辞めた話

 

退学届けを提出したのは3月23日、大学ではちょうど卒業式が行われている日でした。その日のフェイスブックに、私と同じような年齢の知人たちが一斉に周りに感謝の気持ちを綴ったり、普段より少しかしこまった文章を投稿したりしているのを見て、初めて気が付きました。悔し紛れにそれをパロって、私も一つ気の利いた文章でも投稿してやろうかと目論んだりもしましたが、どうも愚痴っぽくなりそうだったので、やめることにしました。笑ってほしいのに、誰も笑ってくれなさそうだったので、やめることにしました。

 
大学に行きたくないと思い始めてから4年、気持ち的に行けなくなってしまってから3年、本格的に行かなくなってから2年、もう退学しようと思ってから1年ほど経ち、その日、ようやく退学届けを提出しました。何がそうさせるのかわかりませんが、私にとってはずっと大学に足を運ぶというだけで大変なことでした。退学届けを取りに行くのも、教授にサインを書いてもらうよう電話を一本入れるのも、実際に行動するまで何日も何日も葛藤を繰り返し、何か月も何年も時間を無駄に過ごしてしまいました。嫌なら嫌で、本当ならきっと、もっと早く辞めていた方がよかったはずです。でも、今更後悔してもしょうがないほど、私はこの四年間さまざまなことから逃げ続けてしまいました (その過程で様々な人に迷惑をかけました。関わってくれた方々には本当に謝っても謝りきれないほど申し訳なく思っています )。今はとりあえず、やっと提出できた自分に清々しさを感じています。そんなに割り切れるものでもないですが、辞めるかどうか迷っていた時よりもずっといいような気が、今は、しています。
 
少し感傷に浸りたいので、しばらく話を続けます。考えてみれば、高校を卒業してから今までの4年間、普通に進学し、卒業した人たちと同じように、私も様々なことを経験しました。それは、留学とか、バイトとか、サークルとか、NPOとか、合コンとか、起業とか、飲み会とか、世界一周とか、卒業旅行とかではなかったけれど。そしてそれは、多くの人が見たらあまりにも些細で、あまりにも愚かとしか言いようのないようなものだったのかもしれないけれど。履歴書に書けるようなことなんてほとんどないけれど、自分なりにもがいた先で、こんな私でも親しくしてくれる人に恵まれたことや、多くの過ちの中でも「あの時の自分は間違っていなかったな」と思えるような幾つかの経験があったことが、今の自分を支えてくれる細々とした自信になっています。
 
退学届けにサインしてもらうとき、担当の教授にこれからのことを聞かれました。将来のことについて聞かれるといつも言葉に窮します。「今どうしてるのか?」と聞かれても困るけれど、「やりたいことは?」とか「これからどうするの?」とか、将来のことを聞かれてももっと困ります。考えてこなかったわけじゃない。むしろずっと考え続けてきたからこそ、何も答えることができない。答える気になれない。気にかけてくれるのはとても有り難いのだけれど、どこかそれ以上に居心地の悪さを感じてしまいました。こういうとき、自分がそう思うのなら、別に目の前の相手を納得させられなくてもいいのだということ、本音を言って死ぬほど気まずい思いをしても一向に構わないのだということを知るまでに、本当に長い時間がかかりました。実際その日、何か大きな変化を起こしたようにも思うのだけれど、でも、それは別に「覚悟が決まった」なんてそんなかっこいいものではありませんでした。決断を先送りにし、ズルズルズルズルと毎日をやり過ごし、くすぶるだけくすぶり、もうほとんど退学しているも同然の状態にまでなっていたからこそ、ようやく身体が動きはじめたのでした。かつて私を引き止めた家族や教授も、あまりにも言うことを聞かない私を持て余していたのだと思います。今思えば、私がドブに捨てるように無駄にした膨大な時間は、彼らにそうなってもらうよう仕向けるための時間だったようにも感じます。
 
大きく変わったようでいて、なにも変わっていないようでもあります。今はとりあえず、いつもよくしてくれる方からの誘いで、静岡県は熱海にまで逃れています。青春18切符を購入し、鈍行で揺られて8時間。上越の方はまだ玉のような雪が降っていて、でも高崎の方はカラッと日差しが強く、熱海は意外と寒かった。電車に乗る人は、当たり前だけどみんなそれぞれの生活があって、そういうのをぼんやりと想像しながら過ごす8時間はあっと言う間でした。新潟にはない『てんや』の天丼は、安いけど美味しかったです。
 
話が長くなりました。本当はもっと書きたいこともあるのですが、とりあえず今はここら辺にしておこうと思います。朱鷺メッセで催された卒業式がどんなものだったのか知りませんが、退学届けを提出したその足で、大切に思う人と一緒にあてどもなくドライブへ出かけたあの時の私は、まず間違いなく幸せだったのだと思っています。あの時の私は、これからもきっと困難が続いていくであろう私の人生に、なんとなく、ふさわしい第一歩が踏み出せたんじゃないかという気がしています。