福岡にて(4)

郊外のショッピングモールにて

昨夜、福岡に在住の知人Yさんからご連絡があって「今夜一緒に夕ご飯を食べませんか?」とのお誘いをいただいた。昨日は財布を落とす一件があってから帰りのバスや航空券を調べる気力を完全に失い、最寄りのカフェで閉店時間ギリギリまで灰色になっていたので、連絡をいただいたときは嬉しかった。どうも私は都市にいると自分を見失いやすいようだ。待ち合わせは中心部から三十分ほど離れたところにある駅前のロータリーで、今はそのすぐ近くのショッピングモールのフードコートで時間を潰しているのだが、どこにでもあるショッピングモールのどこにでもあるフードコートという感じが本当に居心地が良くて、いつまででも居てしまいそうな安らぎを感じている。このショッピングモールは地元のショッピングモールによく似ている、というかショッピングモールだからどこも同じに決まっているのだが、この文化も人間味も地域性もへったくれもない空間にこそノスタルジーを感じてしまうのは、やはり私が初めからそういうものに縁がない土地と時代と環境に生まれ育った人間だからなのだろう。ホッとしたので、フードコートにあったリンガーハットで好物の皿うどんを注文する。

Yさん宅にて

午後3時半過ぎ頃、Yさんが車で迎えに来てくれる。ご自宅にお招きいただき、基本的にはソファの上でゆっくり過ごさせていただきながら、数日前に亡くなったというハムスターの飼育ケースや回し車や生前エサを置いていたと思われる小皿を水で洗って綺麗にするという仕事に従事して時を過ごす。19時頃、共通の知人であるTさんが合流して、大人三人と子供二人で夕食を囲む。22時前頃にご自宅を後にして、天神駅付近までTさんに車で送り届けてもらった。

天神駅付近マクドナルドにて

昨夜、クソみたいな漫画喫茶に2000円も支払ってしまったということもあり、今夜はネットカフェに泊まるかどうか躊躇している。いまどき1600円くらい払えば、シャワーも洗濯機も利用可能な清潔で居心地の良いゲストハウスに泊まれるというのに。昨日は本当に判断を誤ったと思う。23時過ぎ、一旦、深夜2時まで開店しているマクドナルドに入店して、日記を書きながら今日一日を振り返る。

 

今日は、久しぶりに他者とコミュニケーションを取ったと言える一日になった。

まず。突然お会いすることになったとはいえ、夕飯をご馳走してくれるというYさんに手土産の一つも持たずに会う訳にはいくまいと思って、今日の昼頃、プレゼント用の切り花を買いに天神駅近くの花屋を訪れた。花屋に入店すると、しばしば店員さんと何気ない話をする展開になる。今日も店員さんに「どのような花をお求めですか?」と話し掛けられたので、その流れで軽く言葉をやり取りした。

見ず知らずの人と即興で会話を噛み合わせることができるかどうかで、その時の自分のコンディションみたいなものをある程度把握できるような気がする。今日は店員さんがとても良い人だったということもあるが、心地よく話をすることができた。必要なことを尋ね合うだけでは味気ない会話にしかならないが、余計なことばかり話していたら収拾が付かなくなる。自然体で、けれど丁寧さを忘れないよう気は抜かずに、なるべく相手の目を見ながら、話の内容より声色で気持ちが伝わるよう心掛けて話をした。花屋にも以前のようにドギマギせず入れるようになった。これも一つの大きな成長だ。

もう一つ印象に残っているのは、お邪魔したYさんのご自宅で会った二人兄弟のご子息と話ができたことだ。子供とはいえ男同士。すでに何度か顔を合わせたことはあるけれど、彼らがまだ私に対して少なからず警戒感を抱いているのはなんとなく察しが付いていた。というより私の方もいまいち彼らとの関わり方が分からずにいた。私もまた心のどこかで彼らに警戒心を向けていたのだろう。命令口調で上から抑えつけるのでも、猫撫で声を出して迎合するのでもなく、あくまでも私自身の態度は一貫して崩さないまま、どうやって彼らと対等に関係を築くことができるのか。齟齬は微妙で、そのままにしておくこともできたくらい微かなものだったけれど、最初に沈黙の突破口を切り開いてくれたのは彼らの方からだった。

まず上の子とは、拳と拳をぶつけ合うことによって親睦を深めた。彼は気分が良くなると唐突にパンチを繰り出してくる。私は彼のパンチに対して、こちょこちょで以って対抗することにした。パンチをされたらすかさず彼の脇腹にこちょこちょをする。すると、ケタケタと笑い声を上げて(くすぐったいからというより楽しいから笑っていたように私には見えた)、今度は私にこちょこちょをされないよう間合いを測りながら拳を構えるではないか。そうだ。その間合いだ。その間合いが人と人との距離感なんだ。もしかしたら私は彼になにか大切なことを教えてあげられたのではないかと傲慢にも思わず錯覚しそうになった。が、違う。むしろ私の方が彼に教わっていたのだった。やられたらやり返さなければならないこと、嘘は全て見抜かれていること、そして、戦いによってしか育まれない友情があることを。

下の子とは、互いの知識を伝え合うことによって親睦を深めた。彼はソファに腰掛けてじっとユーチューブを眺めていた。画面を覗くと『青鬼3』のプレイ実況動画が流れている。『青鬼』なら知っている。初期版なら私もプレイした経験がある。しかし『3』が出ていたとは知らなかった。素直に気になったので「『3』が出ているんだねえ」と話をすると、彼は得意気に「そうだよ」と答えて、懇切丁寧に『青鬼3』の解説をしてくれた。そうか、『3』では二体の青鬼が同時に現れることもあるのか。「青鬼ゾンビ」なる新キャラクターも登場するのか。「青鬼ゾンビ」はゾンビだから少し歩くのが遅いのか。そうかそうか。なにはともあれ『青鬼』を介してなら話ができたというそのこと自体が嬉しかった。真正面から顔を突き合わせて話そうとすると、照れ臭くて何を話したらいいか分からなくなるけれど、関心のあることを通じてならいくらでも会話ができる。しかしよく考えたら大人だって同じではないか。『青鬼』が、政治やら経済やらパチンコやらカメラやら映画やらワインやらゴルフやらに置き換わるだけで、本質的な構造は何も変わらない。人は誰だって自分のしたい話がしたい。またしても大切なことを教えてもらったような気がした。

天神駅前ジョイフルにて

マクドナルドが閉店時間になったので、ネットカフェを探しに外を歩く。あまりの寒さに嫌気が差して、すぐ近くに見つけた「24時間営業」という文字が輝くジョイフルの看板に蛾のように吸い寄せられていった。今夜はここで夜を明かそう。

(更新中)