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11月2日(水)、3日(木)

新潟駅南口のトイレに腰掛けながら、久しぶりのブログを更新しているおれです。ご無沙汰してます。昨日までいろいろあって神奈川県は藤沢市にお住まいのある方のご自宅に滞在していましたが、ちょうどこれから新潟に向かうという方(以下、H氏)がいらしたので、ちゃっかり同乗する形で、新潟に帰って来ました。先月から移動の多い日々を過ごしてきたので、ブログの更新もままなりませんでしたが、リアルがそれなりに充実していればそもそも文章なんて(少なくとも今までこの日記に書いてきたような鬱屈した文章なんて)書こうとは思わないのが人間というもので、なんというか、自分の中の腐敗した感情を全面的に押し出して書いてきたこの日記には書くことが思い当たらないほど健康的な日々を、この数週間、過ごさせていただきました。いわゆる「楽しかったこと」を書くのは苦手なのですが、ここ最近は自分でも自分がどのように過ごしてきたのか把握しきれていないので、せっかくなので書きながら、思い出してみたいと思います。

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佐渡から帰ってきた私は、K氏に連れられるがまま、移動に継ぐ移動の日々を過ごしていました。

28日夕方過ぎ、K氏の家を出発すると、翌29日早朝岩手県に到着。最近、草刈りをすると気分が良くなることを発見したらしいK氏は、フェイスブックでその旨を表明すると、かつて面識のあった岩手県の知人から連絡があり、「親戚の家の庭の草刈りをしてくれないか」との誘いを受けたそうでした。K氏の家に泊まっていた私は、その手伝いという形で車に同乗。岩手県で初対面の方の家を訪問して、おにぎりや芋煮をいただきながら、簡単な庭木の手入れを行いました。作業終了後、ちょうどその家に遊びに来ていた依頼主の友人宅にお邪魔することになり、宮城県気仙沼市へ移動。そのまま一晩泊めさせていただきます。

翌30日正午頃、家を出発。基本的にいつも今後の予定が何一つない私は、翌日神奈川県藤沢市で友人と落ち合うことになっているらしいK氏に付いて行くという形でふたたび車に同乗。道中、仙台市在住の知人女性と会うことになり、彼女に連れられるがまま「数十人で火を囲みながら踊る」という謎のワークショップに参加しました。途中「この雰囲気はどうしても肌に合わないな」と判断した私は、会場のトイレに逃げ込み、しばらく時が過ぎるのを待ちます。それから知人と別れてさらに車で南下していくと、深夜2時頃、栃木県宇都宮市に到着しました。漫画喫茶にて一夜を明かします。

翌31日午前。最終目的地である神奈川県藤沢市を目指して漫画喫茶を出発。相変わらず運転を代わるわけでもなく助手席に座り続けていた私は、道中、K氏とさまざまな会話をしながら時間を過ごします。午後5時、K氏の友人が住むアパートに到着。午後8時、K氏の友人H氏が合流。それから、彼らが行うという「企画」(ツイキャス)を見届けながら、ご厄介になっていた部屋の主人が振る舞ってくれる鍋をいただいていました。ご好意に甘え、そのまま一泊させてもらいます。

翌1日。これから新潟へ帰るというH氏の車に同乗。昼過ぎに神奈川を出発し、深夜一時頃、新潟に帰ってきました。そして今日、「空がありえないほど晴れているのでこんな日に迂闊に家でゆったりしたりすると精神的にとても良くない」と判断したH氏から連絡があり、似たようなことを思っていた私は、H氏に連れられるがままいきなりどこぞの山で登山開始。3合目付近で「この辺りで今日一日を清々しく終えられるくらいにはいい感じに疲労が溜まった」と判断して下山。それからH氏の知人と軽くお茶をした後、共通の知人であり、最近、多くの人に愛される形で閉店が決まったとある喫茶店の店主にご挨拶へ向かいます。少しの間お茶した後、今はH氏と別れ、心地よい疲労感とともに電車に揺られながら家路に付いています。

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家に帰ってきました。こうしてゆっくり過ごすのは数週間ぶりです。佐渡へと向かう前、東京での生活に一旦見切りを付け、風邪で寝込んだままメンタルまで寝込ませていた私は、「ハローワークへ行く」「ネットで仕事を探す」という、できればどっちも選びたくない二つの選択肢の前で頭を悩ませていました。とりあえずハローワークに行ってみた7月。上京し、友人の誘いで川崎のビルの屋上でバイトをしてみた8月。八王子のシェアハウスを拠点に首都圏で仕事を探そうと試みるも、結局何もしなかった9月。そして10月、振り出しに戻ったかのように何もすることがなくなってしまった私は、またこの新潟の実家に帰ってきていました。それから佐渡への誘いが舞い込み、前述したような日々を経て、今、11月になります。少しは働いたけど、一貫して世間的には無職のまま。でも、であるからこそ、自分の中に少しずつ自分で自分を信頼するに値する何かが育っていくのを感じています。ほんの少しずつですが。

数週間前、このブログに自分の父親へ向けた長い文章を投稿しました。実は以前も、あのような内容の文章を父親に送ったことがあります。自分の人生を生きているはずなのになぜか他人事のように過ぎていってしまう、単調だけど重苦しい日々を過ごしていた高校時代。大学受験の失敗によって「勉強だけはできる」というプライドが打ち崩され、何の意味もない勉強をひたすら強いられる日々に違和感が爆発した予備校時代。そして、つまらない授業、つまらない社会、つまらない自分、つまらない人生、そのすべてに嫌気が差して気が狂いそうになっていた大学時代。18、19、20と年を重ねるにつれて、周囲と自分のズレが誤魔化しきれないほど大きくなっていき、自分で自分を保つには何かに反発せずにはいられなくなっていました。その筆頭が、父でした。

本来なら高校生くらいのときに、煙草を吸うなり酒を飲むなりバイクを乗り回すなり夜遊びするなりして、親・世間の価値観を克服し、それに屈しない強固な自我を確立しておくべきだったのだと思います。しかし、そうではなかった私は、19から23にかけて少しずつ父に反抗することを覚え、今になってようやく、思春期の頃にやり残してきてしまった課題のいくつかを克服しようとしています。大学時代、自分で団体を立ち上げようとして失敗したり、山奥の村にインターンに行って研修先の人から「お前はぜんぜんなってない」と叱られたりしたのも、今になって思えば「自分の人生を自分で選択して生きていく」という、当たり前のようだけど、本気でやろうと思えばとても骨の折れる人生の課題に、拙いながらもようやく、立ち向かい始めた頃のことでした。ずっと昔から変わることなく、私は今もこの問いの前にいます。

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〈更新中〉