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9月8日(木)

昨日と同じデパートで昨日も見かけた車椅子の人とすれ違った。“「パッ」と視線を送ってしまう自分の目の中に、後で自分で自分を「醜い」と感じるものの萌芽があるような気がする” と、昨日の日記に書いたのだけど、さっき、ずっと昔のテレビ番組で、ある障がい者の方がこういうことを言っていたのを思い出した。

その人が言うには、あるとき道を歩いていたら、子連れのお母さんとすれ違って、子どもに『お母さん、あの人なんかへんだよ』と言われたことがあったそうだ。すると、お母さんは「見ちゃダメ」と子どもに叱って、そのまま通り過ぎていったらしい。その人は子どもに言われた言葉より、お母さんの言葉に傷ついたそうだ。少し考えてみれば当然だろう。障がいのある人が多くの人と違う点があるのは当然であり、それゆえに他の人たちより目立ってしまうのもある意味仕方のないことだと思う。でも、誰だって腫れ物に触るように扱われて、良い気持ちがする訳ない。そういうことを思って、だから私も、きっと無視するよりむしろ「その人がそこにいる」ということをきちんと認識した方がいいのだろう、と、そう考え直すことにした。

昨日の私は自分自身を過剰に疑いすぎていたのかもしれない。もちろん自分としては腫れ物に触るように見ていたつもりなんてないんだけど、でも、実際に関わってみる場面を想像したら、そのお母さんのように振舞ってしまう気持ちも分からなくはない。おそらく問題なのは、相手をコミュニケーション出来ない存在とみなして、初めから意思疎通を諦めてしまうことにある。きっと、相手に対する「自分には上手く対応できない」という感情がそうさせるのだろう。

私が、ごく当たり前の感情として、一人の人格を持った人間として接して欲しいと思っているのと同様に、誰もが、ごく当たり前に人間扱いされたいと思いながら、生きている。人と人との距離感というのはとても難しいものだけど、近すぎても遠すぎてもいけない微妙な距離感をそれとなく把握できる人が、私が思う“本当にかっこいい大人”なのかもしれない、と思った午後だった。前置きが長くなったけどこんにちは。ていうかおはようございます。

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夕方。単発の仕事をしに、川崎まで戻ってきた。一週間ぶりの仕事になる。疲れと眠気に、理由はわからないけどなぜか緊張も混ざり、元気が出ない。そんな中、いつものようにデパートのベンチで休憩していると、私が腰掛けているベンチの下までモップを伸ばす掃除夫の男性を見て、これまた理由はわからないけど、なぜだか少しやっていけそうな気がした。これが中島らもさんの言う「その日の天使」ってやつなのかもしれない。

らもさん - YouTube

phaさんの最新の投稿で、中島らもさんが言及されていた。一時期、私も彼の言動に心酔していたことがある。と、そんなこと言って実は、まだまともに彼の著書を読んだことがないんだけど、でも、私が今までで一番しんどかったときに、YouTubeで彼に関する動画を何度も見てはその度に元気をもらってきた。彼がすでに故人であると知ったのもYouTubeだった。

中島らも & Mother's Boys with 石田長生 - いいんだぜ - YouTube

彼のことを多く知っているわけではないし、私自身、別にロックに詳しいわけではないんだけど、彼の曲『いいんだぜ』は本当に素晴らしい曲だと思う。 苦しいときに聴いていたから、なおさらそう思うのかもしれない。久しぶりに聴いてみて「そういや、そんな時期もあったな」と感傷に浸っている。

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夕方から夜にかけてのバイトを終えて、深夜の満員電車に乗りながらブログを更新している。電車の中で人が押し合いへし合いしているのを見るのは、今回東京に来てから、意外にもこれが初めてになる。入り口付近の絶妙な位置についたため、両手が開いたままスマホを操作することができる。素晴らしい。久しぶりの満員電車は新鮮で、よく言われるほど苦痛ではない。いや、やっぱり苦痛だな。あ。苦痛だ、やっぱり。座りたい。つらい。

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座席が開いたので、座りながら続きを書く。今日のバイトは、始まる前は死にそうになっていたのに、セブンイレブンのイートインコーナーでカレーとポテトチップスを食べて吐きそうになりながら職場に向かったのに、思った以上に楽しい時間を過ごすことができた。相変わらず接客はニガテで、お客さんの前でどうしようもないくらいアタフタしたりしてしまったけど、その他では素直に「楽しい」と思える時間が続いた。自分でも驚いてしまう。まるで別人のように堂々と身体を動かすことができていたのだ。たまにこういうことが起きるけど、これは一体なんなのだろう。

自分の感覚として、自分に自然と自信を持つことができているときは、まず発生の仕方からして違っている。呼吸が深くて、腹の底から、なるべく低い声で、喉の奥を響かせるように声を出している、ような気がする。自分でも自分が不思議でならないのだけど、接する相手に合わせて自分が変わっているようにも、逆に自分自身を保ったまま相手に合わせないでいるようにも感じた。不思議だ。まさに、案ずるよりも生むが易し、という感じの1日だった。これじゃあ、何かから逃げる必要なんて何もないじゃないか。

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このまま何事もなく1日が終わるのかと思いきや、乗り換えの電車を待っているとき、明らかに何か妄想が見えているとしか思えない高齢の女性がホームに降り立ってきて、また「試されてる…」と思ってしまった。彼女は何もない空間を指差して、絶叫しながら妄想上の何かに激怒している。どうしたらいいんだろう。周りの人たちはみなイヤホンをして知らんぷりしていたのだが、私はとりあえずイヤホンを外して、絶叫する彼女の目をじっと見つめてみた…ところまでは良かったものの、彼女も私に気付いて、こちらに向かって必死に怒りを訴えてくる。どうすればいいかわからない。そのまま彼女の目を見つめ続けていると、ちょうど電車がやって来たので、私は彼女と別の車両に乗ることにした。

というわけで、結果的に逃げてしまったのだが、具体的に「全ての人を愛する」ってどういう状態なんだろうと、色々考えさせられた。そんなこと可能なんだろうか。また今度しっかり考える機会を持ちたい。

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色々なことがあった1日だったけど、今日は長くなったからもうやめよう。おやすみなさい。 

《つづく》