10月10日(月)

三時間ほど、私の今後の生き方について父親と口論になった。驚くべきことだが、彼は私のブログやツイッターを読んでいて、それらを通じて、私と今まで関わりのあった大体の人たちのことも知っているようだった。父よ、この投稿も読んでいるだろうか。私はあなたの考え方の多くに同意しないし、親子だからといって、あなたの意見に無条件に従おうとは思わない。私は自分で考えて、自分で決めて生きていきたい。それがあなたから見てどんなに間違っていようとかまわない。もう何も言ってほしくない。それは愛ではない。

ハタから見たら、私のしていることなんて愚かとしか言えないのかもしれない。経済的に自立しているわけでもなく、そのための(ハローワーク職業訓練校に通うなどの)「努力」をするわけでもなく、好きな時間に起きて、好きな時間に寝て、あなたが振り込んだ数万円を握りしめてコンビニでお菓子を買い、使った皿は洗わず、洗濯物も干さず、汚い部屋に閉じこもって、自意識の凝り固まった気持ちの悪い文章を延々と書き連ねては、世間にさらす。私だって、今の自分が素晴らしい生き方をしているとは全く思っていない。でもこれは私の人生で、あなたの人生ではない。私の人生だから、最終的な責任は私が取る。どんなに言葉を尽くして説明しても、いつも分かってもらえないけど、親だから、心配だから、と、あなたが私の人生に感情的になって口出しするたびに、私はこれからもずっと今みたいに理屈っぽく言い返していく。それはいつまでも変わらない。

でも本当は、あなたに分かってもらおうとしている私もたぶん甘いんだと思う。経済的に依存しているのも甘いし、住む家や生活する上での諸々のことを依存しているのも甘い。あなたが私の人生をどう思うかは私になんの関係もない。口ではそう言いながらも、どこかで分かってほしいと思っているから、こうやってわざわざ言い返してしまうんだろう。気にくわないと思われようが、屁理屈だと思われようが、そんなことはもうどうでもいい。これだけ迷惑をかけたのに、まだあなたに私の人生の良き理解者になってほしいと期待していたのは、それは、どうしようもなく私が間違っていた。

今日みたいな叱責には、数年前の自分ならきっと耐えられなかっただろう。予備校に行かなくなって閉じこもっていた寮の一室に突然上がり込んできたときも、大学に行けなくなって引きこもっていたアパートの鍵を無理やりこじ開けて乗り込んできたときも、私は、感情的になって怒号を飛ばすあなたに対して、同じように怒り狂って言葉を投げ返すしかなかった。親であるあなたに対して、どうしても自分の気持ちを理解してほしいと思っていたからだ。でも、今はもうそこまであなたに精神的に頼らなくてもなんとかやっていける。その意味で私は、ここ数年でかなり成長できたと思う。ブログやツイッターを読んで、こいつは自堕落な生活ばかりして何も変わらないな、と、そう思うのかもしれないけれど。

気難しいことばかり書いているようだけど、私は自分の書いていることがそんなに間違っているとは思わない。私は、自分で考えたことを最大限大切にすることによって、あなたにもう理解者になってもらう必要がなくなった。大変な生き方なのかもしれないけど、私は自分で考えて生きていくことをやめたくない。どんなにみみっちいことで悩んだり、どんなにどうでもいいことで傷付いたりしていても、自分の心で感じたことをないがしろにしたくない。もっと言えば、その先にしか自分の人生を切り開いていく方法はないと、私はどこかで確信するようになった。もちろんこの先も今までのように何度も間違いを犯していくだろう。でもそれは私の失敗で、あなたの失敗ではない。また、いくら私の自由だからって私はあなたの建てた家に居て、どう考えても過剰に金銭的な援助を受けているのだから、あなたの言い分も聞かないわけにはいかないのかもしれない。でもこれは私の人生だ。死ぬまであなたのスネをかじって、履歴書にものすごい空欄ができて就職先がぜんぜん見つからなくて、ずっと引きこもっていたから他人との関係性もうまく築けなくなって、自力で生きていくのが難しくなるほど気力も体力も衰えて、一切の社会性を失って誰からも見向きされなくなったとしても、それは私の責任だ。

私はもうこの投稿であなたとの論争を終わりにしたいと思っている。スネをかじっといて驚かれるだろうが、私の中ではもうとっくに決着が着いていたのだ。これは宗教の違いのようなものだから、いくら私が反論しようがきっといつまでも分かり合えないだろう。それに私だってそれなりに社会との関わり方を考えて生きていこうと思っている最中なのだ。本当なら「そんなに言われるんだったら自分の足で生きていくわ!」と家を飛び出して、バイトなりなんなりでなんとか生活を工面して一人で逞しくやっていければいいのだが、残念ながら、おれはそういうことがすぐにできるほど強くないということは東京にしばらく行ってみてわかった。ブログを読んでいるならわかるだろう。掃き溜めのように書いてきた。

どうやって生きていくかは自分で決めるしかない。ここでの「生きていく」というのは、あなたの言うように結局は金のことだ。正直、金が憎い。生きていくだけの金を稼ぐのに人間性をすり減らしてまで働かなければならないのだとしたら、そんな世の中どうかしてると思う。でもそれは、今は、受け入れる。生きていくのは大変だ。でも大変だろうがなんだろうが、それ以上に私がこれからもこういう人間であることに変わりはない。もちろん私だって自分がこのままの姿で通用するなんてちっとも思っていない。だから図らずもこういう形でまともに説教されたことで、ある意味で自分なりに刺激になったことは認めなければならない。だが、こんなことはもう終わりにしたい。私もまさかブログを読まれているとは思わなかった。交友関係まで調べ上げていると聞いて「それはさすがに気持ち悪い」と思ったけど私も私で気持ち悪いだろうからこれはもうしょうがない。私は自分の責任で文章を書く。自分の責任でお金を稼ぐ。

私があなたの生き方に口出しないように、あなたも私の生き方に干渉しないでほしい。お金のことは惰性で受け取って、それはたしかに甘かったのかもしれない。でもあなたが私を見捨られないなら、きっと私はこのまま黙っていつまでもお金を受け取っていく。そして頭でぐちぐち考えながらバイトすらまともにできないおやじになって誰からも相手にされないまま醜く老けていつか死ぬ。私は甘い。あなたがお金をくれるなら、私は死ぬまでたかり続ける。私だってそうなりたくないけど、このままだったらきっとそうなる。それもそれで仕方がない。私の選んだ道だ。

あのまま大学を卒業して正社員なり会社員なりになったとしても上手くいくはずなんてなかった。それに、どんなに愚かな日々を積み重ねていたとしても、私は私の人生において今みたいな道順しか辿れなかったと、心のどこかで確信している。あとは金だ。働きたくないわけじゃない。お金がほしくないわけじゃない。プロブロガーになって独立したいわけでもないし、小説家になって大逆転の人生を送りたいわけでもない。それほど激務でなく、ある程度私の思想や感受性を許容してくれる同僚がいて、生活するに申し分ない給料のもらえる職場があったら、明日にでも雇われたい。なんせ月給7000円の労働から出発しているから、実際ボランティアでも構わないのだ。

世の中を恐れすぎているとは、たしかにあなたの言う通りかもしれない。私だってきっと本当に何もできないわけではないだろうし、それなりに他人とうまくやる術も身に着けているはずだ。せめてそうあってほしい。本当ならあなたにこそ踏み出す一歩を勇気付けてほしかったのだが、残念ながらそういうわけにもいかないらしい。私が親になったら、きっと子供にそうしてあげよう。あなたの怒りはあなたのもので、私にはどうすることもできない。

とにかく問題は金だ。ここまで読んで来ているだろうか、父よ。実家の一室からこの長ったらしい文章を読んで何を思っているか知らないが、残念ながらあなたが私に何を思おうが、それは私の人生と一切関係がない。意味がわからないかもしれないけれど、そう思えばこそ晴れやかに、私はハローワークにもバイトの面接にも行けるのだ。理解されなくてもいい。誰に赦されるまでもなく、私は私のわがままを貫き通して生きていく。

《つづく》