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8月10日(水)

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頭がぼんやりしてくると、すぐ「どうやったらおれは幸せになれるんだろう」みたいなことばかり考えてしまう。でも、よく言われる話だけど、「幸せ」なんていうのは結局「自分がどう思うか」というだけの話であって、「お金」とか「やりがいのある仕事」とか「恋人」とか、そういう「自分の外側にあるもの」によって左右されない「ハズ」なのだ。だとしたら多分、おれを苦しめているのはおれの考え方のせいなのであって、「自分を幸せにしてくれる何か」を手に入れさえすれば全てがまるっと解決する、みたいなことはないのだと思う。

さて。私の頭はいつもこんな風に堂々めぐりになっている。私が幸せじゃないのは私の考え方が間違っているからだ。じゃあ考え方を変えよう。どうやって変えようか。本を読もう。お!おもしろい!しかし、それも保って数時間くらいで、気付けばまた「どうやったら幸せになれるだろう」と考えている。

私は結局「誰かの考え方」という「外側にあるもの」を求めてしまっているからいけないのだと思う。他の人はその考え方で幸せになっているのかもしれないが、それが自分に当てはまるものだとは限らない。とはいえ、私の考え方に問題がある、ということまでは分かっていても、自分で自分の考え方を変えるのはとても難しい。結局、何かトラブルを起こして怒られるか、信頼の置ける人に正直に伝えてもらうかしなければ、自分で自分の考え方を修正する機会なんてほとんどないのではないか。いくら本を読んだとしても、それは考え方のおかしい自分が選んだ本なのであり、また、書いてある内容も考え方のおかしい自分のバイアスがかかってしまっている。読書が有効でないとは言わないが、変わるとしても微々たるものだろう。「自分の考え方」という「自意識の壁」から抜け出すのは容易ではない。

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今日もひたすら暑い1日だった。またも仕事はオフだったので、今日も懲りずに街へ繰り出したのだが、行き交う人波にホトホト懲りてしまって、ほとんどずっと本屋で立ち読みしていた。家入一真さんの『さよならインターネット』、永田カビさんの『さびしすぎてレズ風俗に行ってきました』、phaさんの『しないことリスト』を読んだ。一人で街を歩くと、まじでチェーン店か本屋くらいしか入りたいと思う店がない。ファッションとかグルメとか、そういうのが「楽しい」と思える人がいるから存在しているんだろうけど、おれにはまだそれがよくわからない。

一人でいると、知らず知らずのうちに頭がシリアスな方に向かっていく。だから、「自分はこれをすると気分がよくなることが多い」ということが、あらかじめ幾つか分かっていると、生きているのがラクになる。私の場合、音楽を聴くのがそれだ。あと最近は、一人で道を歩きながらデカい声で歌を歌うことを覚えた。買い物をしたときは、店員さんになるべく聞こえるようにハッキリと「ありがとうございます」と言ったりするのもいい。とにかくなるたけ、自分が勝手に築き上げてきてしまった「自意識の壁」を取り払うような努力をしないと、知らぬ間に世界が地獄の様相を呈してくる。絵を描いたり文章を書いたりするのもその一端かもしれない。

3/3

私は小難しい話を誰かとするのが好きだ。「あーでもない」「こーでもない」と議論し合っているときは、自分がひとりでに築き上げてきてしまった「自意識の壁」を、他の人と一緒に、より互いが生きやすくなる方へと、再構築しているような気分になる。

しかし問題なのは、そのときしばしば、互いが気軽に悪口を言い合える「共通敵」を作ってしまう、というところだ。一人でいるときもそうだが、まず誰かを仮想的な「敵(=絶対悪)」と見做すことから始まって「自意識の壁」は作られていく。一度「自意識の壁」が作られると、「敵」と見做した相手をどんどん自分から遠ざけてしまう。その結果「自意識の壁」は強化される。

私はただでさえ「自意識の壁」を作りやすく、それゆえ自分で自分の首を絞めがちなタイプなので、もうこれ以上自分を苦しめないためにも、なるたけ誰かを「敵」と見做さないようにしてきた。つまり、なるたけ誰かを「嫌い」とか「ニガテ」とか言わないようにしてきたつもりだった(最近は少し違うけど)。しかし、それが功を奏しているかどうかはわからない。爽やかに「嫌い」と言ってしまった方が、精神的に穏やかでいられるのかもしれない。ここら辺はいつもよく考えるところだ。

さて。もう眠いので今日はこの辺りでやめておきます。実名でブログを書くなんて、よく考えたらリスクしかないよなぁ、といつもヒヤヒヤしているんだけど、もう書いてしまったのでとりあえず今日も公開することにします。それじゃあ、おやすみなさい。