近況

一昨日、久しぶりに友人と卓球をしたのだが、その疲労と筋肉痛で昨日は家の中でジッと何もしていないこととなった。月初めなので、WiFiがない祖父母の家にいてもまだ3G回線でネットを堪能することができる。私はここ一週間見逃していたバイオハザード7の実況動画を見尽くすことにした。少し前までは、グロテスクなゾンビ映画やホラーゲームの何がどう面白いのか全く検討がつかなかったけれど、ここ数年で趣味嗜好に変化が起きてきて、すっかりR15指定の作品の魅力に取り憑かれてしまった。あれらはたぶんグロいからこそいい。グロさに自分の内面の負の部分を投影して、それを銃なりバールなり斧なりで破壊するからこそ爽快感が生まれてくるのだ。現実世界は複雑だから、世の中や自分の人生にいくら不満があったとしても、わかりやすい「悪」を叩けばそれだけで問題が解決するというようなことはない。それに比べてゾンビゲームは単純だ。ゾンビは倒すしかない。攻撃しなければ攻撃されるだけだから、ゾンビに対する攻撃はつねに正当化される。バーチャルな世界の中でくらい、自分の心に蓄積した澱のような感情を吐き出しても許されるだろう。少なくとも現実世界にそれを持ち込むよりは。私はスマホの小さな画面で、振りかざす斧を、倒される戦士を、噴き上がる血を見ていた。そうして一日が終わった。

今日は、2回目の精神科受診の日だった。ちなみに起きたのは午前11時。卓球の疲れが昨日休んだだけでは解消しきれなかったせいか、それとも持ち前の過眠体質のせいか、一階の祖母に「もうすぐ叔母さんが来るよ!」と声を張り上げられてようやく目が覚めた。私が家族に「朝起きられないんだよね」と相談すると「体内時計が乱れてるんだね」と言われるけれど、それにしても、こうも体内時計は乱れたままなものだろうか。私は自分が睡眠障害やら過眠症やら起立性調整障害やらなんかそういう病気なんじゃないかと疑っている(そうであって欲しいと思っている)。自分の意志が弱いせいだとは、やはりどうしても思えない。前回も書いたけれど、私の場合、寝起きの挙動は自由意志と呼ぶにはあまりにもお粗末な意識状態なので、自分でどうにかしようと思って行動できるような状況では本当にないのだ。しかしそうも言ってられないので起床に関してはまた自分なりに試行錯誤していくことにする。詳細は後述する。

目を覚まして布団を畳み、服を着替えて白飯と味噌汁をかき込むと、玄関に叔母の姿が見えてきた。最寄りのコンビニでコーヒーを買い、叔母の車で病院へ向かう。自分よりも年齢が上の人と世間話をすると、そういやおれももう大人なんだったなと実感する。とりわけ政治や宗教について話が及ぶと、それぞれの人に、軽く話した程度では変わらない、ある程度固まった意見や価値観があるということを再認識する。私が生きている世界というものは、そういうものだったのだ。大人になるということは、自分の信じる価値や思想をそのまま言い放って終わりにするのではなく、むしろそれを腹の底に収めたまま、現実的な他人との関わりを粛々と模索していくということなのかもしれない。私はまだ自分が子どもだと思う。そしてその想いは、何かを感じたり考えたりする上でとても大切な意識だと思う。でも、きっとそれだけでは生きていけない。子どもの心を抱えながら、大人として生きていくこと。目指さなければ大人にはなれない。

一時間半かけて行われた心理テストは、意外にも楽しいものだった。初診のときは、大して話もしていないのにいきなり身に覚えのないADHDを疑われてなんとなく釈然としなかったのだけれど、何がきっかけであれ、これほどみっちりとした心理検査を受けられたのは良かったと思う。しかも、まだあと二日ある。占いやら、就活の自己分析やら、たまにSNSで流れてくる安っぽい心理テストやらとは比べ物にならないほど頭を使うしっかりとした検査だった。頭を使うのは楽しいもんだなあ、と久しぶりに思った。

例えば「今から言う数字を覚えて繰り返して下さい」というような質問をされた。最初は「2、9」という具合に簡単なのだが、だんだん数が増えて「3、2、8、6、4、9、1、5」とかになってくるとかなり苦しくなる。こうして文章にすると伝わりにくいかもしれないが、口頭で一度に言われただけの内容を瞬間的に記憶するのはとても難しかった。「今から言う数字を逆から繰り返して下さい」という問題もあったが、難しすぎて笑えてきた。結果はまだだけど、私はこういうのが苦手な性質なのかもしれない。問題は他にも「日本三景を言って下さい」とか「カードを並び替えて物語を完成させて下さい」とか「模範通りに図形を組み立てて下さい」とか様々だった。