朝、爽やかに目を覚ますことができないせいで、一日の全てもとい人生の全てが台無しになっているような気がしてならない。祖父母の家に来てからもう一週間以上経つけれど、相変わらず起床するのは正午近くの日が大半を占める。今日はどうだろう。おれはこのまままた三度寝するのだろうか。それとも耐えるのだろうか。時刻は9時41分。

朝起きられないとはいえ、いつもiphoneの目覚ましは8時と9時にセットしており、アラームとともに何度か目を覚ましてはいる。問題は、目を覚ますけれど、そこから身体を起こすところまでいかないということにある。布団の中で目を覚ましただけのときの私は、通常の意識状態とは比べものにならないほど異常なまでに睡眠欲が膨れ上がっており、何はさておきあともう少しだけ目を瞑って身体を動かさないでいることがこの世で最も大切なことのように思えてしまう。そして再び眠りに堕ちる。誰しも道端に「どうぞもらっていってください」と書かれた1億円入りのキャッシュバックが置かれてあったら躊躇いなく拾うだろうけど、それに近いくらいの必然性で私はもう一度眠るという選択肢を反射的にチョイスしてしまう。この絶大な欲求を振り払うことでしか、私の一日もとい私の人生は始まらない。正午までに起きられなかった場合、私は一気にその日一日を大切に過ごそうとは思わなくなってしまう。二度寝、三度寝、四度寝くらいまでの、それぞれ5秒、合計15秒くらいの短い間の中でなんとか、あのあまりにも甘美な欲求を自力で振り払わなければらない。身体を起こしたとしても、あの欲求ほど魅力的なものに出会えるとは限らないというのに。これは麻薬のようなものだ。私の一日はどうしてこんな始まり方をするのだろう。目が覚めてからのたった数秒の間に、このまま何もせず睡眠の中に溶けていく快楽に溺れるか、それとも目を覚ましてときに苦痛を伴う現実を生きるか、その厳しい選択を迫られる。そんなの所詮人間なんて快楽に従って生きているだけの存在なんだから快楽選ぶでしょそれはと思う。つらすぎる。他の人も、朝こんなに大変な想いをして目を覚ましているんだろうか。どうもそうじゃないような気がするのは私だけだろうか。私の中にあるなんらかの病的な何か、身体のバランス的な何かが原因なのではないか。あの欲求を意志の力で断ち切るのはあまりにも困難に思えて仕方がないのだが。しかし今はまだ10時3分。マシな方だマシな方だ。起きようじゃないか今日は。だ!