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9月15日(木)

私のような人間にとって「自分がいかにダメな人間であるか」を語るということは、ある意味とても容易いことだ。もともと、初対面の人に「なんて呼んだらいいですか?」と尋ねられて「なんでもいいです、うんこでもいいです」と答えられるくらいには、自分にプライドのない人間だと思っていたけれど、2ヶ月あまり日記を書いてきて、改めてそう思った。私は「自分がいかにダメな人間であるか」ということならいくらでも饒舌に語ることができるし、第一、そうすることによって、今まで自分なりに他人との関係の築き方を学んできたところがある。誰に頼まれもしないのに日記を書き続けていられるのは、こうして書いていることが私にとって自然なことだからだ。私はなるべく自分を卑下して語ることに慣れているし、そうすることが他人と関係を築いていく上での一つのパターンとして身に染み付いている。

さて。ふと思ったのだが、私はこんな風に文章を書き続けていていいのだろうか。今の自分が自然だと思うようなやり方でいくら文章を書き続けていても、今の自分を越えるような視点・ものの見方を得ることは絶対にできないのではないだろうか。文章を書くということは、究極的には文章を書いている自分自身を肯定することに向かっていく行為だと私は思う。少なくとも私が文章を書くときは、私が私自身の中に欠落を感じているときであり、それを書く、それも人目につく場所に書くことによって得られるものは、そういう自分が赦されたという感覚である。このブログを読んでいる人が実際どう思っているかにかかわらず、私はこうして文章を書くことによって、少なからず日常を生きていく上での助けになってきた面があった。それは大袈裟に言えば、少しずつ自分を赦せるようになってきたということだと思う。でも、私はいつまでこんなことを続けるつもりなんだろう。誰に何を赦されようというのだろう。

私のような人間にとって、特定の誰かの悪口を言うよりはるかに、自分はいかにダメな人間かという話をした方がラクだし、誰にも気をつかうことなく伸び伸びと振る舞うことができる。しかし、本人がいない場所での非難や中傷が問題をなにも解決しないどころかむしろ悪化させるばかりなのと同様に、自分で自分を貶めることが自分に対してなんの変化も及ぼさないことは、既に23年生きてきた私の人生を振り返れば明白だ。第一、私は自分自身について最も語りやすい一部分だけを語っているに過ぎず、誰かに指摘されたくない部分・まだ自分でも赦し切れていない部分に関しては、黙秘しているか、自分でも気付けない無意識の底に封じ込めているだけに過ぎない。私が挨拶代わりに自己卑下したところで、そのことによって「いやそんなことないですよ〜」「やればできますって〜」的な返答を引き出すのを期待しているのだとすれば、それは卑下でもなんでもない。ただ何かを失敗したときの保険をかけているだけ、自分の選択権を誰かに委ねているだけだ。私は誰かに何のお墨付きも与えてもらわなくても、自分で自分のことを決めていけるはずだし、実際、そういう決定でなければ何の意味もないのだ。

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文章を書くというのは不思議なことだ。私はときにどのように生きていくかに迷い、他人がどのように生きているかを学ぼうとしたり、それを通じて自分の生き方を考えようとしたりするけれど、でも、自分がどのように生きているか、その人がどのように生きているか、ということは、結局、言葉でなく態度、実際に会ったときに感じる雰囲気からでしか感じ取ることができない。そういうことを思うにつけ、今のように、自分が何を考え、何を感じて、どのように生活しているかを言葉にするということは、見方によってはとてもみっともないことをしているのではないかと思えてくる時がある。説明しようと思えば思うほど、言葉を尽くせば尽くすほど、私が実際の生活の中でどのような振る舞いをするかということからは遠くなっていってしまう。私は、自分が求めているあり方に対して途上だからこそ、文章を書かずにはいられないし、逆に、文章を書くことによって、自分自身が途上であることに甘んじてしまっている。本来であれば、態度のみによって示さなければならなかった何物かを、下品にも言葉に変えてしまうことによって、踏み荒らしてしまっているのではないかと感じてしまう。

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冒頭、自分のことをプライドのない人間だと書いたけれど、なんのプライドもなしで生きていけるほど人は強くないはずだ。おそらく私は自分でも自覚していないどこかに、もしくは自覚していても受け入れたくないどこかに、捨て去るべきつまらないプライドを隠しているのだろう。たとえば、昨日今日の生活ぶりについて私は明言しないまま日記を更新しているけれど、さすがにほとんどベッドから起き上がらずにYouTubeでずっと弟者さんのホラーゲーム実況を観ていたとは言いづらかったけど今言った。そんなもんだ。偉そうに考えている風で実際はただ廃人になっていただけだった。昼夜逆転もここまで来ると慣れたもので、今日は久しぶりにまだ明るいうちに外へ出たけれど、誰かに撃たれたりゾンビに襲われたりしないのは本当に素晴らしいことだなと、懐かしいシャバの空気を吸って思ったのだった。そんな一日だった。

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過ぎていった一日は夢みたいなものだと思う。目が覚めたときに、頭の中にある昨日の記憶が果たして本当に昨日起きたことだったのか、それともリアルな夢だったのか、本当の意味で誰にも確かめることはできない。私が書いていることは本当のことなのか。それとも全くの妄想なのか。私は本当に存在しているのか。それとももうすでに死んでいるのか。私の書いた文章が、他の人が読んでも日本語として意味のあるまとまりになっているのかどうかすら、本当はよくわからない。なにかが真実であると保証するものはどこにもない。だから逆に、私はもっともっと自由に振る舞っていけるはずなのだ。

《つづく》