8月24日(水)、25日(木)

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さっきから眠くて頭がぼんやりする。昨日、今日とおれは何をしてたんだろう。もっと、拾った石を池に投げたりとか、小麦粉をこねて夕飯にピザを焼いて食べたりする生活がしたい。大聖堂で、パイプオルガンの響きに耳を澄ませるような夕方を過ごしたい。川で魚を釣って、焼いて、塩をふって食べたい。

昨日は久しぶりに仕事だった。深夜にブログを書いていたせいで、結局起きたのは昼過ぎだったけど、仕事の始まる時間が少し遅れることになったので、なんとかなった。仕事が終わってからは、DVDを2本くらい観て、寝た。それから今日はまた昼くらいに起きて、またDVDを2本くらい観て、寝た(昼寝)。で、今、午後6時。そうだ。ここ数日、おれは何本もぶっ続けでDVDを観ていたんだ。少し前に観た『シャッターアイランド』の面白さが忘れられなくて、同じ衝撃を受けようと思ってそれから何本もDVDを借りたんだけど、結局どれも大して面白いとは思えなくて、消化するようにパソコンの画面を見つめていたんだ。くそう。

シャッターアイランド』の何が面白かったかって、主人公も観る側も現実と妄想の区別がつかなくなっていくところなんだけど、その後に観た『トランセンデンス』も『ブルージャスミン』も『地獄でなぜ悪い』も『ヘルタースケルター』も、まあ、後ろ二つはちょいちょい面白かったにせよ、展開が読めるっちゃ読めるというか、まあ、ネタバレ読みながら観てる時点でおれが100%悪いんだけど、なんかそこまでガツンとこなかったんだよなぁ、どれも。『シャッターアイランド』が面白かったのは、久々に映画を観たっていうのも大きかったのかもしれない。

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一昨日の深夜に書いた文章をひとまず下書きに戻した。実験的に、深夜にちょっとだけきわどい話をこそこそ書いていたのだけど、後からそれがはてなブログの公式ページに掲載されていることに気付いて、慌てて消してしまったのだ。自分でも自分のブログがたくさんの人に読まれたいのかどうか分からない。どこまで書いたらよくて、どこから書いてはいけないのかも分からない。

中学生くらいの頃、留守番中に家のベルが鳴って玄関を出たら、訪問販売の人に「おウチの方いらっしゃいますか?」と尋ねられたことがあった。そのとき私は「父は出かけていて、母は早くに亡くなっているので、家には誰もいません」と答えたのだが、後から父に「見ず知らずの人にわざわざそんなこと言うもんじゃない!」と怒られた。それ以来、私はなんとなく玄関先で人と対応するのがイヤになったのだが、今でもあのとき何と言えば「正解」だったのか分からない。たしかにそこまで話す必要はなかっただろうが、別に、何を話そうが私の自由のハズだ。今は、こうしてべらべらと自分の過去のことを話しているけれど、それは私がもう精神的に父や祖父母のことを切り離して考えられるようになったからだろう。大学を辞めてから、そして働きに出てから、ますますその感覚が強くなっている。

自分でお金を稼ぎ、自分で食糧と寝る場所さえ確保すれば、かつて私が憧れていたどこへでも行けるのではないかと、時々、胸を躍らせるような気分になる。私は根っからネガティヴな性格なのだが、たまに自分でも驚くほどポジティブになるのだ。とくに、今後の予定を立てるような時はいつも過剰に楽観的になって、計画倒れに終わることが多い。大学受験も、大学生活も、それで失敗したようなものだ。ポジティブとネガティブのバランスを取れるかどうかが、今後の私の人生の命運を握っているような気がする。

3/3

地元で「やりたいこと」を100コ書き出すワークショップを開催する、という話を耳にしたことがあった。こんな性格なので「そんな意識高い生活、送れないやい」と、当時はあまり興味を惹かれなかったのだが、そういえば私にも、過去に「やりたいこと」をひたすら書き出してリストアップしていた時期があった。あれは、牢獄のような一年間の浪人期間を終えて、不本意ながら地元で大学生活を始めたばかりの頃だった。iPhoneにあるメモアプリを遡れば、今でも見つかるだろう。抑圧された環境からいきなり自由になり、その反動で、いま考えれば荒唐無稽な夢ばかり思い描いていた気がする(「この世の全てを知りたい」とか「悟りたい」とか)。結局は、自分の描く希望が重荷となって、ただ自分を苦しめるだけで終わってしまった。今となってはそれらが自分の本心で書かれたものかどうかも分からない。

こうして文章を書いていると、過去の反省点ばかり思い出してしまう。今も「小学校の頃からことあるごとに早寝早起きと筋トレを目標に掲げていたけど、いつもうまくいかなかった話」を書いていたのだが、ネットの回線が途切れて、その部分だけ消えてしまった。ちょうどいい。あんまり過去を振り返っても仕方ないから、未来と今日これからのことに意識を向けよう。なんだかんだ書き始めてから2時間近く経っている。腹も減ってきたし、少し外を歩きに行こう。

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駅を抜けて、いつものように街を歩く。コンビニで買ったパンとカップ麺を道端の塀に腰掛けながら平らげた後は、無料のWi-Fiを求めてまたマクドナルドに来ている。ふと思い立って自分のブログをグーグル検索にかけてみたら、タイトルの脇に表示されている言葉が、明らかに誤解を招きそうな内容で、汗が噴き出た。詳しくは語らないけどよかったらググって確かめて下さい。ていうかやっぱりおれ色々とおかしいんだろうなぁ。これでも一応、自分で自分のおかしい所はなんとか隠し通せているつもりなんだけど、他の人からしたらそうでもないんだろうなぁ。

くじけそうになっていたところ、ネットサーフィンで見つけた幾つかの記事が、私に勇気を与えてくれた。一つ目は、映画『地獄でなぜ悪い』を撮った園子温監督の発言をまとめたブログから「駄作だろうがなんだろうがとにかく作り続けるしかない」という言葉。二つ目は、最近行われたらしい二村ヒトシ氏と宮台真司氏のトークショーの感想をまとめたブログから「社会に適応しようとするな。社会はいつの時代もほころびだらけ」という言葉。三つ目は、セックスレスに関する自身の経験を赤裸々に綴った知人のブログ。一度世の中に出てしまえば、あとはもう逃げも隠れもできなくなる。このブログも、後から振り返ったら恥ずかしくなるのかもしれないけれど、おれも自分で自分の言葉に責任を持てるような人間になりたい、と思った夜だった。 

夜道を歩きながら、ふと「自分と他人が『人間』という同じ生物だと思うから寂しくなるんじゃないか。そもそも全く違う(ザリガニと熊ぐらい違う)生き物だと思えば、独りで雑踏を掻き分けていても寂しくなんかならない」という言葉を思いついた。真実かどうか分からないけれど、おれはそう簡単に孤独に負けるわけにはいかないのだ(まあ、そう言いながらこうやってブログ書いてるんだけど)。とりあえず今日はこの辺で終わります。おやすみなさい。

《つづく》