#20

実家のタンスから引っ張り出してきたスヌードゥが伸び切っていたために、二重巻きにすると首元がダルダルになり、三重巻きにするとムチウチになったみたいになる。どうしたもんだかな、と思いつつもひとまず三重巻きにして、ああ、首が苦しいなあ、と思いながらモゾモゾしているうちに列車は東京駅へ到着した。バスが発車するまでの数時間を、駅構内のマクドナルドで過ごす。

狭いフロアに、人が入って来ては去る。隣りの座席にはアジア系の外国人の女性が座っていて、しばらくするとその彼氏と見られる男性がやって来た。二人が席を立つと、空いた座席にスーツ姿の男性二人が座る。おそらく同じ会社の上司と部下なのだろう。上司がどうでもいいような冗談を言うと、部下は仕方なさそうにそれに反応してボソボソと言葉を返す。油っぽい匂いのする揚げ物を口に運びながら、二人の会話は途切れることなく続いていく。聴きたくなくても聞こえてくる上司の大きな声に次第に嫌気が差してきて、私はイヤホンを耳にはめて自分の内側に意識を集中することにした。例によってカーペンターズを流す。曲が流れ始めると店内のざわめきが消えて、さっきまで騒々しいばかりだった目の前の風景が一気に感傷的なムードに包まれていく。コーヒーをすすりながら、ぼんやりと宙を見つめる。およそ二ヶ月に渡った横浜での日々は、今日を以って一旦の区切りが付く。これから24時ちょうど発の高速バスに乗って新潟へ向かう。

 

もうじき今年も終わる。今年は、お世話になっている方からありがたいお話を頂いたことで、沢山の素敵な人との出会いに恵まれた素晴らしい一年になった。半年前には、こんな風になるなんて思ってもみなかった。そういえば今年の春頃、私はどういう訳か精神科の病棟に連れて行かれていたのだった。大学を中退してから一年が経ってもずっと実家で惰眠を貪り続けていた私は、ついに親族から「コイツはどこかが悪いのではないか」と疑われて病院に行くことを勧められた。あれがちょうど半年前。とにかくすることがなかったので、とりあえず連れられるがままに病院へ行ってIQテストのようなものを受診した、その辺りまでは楽しめた気がする。でも、医者は私を発達障害ということにして薬を出そうとしていたみたいだけれど、私は最初からそんなつもりじゃなかったし、診断結果もそうじゃなかった。なんというか、発達障害だろうがなんだろうがどうでもいい話でしかなかった。これは私の生き方の問題で、病院でなんとかできる話ではなかった。ハローワークに行かないと病院に連れていかれるのかよと思った。もう随分と昔の話に思える。長いようであっという間の一年だった。

考え事をしながら、ふと、「人の間に立つことで初めて人は〈人間〉になる」という言葉が頭をよぎった。駄洒落みたいでなんだか胡散臭いけれど、もしかしたら本当にその通りかもしれないと思った。ただ生きているだけでは人間になれない。誰とも会わず、誰とも話さない。そんな日々が長く続くと、自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなる。他人に囲まれて初めて人間になれる。部屋の中でユーチューブを見ているときの私は冗談抜きで人間じゃなくなっているような気がする。放っておくと一人ぼっちになってしまう私にとって、自分から声を掛けなくても自然にさまざまな人との関わりが生まれる環境にいたこの数ヶ月は、本当に貴重な時間だった。稀有な経験だった。

 

自分以外の誰かの人生に想いを馳せると、今まで散々見つめ続けてきたはずの自分の人生が少し変わって見えてくる。頭に思い浮かぶ誰も彼もが、あのまま一人で実家に閉じこもっているだけでは決して出会うことがなかった。自分がそんな恵まれた環境に居られたことを、本当に有り難いことだと思う。

他人と会って、なんてことのない話をする。それがどれほど人の心を救うか。相変わらず私は定職に就かずぷらぷらしているが、そんな私でも相手と関わることができた。何者でもない私のままでも他人と関わることができたという経験は、何者かでないと家族からさえも冷たい視線を浴びせられるこの世界で、得ようと思っても得られない自信になる。他人と関わるにはコツがいる。そのコツが少しずつわかりかけているような気がする。

 

今日、久しぶりに会った人に「なんとなく明るくなったね」なんて柄にもないことを言われてしまった。自分としては、自分がどのように変化しているのか全く実感がない。明るかろうが暗かろうが、私は私を私だとしか思わないけれど、一般的に「明るい」と思われた方がきっと健康的なんだろうし、関わりやすい気持ちにもさせるのだろう。嬉しかった。この世界に、自分がラクに息を吸える場所が少しずつ増え始めていると思った。