10月2日(土)

今朝はまた高校の頃の夢を見た。数学の授業があるからあの分厚い教科書と問題集を学校に持っていかなければならないんだみたいなことを、朝、カバンに荷物を大急ぎで詰め込みながら思っていた。物理や化学だって苦手な単元だらけなのに、おれは受験までにすべて分かるようになるのだろうかと絶望的な気持ちになっていた。

この手の夢を、今でも月に二、三回は見る。もちろん細部は少しずつ違うのだけど、受験に失敗するかもしれないという不安や焦りで胸がいっぱいになるのは変わらない。何がそんなに不安だったのか、今になって考えると不思議な感じがするが、たしかに当時の私にとってはそれが何より気掛かりなことだった。

今までの人生を振り返ったときに、私は十八歳から二十歳くらいまでの時期が一番生きづらかっただろうと思う。大学受験というものを経て、私のアイデンティティは一度完全に壊れた。この時期に負ったダメージからいかに立ち上がるかということだけが二十代のテーマだったと言っても過言ではない。

今もこうして日記を書いているが、思えば日記を書くという行為も、もともとはそのような文脈で始まったのだった。破れた傷口に血小板が集まってかさぶたが作られていくみたいに、ひとり暗い部屋でしこしこ文章を書いて世の中に公開するということを繰り返していた。もう一度他人と関わって生きていくためのリハビリという側面があったと思う。

私にとって日記を書くということは、自分が思っていることを思っていないことにしない練習、感じていることを感じていないことにしない練習だった。実際、「こんな風に思ったって良いじゃないか」と書きながら思っていた記憶がある。それまで誰にも打ち明けたことのなかった悩みや不安、それだけじゃなくて、周囲の人々や世の中に対して抱く疑問とか、日常の中でふと目にした風景とか、あえて言葉にするほどのことでもないちょっとした感覚的なことだとか、なんでも思い付いたことを書いた。

たとえば、瞼を閉じると視界は真っ暗闇になるけれど、子どもの頃から私にはそれが完全な闇には見えず、無数に点在する光の粒が繋がったり集まったりして幾何学的な模様を作っているように見える、とかっていうようなことを書いたりした。

日常を過ごしている中では誰かに話したことだけが言葉になる。でも、心の中ではいつもいろいろな思いが生まれては消えて渦巻いている。誰に伝えたらいいか分からなかったこと、伝えようと思っても伝えられなかったこと、後になってからようやく言葉になったこと、生きているだけでいろいろな言葉が心の中に溜まっていく。そういう内的な言語、みたいなものがある。

そういう内的な言語は、ふつうは誰かと話をしたり気分転換をしたりして自然に消えていくものなのだと思う。でも、当時も今も、それでは間に合わないときというのがあって、そういうときにこそ私は文章へと向かっていく。