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雑記

寝るつもりでしたが、黙っていても頭の中がすぐに考え事でいっぱいになるので、せっかくだからここに吐き出したいと思います。テーマは「働く」ということについてです。

私は「働く」ということがなんなのか、未だによくわかっていません。そして、このまま考え続けたところで多分わかりそうな見込みもないので、最近はとりあえず「そろそろ働いてみないとな」と思い始めているところです。しかし、私が実際に仕事をやり始めたとしても、たぶんこれからもずっと自分のしていることの意味を考え続けてしまうと思うんです。経験上「していること」と「考えていること」がズレてくると、精神的なバランスが崩れてくるので、そうならないためにも、自分の「考えていること」が「していること」になるべく一致するような仕事に就けたらいいなぁと思っています。

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私は何に関心があるんでしょうか。普段何を考えているんでしょうか。何をしているときに「意味がある」と感じるのでしょうか。

例えばこういう問題設定をすると「いやいやこの世の中に意味なんてないんだからとにかく楽しんだもん勝ちだよ」という意見がぱっと浮かんできます。「人生、所詮死ぬまでの暇つぶし」なんて言葉もどこかで耳にしたことがありますが、もしそれを本当に心の底から思えていたのだとしても、今の私はとりあえず何らかの形で働いた方がいいのだろうと思います(毎日ひますぎるので)。数年前に大学に背を向けてからずっと、私はあらゆる義務や責任から免れ続けて生きてきました。膨大な時間だけがあり、それをどのように使うのも私の自由でした。しかし結局のところ、私にはその自由をあまり上手く使えませんでした。自由というのは誰にも行動を強制されないという意味です。それはつまり、自分の行動は自分で決める責任を持つということです。

働くにせよ遊ぶにせよ、何かしらの行動を起こすにはまず「欲求を持つ」という第一ステップがあります。人生が『「①欲求を持つ」→「②そのために行動する」→「③欲求を満たす」』というサイクルで回っていくものなのだとすると、そもそも欲求を持たなければ何も行動を起こす必要がなくなります。もっと言えば、下手に欲求を持つ(①)からこそ、行動がうまくいかなくて苦しんだり(②)欲求が満たされなくて不満だったり(③)してしまう、と言うこともできます。そうであれば、現在の自分の欲求(①)が、果たして本当に②や③の段階へ進んでいくべきものなのかどうか自問自答するのは、とても自然なことなのだと思います。分かりやすい例で言えば、いわゆる「仏教」のイメージ(とりあえず座禅しようぜ!みたいな感じ)が、その究極的な形なのかもしれません。

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そういうわけで、私は自分に欲求がないことをあまり悪いとは思わなくなりました。「『何か』を欲しがる」ということは、ある意味「自分に『何か』が足りてないと感じる」からなのであって、外側にある『何か』より、内側にある『何か』を感じてみる方が先なのではないか、と思うようになったからです。例えば、高校三年生だった私はずっと「旧帝大クラスの難関校に入学したい」と思っていました。しかし、今考えるとそれは「自分の優秀さを証明したい」ということであり「そうしなければ誰にも見向きされなくなる」という不安から来るものでした。そんなに割り切れるものでもありませんが、今となっては、自分の劣等感をそういう「記号」で埋め合わせなくて良かったと思っています。もしそれを手にすることができたとしても、結局どこかの段階で破綻していたと思うからです。そういうわけで、話がどんどん逸れていきますが、欲求の持ち方には注意が必要なのではないか、本当に「したい」と思っているかどうかきちんと吟味しなきゃいけないんじゃないか、そう思うようになりました。

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と、ここまでツラツラ書いてきましたが、そんなことたぶん大抵の人が考えているわけです。だから多くの大学生が「自分の本当にやりたいこと(①)がわからない」と言って悩んだりするわけです。しかし多くの人はなんだかんだ何かの仕事をするようになっていきます。そうでなくてもこの格差社会。聞くところによると若い人の40%が非正規労働者だということですが、やりたいこと以前に正社員で働くこと自体が価値として認められるようにさえなってきました(この点に関しては「同一労働同一賃金」はよ実現して、とか、非正規労働でも連帯できるユニオンとかあればいいな、とか色々考えたいことがあるんですが、それはまた今度にします)。ブラック企業問題とかもあるし、条件さえ良ければ四の五の言ってらんないみたいな雰囲気もあるわけです。その中で、じゃあ自分はどうするんだろう、どうやって生きていくんだろう、と考え続けてきました。

ここ数年、SNS等を通じてとにかく私はずっと同世代の人たちの動きにアンテナを張り続けてきました。その結果、私の考えでは、最近の若い人たちは「若者」として一括りにできるほど同世代間での連帯意識がなく、それぞれに細分化されたカテゴリーの中で自分のアイデンティティを保っているのではないか、と思うようになりました。ツイッターばっかり見ている男の偏見まみれの仮説ですが、以下にその分類をザッとまとめたいと思います。

 

1.意識ふつう系

公務員や一般企業などの、今までの世の中でふつうに成功とされてきたレールの上に、スルッと疑いなく入っていける感じの人たち。また、専門的な職に就いていて、それにしっくりきている人たちもこの分類に入る。

2.意識高い系A(優しい感じ)

NPOやコミュニティなどの、人と人とのふんわりとした繋がりを再構築しながら、寛容な社会のあり方を模索している人たち。

3.意識高い系B(逞しい感じ)

ベンチャーフリーランスなどの、流動的な人間関係の中でしのぎを削りながら、自分のスキルや関心に特化した活動をしている人たち。

4.意識低い系

バイトや派遣社員などの、仕事を金銭を得る手段として割り切って捉えている人たち。アフィリエイト株式投資をしている人たちもこの分類に入る。

A.マイルドヤンキー系

友人・家族・先輩後輩など、古くからの人との繋がりを大切にしながら、様々な趣味をライトに楽しむことができる人たち。

B.サブカル系

サブカルチャーおよび様々な表現行為が好きで、それを一つのコミュニケーションの手段とすることで、幅広く交友関係を広げていく人たち。

C.ストリート系

ファッションが好きで、異性関係が派手だったり、逆にものすごく硬派でイカつかったり、全体的にちょっと強そうな感じのする人たち。

D.地球系

自己啓発からヒッピー、スピリチュアリズムなど、通俗的な価値観から離れて、精神的に自分を高めようとする人たち。

 

・・・と、とりあえず書いてみたはいいものの全然網羅できているような気がしません(もちろん全ての人が何かのカテゴリーに収まっていると考えるわけではなく、また各カテゴリー内でもタイプにかなり差があります)。第一こんなカテゴリーはなんの根拠も確証もないんだけど、とりあえず自分で思いつく限り色々と考えながら書いてみました。一応1〜4は仕事面、A〜Dはプライベート面の分類になります。

書いてしまった後で言うのもあれなんだけど「そういうお前はなに系なんだ?」という声が聞こえてきそうで、おれは踏み越えてはならない一線を超えてしまったのではないか、と急に不安になってきました。こんなに単純に人を分類できるはずないのにこんくらいしか思い浮かばないのは、自分の知ってる範囲だけで考えようとしてるからなのかもなぁ。考えても分からないことがあるって言われたら本当にその通りなんだけど、それでもおれは考えてしまうんだよなぁ。

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カテゴライズされるのはたぶん誰だって嫌な気持ちがするし、私だってカテゴライズされたくないのに、勝手にカテゴライズしてごめんなさい、と今、脳内で色々な人たちに頭を下げています。しかし、これらの分類は、私の位置から見える世界のある側面を確実に表していて、私にとっては少なからぬ意味を持っています。

私は誰かと会うとき、そこに少しでも「集団」の匂いを感じ取ると、途端に息苦しさを感じてしまいます。一対一で他人と会っているときは、お互いの話を掘り下げ合うことで、自分の話が相手に通じているかどうか、絶えず確認し合うことができます。でもそれが3人、4人と増えていくと、会話が上滑りして、自分の感じた些細な違和感を相手に確認しづらくなっていきます。私は、その「心は通じてないのに会話だけがどんどん進んでいく感じ」が非常に苦手で、下手をすると具合が悪くなってしまうときさえあるのです。

さて、私は先に自分なりのカテゴリーを列挙しましたが、そのとき、そこにはなるべく私の好き嫌いが入り込まないよう、一応注意して書いているつもりでした。しかし、誤解を恐れずに言えば、私は列挙したどのカテゴリーにいる人たちもあまり好きではありません。というのは、どんな「集団」であれ、とにかく「集団」である限り、私は居心地の悪さを感じてしまうからです。好きじゃないというより勝手に疎外感を感じてしまうと言った方が近いかもしれません。

ここでいう「集団」とは、単に人が大勢いるという意味だけではなく、一人の人として目の前にいるときであっても感じるその人の雰囲気、という意味でもあります。一対一でお互いの価値観を確認し合いながら話を進めているときでも、どうしてもそれ以上話を掘り下げられないな、と思ってしまう瞬間があります(感情的な反発を引き起こしそうだから)。そういうときはたぶん、私が「集団」になって相手に抵抗しようとしているか、相手が私にそうしているときなんだと思います(私が相手を勝手に「集団」だとみなしている場合もありそう)。とにかく大げさに言うと、私は「集団」化した人と接していると「仲間に入れ」という同調圧力と「さもなくば敵とみなす」という敵意のようなものを感じて、つらくなってしまいます(もちろん私もそのように誰かと接している可能性があります。そしてそう言いながら、なんだかんだ何かの集団に帰属することで得られる承認欲求を欲している面もあったりして、考え出すと一筋縄ではいきません。今日はもう疲れたので考えるのやめます)。

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さて、話がなんだかとても感覚的なところまで進んでいってしまいましたが、疲れたので今日はこれくらいにしておきたいと思います。「働く」ということについて考えてきたつもりでしたが、結局、最後は人間関係みたいなところに落ち着いてしまいました。なんにせよ、私は具合が悪くならなければよいのです。一人でいても悶々とするし、かといって集団に入るのも苦手な私は、時々誰かと膝を突き合わせて、お互いが本当に思っていることを確認し合うような時間がないと、色々とすぐにダメになっていくような感じがあります。たぶんそれは一人でいても自分自身のことがよくわからなくなってしまうからだと思います。誰かと話しながら、なるべく本当に思っていることを言おうとしているときだけは、あまりグルグル悩まなくてもよくなるような気がします。とかなんとか言いつつ、ゆるふわな感じで仲良くするのもまた楽しかったりしてんのかもなー!(なげやり)ダメだ頭が回らない!!要は、今のところ私には、そういう人間関係になり得るような機会を、自分だけの力で作り出していくことができそうにないので、「仕事」というある種独特な形式で他人と関わることによって、今よりももっと精神的に張りのある生活が送れるのではないかと考え、「働きたい」と思うようになった、というわけです!!ハローワークじゃなくてもいいんだろうけど、今はそんくらいしか思いつかないのでとりあえず、というわけです!!世の中に日和ったとかではないと思いたい!!とりあえず乱暴だけど、疲れたのでひとまず終わります!!最後まで読んでくれてありがとうございました!!ぬああああ!!