9月29日(木)

昨日は友人の家に一泊し、そのまま庭をきれいにする作業の続きをしていた。終えたのは午後5時ごろ。もらうつもりはなかったけれど、ありがたいことにアルバイト代を頂戴して、それからインドカレー屋に連れていってもらい、夕飯を頂いた。夕方から始まる知人のイベントに参加した後は、打ち上げにも参加し、終えたのは0時過ぎ。それからまた友人の家にご厄介になり、今日起きたのは午後1時過ぎだった。また違うインドカレー屋に連れていってもらうと、そこで昼食を済ませて、夕方4時近く、新潟駅に降ろしてもらった。今は駅付近の図書館にてブログを更新している。

友人とは日頃いろいろと思っていることをありったけ話し、またよく顔を合わせる人たちとも久しぶりに再会できたりして、とても良い時間を過ごさせてもらった。ありがたいことだ。いろいろな人たちと会うと、またいろいろなことを考えるものだ。とくにこうやってまた独りになったときに思い出したりすると、「あのときの自分はダサかったな」とか「もっとこうやって話せばよかったな」みたいなことがどんどん浮かんでくる。思わぬ出来事があったり、自分が対応したことのない状況に陥ったりするとなおさらだ。緊張のあまり余計に口数が増えたり、自分にとっても相手にとってもタメにならないような発言をしたりしてしまう。そういう話をすると(私からするととても「コミュニケーション能力」があるように見える)その友人は、日頃から「大勢の中にいながら独りであることを感じる」練習をしたりだとか「上手くやらないからいいんじゃないか」と開き直ったりだとか、やはり自己流で試行錯誤しながら人との関わり方を模索しているらしいことを話してくれた。非常に参考になると同時に、すごく励まされる。やはり人はみな、人との関わり方において何度も気まずい思いをしたり、自分で自分に情けなくなったり、相手の機嫌を損ねたり、大切な人を大切だと思うがゆえに傷つけてしまったりしながら、上手くいかないなりになんとか日々を生きているのだ。私もまた私なりのやり方で、日々をどのように生きていくかということを手探りで模索していこうと思う。そんな夕方を過ごしている。

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友人はチェーンソーで庭木を切り倒していた。木くずが粉チーズに似ている(と思ったけどそんなことわざわざ話すまでもなかったので言わなかった。後からどうしても誰かに言いたくなって久しぶりにツイッターに書いてみたけれど、それもなんか違う気がしたので消した。ブログにはもうなんだって書ける。こんだけどうでもいいことばっかり書いてきたんだからもうなんだって)。

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困ったことにスマホの画面がまた割れてしまった。買い換えてからそれほど日が経っていないのに。今、ビキビキになった画面に文字を打っているが、やっぱりスマホは画面が割れてないに限る。打った文字がぜんぜん見えない。アップルケアのおかげでたぶん2回までは8000円弱で新品と交換してくれるはずだけど、そんなこといってもお金がない。お金がほしい。

そういえば、手軽に持ち運べて、なおかついろんな作業もできるMacのパソコンがほしい、と思っていたのだった。なんの作業がしたいかって、まあなんか、それはべつにあんまり思い付かないっちゃ思い付かないんだけど、でも、今のパソコンは重いし、使いづらいし、ほとんど存在してないのも同じになっているから、持っていてぜんぜんありがたさがない。

今まであんまり考えたことがなかったけど、自分の持っているモノに対して愛着というか親しみというか「自分で選んで自分で決めた」という感覚を感じられるようになったら、それはモノだけじゃなく、いろんなことに対してそういう風になっているんだろうなぁ、みたいなことを、最近よく思う。自分が本当に「ほしい」と思ったモノだけを部屋に置いていたら、それはすごく居心地がいい場所になるだろう。まあパソコンが本当に「ほしい」のかどうかも、買ってみないとよくわからないんだけど、でもとりあえず、今みたいにコンビニとかで適当にお金を使ってしまったりする機会は減らしていけたらと思う。

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最近、こうして日記を書いていたり、また普段思ったことや考えたことを誰かに話したりしたときによく「観念的になりすぎている」と自分で自分を反省することがある。どうやら私は放っておくと勝手に自分の世界に閉じこもってしまうようだ。怪我をした皮膚の裂け目に少しずつ血小板が集まってかさぶたを作っていくように、なにかの拍子で自分の精神を支えていた自意識の壁が破られると、そこに言葉が集まっていき、自分を守るための頑強な理論が構築されていく。理屈で答えなくていいのに、難しい言葉を使わなくたっていいのに、どうして私は別の誰かが生きているみたいにすぐ自分の人生を説明してしまうんだろう。もっと素直になれないものか。犬か猫かパンダか猿みたいにもっと言葉に頼らずに生きていけたら、と、こんだけヅラヅラ文章を書いといて思うのだった。

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相手の気持ちを知ること以上に、自分の気持ちを把握することの方が大切だ。こんだけ「〜したい」とか「〜したいと思う」みたいなことを書いてきたけれど、このうちいくつを、本当に、心の底から、素直な気持ちで「したい」と思っているだろう。ここ最近は自分自身の中にもいろいろな変化があって、自分でも自分が少しずつ変わっているような感じがあるのだけど、でも、他の人がみたらそうでもないかもしれないな。それはわからない。とりあえず自分は、下手に大学生だった頃より今の「学歴・職歴・資格なしの無職23歳男性」という社会的身分の方がしっくりくるし、前にも踏み出しやすくなった。上手くないかもしれないけれど、下手なりに一日一日を過ごしていこう。そろそろ図書館からも出ようか。かれこれ2時間近く、日記を書いていたことになる。すこし、書き過ぎた。

《つづく》