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どうやって生きていこう

私は、会社に勤めているわけでもなく、アルバイトをしているわけでもなく、職業訓練校やハローワークに通っているわけでもなく、資格や公務員試験の勉強をしているわけでもないという意味で、何もしていない。生活費は今月の初めに父親が知らず知らずの内に振り込んでくれたお金が5万円ほど口座に残っていて、来月また振り込んでくれるかどうかはわからないけれど、必要なときにはそのお金で、本を買ったり、レストランで食事をしたり、電車賃を払ったりすることができる。恥ずかしながらよく知らないのだけれど、おそらく税金や年金や保険も払ってもらっている。働いている人たちはきっと自分の貯金額や収入を誰かに話したりするのは気が引けることなのかもしれないけれど、働いておらず、かつ、そのことにもそんなに罪悪感を抱かなくなってきた私にとっては、むしろ明らかにした方が清々しい気分になる。

私は、働いていない自分を「必ずしも全ての人間が働かなくたっていいじゃないか!そもそも人間には愚行権っていうのがあって…」みたいな調子で説教くさく正当化したいわけではなく、「一般的な生き方とは違うかもしれないけれど、でもこれは新しい生き方で…」みたいな調子でうさんくさく正当化したいわけでもなく、ただ成り行きでこうなってしまったとしか言えない。そんな自分を後ろめたく思うときもあれば、なるようにしかならなかったんだよなと思うときもある。自分でも自分を説明する言葉が見つからないから、わざわざ説明しなければ自分を受け入れてくれない人とは、なるべく話したくないなあ、と思う。でもきっと多くの人は受け入れてくれないだろうから、ずっとこのままというわけにもいかないんだろう。やっぱり今のまま死んでいくのは、自分としてもどうかと思っている。

生きていくということは、やっぱり他人と関わりながら生きていくということで、たぶん私は今、他人と関わるという所でつまづいているんだと思う。自分と社会、自分と初対面の人とを結びつける言葉がなくて、自分を支える関係性が、家族とごく少数の友人とこのブログくらいに限られてしまっている。それは私が望んでいることではない。私は他人と会うのがそんなに好きな方ではないけれど、でも、他人と関わり合うことなしに自分の人生を全うできるとも思っていない。私はたまに「人間が好き!」みたいなことを言っている人を見かけると「それはちょっと違うんじゃないか」と脳内でちょっかいを出したくなってしまうくらいには人間のことがそんなに好きではないけれど、「でも、そんな風に思ってしまう自分もどうなんだろう」と思うくらいには自分の社会性のなさを嘆いている。改めたいと思っている。

話がそれました。今の自分を説明する言葉としてたぶん世の中的に一番通りが良いのは「無職」とか「ニート」とかいう言葉になるんだろう。でも、どちらもどうしてもネガティブなイメージが付きまとっていて、扱いづらい。あえて使うとすればネタとして使うことになるのだろうけど、そういう風なこともそんなに自分からはしたくない。発展性がない気がする。どう名乗るかなんて要するに言葉の問題でしかないのだから、自分で作ったっていいのではないかとも思うけれど、そうするとどうしても限られた人としか関係を築けないような気がして躊躇してしまう。せっかく社会と関ろうとしているのに自分から間口を狭めるようなことはしたくない。でもなんかこれはあれか。そうでもないのか。わからない。というかそんなことより、とりあえずなんでもいいから働いてみれば一発で済む問題じゃないか、という点については重々わかった上で今は置いておきます。

私はどうも肩書きほしさに仕事に憧れているところがあるみたいで、例えばツイッターのプロフィール欄に「ライター」とか「編集プロダクションを経て、独立」とか「出版社勤務」とかそういう言葉があるだけで世の中に包まれているという安心感が全然違うだろうなあ、と、なんとなく思ってしまう。きっとこれはコンプレックスみたいなものだろう。

それにしても、肩書きってなんなのだろうか。もちろん私は、人と人との関係において究極的には肩書きなんて必要ないと思う方の人間だけど、でも、今はそういう話をしているわけではない。やっぱり人は不特定多数の人を前にいきなりまっさらな自分をさらけ出してしまえるほど強くはなくて、自分を認めてくれる分厚い関係性の蓄積が背後にあったり、すでに多くの人に価値として認められた自分以外の「何か」を身にまとったりすることによって初めて心の安定を保てるんじゃないか。この世の中には自分では想像もできないほどたくさんの人間がいて、その人たちがみんな「私を承認して」「私を承認して」と言っている中に、たった一人でぽつんと、真っ裸で立ちながら正気を保ち続けるなんて、やっぱり私には難しいと感じてしまう(私はこのブログにおいてはパンツ一丁くらいにはなろうと思っているけれど、ツイッターではできない)。

ところで。話は脱線するんだけど、いつから人類はこういうようなことで悩むようになったんだろう、と、書きながら疑問が湧いてきてしまいました。私は小規模な地方都市の新興住宅地に住んでいて、当然のようにご近所付き合いも地域の共同体的な関係性もさらさら経験することなく育ってきてしまったのだけど、おそらく昔の人は初対面の人と会う機会なんてそれほどなくて、ほとんどが顔見知り同士の関係の中で生まれて死んでいったのではないでしょうか。いや、わからないんだけど。でも、田んぼとか耕してたらやっぱり定住するしかないわけだからやっぱり…あれ?でも宮崎駿さんが『もののけ姫』を作るときに参考にしたという歴史学者の網野善彦さんは、日本人はそれほど定住者が多くなかった、みたいなことを言っていたんだっけ。ん?あれ?

話を戻します。でもその前にちょっと寝ます。

〈更新中〉