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9月18日(日)

口座を見たら、まさかの仕送りが振り込まれていた。さすがの親。まじファインプレーすぎるので後で感謝の意を伝えたいと思う。たった数万円の差でしかないはずなのだが、精神的な余裕がまるで違う。こじらせていた昼夜逆転状態も最近では徐々にずれ込んできて、今日はまだ午後4時なのに、コインランドリーで小岩井コーヒーを楽しむほどにまで回復している。素晴らしい。何もかもが素晴らしい午後におはようございます。

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昨夜はびっくりするほど眠れなくて、今回こそそのまま朝を迎えてしまおうと思っていたのだが、やっぱり眠くなってくるもので、朝6時ごろ完全に意識を失った。それから目が覚めたのは午前9時。二度寝して10時、三度寝して12時と不穏な流れが続いていたけれど、ギリギリ13時過ぎに目が覚めて、コンタクトレンズを素早く装着することで首尾よく現実にこの身を引きずり出すことに成功した。ここ一週間はずっとこんな感じで大変だったけど、とりあえず今日は、出だしとしてはまずまずだった。考えてみればこれでも7時間睡眠だ。もともと自分は10時間くらい眠りたい人種なのだから、最近ずっと調子が乗らなかったのは当然ではないか。問題は睡眠時間ではなく、夜寝れなくて朝起きられないことにある。さらに言えば、目が覚めてから「よし今日も現実を生きていこう」と思い始めるまでの間に手こずり過ぎている。シャワーを浴びるとか服を着替えるとかコンタクトレンズを付けるとか歯を磨くとか、そういう一連の流れをパパパっと済ませられるようでなければ、現代人の土俵にも上がれない。どうしたものか。朝のまどろみをそう安安と断ち切ってしまえるほど、この現実は生きるに値するものなのか。他の人たちがどうやって生きているのかを知りたい。

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最近の悩みは、自分の生活習慣6割、金の心配2割、実存的なやるせなさ2割だった。9月冒頭に立てた目標はたしか『健康』だった気がするけれど、やはりこれからはもう少し健康的に生きるということを考えていきたいと思う。私の周囲には、金の心配をまるでしていない人とか、定職に就かずにいかに工夫して生きていくかということに主眼を置いている人たちが結構いるのだが、今日の仕送りで精神がこれほどまでに回復するのを鑑みるに、やはり私にはまだ金が必要なのだということがわかった。使う使わないとかではなく、口座に「いつでも使える(けど当分使わない)状態にあるお金」が一定額ないと、無意識に精神が蝕まれていく。いわばお守りみたいなものだ。資本主義の問題点は『お金が食物のように腐ることがなく、いつまでも蓄え続けていられることにある』みたいなことを聞いたことがあるけれど、そんなの今は知ったこっちゃない。とりあえずいまは資本主義の社会で生きているのだ。世の中に真っ向から楯突いて生きていけるほど、私の精神はそんなにタフにできていない。

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子どもの頃に遊んでいたドラゴンクエスト3。私はボス戦で負けるのが怖くて、序盤で死ぬほどレベル上げをしてから、洞窟なり塔なりに挑んでいくタイプだった。経験値を稼ぐために、雑魚キャラをこれでもかと倒しているから、当然、いざボスと戦うときになったら、呆気ないほどあっさり勝ってしまう。そんな感じは、今でもあります。うーん、なんか上手く書けない。とりあえずそういう話でした。

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それから調子付いた私は、住まわせてもらっているシェアハウスの掃除をかって出て、楽しめる範囲内で掃除をさせてもらった。なんかおれ掃除好きかもしれない。去年住んでいたシェアハウスではめちゃめちゃ掃除しなかったけど、やっぱり誰かがしていると自分がやろうと思わないタチなんだろうなぁ。別にキレイ好きってわけでもないんだけど、自分から率先して動いてみるとなんでも楽しいもんだなと思った夕方でした。

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nyaaat.hatenablog.com

先日も少し言及したけれど、「大学を中退してプロブロガーを目指すことにした」彼がいま一部で論争になっているらしい。いつものように何の気なしにツイッターを眺めていたら、この件に関してとてもよくまとまっている記事を見つけ、興味深く拝読させていただいた。恐れ多いが、ここに紹介させていただきたいと思う。無断で転載するご無礼をお許し願いたい。

この件に関して私が言いたいことは、ほとんどこの方の記事によって書かれている。いちばん重要な点は、この件の背景には社会的な問題が横たわっているということだ。この辺りのことについては言いたいことが山のようにあるので、また今度じっくり書きたいと思う。数年前、この世のすべてに憤りを感じていたあの頃の気持ちが、久しぶりによみがえってきた。「行く必要がないと思ったから辞めた」。なぜそれだけのことが許されないのだろう。私も大学を中退した身なので、どうしても問題を自分に引き付けて捉えてしまうけれど、何も考えずに辞められるはずなんてないじゃないか。どれだけ苦渋の選択だったか。どれだけ迷ったか。この青年の行動がたとえ過ちだったとしても、この程度の過ちが非難される社会とはいったいなんなのだろうか。