9月26日(月)

アクセス解析を見たら、中にははてなブログの公式サイトからこの日記にたどり着いている人もいるということがわかり、調べてみたら『エレファントカシマシ』『エレカシ』というキーワードに反応して、それに言及していた9月17日(日)の日記が取り上げられていることが分かった。今更ながらあたりまえだけど、こんなブログが見知らぬ人にも読まれているんだと思うと、なんともいえない気持ちになる。基本的に私は、日々、自分自身の悩みや思考や欲望や葛藤に頭がパンパンになりながら生活を送っているので、それを垂れ流すように書き付けているこの日記が、見知らぬ誰かによって読まれることなんてほとんど想定していない。誰にも読まれなくていいし、誰の目にも触れるべきでないとすら思う。でもだとしたらなぜブログを外部に公開しているのだろう。他の人の目を気にしたら書けないようなことばかり書いているはずなのに、不思議とそれを自分だけが読むものとして閉じ込めておこうという気にならないのはどうしてだろう。あとで知り合いが読んでいるのを知ってドギマギしたり、アクセス数が急に増えて少し新鮮な気分になったりすることはあるけれど、でも、それも一時的なものだ。文章を書くときはいつも以上に自分のことばかり考えながら文字を打っている。そうしないと文章が書けない。

ぜんぜん知らない人がこの日記を読んだらどう思うんだろう。私自身、見知らぬ人の日常にほとんど興味を持つことなんてないし、きっと「つまらない」と思ってあっさり去っていくんだろう。私もそのことで傷つくかといえば、そうではない。何も言わずに去っていくなら、読んでくれたかどうかすら確かめることもできないし、一つ一つの記事の執筆になんだかんだ時間を費やして公開しているので、それなりに愛着と「出し切った」という実感が込められているからだ。日記を読んで私のことを嫌いになったり「この人、ニガテだな」と思われたりしても、それはそれで仕方ない、と、ほんのちょっとは思える。ほんのちょっとだけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヘタなりにこうして日記を書きつづけていられるのは、書かないより書いた方が精神的に健康に良いような気がしているからかもしれない。もちろん後で読み返してみて、自分の文章の意味わからなさや書き付けている日々のクソさに「かつての旧友やクラスメートがこれを読んだらどう思うんだろう・・・」とかっていろいろヒヤヒヤしたりすることもあるけれど、でも、それだけでもない。書くたびに書かなければ感じなかったことを感じるし、書いたあとも文章を整えたりする中で、まるで盆栽の枝を切っているような楽しさを感じるときがある。

繰り返すが、私はほとんど読む人を想定せずに書いている。あえて想定するとすれば、なんでも黙って話を聞いてくれる人形を目の前に、延々と思いの丈を話しているようなものだ。とてもじゃないが、読まれる可能性のあるすべての人に向けてなんて書いていない。とくに書いている時は自分のことでいっぱいいっぱいで、あとでちゃんと見返さないと、他人に読ませるわけにいかないほど無残な文章になっていることも多い。恥ずかしくなって消すこともしばしばある。

私が文章を書くことも、私が私の文章を書き直したり公開するか非公開にするか迷ったりすることも、私しかいない私だけの世界だ。だから私は読み返すたびに、その「私だけしかいなさっぷり」に、鼓動が早くなったりケツの穴がもぞがゆくなったりするわけだけど、でもこういうことを繰り返しながら、自分はすこしずつコミュニケーションの練習をしているんだと、前向きに解釈できなくもない。「何も言わずに私の文章を読む人」というのを前に、懺悔するように日々の鬱屈を吐露することで、すこしずつ現実の自分の対人関係のあり方を修正したり、考え直したりしようとしている。もちろんそれがうまくないからこんな日記を書いているんだけど、でも、そのことも含めて、いまの自分に必要ないろいろな感情を引き起こさせる契機になっている。ような気がする。誰が読んでも「おもしろい」と思わせるような文章を書ける日が来るのはきっとずっと先だし、たぶん永遠に来ないだろうけど、それでもいい。これからも自分が思うことを思っただけ書いていきたい。それで迷惑をかけるとすれば、未来の私だけだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というわけで今後とも、こんなブログを読んでくれている貴重な人たち(すなわちあなた)のことはほとんど意識せずに書いていこうと思います。というより、そもそも私は普段から一緒にいる人の気持ちをどれほどちゃんと考えられているんだろうか。相手のことを考えなきゃいけない場面で自分のことしか考えてこなかったから、夜中に一人で日記を書くようなハメにあっているんじゃないか。と、書きながら最近あった「これはさすがにブログにも書けないほど自分で自分に引くようなこと」を思い出した(でも本当に反省しなきゃいけないところはきっといま思い出したのとは違うところだったりするんだろうな、まあいいや)。自分自身のことが一番よくわからない。わからなくてもいいや、と思えるくらいには自分で自分のことを認められるようになりたい。見知らぬ人が読んだら「そもそもお前はだれだ」って話になるんだろうけど、とりあえず現状こういう感じになっている人間がいるということをなんとなく知ってもらって、そしてそんな人間を温かく見守ってくれる稀有な方がいましたら、そのまま温かく見守り続けていてください。長くなりましたが、今日はこの辺で終わります。おやすみなさい。

《つづく》