考え抜いた末に、自分の人生に一筋の光が差してくるなんてことは、たぶんない。私が一人でいるときに、意識せずにぼんやりと考えてしまっているようなことは、大方、私の精神が剥き出しになるのを避けるようにするために作り出された防御壁のようなもので、その中にいる限り、考え方を変えることも行動パターンを変えることもない。それはおそらく私だけのことではない。皆、生きている間に知らず知らずの内に作り上げた自分の壁からなるべく外に出ないようにしていて、そして、いつしか自分が壁の中に入っていることさえ忘れて死んでいくのだ。「本当にこれで良かったのだろうか」という気持ちと、「いや、こうするしかなかったのだ」という気持ちと、その両方の間で揺れながら、なんとか自分の人生を納得しようとし続けていく。

私には、コミュニケーションが得意だとされている人たちもまた、何かの壁の中に引きこもっているように見えるときがある。他者を自分の想像の及ぶ範囲で勝手に解釈することで、自分の壁が壊れることを恐れている。相手の壁を壊すことはあっても、自分の壁が壊れることはないと思っている。自分を守るために作り上げた壁によって最も苦しんでいるのは自分なのに、それを必死で守るような行動を無意識の内に選択してしまっている。自分で壁を壊すことができない。

 

ゆったりと生きていくことはできないものだろうか、と思う。生きていくためには働かなければならない。働けないのなら心療内科に通わなければならない。と、それ以外の思考回路はどこかに存在していないものだろうかと思う。誰も、そちらから率先して自分の壁を取り払ってくれる人はいない。私は、自分が他人と話すことが苦手なのか得意なのかよくわからないけれど、自分の壁がそれほど確固たるものでないためか、どのくらいの熱量で他人と話すのが適切なのか、よくわからないときがある。話してはいけないことと、話してもいいことの区別があまりつかない。例えば初対面の人とでも「いやあなんで生きているんでしょうかね」なんて話ができそうな気がしてしまう。

そういえば、昼過ぎに起きてきた祖父が、「なんで生きているのかわからない、ただ死ぬのを待っているかのようだ」とつぶやきながら、さっき、リビングに降りてきた。部屋掃除を手伝いに来た叔母とワイドショーを観ている祖母は、そんなこと言われても困ると言わんばかりに、「もっと楽しいことを考えて生きたらいいのに」とあっけらかんと話す。私には、その場のいる全ての人間が、壁に入っているように見えた。本当に問うべきことを問わず、本当に感じていることを感じていないふりをして、金正男が暗殺されたことだとか、どこかの高校生がいじめを苦に自殺したことだとかの話をしながら、それなりに楽しく、それなりに穏やかに場をやり過ごす。私には何が正解なのかわからない。ただ誰もが自分の壁を破壊されることを恐れ、そして、そのことによって生きているということの実感から遠ざかっているような気がした。

 

祖母と話をする。おもしろいと思ったのは、80を過ぎても、90を過ぎても、一人になったときに思い出すのは子どもの頃の記憶ばかりだということだった。やはりそうかと思った。認知症になり、いま何をしようとしていたのかを忘れ、ときどき「死にたい」とさえ漏らす祖父も、食事をしながら祖母にぽつりと話をするのは、子どもの頃の辛い境遇についてだと言う。祖父は、戦後の混乱した時代状況の中を、食うために生き、生きるために耐え、そして最終的には組織の頂点まで這い上がった男だった。私と話が食い違うのは、それは仕方がないことだと思う。昨夜「これからどうしていくつもりなんだ」と、祖父は私に説教を食らわしたけれど、私もまた私で自分でもよくわからない説明をしてしまったように思う。でも、これからどうやって生きていけばいいのかなんてわかるはずないじゃないか。私も祖父も壁の中にいた。

終始噛み合わない議論の果てに、私は、捨て台詞のように「おれだって、死のうと思ったことくらい何度もあるよ」と、祖父に言った。祖父は何も言わずのそのそと部屋を立ち去った。働いていようが働いてなかろうが、私が、私たちが話すべきことはもっと本質的なことなのではないだろうかと思った。そう思うのは私がまだ若いからだろうか。しかし、金を稼いでさえいれば、どんな生き方をしていても良いと言うのだろうか。けれどそう問うことは許されない。そこまで言うなら自分で寝床を確保し、自分で食事を用意し、自分で必要なものを全て手に入れなければならない、と、そう言われるのだろうから。

 

可能な限り繊細に世界を感じ取ろうとすること。絶対に分かり合えないはずの他者に寄り添い、その声に耳をすませること。金…。金は、ほしい。金はほしいけれど、でも本当にほしいのはそれだけじゃない。そう思うのは私がまだ未熟だからなのだろうか。

〈更新中〉