしているうちに終わってしまった。いっそ明日は猫背にならないことだけ気にして生活してみようか。

四月十七日

20:26 Jonathan(神谷町駅前店)

青松寺での約四十分ほどの座禅を終えた。今は神谷町駅付近にあるファミレスでオニオングラタンスープを飲みながら日記を書いている。

せっかく遠出してきたのだから、このまま直帰してしまうのはもったいないような気がして、とりあえず駅近くで見つけたファミレスに入ってみた。外を歩くと、ビルの隙間から東京タワーがオレンジ色に光っているのが見えて綺麗だった。ぜんぜん東京に詳しくないので知らないのだが、もしかするとこの辺りは東京の中でもいわゆる中心地にかなり近いエリアなのではなかろうか。こんなに近くに東京タワーがあるのにここが中心地でないはずがないと思うのだが、どうだろうか。

こんな大都会のど真ん中に、まさか自分が常々行こうと思っていたお寺があるとは思わなかった。来てみて驚いた。とりあえず今日はそれを知れただけでも良かったということにしたい。

肝心の座禅については、なんというか、感想をわざわざ書くまでもないほどあっさりと終わってしまった感じがあって、何かを書こうという気にまだなれない。これから続けていくかどうか分からないが、一回や二回したところでどうなるものでもないということはよく分かった。

 

ということで、今日は以前から気になっていたお寺さんで座禅体験をしてきたのだった。案ずるより産むが易し。とにかく、東京でやりたいと思い続けていたことの一つをやれて良かった。

四月十六日

11:17 自室

学生の頃、クラス替えが苦手だった。新しいクラスに馴染むのに異様に時間が掛かった。他の同級生たちは持っているように見える「人間関係を作る上での基本作法」みたいなものを自分だけが持っていないような気がして、苦虫を噛み潰すような顔をしてただ自分の座席に黙って座っているしかなかった。仏頂面をしているからなおさら他の人との間に壁ができる。かといって自分から話しかけることもできない。どうすればいいか分からない。あれは嫌だったなあ。本当に嫌だった。だからクラス替えの時期になると本当に動揺したし不安になった。あのときの嫌な気持ち。あのときの嫌な気持ちを未だにどこかで引きずっている。いくつになっても、新しい人間関係の中に入るということが私は本当に苦手だ。

中学生のときなんか、どこかの部活動に必ず入部しなければならないという決まりがあって非常に悩んだものだった。新聞の切れ端に、バスケ部・野球部・サッカー部…、と「上」から順に書き並べて、自分はどの部に入るべきなのかを真剣に悩んで姉にもよく相談した。どの部に入部するかということが自分の中学校生活、ひいては自分の人生全体に決定的に大きな影響を与えるような気がしていた。今になって冷静に考えたらそんな訳あるはずないと思う。でもその反面、よくよく考えたら、ある意味では結果的にその通りになっているのではないかという気もする。恥ずかしながら26歳になってもまだその頃の記憶を引きずっている。あのときの自分の葛藤を克服できずに歳だけ重ねてきてしまっている。どこかでそんな気がしている。

 

中学校の部活には人気の度合い順に「上」から「下」までの序列が明確にあった。私の頭の中にだけあったのか、それとも客観的にそうだったのかは分からない。でも、それほど独りよがりなものではないと思う。

私の考えではバスケ部が頂点。次は野球、サッカー、陸上。その次は水泳、柔道、剣道。次はテニスなどその他運動部。次は卓球。そして最後は、文化部全般。 

私はべつに人気者にはなれなくてもよかった。普通に生きていければそれでよかった。でも学校内では、不人気だといじめられる恐れがある。当時の私はとにかくいじめられることがなによりも怖かった。それだけはなんとしても避けたかった。だとしたら、文化部にだけは入ってはならない。文化部に入ったら絶対にいじめの対象になる。どうしてそんな風に思ったか知らないが、当時の私はそう強く信じていた。

もちろん後々になって見れば、必ずしもそんなことはなかったと思う。でもリスクを避けるという意味で考えれば、あながち間違いとも言い切れなかった。状況認識としてはある意味で正しかったと思う。当時はいつ誰がいじめの対象にされるか分からないという緊張感があった。とにかく切迫した状況だった。地味なヤツだと思われたらクラスで居場所を失う。そうなりたくない。

私は内部で二つの自分に分裂していた。ダサい人間を見下す自分と、見下されるのを怯える自分。自分のポジションを確保するのに、ともかく神経をすり減らしていた。

どれか一つの部活に必ず入らなければならないのだとしたら、私はサッカー部に入りたかった。小学校の頃は昼休みになれば毎日サッカーで遊んでいた。だから仮入部にはサッカー部を選んだ。

しかし、行ってみると何かが違った。他の子たちは、小学生の頃から、学校の部活だけでなくクラブチームのような団体にも所属していて、放課後になるとそこで専門的な練習を積んでいた。だから、最初からかなり上手かった。しかも、そこでの先輩後輩みたいな繋がりもあったようで、サッカー部の先輩たちと彼らは仮入部の段階からもう顔馴染みで打ち解けていた。さらに、極め付けに、彼らの中には目鼻立ちのはっきりした者も多かった。花形のサッカー部らしい顔付きを、誰も彼もしていた。

それに比べたら、私は小学校の頃に遊びでサッカーをしていただけだったからほぼ初心者だったし、身長が無駄に高くて基本的にいつも仏頂面だったから(本当はどうしたらいいか分からなくて黙っていただけなのに、それが同級生たちからは妙に大人っぽく見えたようで、なぜか私だけ名前によく「くん」とか「さん」を付けて呼ばれて距離を取られた)先輩にも可愛がられないし、容貌もパッとしなかった。下手をすると、サッカー部内でいじめの対象になるかもしれない恐れがあった。そして悪い予感は的中し、仮入部の何日目かのある日に事件は起きた。

 

12:27 カフェDelifrance(菊名駅前)

なんでおれは朝っぱらから中学校の頃の記憶を引っ張り出してきて書き綴っているのだろう。正気だろうか、おれは。

でもなんか、だんだんいろいろなことを思い出しすぎて、うわああ!!!!!となってきたので、一旦気持ちを切り替えるために駅前のカフェに場所を移した。

ドトールと反対側にあるこのカフェはDelifranceという名前らしい。真っ昼間から二人一組のマダムたちが、よもやま話に花を咲かせている。いい気なもんだ、ってまあ私も似たようなものだけど。もしかすると、彼女たちこそが私の同志なのかもしれない。

 

さて、中学生になりたての頃、私の身にある決定的な悲劇が起きた。

サッカー部の仮入部、その練習時間が始まった。部員は皆、練習の前にまず校周を走らなければならなかった(ていうか、なに、今「校周」と書いて、すごくゾワっとしたんだけど。いや、そんな言葉あったよなあ。そしてその校周というのがなによりの問題だったのだ)。

私は小学生の頃から体力がなくて、マラソン大会が本当にこの世で一番死ぬほど嫌いだった。クラス替えよりも嫌いだった。嫌いというより、単にできなかった。走り切ることができない。苦しくて仕方がない。こんな苦しいことをどうしてやるのか分からなかったし、他の人たちがどうしてできるのかも分からなかった。異様にできなかった。体力が極端になかった。だからクラスの中ではいつも最下位だったし、女子やひまわり学級?(って名前だったかな、名前は忘れた。とりあえず発育が多数派の児童たちとは違う子たちのクラス)の子を含めてもビリに近かった。

ある日のマラソン大会。最後尾を走る、おれ。すでにトラックを走り終えた生徒たちや先生、保護者たちが見守る中、おれだけが苦悶の表情を浮かべて誰もいなくなったグラウンドを一人でトボトボと走っていた。あのときの屈辱たるや。皆の暖かい声援が何より痛かった。苦しかったし悲しかった。辛かったなあ。あのときは本当に辛かった。いやあ辛かった本当に。

大人になってからいろいろな人と会って、その中には自分よりもよっぽど辛い思いをして生きてきたであろう人や、想像を絶するような大変な状況の中をくぐり抜けて生きてきた人がいて、そういう人たちに比べれば、私のした苦労なんて屁みたいなものだとは思う。でも、そうはいっても、おれにはおれの中にしかない、小さな針でちょろっと引っ掻いただけみたいなカスみたいな傷があって、それが大人になった今でも癒されずに時々じくじく痛むという、そういう情けないところがある。ヒゲが生えて脇毛も生えて酒や男女の関係みたいなものもそれなりに知って、大人にならなければできないことを一通り知った今になってもまだ、大人になりきれていない部分が私の心の中にある。

話が逸れまくった。とにかくマラソンが死ぬほど苦手だった当時の私は、仮入部のときもサッカー部の練習前に校周を走るのが本当に嫌で仕方なくて、先輩にはたしか三周くらい学校の周りを走れと言われたのだけど、一周で体力が尽きてしまって、一人でとぼとぼとグラウンドに戻ってきたのでした。

たった十数分前に上級生たちが「じゃあ校周を走ってきて!」と新入生たちに告げた場所辺りに一人で戻ってきて、誰もいない地面の上で体育座りでしゃがみこむ。もちろん上級生たち含め、皆走っているので、グラウンドには私一人しかいない。一人で、ああだめだなあ苦しいなあ、と落ち込んでいました。今になって考えたら、もう少し背筋を伸ばして、しゃんとした態度で待っていれば、結果は違ったかもしれないとも思う。甘えたい気持ちもあった。走れなかったけれど、許してほしい。そういう気持ちもあったことは認めます。なんなら私を心配して誰かに優しく声をかけてほしい、そういう弱さもありました。

さて、私がグラウンドで一人でしょぼんと座っていると、しばらくして、ちゃんと3周を走り終えた同級生が戻ってきました。最初にまずMという子が戻ってきて、地面にヘタリ込む私の元に近づいてきます。彼は汗で濡れた髪をかき上げながら、私を見るなり「もう走り終えたの?すごいね!」と声を掛けました。私は、その時にはもう罪悪感やら不安やらでいっぱいで、彼が一瞬何を言っているのか分かりませんでした。でもハッと気付いて、それから自分で自分が情けなくなって、もう何も言えなくなってしまいました。もごもごと話してお茶を濁しました。気まずかったです。でも、繰り返しになりますが、そんな自分を許してほしいという甘えた気持ちもありました。けれどそうこうしているうちに、ぞくぞくと同級生たちは戻ってきます。もう正直に話すしかありません。私は三周を走りきることができず、一周しか走らないで戻ってきたという旨を上級生に話しました…話したと思います、たぶん。いや、上級生に直接話したのではなく、同級生にだけ同情を誘うようにちょろっと話してそれで済ませようとしたのかもしれません。ともかく私はそれで上級生に嫌味を言われてしまいました。ちゃんと走っていないヤツがサッカー部に来んな、とかなんとか。その辺りから記憶は曖昧になっているので、もう覚えていません。

あ、そのとき、なんかすれ違いざまに、舌打ちされたんだっけなあ。とにかくその頃の私はいじめられないようにいじめられないようにと常に神経を高ぶらせて警戒して生きていたのに、ついにその時に、恐れていたものが現実となってしまいました。

先輩としては、きっと以前から私のことは気に入らなかったのだろうと思います。私も彼らとは折り合いが合わないのを感じていました。しかし、いくら私が悪かったとはいえ、露骨に敵意を向けられてしまって、私はひどく傷付きました。どうすればいいか分からず、頭が真っ白になりました。

それから私は、怒ったんだか泣いたんだか忘れたのですが、とにかく悲しくて寂しくて怖くて情けなくて、溜め込んだ感情が一気に爆発して癇癪を起こしてグラウンドを一人で走って脱走しました。「あきとくん!」と、私を呼び止める同級生の声が後ろから聞こえてきます。逃げた私を嘲笑する上級生や同級生たちの気配も背後に感じました。けれど、私はそういうものを全て振り切って、一目散にグラウンドを走って去っていきました。もちろん泣いていました。もうめちゃくちゃに泣きながら学校を出ました。泣きながら歩いて、声を上げて泣いて歩いて、それで家に帰りました。

玄関の扉を開けるなり、私が目を泣き腫らしているのを見て、おばあちゃんが「あっくん、どうしたの??!!」と取り乱しながら心配してくれました。そしたら引いていた涙がもう一度ドバァッと溢れてきました。「いじめられたの?」とか「嫌なことがあったの?」とかいろいろなことを訊いてくれましたが、私はもう泣くことしかできません。とにかく「大丈夫大丈夫」と言ってくれるおばあちゃんの優しさは、嬉しくて本当にありがたかった。でも、私の心の最も焼けただれている部分には届かず、ただひたすら自分が情けなくて泣くことしかできませんでした。その時だったと思います。私はおばあちゃんの胸に埋もれて泣く私自身を俯瞰してみて、ああ、きっと私は所詮この程度の人間なのだろうなあという思いを強固にしたのでした。分不相応なことはすまい。これからはなるだけ地味に生きていこう、イジメられない程度に地味に生きていこう。生きていくにはそうするしかない。どこかでそう思いました。

その頃からトンチンカンなことしか言わなかったおじいちゃんは、泣いている私を見て「だからサッカー部なんてダメなんだ」とつぶやいていました。あんなチャラチャラしている奴らと一緒にいたらダメだ(勉強しなくなるから)。そういうニュアンスだったかと思います。私は子供ながらに違和感がありました。おじいちゃんの発想は、とにかく私に勉強させたいということでしかない。実際、おじいちゃんはいつも勉強について私に過剰な期待を掛け、私が学校から帰ってきてから家で勉強している素ぶりを少しでも見せないと、気が狂ったかのように私を叱り飛ばしました。ああ。そんなこともあったよなあ、じいちゃんよ。よくぞ小さな子供をあんな風に怒鳴り散らしてくれたよなあ。いや、もういいんだけど。もういいんだけど。

それで私はサッカー部に入部することを諦めて、ギリギリ運動部だけどほぼ文化部に近い卓球部に入部することにしました。私が癇癪を起こして泣きながらグラウンドを飛び出したときに、たまたま陸上部の仮入部でランニングをしていた幼馴染のGくんとすれ違ったのですが、そのGくんが後日一緒に卓球部の仮入部へ行ってくれて、それで二人で一緒に正式に入部することになりました。絶対にイジメられたくなかったので文化部に入ることだけはなんとか避けました。これが私の人生史上初めての、意思決定。その前から入部するならサッカー部か卓球部だなとは思っていて、その二つの間で揺れていました。できればサッカー部に入りたいけど、ダメそうだったら卓球部に入ろう。そう思っていました。そして、ダメそうだったので卓球部に入りました。

あの頃に卓球部に入ったことを後悔している訳ではありません。でも、そのときに我を通さなかったことで、どこかで自分自身の可能性を信じきれないというか、挑戦する前に諦めてしまう心の癖のようなものを身に付けてしまったような気がしています。チャレンジすべきところをせず、つい守りに入ってしまう自分。今となってはもうそれを自分らしさだと思ってはいるけれど、果たして私の人生はそれでいいのだろうかという煮え切れない気持ちは常にあって、どこか騙し騙し生きているような感覚が今に至るまであります。

 

あのときどんな選択をしたにせよ、自分の気持ちをもっと上手に現実に反映させるような違うやり方があったのではないか。そういうことを今になって思います。気のせいかもしれないけど、思えばそれから何歳になっても、何か重大な選択をしなければならない場面に出くわすと、いつも自分にとって納得のできない不満足なものが心の中に残り続けてきた気がします。すべてをあの頃のせいにするつもりはありません。でも、もしかすると今の私のあらゆる意思決定の背後にある思考回路には、この頃の記憶がいわば雛形のようになって後を引いているのではないか。もし今の私のこの悩みが、「サッカー部を選ぶか卓球部を選ぶか」ということで悩んでいた頃の自分に由来するものだとしたら。今の私はあのときの私にどう答えてあげるべきなのだろう。そんなことを考えます。

 

15:42 同上

我ながらいい年をして本当にどうでもいいことで悩んでいると思う。でも、私がこれから自分の人生を先に進めていくためには、中学生だったあの頃の自分をこれ以上置き去りにして生きていくことはできないように思う。あのときの私は、泣き腫らした顔を祖母の暖かい胸に埋めたまま自力でそこから抜け出そうとはしなかった。悔しかったら立ち向かっていく道もあった。サッカーがしたいなら別の場所ですることもできた。あのときのことはもう変えられないけれど、でも、もし、そのときの自分が、今、目の前にいるとしたら、私はなんて声を掛けてあげられるだろう。どんな態度を示してやれるだろう。そういうことを考えています。

四月十五日

22:21 公園

今日の日記を書き留めるべく、帰り道の途中で目に入った手近な公園のベンチに座った。スマホの電池も切れそうだし、早く帰って寝たいし、職質される前に深夜の公園から立ち去りたいので、要点だけささっと書く。

昨日は自分の人生について深刻に考えすぎて散々な内容を書き散らしてしまった。でも、私はわりとああいう風なマインドによくなる。基本的にはあの状態で生きていると言っても過言ではない。あれと戦いながら生きている。気をつけていても、ときどき自分が自分に勝手に食い殺されていくということが起きる。気をつけたい。気をつけてどうにかなることでもなさそうだけど。

何かのインタビュー記事でアルコール依存症の人が「今日は呑まなかった、今日は呑まなかった、という風に一日一日を乗り切っていくしかないんですよ」みたいなことを答えていたのをふいに思い出す。心情的にかなり分かる。私の状態もそれに近い。やめようと思ってもやめられない。やめよう、と宣言することでかえって自分を追い詰めてむしろ逆効果になることもある。

というのも、アルコール依存症は完全に治るということはないそうなのだ。だから、強く決意してある日から突然やめる、というのではなく、一日一日やめ続ける、という発想を持つこと。気長に構えること。そういうのが大切だとかっていう話だった。気がする。私はべつにアルコール依存症ではないけれど、たまたまアルコールでないだけで何かに依存してはいるのだと思う。何か特定の思考回路に依存していると言ったらいいのか。うーん、わからない。

ともかく、今日は銭湯に行ってきたのが正解だった。熱い湯と冷たい湯を三回くらい反復してきた。シャンプーが備え付けられていなかったのは残念だったが、計2時間くらい長湯できたのは最高だった。一人で来たからこそ、とことん長湯できる。長湯が好きだ。無闇矢鱈に一人で考えごとをしていると頭がよくない方にぼーっとしてきて死にそうになるけれど、湯に浸かりながら考えごとをすると、いつもとは違う感じで頭がぼーっとしてきて最終的にどうでもよくなる(良い意味で)。頭の中の問題を身体のせいにできるのがいい。身体を忘れて頭ばっかりになると詰む。

人生には、気持ちいい、とか、楽しい、とか、おもしろい、とかっていう要素があることを昨日は完全に忘れていた。

数日前に「人間の動機はすべて不純だ」とかなんとかって悟って、これはもしかしたら本当に本当にその通りなのではないか、と、それから一人でしこしこ噛み締めていたのだけれど、不純、っていうのは、そういうことでもある。そういうことっていうのはつまり、快、ということ。快は不純だ。自分だけのものだから。

何のために生きるのか。生きるために生きる、のではない、その先に楽しみがあるから生きようと思えるのではないか。楽しみがあるから、嫌なことでもやってみようかと思えるのではないか。

嫌なこと、っていうのは、自分がしたことのないことはもうだいたいがそうだ。何かが嫌だとかっていうことではなく、やったことがないから嫌、というのがかなり本質に近い気がする。その考えでいくと、やったことがないことの方が自分には多いのだから、つまり、もうほとんどのことが嫌ということになる。発想次第ではそうなる。

ただ、やったことあることばかりやっているのも嫌は嫌なのだ。どっちも嫌だから、もう嫌と嫌に挟まれて脳みそが腐ってくる。やったことあることばかりで嫌になってきたら、然るべきタイミングで次にいかないと腐って死ぬ。腐る前に環境を変える。その際はもうきっぱりと意図的に、自分が嫌だと思うものの中へ突っ込む。突っ込むときはもう「いやだなあいやだなあ」と思いながら死ぬ気で突っ込む。それしかない。

なんでこんなことを書いているかというと、今日は銭湯で水風呂に入ってきたから。水風呂は素晴らしい。あれは死を擬似体験できる。本当に大変素晴らしい発明だと改めて思った。

快か不快かで言えば、水風呂は快ではない。入るときはいつも「いやだなあいやだなあ」と思って入っている。でも、あの感じ。「いやだなあいやだなあ」と思いながら無理して入るあの感じは、いろいろと頭の中で考えまくってガチガチになった状態から、自分を解放させるために勇気を振り絞って「えいやっ」と飛躍した行動を取るときのマインドにかなり近い。

熱い湯に長く浸かると、頭がもんもんとしてくる。あれは自分の人生をシリアスに考えすぎて頭がもんもんとしてくる状況にちょっと近い。その状態で湯から出る。すると奥に、水風呂が見える。その瞬間、「あ、これはもしかすると問われているヤツだな」という思いがサッとよぎって、「あ、しまった」と思う。問われている。入るのか、入らないのか。見なかったことにするのか、そうでないのか。ここで入らなかったら、男が廃る。普段は、男がどうとか、ってジェンダー論的なアレであんまり好きな言い方ではないけれども、でも、ここで見て見ぬ振りをしたら、なんとなく人間として間違っているのではないかという気になる。これが人間の倫理というものかもしれない。そんな気持ちが、ふっと起こる。

このまま暖まった身体で銭湯を出ることもできよう。頭はもんもんとしているけれど、気分は悪くない。火照った身体は更衣室でゆっくり冷ませばいい。それが一番いい。そんな風に一方では思っている。

しかし、ここには水風呂がある。水風呂に入るとどうなるか。実はさきほど水風呂に入るのはどちらかと言えば不快だとか書いたけど、それも入るまでの話。ドボンと浸かった後の視界の開け方は、もう、いけない薬物でも投与したのではないかというほどの変性意識状態が訪れる。「あ、自分が思ってた自分ってこんなに外的な要因で呆気なく変わるんだ」ということを体感として感じさせてくれる。その体験の強度たるや。

しかし、意を決して水風呂に入ろうにも、足先から膝下へと少しずつ身体を水に浸していくときは「いやだなあいやだなあ」という気持ちがどんどん高ぶってきて、その冷たさがもう不快で不快で仕方ない。「いやだなあ」という気持ちはもう本当に言葉通り「いや」でしかないので、そのときはもう本当に辛くて苦しい。だからもう本当に水風呂に入るのを諦めたくなってくるし、実際どう考えてもやっぱり入るのをやめた方がいいのではないかという気持ちが頭の中をビュンビュンと飛び回る。身体が警告しているような感じだ。

じゃあ、いやなのにどうして入るのか。入ろうと思うのか。実は、そこにはもう論理的な解はない。膝下まで水に浸けた状態から、肩まで水に浸かる状態まで持っていく。その過程ではもう頭の中で起こっている気持ちと逆のことをするというイリュージョンを起こすしかない。これはもう完全なる賭け、思考の放棄、反知性主義、投企。思考で辿り付くことのできない体験の世界へ文字通り自分の身を投じるしかない。この厳しさ。この辛さ。まじで辛い。実際どうなんだ、やることやってんのか、おら。という粗暴な世界。恐怖の世界。まじで辛い。

今日の私も、水風呂に膝まで浸けたもののそこで膠着してしまって、そこからどう考えても入ろうという気が起こらなかった。諦めようと思って何度か暖かいお湯に戻ったりもしたけれども、でも何回目かの挑戦で、「これはいっちょもう行くしかないだろう」という気持ちが自分の心のどこかでまだかすかにくすぶっているのを確かめていると、ふと「ここで10秒カウントしたらどうなるんだろう」という思いが閃いて、閃くと同時にもう「10、9…」とカウントしている自分がいて、引き続き恐怖を感じている自分は「ちょっともうやばいやばいやばいやばい!!!」と思いながらも、数を数えるためだけに分裂したもう一方の自分は隣で粛々と秒を刻んでいて、そうするともう全体としての自分の気持ちも少しずつ固まってきて、そこからはもう「えいやっ」と飛び込みましたね。一気に。

ていうか何を書いているのだろう。さっさともう寝よう。いつまで日記を書いているんだ。明日は早い。

0:39 自室

 

四月十四日

13:31 横浜市中央図書館

昨日の図書館にまた来ることにした。昨日は、なんだか到着した時点で満足してしまって、なんとなく思い出していた過去の記憶にぼんやり耽っているうちに、退館時間になってしまった。こうしてよく見てみれば、地元にあった昔の図書館とは、規模も様子もかなり違う。照明は埃かぶってなんかいないし、こもった匂いもそれほどしない。なにより違うのは、人の多さだ。地元の図書館では老人か高校生の姿ばかりが目に付いたけれど、やはり都会の図書館はビジネスマンや大学生風の人も多くいる印象を受ける。皆、黙々と本やノートやパソコンに視線を向けている。

図書館に来ると、まず黙々と本を読んだりノートにペンを走らせたりしている人たちの方につい目がいく。彼らを見ると、不思議な気持ちになる。何を読んでいるのだろう。何を学んでいるのだろう。この世にそこまで真剣に学ばなければならないことなんてあるだろうか。どうして一つのことにそこまで夢中になれるのだろう。私は、こうやって、キョロキョロと周りばかり気にしているのに。

同じ場所にいるはずなのに、どこか違う世界に行っているように見える彼らが羨ましくて、ここでこうしてつまらないことに思いを巡らせている自分が嫌になってくる。

自分というものを切り離して、一旦、脇に置くこと。違う可能性について思いを巡らすのではなく、いま、目の前にある現実に対してがっぷり四つで向き合うこと。何かを考えているようでいて、肝心のことについてはあまり考えていない自分自身の欺瞞を直視すること。とかとかいろんな御託が次から次に浮かんでくるけれど、どれも上滑りしていて実感が込もらない。

ふいにイヤホンを取る、と、いつの間にか私自身もまた自分だけの世界に潜り込んでしまっていたことに気付く。

 

14:53 同上

電車賃がもったいなくて今日は自転車でここまで来たのだが、途中でスマホの充電が切れてしまった。地図なしで見知らぬ土地をうろつき回るのは少し心細い。巨大なビルが整然と立ち並んでいたかと思えば、猥雑な感じのする通りがいくつもあり、やはり横浜は都会だなあと思う。人々の迫力に気圧されて、心がくじけそうになってくる。

今月から、書類の上で正式に横浜市民になったということもあって、街を眺める自分の目線が以前とは少し変わってきているのを感じる。以前は街を行く人との間にものすごく距離があった。所詮、自分とは関係のない人たちでしかなかった。今は違う。自分も彼らと同じ土俵に立っているのかもしれない、と思える。

 

社会から切り離されて、もうかなりの年月が経った。大学を中退したのが22歳だから、もう4年か。今年でもう26歳になる。

客観的に見て、自分がもうじき26歳を迎えようとしていることを、かなりやばいと感じている。やばい。一言で言うと、やばい。やばいという言葉しか出てこない。こんな風に26歳を迎えようとしている自分を、自分で非常に受け入れがたい。なぜか。なぜかって、それは愚問だ。そんなことはもう言葉にならない。言葉にすれば、それが現実になってしまうような気がするから。現実のものとして受け入れなければならないような気がするから。

こんなはずじゃなかった、という思いが、 正直に言えば、ある。いや、そんなことを言ってはいけない。あの絶望的な状況から比べれば、今は十分に恵まれている方だ、と、思いたい。でも、それと同時に、言葉にならない、なんとも言えない、弱さと言うかなんというか、本当は、きっと、もっとずっと前に克服しておくべきだったはずのいろいろな幼稚な気持ちを、自分がまだうじうじと引きずり続けていることを感じている。それは誰にもどうすることもできない。自分以外にしかどうすることもできない。どうするか。どうにかするしかない。どうするか、とか、そういうことではない。自分でなければ誰も代わってくれないのだから、もう、やるしかないのだ。そうやって皆んな生きているのだ。分かっている。それは分かっている。分かりすぎるくらい分かっている、つもりだ、けど、もしかしたら分かっていないのかもしれない。だからこそ、こうやって自分で自分の問題を大きくして、ああでもないこうでもないと、いや、だめだ、ちょっともう今はだめだ、やめだやめ。外を歩こう。腹が空いたから牛丼でも食いに行こう。

 

18:33 イオン東神奈川駅前店・イートインコーナー

考えすぎて、だめになってきた。でも、これも自分なのだから仕方がないと思うしかないとかなんとか言ってますけども。でも、ちょっとなんかあれだなあ。やっぱり頭の中でだけ考えると、どうもこう行き詰ってくるから、ちょっともうだめだこれは。

 

20:55 同上

どうして、働く、ということを考え始めると、急に頭にストップが掛かってしまうのだろう。自分で自分が不思議だ。でも、働くしかないのだ。それがこの世界のルールなのだ。分かっている。分かっている。

 

一見、プライドなんて捨て去ったような涼しげな顔をして、本当は意地汚く小さなプライドを守り続けている自分がいるということを心のどこかで感じている。それは掴もうとすると、自分の手では決して届かないところへ隠れてしまう。しかし私も私で、逃げていくそれにうっかり手が届いてしまわないよう、自分で自分の伸ばす手を加減しているのだろうということも、またどこかで感じている。分かっている。分かっているのだ。

 

四月十三日

15:14 〇〇コーヒー店(野毛)

昨日、港北区図書館でいつものようにうだうだしていたときに、「中央図書館で読書会を開催しています」とのチラシを見つけた。べつに読書会には興味はなかったのだが、「横浜には中央図書館というところもあるんだなあ…」と気になって、チラシを一枚もらってポケットにしまい込んでいた。

おしゃれな服屋や、おいしいレストランには、むしろ気が引けてなかなか足が伸びないけれど、図書館となると話は別だ。無料で入れて、たくさんの本があって、建物が広い。都会の図書館は、経験的に、建物自体の作りが古臭く、私のように金のなさそうな人たちが吹き溜まっているという印象があるけれど、それでも行ったことのない図書館が近くにあると分かると、つい足を運びたくなる。

発想は不登校児と同じだ。家にも、社会にも、居場所がない。そんなときは図書館だ。そこに行けば、一生かかっても読み切れないほどの膨大な数の書籍がある。私はべつに無類の本好きでも読書家でも本の虫でも活字中毒でもなんでもない。ただ、自分にはまだ知らないことが山のようにあるということを、蔵書の量でわかりやすく見せつけてくれる図書館が好きだった。

 

今朝、ズボンのポケットに入れていたそのチラシをたまたま見つけたということもあって、今日は気になっていたその横浜市中央図書館というところをなんとなく目指すことにした。

12時過ぎ、桜木町駅付近へ足を伸ばす。ここに来るのはおそらく3回目くらいのはずだ。駅付近の様子は、横浜よりここら辺りの方が、その土地の雰囲気のようなものを感じられるような気がして、どちらかと言えば興味を惹かれる。横浜駅付近は大型の百貨店やデパートがやたらと連なっているという印象で、ただ商業的な匂いしかない。それに比べたらこの駅付近は、それ以上の何かがあるような気配をなんとなく感じる。その何かが何なのかは、異邦人の私にはまだ分からないわけなのだが。

図書館を目指して街を歩く。途中、なんとか自力で目的地まで辿り着こうと歩いていたら、駅前のよく分からないおしゃれな商業ビルにいつの間にか迷い込んでいた。おしゃれなものに興味はないはずなのに、なぜかどこに行っても吸い込まれるようにまず商業ビルに入り込んでしまうのはどうしてなのだろう。

知らない土地に行くと不安になる。不安になると一呼吸を置きたくなる。どこで呼吸を落ち着かせるのか。外界から仕切られて、独りきりになれる場所。座れたら尚いい。となると、思いつくのはいつもトイレだった。できるだけ清潔なトイレの個室に座り込んで、まずは心を落ち着かせたい。そんなような思考回路で、私は馴染みのない駅に降りたときなど、とりあえず近くに見つけた商業ビルの中のトイレへ向かっていく。

トイレで身支度を整えた後(思った以上に外が暖かかったのでズボンの下に履いていた股引を脱いだ)、諦めてスマホで調べることにして駅反対方向の道を歩いていくと、今度はなぜか私のような者には明らかに場違いな古めかしい喫茶店に知らぬ間に迷い込んでいた。

競馬ファンに特化した喫茶店なのだろうか。壁正面にでんと掲げられたテレビ画面にはひたすら競馬中継が流れている。お客さんも競馬情報の書かれた新聞を手に持った、おじさんらしいおじさんばかりだ。皆、似たような格好をして腰掛けている。真剣にテレビを見つめて、ときどき「あー」とか「よし」とか「なんだよ」とかいう声を微かに漏らす。客の中で明らかに私だけが浮いている。異空間だった。少なくとも、私が知っている喫茶店というものとは明らかに違う。コーヒーの味に詳しくはないが、頼んだアイスコーヒーが旨くないことだけは分かった。

 

16:31 中央図書館

茶店から歩いて目的の図書館まで来た。この街のことは知らないが、途中でストリップ小屋のような場所を横切ったのは分かった。おそらくここは、いかがわしいエリアも結構たくさんある街なのだろう。図書館も例によってどことなく古臭い趣きだった。地元にある改築された図書館が隅々まで清潔に整っているのとは対照的だった。

見知らぬ街の図書館へ来ると、地元でよく通っていた図書館を反射的に思い出す。高校生のころに受験勉強をしに夏休みに毎日通っていた図書館は、もう十年ほど前に閉鎖されてしまった。代わりに駅前に新設された図書館は、私が大学を中退し、実家に身を寄せるようになってからよく通うようになった。私の地元は、私が物心つく頃にはとっくに滅んで郊外化していたはずの寂れた地方都市のくせに、中心部の行政施設だけはやたらと手の込んだ現代建築に姿を変えていく。新しい図書館は窓が大きく、光をよく取り込んで開放感があった。屋内は隅々まで掃除が行き届いていて、床に寝そべっても構わないくらいクリーンな印象。それに対して昔の図書館は、外壁は重厚な煉瓦造り、屋内は薄暗くて少し埃っぽかった。地元の図書館は私が実家を離れている間に、かなり大きく雰囲気が変わった。

この図書館は、昔の地元の図書館と、少し雰囲気が似ている気がした。時代の流れから何世代も取り残されたような、懐かしくて、どこか気だるい雰囲気が漂っている。換気が十分されていない、室内のこもった空気の匂い。埃を被った照明の薄暗さ。擬音でいうと、ズーンとか、モアっととかそういう感じ。今から新しく建物を建てるなら、きっとこんな施設は作らないだろう。そこに流れる雰囲気が今の世の中には似つかわしくないものだからこそ、私にはむしろ逆に馴染みやすいような感じがした。若いというだけで私を甘やかしてくれるような、年老いたひとの弱々しい優しさ。そういうものに近いと言ったらいいのか。

五時に閉館だというから、もう出なければならない。明日また来てもいいし、もう二度と来なくてもいい。一日が終わるのは早い。