9月3日(土)

ここ2ヶ月くらい、ほぼ毎日YouTubeで弟者さんの『レインボーシックスシージ』というゲームの実況動画を見続けているせいで、ふとしたときに現実世界がFPSに見えてきてしまうおれです。こんにちは。7月からブログを始め、8月からバイトを始め、じゃあ9月から何を始めようかと考えていたら、まずは食生活を見直さないとやばいんじゃないか、という結論が出ました。というわけで今月は「健康」という二文字を念頭に置きながら生活しようと思います。具体的には何もしません。

もちろん、まだ東京での生活は続けたいので、金を稼ぐためにバイトを探さないといけないのですが、最近は身体的にそれどころじゃない感じがすごいので、今日はお休みします。当たり前だけど、仕事を始めるにはまず自分から電話をかける必要があります、が、自分から知らない人に電話をかけるなんてそんな、そんなの精神的にズタズタになるに決まってるので、ひとまず今日は力を蓄えることにします。一昨日くらいからそんなこと言ってた気がするけど、怖いもんは怖いんですね、やっぱり。

さて。いつものようにマックなうなんですが、することがないので、どうしておれはこんなに面接が嫌いなのか、ということについて考えたいと思います。「そんなことやってないでさっさと電話かければいいじゃん!」という声、ありがとうございます。そうやって勇気付けてくれる人が隣にいたら、どんなに心強いか。誰でもそうだと思いますが、人は、誰かと一緒にいるときと、一人でいるときとで、考え方がかなり変わるもんです。今、もしも隣に、バイト先になんの躊躇もなく電話ができる人がいてくれたなら、私もブログなんて書いてないで、さっさと電話をかけているでしょう。でもいないので、せめてもの抵抗として、考え事でもしながら自分の内なる恐怖に向き合いたい、と思っている訳です。本当に恐怖を克服するには実際に電話をかけてみるしかないのですが、まずは文章でその手前くらいまでにじり寄りたい、そのくらいしか今の自分にできることが、ない…

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ていうか大丈夫ですか。まだ続きを読みたいという気持ちが残っていますか。私もあなたも分かっている通り、私がこれから書いていくことは、単なる言い訳です。 実はもう、一昨日には近所のお店の張り紙はスマホで撮ってしまっていて、するべきことは本当に電話をかけることくらいしか残されていません。でも、写真に映っている番号を一旦紙に書き起こすことまでは想像できても、その紙に書かれた番号を見ながら携帯に番号を打ち込むことは、怖くてまだ想像できません。もう、超怖い。第一声とかまずなんて声をかけたらいいんだろう。ちょっと考えてみます。

おれ「もしもし」

お店「はい、もしもし」

おれ「すみません、お店の張り紙を見て電話をかけさせてもらった者なんですけど、バイトの募集…」

あれ?この後、なんて言ったらいいんだろう。

バイトの募集をされているということで、もしでしたら、そちらで一度働かせて頂けないかと思って、ご連絡しました」

みたいな感じになるのかな。うーん。まあこの辺まで話したら、あっちも何かしら言ってくれるだろうから、それに合わせて話すって感じになるのかな。それで面接の日程を決めて、みたいな。

いやぁ。それにしても、いざ面接するってなったら、いよいよ何を話したらいいかわからなくなるなぁ。まあバイトだし、とりあえず聞かれたことにちゃんと答えていれば、それでなんとかなるだろう。サークルとか飲み会とかって訳じゃないんだから、別に「仲良くしてください」みたいな顔しなくていいんだろうし。でも、うわぁ、本当に大丈夫なのか、おれ。まあ、とにかくダメ元で経験を積んでいくしかないよなぁ。胃が痛い。

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そもそも、どうしておれはこんなに電話をかけるのが怖いんでしょうか。いつものように、また、子どもの頃の自分はどういう少年だったのか、という話をしていきたいのですが、もう聞き飽きたかもしれないですね。でも、このブログは読者の存在をほとんど意識しないからこそ書き続けられているところがあるので、相変わらず自分の好きなように書いていきます。すいません。

今、自分の中にある恐怖を感じてみて最初に思い出すのは、中学校の頃のクラス替えの風景です。私はクラス替えが大嫌いでした。

初年度になると、それぞれに新しいクラスが割り当てられて、一年間、新しく編成された40人ほどの集団で生活していくことになります。当たり前だけど、中には顔見知りの人もいれば、全く知らない人もいて、皆一様に「早く友達を作らなきゃ…」とソワソワしていました。もちろん私もソワソワしていたのですが、どうしたらいいかわからず、どんどん周りから取り残されていきました。誰かに声をかけられたり、緊張が徐々に取れたりして、私がなんとなくクラスに馴染み始めるのは、いつも2学期の中盤くらいからでした。

クラスには色んなタイプの人がいます。そして仲良くなるのは大体似たようなタイプの人たちです。今だと「スクールカースト」なんていう便利な言葉があって、学者からエッセイストまで、様々な人たちが分析していますが、クラスに馴染むのが遅かった当時の私も、中学生なりに、教室内の人間関係についてかなり真剣に分析していました。

クラスの中で誰とも話す人がいない、ということは、即、いじめの標的にされる、ということを意味します。一度「ヘンなやつ」というレッテルを貼られてしまえば、もう復活のチャンスはなく、1年間(下手すれば3年間)ひたすら孤独に耐え続けなければいけません。幸いにも、なんて言ったら、実際にいじめられたことがある人には無遠慮な言い方になってしまうかもしれませんが、小中高と、私は明確に「いじめられた」と言えるような経験はありません。ただ「いじめられるかもしれない」という恐怖とは、いつも背中合わせでした。クラス内のどのグループにも所属感がなく、ずっと「独りぼっちにならないためには誰かと一緒にいなければならない」という感覚を持ったまま、人と関わっていたからです。もちろん、楽しかった思い出も沢山ありますが、思い出の裏側にはいつも「排除されたくない」という不安が張り付いていて、自分の本当の気持ちが、心の奥の見えない所でずっとくすぶり続けているような学生時代でした。

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文章を書いていると、やっぱりいつも自分の過去を振り返ってしまって、よくない。バイトの話だったのに、気が付けばまたいつもの学生時代の話になっていました。でも、子どもの頃や思春期の頃の思い出は、きっとこれからも、何度も形を変えて語り直すことになるような気がします。間違いなく言えることは、この時期に私の「世の中に対するものの見方」の基盤ができあがったということです。どこかが歪んでいるんでしょうが、自分でいくら内省しても、結局はよくわかりません。やっぱり人との関わりの中で痛い目に合ったり、心の底から幸せだと思ったりしながら、分かっていくしかないんだろうなぁ…、と、いうところで、やっと現実に戻ってきました。今は、夜風を浴びたくなって、道端のベンチに座っています。こんばんは。

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突然の雨に降られて、ドンキホーテに逃げ込みました。マッサージチェアに座りながら、背中と腰を揉まれつつ、スマホで次の住まいを探しています。よく考えたら、今まで一度も自分で家を探したことがないんじゃないかと気付いて、びっくりしてます。働き口も自分で見つけたことなかったけど、住まいも自分で決めたことなかったなぁ。自分で自分の生活を成り立たせようとした瞬間、考え出せばキリがないほど、決めなければならないことがどんどん思いついてきます。いやーーーーまじで世の中の人たちよくやってるなーーーー。やばいなーーーーホントに。そりゃ「そもそもおれはなんで生きているんだろう…」みたいなこと考えてるヒマないわ。

《つづく》