7月8日(金)

1/5

おはようございます。最近はブログを更新するたびに孤独を募らせているおれです。今日はもう書くのか書かないのか非常に迷いながら文字を打ち込んでいます。いやこんなことしてまじで何になるんだろう。前にもちらっと書いたけど、こんなの公開でうんこしてるところを晒してるようなもんなんじゃないのか。自分の心の支えに書いていたはずなのに、自分の気持ちに忠実に書こうと思えば思うほど、孤独になっていくような気がします。何かを表現するっていうのはやっぱりそういうもんなのでしょうか。おれは毎日誰に向けて「おはようございます」って言っているんだろう。一つ文章を書く度に、今まで自分に関わりがあった人の顔が浮かんで、「その人はこれをどう読むんだろうなぁ」「きっと何も言わずに自分から離れていくんだろうなぁ」という想いに駆られていきます。

2/5

何かの意見を表明すると必ずそれに賛同する人と反対する人がいて、何かの作品を作り出すと必ずそれを「好き」と言う人と「嫌い」と言う人がいます。それはもうしょうがないことだと思うし、毎日自分もきっと誰かに同じことをしているはずなんだけど、いざ自分がそれを他人からされているんだと思うと、ビックリするくらいしんどいと感じずにはいられません。

でもよく考えてみれば、生きている限りそれはどうやったって避けることができないことのように思います。誰かに選ばれたから仕事に就いて働くことができ、誰かに選ばれたから「友人」として一緒に遊ぶことができ、誰かに選ばれたから「恋人」として一緒に寄り添い合うことができる。他者がそこに存在する限り、何を言おうが何を書こうが、常に私は誰かから、一緒にいる価値のある人間かどうか、評価の目に晒されています。

それに対抗しようと思ったら、私もまた同じような目付きで誰かに評価の眼差しを向けるしかありません。今まではずっと(誰にも嫌われたくないから)誰も嫌いになりたくなかったけど、もうすでに誰かから嫌われているのだとしたら、 私はこのままずっと同じスタンスを貫き通せるのだろうか。そもそも「誰も嫌いになりたくない」と思っていた自分は、欺瞞だったんじゃないのか。

「嫌い」と言わなければならないときにはっきり「嫌い」と言わないと、「好き」と言わなければならないときにちゃんと「好き」と言えないのではないか。考えてばかりいて、私は自分で自分の気持ちが分からなくなっているようなところがあります。でもだからと言って、物事をシンプルな感情で断罪することもまた、今の私にはどうしても躊躇されてなりません。自分の気持ちに正直になるということは、自分の心を疑えなくなるということと、何が違うのでしょうか。もちろん、考えてばかりいることが良いことだとも思えないのですが。

私の中で、何かを、誰かを「好き」と言うことは、同時に自分の中には存在しない様々なものを、自分の責任で、意識の内側に抱え込んでいくような感覚があります。いつも考えごとばかりしている私は、考えることによってなるべく自分にかかってくる負荷を減らそうとしているのかもしれません。そしてそれは結局のところ、ただ傷つきたくないだけなのかもしれません。

 

3/5

昨日、私は『若者サポートステーション』という場所に行ってきて、自分はこれからどうしていけばいいのか、みたいな相談をしてきました。結果的に担当の人は「中退してからまだ3か月くらいしか経ってないなら、新卒3年以内の学卒者向けの窓口に行ってきた方が、いい求人があるよ」というようなことをアドバイスされました。たとえ学卒者向けだろうが「(国立大学にいたのが)もったいないよ。中退の何が悪いんですか?と開き直ってガチンコでいけ」と言われました。それを受けて私は、まだちゃんと言葉にできていませんが、帰ってから色々なことを考えました。本当におれはこれからどうやって生きていくんだろうな、と考えていました。

4/5

夕方、もうほとんど空が暗くなってきたような頃、家にいるのがいたたまれなくなって、イヤホンで大音量の音楽を聴きながら、自転車で田んぼ道を走っていました。大した距離は進んでいなかったはずなのに、今まで行ったこともない、辺りに数件しか民家がないような田舎の集落に辿り着きました。電灯もほとんどなく、空もすっかり真っ暗になって、久しぶりに私はたった一人でいるということの恐怖を感じました。フォレストガンプ的な感じで、このまま体力が尽きるまで走ったらなんかかっこいいんじゃないかと思ったりもしたんだけど、暗闇が超怖過ぎてやめました。それでもまだガンガンに音楽を聴いていたから良かった方で、何もなかったら本当に無理だっただろうなと思います。帰り道、国道沿いのコンビニとか牛丼屋とかガソリンスタンドとかの灯りが見えてくると、「ああ…やっぱりおれは社会の中でないと生きられないんだな…」と思いました。この社会がたとえどんなに間違っていたんだとしても、剥き出しの自然の中では、私は絶対に生きられない。ああ、なんという。しかも私がいた場所は田んぼの真ん中であり、自然どころかもう十分に人の手の加わった場所でしかないという。ああ、社会…

5/5

とかなんとかふざけたことを書いている間に、そんなこと言ってられない出来事が巻き起こりました。ひとまずさようなら。また今度。