8月30日(水)、31日(木)

「有名だから」とか「流行っているから」とか「フォロワー数が多いから」とか「お世話になっている人だから」とか「友達の友達だから」とか「大企業で働いているから」とか「売れっ子だから」とか「たくさんお金を稼いでいるから」とか「人生経験が豊富だから」とか「周りの人に信頼されているから」とか、自分で自分の感覚が信じられなくなるような罠は、あちこちに仕掛けられている。おれは別に、権威に呑まれたくて生きているわけじゃない。他の人が「いい」と思っているからって、私が「いい」と思うかはわからない。本当に思っていることが言えなくなってしまうくらいなら、つながっているフリなんて誰ともしたくない。「寂しくなくなること」を「楽しい」と呼んでしまうくらいなら、「寂しい」という気持ちを持ち続けていたい。無理して笑顔を作るくらいなら、無表情のまま永遠にぼんやりしていたい。

今日も一日が終わった。おれはおれ。他人は他人。

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目が覚めた。朝11時。ここ数日は長めに眠れているおかげで、日中の調子がいいような気がする。2時から仕事だから、それまでゆっくりしていよう。

今月のバイトは今日で終わりになる。明日からは八王子市にあるシェアハウスに移る。どうなるか分からないけど、とりあえず次の仕事を探しながら、もう少し東京にいてみるつもりだ。これからしばらくの間、色々な場所を転々としながら、自分と社会のほどよい距離感を探っていけたら、と思っている。

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安易に褒められるくらいなら、的確に批判された方が嬉しい、と思ってしまうのは、私だけだろうか。子どもの頃は、喧嘩をした後に仲直りして初めて「仲良くなれた」と思ったものだが、大人になると「喧嘩をすること」も「仲直りをすること」も難しくなってしまうのが、寂しい。上っ面で仲良くするくらいなら、思っていることを全て吐き出して、お互いの意見が真っ向から食い違うことを前提にした上で、話がしたい。意見が違うのなんて当たり前なのに、安易に「わかる」とか「それな」とか言ってほしくないし、言いたくない。自分たちが同類であることを確かめ合うような会話を繰り返していても、むしろ、そっちの方が虚しくなってくるんじゃないかと思う。

とかなんとか言いながら、でも本当は、今のおれに足りないのは、むしろそっちの能力だ。たとえ虚しくても、当たり障りのない会話がそつなくできるようになれば、世の中は格段に生きやすくなる。働いていると、他の人たちがどのような言葉や態度で他人と関わっているのか、少しずつ見えてくる。正直、うまく生きている人たちの振る舞いなんかを見ていると、時々、自分のつまらない考え方のクセみたいなものも見えてきて、参考になる場合もあったりするのだ。マネできるところはマネしたい。ハッキリとした声で挨拶するとか。明るい声で話しかけるとか。うう。

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夕方5時。仕事を終えて、また寝た。起きたらもう夜だった。異様に腹が減って、コンビニで焼きそばを買って、食った。ビルに戻って、パソコンで動画を見て、寝た。自分でもさすがに寝すぎだと思う。でも、寝ている時間が一番幸せなんだ。永遠に寝ていたい。

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自分の思っていることは勝手に自分で思っていればいいとして、今はもっと世の中で一般的とされているやり方を素直に受け入れてみることもまた、していきたいし、しなければならないことだと思っている。色々なことでつまづいてしまう毎日だけど、それは単に「慣れていない」だけだ。昔は注文の仕方が分からなくて行けなかったマクドナルドに、今は行けている。最初は恥ずかしくてお腹が痛くなっていたカラオケに、今では一人で入るときさえある。「コーヒー飲んでリラックスしたいんなら家でコーヒー買って飲みゃいいじゃないか」と、昔は喫茶店の存在理由がわからなかったけど、今では雰囲気のいい喫茶店を見かけると入りたくなったりしている。思えば高三になるまで電車の乗り方もちゃんとわかっていなかったし、ファミレスに初めて入ったのも20歳を超えてからだった。少しずつ、多くの人がしていることを自然にできるようになってきて、前よりも着実に生きやすくなった。漫画も映画も、昔は何も知らなかった。もちろん、合う合わないはあるだろうけど、まずはなんだってやってみよう。そしてもう寝よう。おやすみなさい。

《つづく》