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8月9日(水)

都会に来ていつも思うのは、道端に座る場所がほとんどないということです。私は体力がなくて、歩いてはすぐどこかのベンチに腰掛けたくなるのですが、今日も人波に押されるがまま、どこまでも歩き続けてしまいました。こんばんは。あまりにも座る場所がなくて、コンビニの脇のちっちゃな塀みたいな所に腰掛けていたら、店員さんに「ここ、座る場所じゃないですよね?」って怒られたおれです。反射的に「すいません」って答えたけど、でもそれもなんか違うんじゃないかと思っていたら、危うく東京という街全体を嫌いになるところでした。座る場所が決められている街、東京。炎天下で働いていてきっと機嫌が悪かっただけなんだと思いますが、見知らぬ人にいきなり感情的に叱責されたりとか、満員電車でガンガンぶつかられたりとか、値踏みされるような視線を感じたりとか、そういう些細なストレスの蓄積で、少しずつ視界が曇ってくるんだろうなぁ、と感じました。

今日は仕事が休みだったので、午前10時ごろ起床して、シャワーを浴びて、そのまま街に繰り出しました。一応「『働く』ってどんなもんか」ということを知りに東京に来ているので、渋谷にある「東京わかものハローワーク」へ向かうことにしました。ただ、実際渋谷に着くと、あまりにもたくさん人がいるし、暑いし、グーグルマップが現在地をちゃんと示さないし、そもそも東京で働きたいのかどうかもわからないし、コンビニの店員さんに怒られるし、暑いし、というわけで、そこらのマックに入ってMサイズのマックシェイクを食べただけで、渋谷を後にしました。

次の目的地は八王子にあるシェアハウスだったのですが、時間があったので、コンビニで買ったおにぎりを食べながら、やっと見つけた道端のベンチの上で音楽を聴いていました。それからシェアハウスに行って、数時間ほど私の話の相手をしてもらって、八王子を出て、電車に揺られて川崎に戻ってきたのが、もう23時ごろでした。昔だったら、電車に乗るときは完全に心をシャットアウトしていたのですが、最近は、割と自分自身を保ちながら電車に乗れている気がします。

以前、見るからに良さそうなスーツを着ている中年の紳士が、満員電車の中で突然「大丈夫ですか?」と声をかけて、その場にうずくまっていた女性に席を替わってあげた、という場面に遭遇したことがありました。車両には溢れるほど人がいたにも関わらず、具合が悪くなっている女性に気付いたのは、たぶんその人だけでした。その紳士は私の目の前の座席に座っていたのですが、目つきを見ただけで「この人は周りのことをちゃんとまっすぐ見ている人だなぁ」とわかるほど、最初から醸し出すオーラが違っていました。ああいう人になりたいもんだ。ちなみにその人は、座席に座りながら難しそうな資格試験の問題集を開いていて、「いや超人かよ」と思ってしまいました。

 

話は変わるのですが、今日、シェアハウスで私の話に付き合ってもらっていたとき、「結局人間は三大欲求さえ満たせればいいのではないか」という趣旨の話題が出たので、帰り道に、その続きをぼんやり考えていました。皆さんはどう思いますか。今夜は最後にこのことを考えてから眠りたいと思います。

食欲、性欲、睡眠欲が人間の「三大欲求」だと言われます。もし仮に、それらの欲求を追求することにのみ命を捧げる者がいたとしたら、その人は一体どのような行動を選択するのでしょうか。

そもそもこれらの欲求は、多くの人間にとって共通の(ある種絶対的な)生理的な欲求だと信じられているからこそ、「三大欲求」という名前で呼ばれているのだと思いますが、果たしてそれは真実なのでしょうか。

たとえば、食欲を満たさなければ、人は死にます。性欲を満たさなければ、子供を産めません。睡眠欲を満たさなければ、倒れます。どれも、ほとんどの生物が持っているのと同様、人間という種を耐えさせないために必要な欲求だと思います。でも、一個人としての欲求として考えると、見方は少し変わります。

現代社会において食料は余るほど存在しており、どんなに貧しくても、日本にいる限り、食うに困ることはないと考えていいと思います。もちろん、格差は広がる一方だし、私の想像力の及ばないところで飢餓に追い込まれるほどの貧困に苦しめられている方がいる可能性もありますが、一方で大量に廃棄される食品もあるし、最低限の所で生活保護というセーフティネットがあるし、ということで、問題なのは、食料の分配がうまくいっていない社会設計、それから飢餓で死んでいく人を見捨ててしまえる人心にあるのではないか、と思います。災害や戦争などの非常時でなければ、いくらひどい仕事でも選ばなければ職はあるし、純粋に「食う」ということだけを考えれば、飢餓で死ぬことはないだろうと、私は信じています。

睡眠欲も同様です。金銭的に追い込まれれば、暖かい布団の上で眠れなくなってしまうかもしれませんが、家を借りよう、布団を買おう、としなければ、とりあえずどこでも眠ることはできます。先ほどの食欲のときと同様ですが、あくまで、最低限、欲求を満たすことだけを考えていた場合なので、それによる精神的な負担や「そもそもそんな生活を送れないのが人の性なんじゃないか」的なことは一旦置いておきます。

その意味で考えれば、性欲もまた同様です。なにも「恋人がいなければ風俗に行けばいい」という話ではなく、そもそも人間の性器は自分の手の届く範囲に位置しており、純粋に身体への刺激だけを考えるのであれば、自分の性欲を満たせなくなることはありません。第一、一個人の人生という面で考えれば、子供を残そうが残すまいがほとんど関係なく、食欲や睡眠欲に比べて、生理的な切迫感はそれほど強くないのではないかと、私なんか思ってしまいます。

さて。以上のことから考えると、「三大欲求」を純粋に生理的な欲求として捉えた場合、日々、周期的に欲求が強まる時があるにせよ、とくに無理することなく必要十分な欲求は満たされるのではないか、と思います。むしろ問題なのは、これらの「三大欲求」が、記号消費や承認欲求などと綯い交ぜになって、必要十分な水準を超えて、過度に吊り上げられてしまうことにあるのではないでしょうか。

 

・・・と。眠くなってきたので、この辺りで今日はやめておきます。おやすみなさい。

《つづく》