8月7日(日)

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ツイッターのプロフィール欄を変更したいと思っても、いつもしっくりくる言葉が見つからなくて困ってしまう。大学に行かなくなってからずっと自分が何者なのかわからず、初対面の人に自分を説明するときになんて言えばいいか、わからなかった。というより、今でもなんて言ったらいいかわからないから、今日も結局、何も変えないまま元に戻してしまったのだった。

今年の春まで大学に在籍していたけど、入学したときからずっと肌に合わなくて、辞めることにした。それからは、親が何も言わずに月5万円のベーシックインカムを振り込んでくれて、そのお金で生活していた。知人の誘いに付いて行っては、基本的にはほとんど実家に引きこもっていた。ハローワークにも行ったが、今は友人に誘われるがまま川崎に来て、彼の手伝いをしながら、とりあえず経済的に自立しようとしている。

今、もし自己紹介するとしたら、そんなところだろうか。何も誇れることはないけれど、それはそれでしょうがない。親に何か言われるのならともかく、誰に迷惑をかけているわけじゃない。いや、たとえ迷惑をかけていても、それはもうしょうがないじゃないか。「自分にとっては必要な時間だった」なんて、都合よく言うつもりはないけれど、どうしたって私の人生はこの延長線上にしかないのだから、もう開き直って生きるしかない。私は今までのほとんどの時間を無為に過ごし、これからの予定も何一つ決まっていない。それ以上でもそれ以下でもない。

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私は何者なんだろうか。そして、何者になろうとしているんだろうか。

そもそもどうして私は何者かになろうと思っているんだろう。「おれはおれ」じゃダメなのか。なぜ人は自己紹介を求めるんだろう。何者かであることがそんなに重要なのか、ただ生きているだけじゃダメなのか。

自己紹介の場面では、ふつう「どんな仕事に就いているか=どんな手段でお金を稼いでいるか」を聞かれることが多い。でも、商談してるんじゃあるまいし、なんでそんなことを聞くんだろう。まあ聞いている方も何も考えずに質問してるんだろうけど、答え方によっては「は?」って顔をされるので、つらい。私の場面、「そもそもお金ってなんなんでしょうね」みたいな入りから会話を始めた方が冗舌に話せたりするんだけど、でもまあそれもヘンっちゃヘンなので、初対面の人と会うときの第一声はいつもどうしようかと迷ってしまう。

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ていうか、本当に「お金」ってなんなんだろう、ということを一度しっかり考えてみたいと思う。成り立ちについては一応、youtubeに転がっていた『池上彰の経済学入門』を観てわかったつもりになっているのだが、やっぱりまだちゃんと納得できてない部分がある。

例えば、料理屋に行けば、お金を払う代わりに料理を提供してもらえる。でも、料理屋で働いている人だって友達や家族に料理を作ることもあるだろうし、その時にはお金を要求したりしないだろう。つまり、自分が作る「モノ/サービス」を「商品」としてお金と交換させるかどうかは、それを受け取る人が「自分と親密な人かどうか」に左右される、ということだ。

料理屋としてお店を構える限り、料理はすべての人に対して同じように提供される。逆に言えば、「その人が個人的に嫌いだから」とか「今はそういう気分じゃないから」とか、そういう理由で値段が変動したり、提供されなかったりすることはない、ということだ。本来なら、自分が作ってあげたいと思う人(=友達/家族)にしか提供されなかったはずの料理を、お金さえ払えば、赤の他人でも食べることができる。全人類が家族のように仲良くなれば、お金なんて必要なくなるかもしれないけれど、現状そうではなく、今後もそうなる見込みがないので、必ずしも仲が良くない人同士でも円滑にモノやサービスが回っていくためには、やっぱりお金がないといけないんだと思う。

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さて、私がお金を必要だと思う理由も、たぶんここにある。私は、自分に必要なモノやサービスを受け取るときに、お金抜きでやりとりできるようになるほど、すべての人と仲良くなれる自信がないのだ。

どちらかといえば私は、むやみに他人を嫌いたくないと思う方だし、意見の違いはあっても、一対一で膝を突き合わせて対話すれば、なんとか近いところまで

 

《つづく》書き途中。ていうかよくわかんなくなってきたから、これ以上書きたくない