五月二十三日

23:11 鍛冶場駐車場待合室

新潟に帰省する。久しぶりに帰省できるのが今はなんだか嬉しい。「帰る場所があるということは絶対に悪いことではないと思う」と、かつて祖母に言われたことをふと思い出す。たしかにそうなのかもしれない。やりたいことも、行きたい場所も、本来、私には何もない。小さな部屋に、暖かい布団。私にとっての幸福はそれ以上でも以下でもない。柔らかい心を柔らかいまま留めていられる場所。夜は、灯りを落とした後にたわいもない話をして、朝は、微睡みの中でどうでもいいことを話す。話し相手がいなかったら、とりあえずぼーっとする。どうして皆、細かいことをやんややんや言うのだろう。見栄を張ったり意地を張ったり、そういうことはもうやめよう。もっとリラックス。他人にプレッシャーを与えたり自分を厳しく追い込んだり、そういうことは大概にしよう。

故郷に帰る、という話をしたとき、「“帰る”っていう感覚が、そもそも私にないんだよね」と東京出身の人に言われたことがある。なるほどなーと思った。でも、そういうこともあるかもしれないですねー、へー、みたいな感じで会話は終わる。世間話がそんなに得意じゃないし、好きでもないのだ。っていうか、得意ってなんだよ。世間話が得意、ってなんだよそれ。そんなもの得意になってどうすんだ。話は深まってこそのものなんじゃないのか。思ったことをお互いに出し合って、まだ見ぬ自分やまだ見ぬあなたを発見し合うのが会話ってものなんじゃないのか。でも、誰彼構わず急に個人的な話をして、いきなり距離感を近づけるというのもそれはそれで違うということくらい分かっているつもりなので、何も言わない。そんな気持ちの悪い真似はもうしない。かつての私なら、しただろうけど。かつての私は、その辺の「余裕」というか「遊び」の部分が無かったんだね。いつも切迫していて、とにかく頭でっかちになっていた。今でもそういうところはあるけれど、でも、自分の話を受け止めてくれそうな相手かどうかは注意して見るようになったと思う。聞きたくない話をしたって、どうせ相手は迷惑なだけだから。

 

0:17 高速バス車内

話が逸れた。なんの話をしていたんだっけ。まあいいや。どうせどうでもいいことを書いていたんだから。

バスの車内は灯りが落ちて、こうしてひとりでスマホの画面を光らせているのもそろそろ居心地が悪くなってきた。前の座席のハゲ頭が何の挨拶もなくシートを後ろを倒してきたのにはイラッとしたけど、今はそれなりに身体は座席に収まったから、きっと今日は眠りに就けるだろう。狭い座席に身体を丸めて眠る。久しぶりにこうして寝るのも悪くないもんだ。