近況

2月になってから、「運転の練習」という名目で、車で父とよく出掛けるようになった。免許を取得した三年ほど前からペーパードライバーで、かつ、当初から運転すること自体に恐怖心が強かったので、練習しなければとてもまともに運転できそうになかったのだ。付き添いとして父が助手席に乗る。四日目になる一昨日はついに交通量の多い新潟市内まで出掛けることができた。初日は地元の商店街を通るだけでも一苦労だったから、確実に成長を感じる。

同居している父と、一ヶ月に一度は必ず口論になる。先月末も「本気でちゃんとしろ」と怒鳴られたが、私も私で相変わらずそれをことごとく理屈で打ち返して、最終的には「今年4月には完全に経済的に自立する」ということに合意した。今年四月以降、父は私への仕送りを完全に断つと約束したので、いよいよ私は食いっぱぐれることになると思いきや、なんだかんだ家にはいさせてもらえるし、飯は食わせてもらえるし、というところでどうなることかわからない。口論の最中、父はヒートアップしているので、「どうしてこんな風になってしまったのか」だの「お前が心配で心配で仕方がない」だの「理屈っぽい口調が気に食わない」だの、怒りに任せて散々なことを浴びせかけてくるのだけれど、一段落すると穏やかになって、(私が食べたいと頼んだわけでもないのに)料理を作ってくれたり(私が欲しいと頼んだわけでもないのに)車を買い与えようとしてくれたりする。たぶん私たちはもう同じ空間を共有してはいけないのだろう。私も変わらなければ、父も変わらない。うまくいかないものだ。

と、そんなことは私も最初からわかっていた訳で、私だっていい加減そろそろお金を貯めて家を出なければと思っていたのだけれど、12月1月とまた何もせずにのんびり過ごしてしまった。前半はもがいていたけれど、後半は完全に惰性だった。日記を書くヒマがないほどのんびりしていた。地元にいると、車がなければ働けず、働けなければ金がなく、金がなければ車が買えない、というジレンマを引き受けなければならないので非常にツラいものがある。最寄り駅までも遠いため、働くには家から徒歩で通える距離でバイトを探すか(ほとんどないけど)、リゾートバイトなりで住み込みで働くしか方法がない。近所で働くのは、知り合いに出くわすと激しく気まずいので気が進まない。じゃあリゾートバイトかなあと何日かサイトを検索していたものの応募要項のテンションが全般的に高すぎて自信を喪失した。そんなときはまず生きる自信を取り戻そうと、絵を描いたりしながら自己肯定感を自家培養していたのだけど、そんなことをしている内に時間が過ぎた。そんな感じの1月だった。

運転の練習をしながらだと、父ともそれなりに和やかな話ができる。2月に入って、だんだん父とも普通に話ができるようになってきた。今のところだが。父の話によると、近頃、祖父の様子があまり良くないらしい。表情はげっそりと暗く、口を開けば「いっそ死んでしまいたい」とつぶやく有り様だと言う。それを聞いて私は、そうか、と思った。そうは言っても祖父は最初からずっとヘンだったではないか。そういう話は正直もう聞きたくないなと思った。だいたい部屋の中に閉じこもり、他人と話をすることもなく、テレビを見るか酒を呑むかしか楽しみのない日々を送っていれば誰でも死にたくなるだろう。しかし私含め家族の中の誰も本気で祖父に対して優しい言葉をかける気のある人はいない。祖父はずっと他人と穏やかに心を通わすことが全くと言っていいほどできない人間だった。いつキレるかわからないので、祖父がリビングにいるだけで誰も落ち着いて飯を食べることさえできないほどだった。そして家族もまたそんな祖父を邪険に扱ってきた。明らかに不健全な状況がずっと保存されてきた。18まで同居していたから私にだってそれなりに分かる。祖父と祖母と父と、もう何十年もこじれ続けてきた問題を今さら家庭内だけで処理するなんて不可能に決まっている。本質的な解決ができないならこのままソフトランディングさせるしかない。私と父との間には昔から葛藤があって、それは今でもまだ続いているけれど、それよりも長くて深い葛藤が父と祖父との間にはあり続けてきた。しかしそれは私には何の関係もない。みんな病んでいるなあ、と思った。私がなんとかしなければと思っていた時期もあったけれど、私にできることは何もない。ただ自分で自分の精神を健やかに保つのみだ。そもそも私だって問題だらけなのだから。

そんな折、いつもよくしてくれているK編集者からのお誘いで「とある村に住まないか」との打診があった。新潟市の外れにある自然豊かな小さな村の、家賃2万円の一軒家。近くには温泉もあって、バイトしようと思えば求人はあると言う。どうなるかわからないけれど、面白そうな話だった。ちょうど家を出ることを考えていた時期だったから尚更だ。現在進行形でかなり前向きに検討している。ただ自分でもこんなに大きな決断をしたことがないので、大家さんの電話番号は教えてもらったのだけれど、まだ電話をかけられずにいる。超いいですねと言っておきながら煮え切らない態度でK編集者にはとても申し訳ない。自分でしっくりくるまでにもうちょっとだけ待っていただきたい。もうちょっとだけ。

私が何を迷っているのかと言うと、あまりにもどうなるかわからなすぎるという点である。まず、私はその村のことをよく知らない。今回のことがあるまではなんの縁もなかった。たしかに何度か行ったことはあるし、知り合いも住んでいるし、自然がとても豊かで素晴らしいと思うし、K編集者が主催する活動も週一で開かれるのでK編集者ないしその活動に参加されている方々とも週一で会えるから寂しくないし、家は一人で住むには十分なほど広い、けれど、どうして私がそこに住むのか、その必然性が自分でもよくわからない。どのツラ下げて「よろしくお願いします」と挨拶回りすればいいのかわからない。「なんで来たの?」と言われたときに「なんで来たんでしょうねえ、自分でもよくわからないんですけど」と説明するしかない。バイトしに行くわけではないしなあ。

しかしよく考えてみれば、人生のあらゆる選択において「絶対的な必然性」なんてものは存在しないのかもしれない。常に状況はあやふやで、動いている。選択肢はいつまでも手元にあり続けるわけではないし、何も選択しないということも結局一つの選択にしかならない。0か100で割り切れることなんてどこにもなくて、いつも曖昧に揺れ動いていく可能性の中から、そのどれか一つに賭けて、不連続に飛躍するしかない。どうせ放っておいたってクソみたいなまま変わらない人生を、いつまでも大事にしておくことに何の意味があるんだろう。自分に最適な選択肢がなければ、自分で作るしかないじゃないか。そうだ。そうやって無難な方に選択を先送りしたところで今まで一度だって後悔しなかったことはなかったじゃないか。昨晩だって、三年間片想いし続けたけれど結局最後まで告白できなかった中学生の頃の英語先生がまた夢に出て来て「これでやっと告白できる!実は俺先生のこと好きでした!」と夢の中で感動しながら告白したけれど、目が覚めて絶望したじゃないか。誰のせいにもせず全て自分の責任で一つの選択肢に身を投じるような思い切った決断ができないようでは、俺の人生なにも変わらない。それでいいのか。

と、色々追い込んでみるけれど、追い込んでも奮い立たないのが自分だ。それが自分だったではないか。もっと気楽に考えよう。

そういえば、私には自分の家を持ったらやってみたいことがあった。もちろんお誘いをもらったK編集者ともお話させてもらっている限りでは近いものを共有していると思うが、私には会社や学校以外で安定的に何の利害関係もなく自由に人が集まることのできるコミュニティを作りたいと思っていた時期があった。しかしそういっておきながらコミュニティという言葉に対して幾つかの点で個人に解せないところがあるので、もうちょっと言い方を変えるべきだと思うけれど良い言葉が見つからないので困った。結局、人柄に惹かれて人は集まってくるわけだし、そもそも好きな人同士で集まったところでそれ以上に深い関係は生まれないだろうし、そもそも人と人との関係は一対一が基本だろうし、コミュニティってなんなんなのかよくわからない。まあいいや。久しぶりに書き続けていたらもう朝の6時だけど、眠いのでもうそろそろやめたい。

【追記】 

眠すぎて文章が乱れた。あとで見返したら気持ち悪かったので最後の箇所をばっさり消したのだけれど、K編集者がつぶやいてくれていて焦る。これは書き直さねばなるまい。

ある日、K編集者とこんな話をした。世の中には、ざっくり言うと「がんばらないと承認されない場所」「がんばらなくても承認される場所」の大きく分けて二つがある。具体的には、前者が会社や学校であるとすれば、後者が家庭や友人・恋人関係になるだろうか。がんばったことの成果を認めてもらいたいという欲求は誰にでもあるけれど、がんばらなければ認めてもらえない場しかなかったら、がんばりたいという気持ちはおろか、生きたいという気すら起きなくなるだろう。人はたぶん、「がんばらなくても承認してくれる場所」があるから、「がんばらなければ承認されない場所」で、がんばることができる。そして、そもそも何のためにがんばるのかと言えば、それはがんばらなくても承認してくれた人たちに対して、自分のがんばれる範囲でがんばった成果を還元していきたいと思うからなのではないか。人は、ただがんばるだけでは、おそらく耐えられない。そういうような話だった。