8月17日(水)

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12時過ぎまで爆睡していたものの、急なシフト変更で今日も「頑張って」働いてきました。いろいろあったけど「頑張って」働いてきました。もーーー今日は疲れた。今日はもうやり過ぎてる。今はシャワーを浴びて、髪を乾かしながら、自室に引きこもってブログを更新しています。はあ。もっとゆるく生きたい。ゆるく、ゆるく、どこまでも人生をゆるめていきたい。働いているとびっくりするくらい自分と考えていることが違う人たちに会うことがあるけれど、その人たちにとっての「当たり前」と自分にとっての「当たり前」が違いすぎて、これはもう、本当にたいへんだ。おれは別に、自分のことを「このままでいい」だなんてちっとも思っていないから、彼らのようになれたらどんなにいいだろう、と思わないわけではない。でも、なれない。これはもう、原理的になれない。

生きているとたまに「これは昔だったらできなかっただろうな」と思うような場面に出くわすことがある。とくに今は「仕事」という強制的に色々なことをしなければならない状況にいるから、余計、そういう場面に出くわす。できなかったことができるようになる。人はこれは「成長」と言うのかもしれない。たしかに私は他人が怖くて一人でマクドナルドに行くことさえできなかった頃より、電話が怖くてサークルに入部することさえできなかった頃より、色々なことができるようになった。でもたぶんそれは、私が「変わった」とか「良くなった」とかいうことじゃない。上手く言えないけど、「どうすればいいか知った」とか「傷付くのに慣れた」とか、場合によっては「上手く演じられるようになった」とか、そういうことだ。昔も今も私の本質は変わらない。不思議なもので、「普通」に見られようとしなくなったことで、だんだん「普通」に近づいていけてるような気もする。もちろんまだ、できないことは死ぬほどあって、現にいま死にそうなんだけど。

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それから、少し休んだあとに家を出て、適当なベンチに座って、スーパーで買った鉄火巻きとワッフルを食べた。ぷらぷら歩いていると、ヨーロッパの街並み風のゾーンについたので、今は、そこのベンチに腰掛けながらブログを更新している。オシャレな雰囲気だなぁ。

ツイッターを見ていたら、作家の小野美由紀さんがシェアしていた記事がどちらも素晴らしかった。

あなたが働く理由は何ですか? 読み終わるといつも考えさせられる、小野美由紀さんの小説連載「わたしのしごと」。https://t.co/GC6WvG0rKm

これと、

【相模原事件】障害者襲った大量殺人 現代社会の写し鏡ではないと否定できるのか https://t.co/kAoA1Vbh1

これです。

どちらも心に来るものがありました。

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場所を変えてはベンチに腰掛けている。夜9時半。さっきからずっと前野健太の『東京の空』と『興味があるの』を聴いているせいか、なぜか今、ものすごく泣きたい。

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寂しいなぁと思いながら、気付いたらもう一時間も経っている。今はまた違うベンチに腰掛けて羊毛とおはなの『desperado』と『over the rainbow』を聴いている。いよいよ泣きそうだ。なんでこんなにもたくさんの人たちが「普通に」生きていられるんだろう。楽しそうに笑っているなぁ。他人が楽しそうなのを見ていたって、自分はちっとも楽しくなんかならないのに。本当にもう、ちっっっっっっとも楽しくなんてならないのに。ああ、一日が終わっていく。明日も仕事か。明日の予定が何もないって毎日がずっと続いていたけど、そんなのあろうがなかろうが、寂しいときは寂しいんだなぁ。そういや以前ブログに「自由を使いこなせなかったらとりあえず働いてみることにした」って書いたような気がするんだけど、そんなのウソだなぁ。お金なんて要らないし、有名にも、すごい人間にもならなくたっていいから、絶対に怒ったり怒られたりしないような場所で、ただ好きなように生きていたい。

コンビニで爪切りを買って、向かいのベンチに腰掛けながら爪を切っていると、歩いてきたスーツ姿の爺さんに「駅こっちかね」と指差しながら声をかけられた。「そうですね。そこを曲がって左です」と答えると、爺さんはそっちに向かって歩いていった。なんか癒された。爺さんも生きてるし、おれも生きてる。今日はもう寝よう。おやすみなさい。

《つづく》