後輪がパンクした

外を出歩いているとき、「ひとまずどこかで落ち着きたい」と私はすぐに思う。カフェでもいい、ファミレスでもいい、ベンチでもいい、駐車場でもいい。とにかく一旦移動するのを止めて、涼しくて静かな場所で何もせずただぼうっとしていたいとすぐに思う。しばらくぼうっとした後、またどこかに行ってみようかと思うときもあれば、そのままじっと動かないときもある。今日はどっちだろうか。近くのスピーカーから流れてくる音楽がさっきからどれも耳触りだから、さっさとこの場所を離れてしまいたい気持ちは山々なのだけれど、そのためにはまずやたら重いこのリュックサックを担がなければいけなくて、自転車を置いた場所まで歩かなくてはいけなくて、自転車に乗って次の場所に向かわなければいけなくなる。ああ、自転車。後輪がさっき破裂したばかりの自転車。この自転車がいつも通りに正常だったら、いつまでもこんな場所に腰掛けてなんていなかったのだろうか。すっかり汗も引いたし、自販機で買ったジュースも飲んでしまったからもう出発してもいいはずなのに、それでも身体が動かないのは、あの後輪の破裂した自転車をこれからどうするか決められないのもあるからだろう。

シャワーを浴びて、カップ麺をすすった後、今日読むかもしれない本を適当にリュックサックに詰め込んで自転車に乗ったのは、午後1時過ぎ頃だったと思う。家に居ても仕方がないから本を読んだりパソコンで調べものをしたりしながら、図書館とか喫茶店とかでこれからどうするかを考えようと思っていたのだった。その矢先、急に風船が割れたみたいな音がして、すぐに後輪がパンクしたのだと気が付いた。釘でも踏んだのかと思ったけれど、地面には何もなかった。もう随分長く使っているから、寿命だったのだろう。姉が高校生だった頃に通学に乗っていたものだから、もう十年は経つ。ああパンクしちゃったなあと思いながら、しばらく自転車を引きずって歩く。歩きながら考える。この自転車どうしようか。ホームセンターで修理してもらおうか。でも新しい自転車を買っても良いよなあ。ああでも、おれそんなにお金ないなあ。それにいつまで地元にいるのかどうかもよくわからないなあ。ああ、なんかもうおれこれからどうするんだろう。とりあえずどこかで落ち着きたい。ひとまず座って休まりたい。

というような経緯で、しばらく前にこのベンチへ辿り着いた。それからどれくらいここにいるのだろう。もう4時を回った。思ったより長く留まっている。場所は、自宅から歩いて30分ほどの場所にあるショッピングモールの傍にある道端のベンチだ。日陰だとはいえ外だし、近くのスピーカーからは何年か前に流行ったようなJポップがひたすらデカイ音で流れてくるし、休日だからなのか意外と人通りも多くて、決して居心地の良い場所ではない。なのに、居てしまっている。もうずっと長いこと腰掛けている。なんかこういうことってよくあるなあと思う。こんなことばかりしてるんじゃないかと思う。さっきまで考えようとしていたことは、いくらかでも先に進んだのだろうか。スマホの充電が切れそうだから、近くの電器屋でモバイルバッテリーでも買いに行こう。

 

 

それからすぐに近くの電器屋に入った。けれど、冷房の涼しさに店内を歩き回るだけで満足してしまった。壁に並んだ大画面のテレビには、ロボット研究の第一人者が大学生に向かって講義を行う番組が流れていて、「子どもの頃に感じていた疑問や興味を大切にしてほしい。まあ大学生に言ってももう遅いんだけど。そのくらいになればもうかなり固定観念に縛られているだろうから」というような身も蓋もない話をしている。メガネをかけた利発そうな青年が握りしめたペンをこめかみに当てながら真剣な眼差しで教壇の方を見つめていた。彼も研究者を目指しているのだろうか。そういえば、私も数年前までは、彼と似たような場所にいたはずだったよなあとふと思う。漠然とした気持ちを抱えたままそれでも前を向かなければいけなかったあの頃よりも、今の方がずっと固定観念から解き放たれているはずだけど、解き放たれたからといって別に望み通りの日々が待っているという訳ではなかった。自由ってなんなんだろう。子どもの頃に感じていた気持ちを思い出せるようになったからといって、それがどうしたんだろう。

 

 

それからWiFiの使える喫茶店に向かった。着いてすぐアイスコーヒーと水を注文する。やけに混んでいるのはやはり休日だからだろう。同じくらいの年齢の、私の生活圏ではほとんど接点がないタイプの若者たちが勉強したり本を読んだりしている。席に着いてパソコンを開く。すると突然バカデカイ音が店内に響き渡った。なにやら今夜7時から若手の歌手が店内の一角でライブを開くらしい。おいおいまじかと思っていたら、隣で勉強している専門学校生風の女子たちも苦笑いしながら顔を見合わせている。だよねー、と思う。その歌手は南魚沼市出身らしい。今はリハーサルをしているらしい。普段は東京で活動しているらしい。色々な苦労を経て最近ようやくCDをリリースできたらしい。聴く気がなくても否応なしに耳に入ってくる。音のする方を向くと、よれた服を着た老人がスマホで写真を取っているのが見える。それが妙に微笑ましくて、腹の中で少し笑った。

そんなことを思っているうちに、本格的にステージが始まった。元気の良さそうな若い女性の声が、地元のテレビ番組かなにかで使われているらしい曲を高らかに歌い上げるのが聞こえてくる。歌は下手じゃない。他人前で話すのも慣れた感じがして落ち着いている。誰の気持ちも代弁しないけれど、誰もが安心して盛り上がれるような、明るくて伸びやかな声をしていた。曲が終わって拍手が起こる。日に焼けた気の良さそうな中年がCDを買う列に並ぼうとするのが見える。彼らはどんな気持ちでCDを買うのだろう。私にはわからない。でも、彼らにとってはきっとそれでいいのだ。彼女もまたそれでいいのだ。文句なんてつけようがないし、文句なんて誰も必要としていない。私は何かに逆らうようにユーチューブで前野健太の『東京の空』を繰り返し聴いた。

私も40歳くらいになったら、昼下がりのカフェで健康的な歌声を披露する若い娘に拍手を送ってあげられるような中年になれたらいいと思う。70歳くらいになったら、ふらりと立ち寄った喫茶店で偶然見かけた歌手のライブを自然に楽しめるような老人になれたらいい。自分が楽しくいられないからって、それを他人に八つ当たりするのは情けない。最近、私は口を開けば他人の文句ばかり言っているらしくて、反省することが多い。けれども、自分が楽しい気持ちでいられないとき、他人が楽しそうにしているのを羨まずにいるのは難しい。他人が笑っているようには笑えないとき、そんな彼らを嗤わずにいるのは難しい。

(更新中)