四月十六日

11:17 自室

学生の頃、クラス替えが苦手だった。新しいクラスに馴染むのに異様に時間が掛かった。他の同級生たちは持っているように見える「人間関係を作る上での基本作法」みたいなものを自分だけが持っていないような気がして、苦虫を噛み潰すような顔をしてただ自分の座席に黙って座っているしかなかった。仏頂面をしているからなおさら他の人との間に壁ができる。かといって自分から話しかけることもできない。どうすればいいか分からない。あれは嫌だったなあ。本当に嫌だった。だからクラス替えの時期になると本当に動揺したし不安になった。あのときの嫌な気持ち。あのときの嫌な気持ちを未だにどこかで引きずっている。いくつになっても、新しい人間関係の中に入るということが私は本当に苦手だ。

中学生のときなんか、どこかの部活動に必ず入部しなければならないという決まりがあって非常に悩んだものだった。新聞の切れ端に、バスケ部・野球部・サッカー部…、と「上」から順に書き並べて、自分はどの部に入るべきなのかを真剣に悩んで姉にもよく相談した。どの部に入部するかということが自分の中学校生活、ひいては自分の人生全体に決定的に大きな影響を与えるような気がしていた。今になって冷静に考えたらそんな訳あるはずないと思う。でもその反面、よくよく考えたら、ある意味では結果的にその通りになっているのではないかという気もする。恥ずかしながら26歳になってもまだその頃の記憶を引きずっている。あのときの自分の葛藤を克服できずに歳だけ重ねてきてしまっている。どこかでそんな気がしている。

 

中学校の部活には人気の度合い順に「上」から「下」までの序列が明確にあった。私の頭の中にだけあったのか、それとも客観的にそうだったのかは分からない。でも、それほど独りよがりなものではないと思う。

私の考えではバスケ部が頂点。次は野球、サッカー、陸上。その次は水泳、柔道、剣道。次はテニスなどその他運動部。次は卓球。そして最後は、文化部全般。 

私はべつに人気者にはなれなくてもよかった。普通に生きていければそれでよかった。でも学校内では、不人気だといじめられる恐れがある。当時の私はとにかくいじめられることがなによりも怖かった。それだけはなんとしても避けたかった。だとしたら、文化部にだけは入ってはならない。文化部に入ったら絶対にいじめの対象になる。どうしてそんな風に思ったか知らないが、当時の私はそう強く信じていた。

もちろん後々になって見れば、必ずしもそんなことはなかったと思う。でもリスクを避けるという意味で考えれば、あながち間違いとも言い切れなかった。状況認識としてはある意味で正しかったと思う。当時はいつ誰がいじめの対象にされるか分からないという緊張感があった。とにかく切迫した状況だった。地味なヤツだと思われたらクラスで居場所を失う。そうなりたくない。

私は内部で二つの自分に分裂していた。ダサい人間を見下す自分と、見下されるのを怯える自分。自分のポジションを確保するのに、ともかく神経をすり減らしていた。

どれか一つの部活に必ず入らなければならないのだとしたら、私はサッカー部に入りたかった。小学校の頃は昼休みになれば毎日サッカーで遊んでいた。だから仮入部にはサッカー部を選んだ。

しかし、行ってみると何かが違った。他の子たちは、小学生の頃から、学校の部活だけでなくクラブチームのような団体にも所属していて、放課後になるとそこで専門的な練習を積んでいた。だから、最初からかなり上手かった。しかも、そこでの先輩後輩みたいな繋がりもあったようで、サッカー部の先輩たちと彼らは仮入部の段階からもう顔馴染みで打ち解けていた。さらに、極め付けに、彼らの中には目鼻立ちのはっきりした者も多かった。花形のサッカー部らしい顔付きを、誰も彼もしていた。

それに比べたら、私は小学校の頃に遊びでサッカーをしていただけだったからほぼ初心者だったし、身長が無駄に高くて基本的にいつも仏頂面だったから(本当はどうしたらいいか分からなくて黙っていただけなのに、それが同級生たちからは妙に大人っぽく見えたようで、なぜか私だけ名前によく「くん」とか「さん」を付けて呼ばれて距離を取られた)先輩にも可愛がられないし、容貌もパッとしなかった。下手をすると、サッカー部内でいじめの対象になるかもしれない恐れがあった。そして悪い予感は的中し、仮入部の何日目かのある日に事件は起きた。

 

12:27 カフェDelifrance(菊名駅前)

なんでおれは朝っぱらから中学校の頃の記憶を引っ張り出してきて書き綴っているのだろう。正気だろうか、おれは。

でもなんか、だんだんいろいろなことを思い出しすぎて、うわああ!!!!!となってきたので、一旦気持ちを切り替えるために駅前のカフェに場所を移した。

ドトールと反対側にあるこのカフェはDelifranceという名前らしい。真っ昼間から二人一組のマダムたちが、よもやま話に花を咲かせている。いい気なもんだ、ってまあ私も似たようなものだけど。もしかすると、彼女たちこそが私の同志なのかもしれない。

 

さて、中学生になりたての頃、私の身にある決定的な悲劇が起きた。

サッカー部の仮入部、その練習時間が始まった。部員は皆、練習の前にまず校周を走らなければならなかった(ていうか、なに、今「校周」と書いて、すごくゾワっとしたんだけど。いや、そんな言葉あったよなあ。そしてその校周というのがなによりの問題だったのだ)。

私は小学生の頃から体力がなくて、マラソン大会が本当にこの世で一番死ぬほど嫌いだった。クラス替えよりも嫌いだった。嫌いというより、単にできなかった。走り切ることができない。苦しくて仕方がない。こんな苦しいことをどうしてやるのか分からなかったし、他の人たちがどうしてできるのかも分からなかった。異様にできなかった。体力が極端になかった。だからクラスの中ではいつも最下位だったし、女子やひまわり学級?(って名前だったかな、名前は忘れた。とりあえず発育が多数派の児童たちとは違う子たちのクラス)の子を含めてもビリに近かった。

ある日のマラソン大会。最後尾を走る、おれ。すでにトラックを走り終えた生徒たちや先生、保護者たちが見守る中、おれだけが苦悶の表情を浮かべて誰もいなくなったグラウンドを一人でトボトボと走っていた。あのときの屈辱たるや。皆の暖かい声援が何より痛かった。苦しかったし悲しかった。辛かったなあ。あのときは本当に辛かった。いやあ辛かった本当に。

大人になってからいろいろな人と会って、その中には自分よりもよっぽど辛い思いをして生きてきたであろう人や、想像を絶するような大変な状況の中をくぐり抜けて生きてきた人がいて、そういう人たちに比べれば、私のした苦労なんて屁みたいなものだとは思う。でも、そうはいっても、おれにはおれの中にしかない、小さな針でちょろっと引っ掻いただけみたいなカスみたいな傷があって、それが大人になった今でも癒されずに時々じくじく痛むという、そういう情けないところがある。ヒゲが生えて脇毛も生えて酒や男女の関係みたいなものもそれなりに知って、大人にならなければできないことを一通り知った今になってもまだ、大人になりきれていない部分が私の心の中にある。

話が逸れまくった。とにかくマラソンが死ぬほど苦手だった当時の私は、仮入部のときもサッカー部の練習前に校周を走るのが本当に嫌で仕方なくて、先輩にはたしか三周くらい学校の周りを走れと言われたのだけど、一周で体力が尽きてしまって、一人でとぼとぼとグラウンドに戻ってきたのでした。

たった十数分前に上級生たちが「じゃあ校周を走ってきて!」と新入生たちに告げた場所辺りに一人で戻ってきて、誰もいない地面の上で体育座りでしゃがみこむ。もちろん上級生たち含め、皆走っているので、グラウンドには私一人しかいない。一人で、ああだめだなあ苦しいなあ、と落ち込んでいました。今になって考えたら、もう少し背筋を伸ばして、しゃんとした態度で待っていれば、結果は違ったかもしれないとも思う。甘えたい気持ちもあった。走れなかったけれど、許してほしい。そういう気持ちもあったことは認めます。なんなら私を心配して誰かに優しく声をかけてほしい、そういう弱さもありました。

さて、私がグラウンドで一人でしょぼんと座っていると、しばらくして、ちゃんと3周を走り終えた同級生が戻ってきました。最初にまずMという子が戻ってきて、地面にヘタリ込む私の元に近づいてきます。彼は汗で濡れた髪をかき上げながら、私を見るなり「もう走り終えたの?すごいね!」と声を掛けました。私は、その時にはもう罪悪感やら不安やらでいっぱいで、彼が一瞬何を言っているのか分かりませんでした。でもハッと気付いて、それから自分で自分が情けなくなって、もう何も言えなくなってしまいました。もごもごと話してお茶を濁しました。気まずかったです。でも、繰り返しになりますが、そんな自分を許してほしいという甘えた気持ちもありました。けれどそうこうしているうちに、ぞくぞくと同級生たちは戻ってきます。もう正直に話すしかありません。私は三周を走りきることができず、一周しか走らないで戻ってきたという旨を上級生に話しました…話したと思います、たぶん。いや、上級生に直接話したのではなく、同級生にだけ同情を誘うようにちょろっと話してそれで済ませようとしたのかもしれません。ともかく私はそれで上級生に嫌味を言われてしまいました。ちゃんと走っていないヤツがサッカー部に来んな、とかなんとか。その辺りから記憶は曖昧になっているので、もう覚えていません。

あ、そのとき、なんかすれ違いざまに、舌打ちされたんだっけなあ。とにかくその頃の私はいじめられないようにいじめられないようにと常に神経を高ぶらせて警戒して生きていたのに、ついにその時に、恐れていたものが現実となってしまいました。

先輩としては、きっと以前から私のことは気に入らなかったのだろうと思います。私も彼らとは折り合いが合わないのを感じていました。しかし、いくら私が悪かったとはいえ、露骨に敵意を向けられてしまって、私はひどく傷付きました。どうすればいいか分からず、頭が真っ白になりました。

それから私は、怒ったんだか泣いたんだか忘れたのですが、とにかく悲しくて寂しくて怖くて情けなくて、溜め込んだ感情が一気に爆発して癇癪を起こしてグラウンドを一人で走って脱走しました。「あきとくん!」と、私を呼び止める同級生の声が後ろから聞こえてきます。逃げた私を嘲笑する上級生や同級生たちの気配も背後に感じました。けれど、私はそういうものを全て振り切って、一目散にグラウンドを走って去っていきました。もちろん泣いていました。もうめちゃくちゃに泣きながら学校を出ました。泣きながら歩いて、声を上げて泣いて歩いて、それで家に帰りました。

玄関の扉を開けるなり、私が目を泣き腫らしているのを見て、おばあちゃんが「あっくん、どうしたの??!!」と取り乱しながら心配してくれました。そしたら引いていた涙がもう一度ドバァッと溢れてきました。「いじめられたの?」とか「嫌なことがあったの?」とかいろいろなことを訊いてくれましたが、私はもう泣くことしかできません。とにかく「大丈夫大丈夫」と言ってくれるおばあちゃんの優しさは、嬉しくて本当にありがたかった。でも、私の心の最も焼けただれている部分には届かず、ただひたすら自分が情けなくて泣くことしかできませんでした。その時だったと思います。私はおばあちゃんの胸に埋もれて泣く私自身を俯瞰してみて、ああ、きっと私は所詮この程度の人間なのだろうなあという思いを強固にしたのでした。分不相応なことはすまい。これからはなるだけ地味に生きていこう、イジメられない程度に地味に生きていこう。生きていくにはそうするしかない。どこかでそう思いました。

その頃からトンチンカンなことしか言わなかったおじいちゃんは、泣いている私を見て「だからサッカー部なんてダメなんだ」とつぶやいていました。あんなチャラチャラしている奴らと一緒にいたらダメだ(勉強しなくなるから)。そういうニュアンスだったかと思います。私は子供ながらに違和感がありました。おじいちゃんの発想は、とにかく私に勉強させたいということでしかない。実際、おじいちゃんはいつも勉強について私に過剰な期待を掛け、私が学校から帰ってきてから家で勉強している素ぶりを少しでも見せないと、気が狂ったかのように私を叱り飛ばしました。ああ。そんなこともあったよなあ、じいちゃんよ。よくぞ小さな子供をあんな風に怒鳴り散らしてくれたよなあ。いや、もういいんだけど。もういいんだけど。

それで私はサッカー部に入部することを諦めて、ギリギリ運動部だけどほぼ文化部に近い卓球部に入部することにしました。私が癇癪を起こして泣きながらグラウンドを飛び出したときに、たまたま陸上部の仮入部でランニングをしていた幼馴染のGくんとすれ違ったのですが、そのGくんが後日一緒に卓球部の仮入部へ行ってくれて、それで二人で一緒に正式に入部することになりました。絶対にイジメられたくなかったので文化部に入ることだけはなんとか避けました。これが私の人生史上初めての、意思決定。その前から入部するならサッカー部か卓球部だなとは思っていて、その二つの間で揺れていました。できればサッカー部に入りたいけど、ダメそうだったら卓球部に入ろう。そう思っていました。そして、ダメそうだったので卓球部に入りました。

あの頃に卓球部に入ったことを後悔している訳ではありません。でも、そのときに我を通さなかったことで、どこかで自分自身の可能性を信じきれないというか、挑戦する前に諦めてしまう心の癖のようなものを身に付けてしまったような気がしています。チャレンジすべきところをせず、つい守りに入ってしまう自分。今となってはもうそれを自分らしさだと思ってはいるけれど、果たして私の人生はそれでいいのだろうかという煮え切れない気持ちは常にあって、どこか騙し騙し生きているような感覚が今に至るまであります。

 

あのときどんな選択をしたにせよ、自分の気持ちをもっと上手に現実に反映させるような違うやり方があったのではないか。そういうことを今になって思います。気のせいかもしれないけど、思えばそれから何歳になっても、何か重大な選択をしなければならない場面に出くわすと、いつも自分にとって納得のできない不満足なものが心の中に残り続けてきた気がします。すべてをあの頃のせいにするつもりはありません。でも、もしかすると今の私のあらゆる意思決定の背後にある思考回路には、この頃の記憶がいわば雛形のようになって後を引いているのではないか。もし今の私のこの悩みが、「サッカー部を選ぶか卓球部を選ぶか」ということで悩んでいた頃の自分に由来するものだとしたら。今の私はあのときの私にどう答えてあげるべきなのだろう。そんなことを考えます。

 

15:42 同上

我ながらいい年をして本当にどうでもいいことで悩んでいると思う。でも、私がこれから自分の人生を先に進めていくためには、中学生だったあの頃の自分をこれ以上置き去りにして生きていくことはできないように思う。あのときの私は、泣き腫らした顔を祖母の暖かい胸に埋めたまま自力でそこから抜け出そうとはしなかった。悔しかったら立ち向かっていく道もあった。サッカーがしたいなら別の場所ですることもできた。あのときのことはもう変えられないけれど、でも、もし、そのときの自分が、今、目の前にいるとしたら、私はなんて声を掛けてあげられるだろう。どんな態度を示してやれるだろう。そういうことを考えています。