10月5日(火)

久しぶりに本でも読もうと午前中に駅前の図書館へ向かった。群像という雑誌の昨年七月号だったかに載っていた大澤信亮氏の「非人間」という文章が良かった。時間がなくて途中までしか読めなかったから明日続きを読みに行きたい。

近年世の中を騒がせた殺人事件について、その加害者たちの置かれた状況を読み解きながら現在の日本社会のあり方に問いを投げかける論考。理不尽な境遇によって社会的に疎外され、孤立し、どうしようもなさから最後には暴力へと向かっていく悲惨さ。筆者が執筆の動機として、加害者の暴力性を他人事とは思えないことを挙げ、筆者自身の内面を掘り下げながら書いているのに引き込まれた。

理不尽、報われない気持ち、生きているということのやるせなさ。そういう黒々とした感情が渦巻いて、どうしようもなくなっていたことが私にもあった。それを思い出した。逆に言えば、安穏とした暮らしの中でそうした気持ちを忘れていた。忘れることができていたのだった。

それだけ幸せになったということなのかもしれない。少なくとも暮らしぶりは格段に安定した。心も安定している。一ヶ月後の生活の見通しさえ立たない日々は終わった。社会から疎外される不安や焦り、何もしていない・できないことに対する罪悪感のようなものに心を支配されることもなくなった。しかしそれでいいのだろうか。私の人生はこのまま終わっていくのか。

あのときの気持ちは、ある意味では私の原点のようなものだったと思う。多かれ少なかれ誰しもあるだろうが、私にも十代の終わり頃からずっとこの日本社会というものに対して拭いきれない違和感があった。その違和感の半分は、いま思えば、見知らぬ他者と上手くやっていけるかどうか分からないといったような単なる子供じみた不安で、悩むに値しないようなものだったけれど、しかし少なくともそのもう半分は、批判されるべきことを正しく批判しようとする真っ直ぐな気持ちだったとも思う。社会の外側にいたからこそ、その姿がよく見える。そういう面もあっただろう。

社会で働くということを考えたとき、私のイメージの最初に浮かぶのは、十数年前リーマンショック後の混乱によって生まれた年越し派遣村に通う若者たちの姿だった。若い男たちが寒空の下、炊き出しの豚汁をもらいに列を作っていた。テレビ越しにそれを見ていた十代の私の心にはいやなものが残った。率直に、いやだなあと思った。ああはなりたくないと思った。同じくテレビでは、ワーキングプアや無職や引きこもりやニートが社会の負け組として好奇の目に晒され、嘲笑の的となっていた。私はまた、いやだなあ、ああはなりたくないと思った。しかし数年後、結果的に私はそのすべてになっていくのだった。

世の中がどのようなものなのかは分からない。しかし、ニートや引きこもりなどの社会不適合者を大量に生み出すこの社会は、この社会の方が、仕組みとしてどこか決定的に間違っているのではないか。なにか不平等、理不尽なものが強いられているのではないか。今にして言葉にすれば、そういう思いが当時からあった。というより、そのようにして私の社会というものに対するイメージが出来上がっていったのだった。

しかし、私のいやだなあという漠然とした気持ちの矛先は、人に対して過剰に厳しい社会の制度や風潮というよりむしろ、そこから排除される人たちの方にこそ向いた。彼らのようにだけはならないように、という思いは、親や世間が言外に期待する標準的な生き方から溢れ落ちることへの恐怖に変わり、真面目で凡庸で息苦しいその後の学生生活を送っていく動機になった。しかし破綻し、今に至る。

 

私の人生とはなんだったのか。これからどうやって生きていくつもりなのか。落ち着いた時間を持てるようになった今だからこそ考え直したい。しかし、そのためにはあまりにも私に言葉が足りないと思う。社会を語るための言葉が足りない。

 

というわけで最近になってようやく本を読みたいという気持ちが盛り返している。なんだか最近、自分が二十歳くらいの頃に戻ったような気持ちになることがある。何もかも上手くいかなくなっていったあのときに戻って、いろいろなことをもう一度やり直しているような気分。