9月6日(火)

「やりたいこと」とかってさぁーーー、、、いやもう、まじでそういうの、スッと言える方がおかしいと思うんですよ、絶対。いやもう、そんなのまじで気のせいだって、本当に。そんな「どうしても成し遂げたいこと」なんてあるわけないじゃん。「好きなこと」とかも変わっていくし、「こうした方がみんなが幸せになる」とかも自分で勝手にそう思ってるだけじゃん。何も考えずに生きていければそれで十分じゃないですか。少なくとも、そういう語彙で物事を考えてる限り、絶対に袋小路に入るのは目に見えてるんだから、なんかもっと違う、もっと「いや生きるってぜんぜんそういうことじゃないでしょ!」っていう話がしたいし、聞きたい。まじでもう「社会」とか簡単に言ってくれるけど、「そもそもあなたは何を『社会』だと思って生きているんですか?」っていうところから話さないと、なんにもワクワクしない。いやもう「ワクワク」とかもだめだ。「一緒にワクワクすることやりましょうよ~!」とかも、もうぜんぜんワクワクしない。そういうことじゃない。「世の中を変える」とかも、まあ別にいいんだけど、「あなたは何を『世の中』だと思っているんですか?」ってところから話さないと…、ていうかもう、こういう話自体が野暮。本当に野暮。こういうことじゃない。こういうのだめだ。本当にだめだ。だーーーおはようございます。 

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煮詰まったときほどよくYouTubeを観る。昨日観た坂口恭平氏と山極寿一氏の対談が面白かった。

第4回京大おもろトーク 2016年3月21日 01 対談 坂口恭平 氏 山極壽一 氏 - YouTube 

予備校の寮に引きこもって、偏差値とか学歴とかにがんじがらめになっていた19歳の頃、YouTubeで偶然、坂口恭平氏と宮台真司氏の対談を見つけて、一人で猛烈に興奮していたことがあった。今ならもう少し冷静になって面白がることができる。というより今は、誰かの考え方を熱狂的に支持することに、危うさを感じているのだと思う。思い出したくない過去の一つに、ツイッターのプロフィールに自分の好きな作家の名前を羅列していた時期があったけど、あれは、ものすごくどうかしてた。

思想も科学も芸術も宗教も、言ってしまえば、いま生きているこの社会を相対化するためにあるものだと、私は思う。いま生きている現実は一旦脇に置いて「そこで常識とされている考え方は正しいのか」と疑う視点がなければ、思想も科学も芸術も宗教も生まれる余地がない。その意味で、予備校の偏差値ランキングに頭を引っ搔き回されていた私が、大学受験の勉強をほっぽらかして、狂ったようにYouTubeを観ていたのは、動機としては間違っていなかったと思う。ただ、それによって極端な思想に走る危険もあったので、そういう意味では危なかった。でも、そもそも学問なんて危ういものだと思わなくもない(そう思って入った大学が「私の話していることは間違ってないのでとりあえずそれを覚えなさい」という雰囲気だったので拍子抜けした。「勉強したい」「単位を取りたい」と思う動機が理解できなかった)。

とはいえ、たとえどんなにクソみたいな社会だったとしても「でも結局は社会の中でしか生きていけないのだから…」という部分を忘れてはいけないとは思う。もっともらしいことを言う作家や大学教授も、結局は「作家」「大学教授」という社会的な肩書きに守られているからこそ発言できるんじゃないか、としか思えない場合も多い(もちろん先に挙げた両氏などそうでない人も沢山いる)。特に最近は政治的な対立とかも色々あったりするから、論陣を張って集団化している人たちや、扇情的な言葉を使っている人たちには警戒してしまう。一角の人間はそんなことしないものだ。どんなことを言っているかより、その人がどのような振る舞いで話しているかに注目したい。そして最終的には、自分の頭と心で判断したい。

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あれ、なんでこんな話になったんだろう。そうだ。自分の「やりたいこと」がわからない、という何百回悩んだかわからないことをまた悩んでいたところから横道に逸れて、また、色々と余計なことを考えていたんだ。「やりたいこと」ってなんだろう。考える度に、そもそもこの言葉自体に何重にも違和感を感じてしまうんだけど、これは一体なんなんだろう。

文句をつけ出したらキリがないんだけど、この言葉に、まず、一番、ものすごく違和感を感じてしまうのは、誰かにこれを尋ねられる時は、たいてい「どんな仕事に就きたいの?」と訊きたい場合がほとんど、という所だ。もう十中八九そうだ。この質問は、私が学生だった時に事あるごとに訊かれたんだけど、もし社会人になっていれば「どんな仕事をされているんですか?」に変わっていたんだろう。「それ訊いてどうするの?」と、私は言いたい。そんなこと言って、私もうっかり訊いてしまうことがあったりするんだけど、でも、それでも、プライベートな場では訊く必要のないことだと思う、たぶん。ずっと前の『笑ってコラえて』で、名前も仕事も年齢もわからないまま何年もほとんど同じメンバーで居酒屋で楽しそうに呑んでいる老若男女のグループを見たことがあったんだけど、ああいうのが理想だなぁ。

そもそも、仕事なんて基本的にやりたくないことをやることだと思う。少なくとも、何かを「やりたい」と思う人間の感情なんて、初めから、今の世の中で「職業」として市民権を得ているようなやり方にキッチリ収まるような形で湧いてくるハズないんじゃないか。もっといえば「やりたいこと」っていうのは結局「腹減ったからメシ食いたい」とか「さっさとフロ入って寝たい」とかそういうものでしかないというか、そもそも今一緒に話をしているんだから「なるべく楽しくお喋りがしたい」としか言えないというか、とにかく本当の本当に今「やりたい」と思っていることじゃないことを答えとして期待されている場合が圧倒的に多い。だいたい本当の本当に「やりたい」と思っていることってそんなにないし、あったらもうやってるしっていうかなんだもうさっきからねちっこい!!どうでもいい!!さっさとフロ入って寝たい!!

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あ、明日おばあちゃんの誕生日だなぁ。電話しよ。

 

寝よ。

《つづく》