横浜にて(2)

公園にて

公園のベンチで煎餅をかじる。たまたま立ち寄った近くのスーパーで、この中で今自分が一番食べたいと思うものはなんだろう、と、それなりに自問自答した結果、手に取ったのはふつうの醤油の煎餅だった。視界に入って一瞬手に取ろうかと心が揺れたスルメイカの燻製でもバームクーヘンでも、トッポでもポッキーでもプリッツでもなく、最終的にどうして私はこの煎餅を買うことに決めたのだろう。分からない。分からないのに買ってしまった。これを買ってよかったのだろうかという気分にすでになっている。私は煎餅を食べたかったのか。どうしてこの煎餅を買ったのか。そんなことを思いながら公園のベンチに座る。袋を開けて煎餅をかじると、口に入り損ねた煎餅の欠けらが地面に落ちた。欠けらを拾って鳩に投げたら、鳩はそれをついばんで、それを見た違う鳩が何匹も近くに寄ってきた。向こうに見えていたときには愛らしく思えていた鳩も、近寄ってくると今度は鬱陶しく感じられてくるものだ。接近する鳩を手で追い払い、また煎餅をかじって食べた。


今日は空がよく晴れて気持ちがいい。頭痛もだいぶ治まってきて、日差しの暖かさや風の柔らかさを素直に心地いいと感じられるくらいには、自分で自分の首を絞めるかのような些末な物思いに耽ることなく、自然に外の世界に意識を向けることができるようになってきた。自分自身について考えている時点でその人はすでに病んでいる、と、以前どこかで読んだ本に書かれてあったのをふと思い出す。ほんの僅かなことを疎かにするだけで、あっという間に人は人の姿を保つことができなくなる。頭の痛みは治まったけれど、頭の真ん中にはまだズッシリと重たい眠気の塊のようなものが埋まっているみたいな感じで気分は冴えず、外の世界と内の世界を行ったり来たりしながら静かに移り変わっていく公園の様子をしばらく眺めていた。


向こうでは子供たちが遊んでいる。枯れた木の上には鳥が何匹かさえずっている。近くの道路には宅配のバイクが走っている。風はまだ冷たい。気が付いたらもう日は傾いていて、暖かさを求めて座った私の今いるベンチには日差しが当たらなくなっていた。腰を起こして、さっきまでは高齢の男性たちが座り込んでいた二つ隣りのベンチに座り直す。それからまたしばらくぼうっとした後、近くのコンビニまで歩いていき、食べ終えた煎餅の袋をゴミ箱に捨てた。

(更新中)