パソコン

家に帰れば祖母が飯を作ってくれている。でも家にはまだ帰りたくなくて、どうしても食いたかったというわけではなかったけど寿司屋に入った。別にうまくない。なんだかんだ10皿くらい食べた。最初は、3皿くらい食べたら帰ろうと思っていたけど、なぜか気分が落ち着かなくて、別に食いたくもないはずなのに次々と手を伸ばした。別にうまくもない。熱いお茶を何杯も飲んだ。着ているジャンパーが鬱陶しく感じられるほど身体がじわじわと熱くなって、一層気分が落ち着かない。イライラしながら目の前のタブレットの会計ボタンを押して、財布を探す。バックに手を入れる。荷物の隙間に腕を伸ばす。ない。財布がない。やばい。そう思ってバックを抱え、あちこちチャックを開けたり閉めたりして、焦って財布を探した。でも、ない。いよいよやばくなってきた。店員さんになんとかお願いして、スマホでもパソコンでも担保に取って財布を家まで取りに行かないといけない。でもそんなのしたことない。いよいよ、やばい。気持ちが浮ついてクラクラしてきた。私はもう一度バックを探そうと、中に入っていたパソコンを取り出して、中をよく見ようとした。手に取ったパソコンをテーブルに置く…その瞬間、チャックの開いていたカバーからパソコンが滑り落ち、まともに床と衝突する。バシーンという音が寿司屋に響く。慌ててパソコンを開く。電源がつかない。私はいよいよキャパオーバーになって、「大丈夫ですか?」と聞いてきた店員さんに「いやほんとまじでいや」みたいなよくわからないタメ口を聞いて、そっとパソコンを閉じた。自己嫌悪が襲ってくる。財布はリュックの底にあった。レジへ向かう。イヤな汗が額に吹き出てくる。もうおれは自分がイヤで仕方なくなって、今まであった色んなイヤなこととかそういうものをいっぺんに思い出して、ああ、おれは、おれはと思いながら、自転車に乗って、さっきまでいた本屋にもう一度戻って、ベンチに座ってブログを書くことにした。パソコンを買った話はここに書いてないけど、おれは今月、いろいろあってパソコンを手に入れたんですよ、このブログを読んでいる皆さん。得たものは失われる。きっとおれは何かがおかしい。このままの私で、私は生きていけるのだろうか。許してほしい。怒らないでほしい。私はいつも自分の中の何かに向かって懺悔するように、このブログを書いてきた。起こったことをなるべく自分の言葉で。それは、自分一人で生きていくにはあまりにも自分が弱かったからで、頭の中で七転八倒する自分を何かに見守ってほしいと思っていたからなのかもしれない。おれはまだ親にはなれないなと思う。一生なれなくても、別に構わないのかもしれない。おれはどうして生まれてきたんだろう。

子どもの頃から、おれは自分自身の不幸な身の上を他人に語ることで、小説かドラマに出てくる悲劇の主人公みたいに振る舞って人気者になれるんじゃないかと、心のどこかで思ってきた。たぶんそれはいいことじゃない。苦しいときほど、他人のアラがよく見える。私が誰も信用できなかったのは、皆が皆、それぞれに都合のいいやり方で自分を誤魔化していて、それに気付いていないフリをしたり、本当に気付いていなかったりするからだ。繋がりなんてものは、本当はどこにもない。本当はみんな孤独だ。一人でいても寂しくない、なんてウソだと思う。頭の中に幸せだったときの記憶があるから、一人のときも耐えられるんじゃないか。ああ、パソコンは治るんだろうか。なんかもうやっていける気がしない。楽しい人生を送りたいなんて贅沢は言わないから、せめて穏やかに日々を終わらせていけたらと思う。明日ビックカメラに行こうか。どうすんだおれ。あーあ。あーあーーあーー。何もできる気がしない。車に乗ったら他人を轢き殺すんじゃないか。仕事をしたら、重大なミスを犯して殺されるんじゃないか。あーーあ。あーーーーあ。あーーーー。