9月13日(火)

八王子に来てからもう2週間が経とうとしている。数週間前から「とりあえず仕事を探しながら…」みたいなことを言っていた気がするけれど、ぜんぜん探していないどころか、バイトすら探していないために生活費が危うくなりつつある。十代の頃に観ていたテレビ番組で、若手のお笑い芸人が「未だに親から仕送りをもらっているから」という理由でイジられている様を面白おかしく見ていた記憶があるけれど、あの頃はまさか自分が「そっち側」の人間になるなんて全く思っていなかった。笑いとは要するに差別だ。世の中で「ふつう」とされている価値観から離れた行動を取るからこそ、そこにツッコめる余地が生まれて、ボケとして成立する。ツッコミのいないただのボケは、笑っていいのかわからないただの異物であり、「ふつう」であれば気味悪がられたり、切り捨てられたりしかねない存在なのだ。

映画『サマーウォーズ』では親戚からハブにされている元エリートのイケメン叔父さんが登場していたけれど、実際に親族の期待を裏切った人間というのはあそこまで冷遇されるわけでない。むしろ生暖かい愛情に包まれながら、ときに腫れ物に触るように、ときにいつまでも何もできないダメな子どものように扱われ、真正面から感情的に対立するというよりむしろ、互いの精神的自立を妨げるような共依存的な振る舞いをされたりしたりしてしまうものなのだ。もちろんこれは私がそうだったというだけの話で一般論で語ることはできないけれど、私は家族に対して反発することも隷従することもできないまま、40歳50歳とズルズルと歳だけを重ねてしまう引きこもりの人たちの気持ちがよく分かる。YouTubeで「引きこもり」と検索すれば、夕方のニュース番組の安っぽい特集か何かで「ふつう」の人たちから差し向けられる奇異の目線をいくらでも感じることができるけれどおそらく家族も当事者もそれを深く内面化しているからこそ、互いに外部との関わり方を見失ってしまうことになるのだと思う。やばい。さっきからなに書いてるのか自分でもわからなくなってきた。とにかく私は自分のことは自分で決めるという当たり前のことをするために新潟を飛び出してきたのであり、このまま新潟に帰ってハローワークに行って適当な会社に就職して自動車買えるくらいには貯金してたまに家族の送り迎えとかをして忠実に実家と墓を守るよくできた息子路線に舵を切るのはもうちょっと先どころか永遠に来ないと思うおばあちゃんごめんなさい。とはいえ仕送りは…仕送りは捨てがたい…!!!!ぬああああ!!!!

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数日前、祖母に誕生日祝いの電話をかけた。祖母は博愛と自己犠牲と世間体を足して3で割ったような人物である。今年で83歳になるらしい。私とちょうど60歳上の酉年で、干支が5周分離れている。以前もどこかに書いたような気がするけれど、私は父子家庭で育ち、実質的にはほとんど祖母に育てられた。60歳上の人間に育てられるなんて、たぶん人類史上初の出来事なんじゃないかと大げさでなく思う。老齢の身体にムチ打って育ててもらい、今でも大変感謝している。そんな祖母と最近電話をした。

祖母は私が電話をかけたことをとても喜んでくれた。祖母からすれば、私が大学を辞めるのもちゃんとした会社に勤めてないのもありえない事だろう。私の家系は代々お堅い職業なので尚更そうだ。祖父からしても祖母からしても父からしても私の行いはどう考えても親不孝以下勘当スレスレなのだが、とりあえず祖母はなにも怒っていないようだった。いや怒るはずなんてないことぐらい分かっていた。高校の終わり頃からことごとく期待を裏切り続ける孫に対して、やはり祖母も祖母なりに考えることがあったのかもしれない。久しぶりに電話をするのは、私としても大変楽しい時間だったのだが、しかし「無理するのだけはダメだよ」「頑張らなくていいからもう新潟に帰っておいで」「近くに居てくれるのがいちばん嬉しい」と連呼する祖母に「ああこういう所!こういう所に引っかかっちゃいけないんだおれは!」という想いを強くしたのだった。彼女は優しい。でも私はときに無理をしなければならないし、頑張らなければならないし、自分のことは自分で決めなければならない。祖母含め私の家族は母性が過剰で父性がない。本当ならアドラー心理学を体得しておれに的確な勇気付けを与えてほしかった…とか言ってるからダメなんじゃないかおれ!目を覚ませ!育ちのせいにするな!死ね!

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うそだ。生きろ、おれ。ていうかもう少し落ち着いて考えよう。仕事のこととかは一旦置いておくとして、私のこの意思決定の遅さはまじでどうしたらいいんだろうということを今一度考えよう。

退学届けを提出する前、私は大学近くのスーパー銭湯によく通っていた。するべきことは一つだ。通っていない大学に授業料を払い続けるのはやめて、退学届けを提出すること。しかしいつまでも覚悟が定まらず、サウナに行っては水風呂に入るということを数日繰り返していたのだった。地方のスーパー銭湯は最悪お金を払わなくても雑魚寝スペースに滞在し続けることができる。図書館にも古本屋にも海岸にも川辺にも公園にも道端のベンチにもいる気がしないとき、私はよく無賃でスーパー銭湯の雑魚寝スペースに横になっていたことを、今ここで打ち明けたいと思う。そしてたまに風呂に入ってはサウナと水風呂に交互に入って、自分の意識がどのように変化するのか、みたいなどうでもいいことを観察したりしながら、現実と向き合う覚悟が定まるときを待った。しかしその時は一向に訪れなかった。

私が慌てて退学届けを提出したのは、すでに既読になっていたメールの中から偶然「退学・休学を希望される方は○日までに届け出を提出しなければ受理されない可能性があります」という一文を見つけて死ぬほど慌ててケツに火が点いたからだった。震えた声で電話をかけた。場所はあえて仏前を選んだ。後日死ぬほど緊張しながら大学へ行き、かつての同級生と顔を合わせないよう細心の注意を払いながら学部棟内を歩き、もう一年以上顔を合わせていない担当教授と話を付けに行った。初めて授業登録をしたときは「大学」という概念はまさに自分のためにあるのではないかと思うほど学究心・知的好奇心に燃えていた。カナダに留学したりオーストラリアに語学留学したりアルバイトしたりサークルに入ったり、そういう華やかな学園生活がおれを待っているのかと思っていた。でもそうじゃなかった。辞める理由なんて自分でもわからなかったけど、膠着した現状を変えるためには退学届けを提出するしかなかった。あれが初めて親に逆らい、家族に逆らい、世間に逆らい、自分で自分のことを決めた瞬間だった。

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この文章は一体どこへ向かおうとしているのだろう。こんなことしてるならさっさと来月からどうすればいいか決めたらいいじゃないかという当然の指摘ありがとうございます。でもそうじゃない。たぶんそうじゃない。眠い。今はもう猛烈に眠くてなにもしたくない。おれはなにがしたいんだろう。したいことなんてなにもない。働きたくない。

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あーなんか、もうなにも考えたくないし。実際なにも考えてないのかもしれない。