#2

二日前にも利用した宿の安さを気に入り、今晩もまた同じ宿に泊まりに来ていた。が、隣で寝ている客のイビキがでかすぎて、ろくに寝られやしない。なんなんだろうまじで。スマホを見ると、時刻は7時11分。たしか昨夜は深夜3時ぐらいまで寝付けなかったから、今日はせいぜい4時間くらい眠れていない。自信を持って断言できることはそれほど多くないけれど、私は、いびきだけは本当に嫌いみたいだった。そういえば、父もよくいびきをかく男だった。六畳一間に親子三人が川の字になって寝ていた子どもの頃、父のいびきがあまりにうるさくて、隣で寝ている父の背中を蹴ったり物を投げたり布団を引っ張ったりしていびきを止めようと、なんとか足掻いていたことがあった。他人のいびきだけは本当に昔から悩まされることが多かった。

 

結局眠れず、そのまま朝を迎えた。隣りのコインランドリーで洗濯をする。時間を潰すために外をぷらぷらと歩く。

歩きながら、タモリ倶楽部はどうしてあんなに良い雰囲気なのだろう、というようなことをぼんやり考えていた。自分が好きなものを本気で語ろうと思えば、人はある意味、変態的にならざるを得ない。変態、とまでは言わないにしても、自分自身のどうしようもない変えがたさについて何度も何度も悩んだり開き直ったりを繰り返している内に、ある種、善悪を超越した「どうしようもない人間臭さ」みたいなものに深まっていくことはあるのではないか。話す人を間違えればドン引きされてしまっても仕方がないような自分自身のある部分。それを口に出しても否定されない空間があることへの安心感。その安心感が、あの独特のゆるい笑いを作り出しているのではないか。そんなようなことを考えながら歩いていた。

コインランドリーへ戻ると、私が利用しているものの隣りの洗濯機を覗き込んでいる一人の男性が話しかけてきた。「子ども用の緑色の靴下が片方見つからず、あなたの洗濯機に間違って入ってはいないか」とのことだった。私はちょうど回転が止まった洗濯機を開けて中を調べた。が、靴下は見つからなかった。しかし、それから「大切な靴下なんですねえ」みたいなことを話しているうちになぜか男性と軽く打ち解けて、しばらく和やかに立ち話をした。話の流れで私が軽く素性を明かすと「おれも二十五才くらいのとき、どうしても仕事が嫌になって、一年くらいあちこち旅行してた時期があったもーん」と、男性は話した。私は、自分があまりにも平常心で知らない人と話していることに、不思議と冷静だった。そういえば、こんな風に知らない人といきなり打ち解けて話すことは昔からよくあった。他人と気さくに話をしているこの瞬間が、私は好きだと思った。この自分を忘れないようにしたいと思った。男性は「また」と言ってコインランドリーを出ていった。去り際に「もしもどこかで会えたら」なんて軽く笑って挨拶をしたけど、きっと彼とはもう会えないだろう。それでよかった。

それからまたしばらく辺りを歩いた。WiFiを使うためにマックか喫茶店にでも入ろうかと思ったが、どうも昨晩から胃が悪く、ポテトの匂いが充満するマクドナルドには到底入れそうになかったし、喫茶店でコーヒー一杯でさえ口にするのは難しそうだった。私はベンチを求めて公園に向かった。

公園には、ケラケラと笑いながらはしゃぎ回る園児と、その子を追いかける若い母親の姿があった。辺りを見渡すと、その様子を異様なほど喜ばしそうな顔で眺めている一人の好々爺が座っている。その顔が、どこか達観しているかのような、とろんとした、恍惚とした表情をしていて、目の前を横切るときに思わず私は会釈せざるを得ないような圧力を感じた。その和やかな雰囲気から、彼とも軽く立ち話ができそうな気がしたけれど、なんとなくそうしがたい呑み込まれそうな怖さがあって、私は目が合う前に視線を逸らした。

ベンチに腰掛けると、少し離れた先には、他人の視線など全く気にしないような素振りで大胆にベンチに寝転んで漫画に噛り付いている30代くらいの女性が、さらに向こうには、昼間からビールを飲んでぼうっと宙を見つめる男性、弁当を食っているスーツ姿の男性、事務員風の女性が座っていた。それぞれが思うままにベンチに座り、昼下がりのひと時を過ごしていた。