9月28日(火)

寝れないので日記を書く。こういうときのためのこの日記である。

 

いきなり抽象的なことを書くが、なににつけても意識と無意識のバランスを取ることが生きていく上で非常に大切だということをしばしば思う。合理性と非合理性、計画性と即興性、理想と現実、理性と感覚、脳と身体、などとも言い換えることができるかもしれない。簡単に言うと「あれこれと頭の中で考えること」と「とりあえず実際にやってみること」の差。この二つの間をどのように取り持っていくかということは、大袈裟に言えば、生きてから死ぬまでの人生全体を貫く一つの大きなテーマだとさえ言うことができるんじゃないか。そんなことを夜更けに一人で考えていた。

 

ところで、その前に私が何を考えていたかと言うと、もし買うとしたらどんなシンセサイザーを買いたいかということだった。ネットで片っ端から商品比較を繰り返していた。

これは今日だけの話ではなく、ここ数ヶ月の間ひたすらネットでキーボード・電子ピアノ・シンセサイザーの類を検索して調べている。なぜかと言えば新しいキーボードが欲しいからで、なぜ欲しいかと言えば鍵盤を弾く練習をしたいからだった。と言っても自宅にキーボードはあるので、やろうと思えばできなくはないのだが、日頃の生活の中でなんとなく身体がそちらに向かわない。気分が乗らない。やる気が出ない。そこで、より高音質でより利便性の高い機材にすれば、練習もはかどるのではないかと思ったのだった。

ところで、そもそもなぜ私は鍵盤の練習をしたいと思っているのだろう。厳密に考えるとよくわからない。数年前にひょんなことがきっかけでピアノの手解きを受けた。できるようになれば楽しいもので、それ以降、これまで日々の隙間に何気なく鼻歌を歌っていたような場面で、簡単な伴奏を付けて歌うことができるようになるなどして、日常の中に楽しみが増えた。子どもの頃から習い事と呼べるようなことをしたことがなかったので、できなかったことができるようになり、できるようになると楽しみが増える、という経験は新鮮に嬉しかった。

あえて理由を挙げるとすれば、そんなところだろうか。だが、なんというか、これは理由のようで理由ではない気もする。理由がはっきりしているのであれば、条件に見合った鍵盤楽器をさっさと見つけて買って早く弾きはじめた方がいい。しかし、そうはならず鍵盤を練習するよりはるかに多くの時間をネット検索に費やしてしまっている。本末転倒も良いところだ。おれは何がしたいのか。

 

ここで冒頭の話に戻る。冷静に考えてみると、私はいま倒錯した状況にいると思う。楽器を弾きたいと言いながら手元にある楽器を弾かず、より良い楽器はどこにあるかとネットでひたすら検索している。これこそがまさしく意識と無意識の、理想と現実の、脳と身体のねじれ。私はいまこれら二つのバランスを逸しているのではないかと思う。意識・理想・脳の方に大きく比重が掛かっている。

 

もう一つ。私は昨晩、冷蔵庫にあった余り物で適当に作った夕飯を食べながらこんなことを考えていた。

私は数ヶ月前から家計簿を付けはじめたのだが、それによると私が最後に食料品の買い出しに出掛けたのは、今月の24日。その日に3749円、スーパーに支払っている。それ以降、買い物はしていない。

ここから何が分かるか。今日は28日。ということは、24日からの五日間で食費は3749円と概算できる。3749を5で割ると、1日あたりの食費は約750円/日。このペースで生活を続けると一ヶ月で23250円/月となる。私は一ヶ月の食費を25000円以内に収めることを目標にしている(余裕があれば日用品費なども含む)ので、食費に関してはこのままのペースで継続していればいい、と、言うことができる。

しかしなんだろうか、この一連の行為に対するなんとも言えない虚しさ。こんな風に食事をしていても、腹は満たせても心は満たすことができないだろう。こんなときはいっそ腹なんか減っていなくても後先考えずに暴飲暴食でもしたいような気持ちになる。そしてこれこそがまた意識と無意識・脳と身体・理性と感覚・計画性と即興性の対立の話に繋がってくる。

 

今の生活が始まって一年になり、暮らしが落ち着いてきたことは、ただただ喜ばしく思う。しかし同時に、先々の見通しがある程度立つことによって、その未来の中に自分が閉じ込められてしまうような息苦しさもまた感じている。だが、かといって場当たり的に生きることをただそれだけで礼賛したいわけでもない。それは今までにもう十分やった。無頼を装って考えられることを考えないのは、結局はそれもまた何かのパターンの中に収まっていたいだけのことに過ぎない。自由なようでいて、閉じ込められているのに変わりない。やはり大切なのは両者のバランスなのだと思う。

今の私は、合理性に傾きすぎて、大切な何かを見失っているような気がする。ということで明日はコンビニでファミチキでも買ってやりたい(だが、宣言した上で買うファミチキはまだ合理性の枠を超えていないのだろう)。