東京にて

21時55分。鍛冶橋駐車場。

高速バスを待つ人たちの群れに紛れて、この、出っ張って座れるようになっている、待合所の隣にあるコンクリートブロックの上に腰を下ろした。このスペースは言葉でなんと言い表わしたらいいのだろう。高速バスが出入りする駐車場の近くに、雨が凌げるように屋外用の屋根が設けられているのだが、その屋根に微妙に入りきらない敷地のギリギリの場所に、本来はきっと敷地を仕切るフェンスの足場でしかないはずのコンクリートブロックがまるで椅子のように突き出していて、ちょっとしたベンチみたく座れるようになっている。数分前、ここ鍛冶橋駐車場に到着したときにちょうど人ひとり分のスペースが空いているのが見えたので、幸運にも私はこの場所に座ることができたのだった。出発まであと二時間弱。さすがに早く着きすぎてしまったような気もする。

冷気が、アスファルトの硬い質感とともに尻へ伝わってくる。辺りは窒息するくらい多くの人でごった返しているというのに、人々の隙間から時折刺すように冷たい風が吹き抜けて、思わずクッと肩に力が入る。メガホンからひっきりなしに聞こえてくる大音量のアナウンスも、この空間をより不愉快なものにしている。高速バスの発着情報を告げる女性スタッフの声色は、聞いている人たちの心をあえて不安にさせるかのようにいちいち語気がトゲトゲしく、焦燥感に満ちていた。彼女の声の緊張が耳に入ると、こちらにまでそのいやな感じが伝染してくる気がして、急いでイヤホンで音楽を聴いて耳に栓をした。が、音はそれを突き破って容赦なく脳内へなだれ込んでくる。不快だ。つじあやのの少女のように澄んだ可愛らしい声でも間に合わない。

いよいよ辛くなってきた。荷物をまとめて一旦この場を離れる。

 

23時5分。同上。

それから有楽町駅方面まで少し歩いて、商業ビル構内にあるトイレやコンビニのイートインコーナーなどで暖を取った。トイレとコンビニは都市を生き抜くのに欠かせない。砂漠の中のオアシスのような場所だ。トイレで冷えた体を暖めて、コンビニでスープ春雨を飲みながらスマホを充電した。

晦日の東京に人影は乏しく、店はどこもシャッターを下ろしていた。それでも街の灯りは消えない。昼夜問わずきらびやかな街である。パチンコ屋の下品な広告。商業ビルの窓や入り口から漏れてくる光。イルミネーションに彩られた現代的な装飾の広場。しかし、そうかと思えば、煙草の吸殻をあちこちに投げ捨てられた古臭い商店街が、高架下の薄暗い道をうねるように伸びている。私はまだこの街のことを何も知らない。

駐車場へ戻る道すがら、路上で自作の曲を歌う一人の女性とすれ違った。彼女の足元に立て掛けられた看板によると、彼女は、自称ナースシンガー。地方で看護師をしながら歌手を目指しているとのことだ。「ほんとうに笑えているのかな〜」という歌詞の一部が、彼女の目の前を通り越して私の視界からすっかり消え去った頃に聞こえてくる。どこかで聞いたようなメロディ。甘ったるい声。いわく「ほんとうには笑えていない」人に対して何かを物申すような内容の歌詞にピクっと反応して、なぜかふと、「それが人生ってものではないのか」という言葉が湧いて出てきた。ほんとうに笑えているかどうかなんてことを、何処の馬の骨とも分からない他人にとやかく言われる筋合いなんてあるのだろうか。他人の心配をする前に自分の心配をしろよ。と、ここまで書いて、いや、でも自分から他人前に立って世の中に勝負を仕掛けているという意味では、彼女の方が私よりも先を歩いているのかもしれない、と思う。おれに文句を言う資格なんてあるのか。いや、でも先ってなんだ。生きるのに先とか後ろとかってあるのか。いや、たとえあったとしても彼女と私の人生を比較する道理なんてどこにもない。というか、なんていうか、こんな風に視界に入った人をすぐに断罪なんかしたりして、私は何か心の余裕を失っているのかもしれない。そういえば最近俺は知らず知らずのうちに目付きが険しくなっているのではないか、と心配になるときがある。

 

24時19分。高速バス車内。

ぶつぶつ書いているうちに、年が変わった。情緒もへったくれもない年越しだった。来年の抱負を語る前に、今年が始まっていく。家で紅白歌合戦を見ながら「やっぱり紅白はつまらないねえ」と家族で愚痴を言い合っていた頃が懐かしい。