読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

精神科

叔母に連れられて精神科に行ってきた。が、今のところ全くピンときていないので、やはり今後とも変わらず自分で自分を救う方向性でやっていくほかないような気がしている。というわけで、病院から帰った後、私はいつものように図書館に行って本を借りてきた。世の中に適応して生きていくことはもちろん大切なことだけど、適応することばかり考えていると何のために生きているのか分からなくなってくる。何のために生きているのか分からない状態で、働きに出ていくことは可能なのだろうか。金を稼ぐということは、金で買えるものを誰かに売るということだ。公務員の家系に生まれたからか、私は自分が何かを売るということのイメージが付かない。物欲もそれほどないので、どうして人がそれほどまでに何かを買いたいという気持ちになるのかもよく理解できない。生活していくだけの金があればそれでいい。しかし生活するにも金がいる。金を稼ぐには何かを売らなければならない。何も売るものがない私は、何かを売っている人の手伝いをして、その売り上げから余った分の金を分けてもらうしかない。野菜を売ったりテレビを売ったり薬を売ったり冷蔵庫を売ったりしている人の手伝いをすることで、その分け前としての金をもらう。その金で自分に必要な何かを買う。そうしなければ生きていけない。

しかしそう考えると、生きていくためには金を稼がなければならないという想いに込められた必死さと、「この白菜おいしそうだなぁ、今夜は鍋にしよう」と思うその気持ちのなんてことなさが、どう見ても不釣り合いに思えてきてしまうのは私だけだろうか。かたや、生きるために金を稼がなければならない金を稼ぐには何かを売らなければならない何も売るものがなければ何かを売っている人の手伝いをしなければならないと思って何かを売っている人の手伝いをしている人がいて、かたや、その何かを「なんとなく」買いたい気分になってそれを会計まで運んでいく人がいる。そのアンバランスさはなんなんだろう。鬱になるほど苦しみながらそれでも金を稼ぐために仕方なくこれを作って運んで売ってる人がいるんだよな…とは思わずに私たちはお菓子を買うしジュースを買うし洗濯機を買う。そういうことなのだろうか。というようなことを考えてしまうから私はバイトをする気すら起きなくなるんだけど、それはそれでよくない。でも考えてしまうのは仕方がないから、考えながら素知らぬふりして愛想をふりまく、そんな器用さが私にあったらよかったなあ。死ぬほど考えてるのに、何も考えてないフリをしながら仕事場のルールを覚えたり実際に身体を動かして作業したりするのを、私は何時間くらい耐えられるんだろう。休憩時間に考えたことをブログに目いっぱい吐き出したりすれば少しはまともに働けるんだろうか。わからない。

(更新中)