#9

19時14分。東京駅から新潟へ向かう高速バスの車中でこの日記を書いている。

一昨日、宿泊していた漫画喫茶にて、数ヶ月前にお世話になっていた方に連絡を送り、近くまで来ているので少しだけ顔を見せに伺うことはできないか、との申し出をした。了承を得て、家主の家に向かったのは昨日の正午頃。結局制限時間ギリギリの12時間近くを滞在し、少ない旅費をさらに消耗してしまった漫画喫茶を後にして、私は数駅隣の家主の家へ向かった。

12時すぎ頃、家に到着。道すがら、こういうときは何か手土産のようなものを持っていくのがセオリーなのではないかと遅ればせながら気が付き、ちょうど通りかかった八百屋の店頭に並んでいる、艶のいいリンゴと柿を購入した。店主の方が気の良い人で、おいしそうなリンゴですねえ、と話をしたら、品種や産地を教えてくれ、ついでにオマケまでしてくれた。手土産に果物っていうのはどうなんだろう、とは思ったが、店主の方と交わした一瞬のやりとりが心地よかったので、なんとなくこれで良いような気にさせてくれた。

到着した頃には家主一人しかいなかった。が、次第に訪問する人は増え、二人の子を連れてきた女性、それからこの近くに住んでいると話す男性と食卓を囲み、一緒に昼食を食べることになった。この家にはあちこちから家主を訪ねに人が集まってくる。私もその一人だった。私は少し家主と話をした後、洗濯機を借りて服を洗い、部屋の掃除を軽く手伝った。それから家主は外へ出掛けた。私は彼と話をして、今夜一泊しても構わない、との了承を得た。

子供たちは遊んでいた。居合わせた大人たち三人は、食休みにのんびりとした時間を過ごす。

突然、話の流れが急転し、「最近これだ!と思った名言を言い合おう」という話題になった。私は何も思い浮かばなかったので、「いやとくにないですよ」と苦笑して逃げたのだが、今になって思えば、そのときせっかくのチャンスを棒に振ってしまったのかもしれなかった。それから女性は、琴線に触れたという「名言」を一つ語ってくれたのだが、私はそれに上手くリアクションを取れず、女性には「まあ、これは苦労した人にでないと分からないですよ…」とうんざりとしたトーンで言わせてしまった。私はどうすれば良かったのだろう。もう少し相手の話を受け止めようという気持ちを持てば、話はどこか良い方向へ転がっていけたのかもしれない。しばらくして、女性は帰った。様子から、二人の子供に手を焼いているのは、そこはかとなく伝わって来てはいた。

男性も、それからしばらくして家を出た。家主と話せないなら仕方がない、と、しきりに苦笑いしていたが、私も私でそれに取り合おうとしなかったのが良くなかったのかもしれない。どちらからいらしたんですか、という初対面同士だったらほとんどの場合で交わすことになる質問をお互いに投げ掛けながら話の糸口を探り合っている段階で、男性はあちこち転居してきた過去や仕事を辞めて実家に帰った話などを漏らしたので、なにやらその辺りのことで、語り出したい何かを抱えているように見えた。けれども私はまともに取り合うことなく、床に残った粘着テープを剥がす作業に没頭した。手持ち無沙汰になった男性は、じゃあおれも、と言って掃除機を探し出して、家中の床を掃除し始めた。掃除が終わると、男性も帰った。何しに来たんだろう、と、男性は終始苦笑いしていた。

それから、はるばる九州から二人の子を連れた女性がやって来たり、テンションを履き違えた旅人二人が来てすぐ帰ったりしたが、このペースで書き進めていたら全く終わりが見えないので割愛する。(というか、この旅程で起きた主要な出来事は、この日記全体の中でほぼ割愛されている。どういう訳か、私は誰かと会って楽しかったことなどをわざわざ文章に書き起こそうという気にあまりならない。現実世界で完結している、と感じるためだろうか。むしろ一人の時間を持て余したときや、世界が灰色に見えているときにこそ書く気が起こる。)ともかく、私はその日一泊お世話になり、今日もまたほぼ半日滞在させてもらった。東京近郊に来てからというもの、宿から宿への移動ばかりで、地に足が付かない日々を過ごしていたが、昨日から今日にかけて屋内でなんでもない時間を過ごせたおかげで、知らない人との複数人での会話に耐えられるだけの落ち着きを、かなり取り戻していったように思う。

思えば、ここ三ヶ月あまりの実家での生活によって、私は他人との話し方がさっぱり分からなくなっていたのだけれど、東京を経巡っている間に会った友人や知人、それから街角で出会った知らない人たちと言葉を交わすことによって(少し大袈裟に言えば)生きていくための基礎になる何か大切なものを取り戻していった気がする。やはり私は一人でいすぎるとダメになる。そこから帰って来られなくなる。

ビジネスライクでなくただの一人の人間として、なんてことのない話を他人と交わすことができる場所は、私の周りにそれほど多くない。私のように友達の少ない者なら尚のこと、どうやって「ふつうの話」をするか、求めようにも手掛かりがないまま、就業や消費というビジネスライクな他者との関わり方の機会だけが目立ち、そこに合わせなければ生きていけないかのように錯覚させられる。もっと人間らしく他人と話がしたい。精神科のカウンセリングにも、ハローワークの窓口にも、職業訓練校の説明会にも、私の求めているものは見つからなかった。

家主の方と相談して、今週水曜日から再び伺うことになった。一週間の期間限定で、家の世話をしながら訪れる人の応対などをさせてもらう。三ヶ月前にも滞在していた身として、もう二度と失敗は許されない。この話を家主から振られたとき、私は、試されている、と思った。今の自分に見えかけているものを家主の用意した場所でどれくらいできるだろう。ただいるだけでは無論済まされない。大きな仕事が舞い込んできた。

(更新中)