「おれの目を見ろよ!」「おれの話を聞けよ!」と叫びながら、父、祖母、祖父、叔母のいる前で実家のリビングを破壊し尽くす夢を見た。私がいくら話をしても無視されるので、全員の視線が集中しているテレビにまず蹴りを入れた。これだけ叫んでいるのにテレビなんて見ている場合かよ!ふざけんな!と思っていた。しかし、私の話はまたも無視され、黙々と壊れたテレビを直しにかかる父。祖母は椅子に腰掛けながら、半分だけになった画面をじっと見つめている。私はさらに怒りが増す。私を無視したままスタスタと父が台所へ修理道具か何かを取りに行くのが見えたので、私は後を追いかけて「いい加減にしろよ!」とさらに怒号を浴びせかける。すると父が振り向く。無表情で、ぼんやりとした目でこちらを見ている。手にはナイフを握っていて、意味のわからない言葉をなにやらブツブツと話している。私は怖くなって目を覚ました。そういう夢だった。

昨日も精神科に行ってきた。これで3回目になる。今はまだ心理検査の段階なのでなんとも言えないところはあるけれど、自分が自分に対してどのように思っているのかということをまるごと吐き出させてくれるような場所ではない気がしている。向こうの手順に沿って話をすることしかできないので、自分の気持ちや考えを細切れでしか伝えられない。今日も行くことになっているけど、正直、乗り気がしない。臨床心理士の方とならもう少し話をしてみてもいいと思うが、精神科の先生と実りのある話ができるかどうかは疑わしい。このブログに自分の気持ちをぶつける方がよっぽど治療効果がある気がする。

送り迎えをしている車中で、叔母と口論になった。私の今後について叔母が話す内容に納得できず、「まあ、これは世代の問題なので分かり合えませんね」みたいなことを言うと、「いや、でも現実はそうだよ現実は」と強めに返された。叔母の言う現実とは「生きるためには税金と年金と健康保険と生活費を払わなければならない」ということで、「その辺をあなたはしっかり考えているのかい」と私に聞いてきたのだった。言っている内容自体は正論だと思うけど、正論を振りかざして私を論破しようとしてくる口調が癇に障ったので、私は「どうしてあなたに説教されなければいけないのですか」と言葉を返した。叔母も、前に進んでいこうとする私の気持ちに寄り添ってくれるわけではないのだなあ、と思った。最後に私は「あなたの言う現実と私が思う現実は違いますから」と言った。どうせ通じないだろうなとは思ったけど、それ以外に言葉が思いつかなかった。「いやそんなことない、現実は、現実はどうするの?」とまた叔母は言う。こういうときに、いちいち相手にしないで上手くかわすにはどうすればいいんだろう。自分の考えが頭から正しいと信じ切っている人とは、何の話もすることができない。

 

精神科から帰ってきた。診察は30秒で終わった。「それからお変わりないですか?」と尋ねられたので、「はい、ないですね」と答えたのみだった。診察料は1210円だった。どうだかなあと思いつつ、そんなものかもしれないなあとも思う。

仕事をするとか、大学で勉強をするとか、他人と楽しく交流するとか、自分で何かを表現するとか、そういう選択肢が目に浮かんでこないほど精神的に不安定だったときとは違い、今はずいぶんと落ち着いた気持ちでいられる時間が増えてきた。何か違和感を感じたら、それをなるべく言葉にして吐き出してしまえばいい。ぶちまければいい。ただ、なるべくなら、ぶちまけ方を自分で調整できるようになった方がいいのは言うまでもなく、その辺がこれからの私の課題になっていくだろうと思う。スムーズにそつなく当たり障りのない会話を和やかな顔で自然にできるようになること。その先にしか賃労働はない。

他の人たちは目の前にいる人といちいち本気でコミュニケーションしようとしているわけではないらしいということを、最近になってようやく気付けるようになってきた。皆、あまり目を合わせて話をしていないことに始まり、その場で本当に自分の思っていることや考えていることを口にしようとしてないようだ。愛想笑いでもして適当にやり過ごせばいいやと思っているのか、どうでもいいようなことをさも興味があるかのように話したりしている。中には、私から見れば本当にどうでもいいとしか思えないようなことに本気で熱心になっている人もいる。というか大半はそうだ。そういうよくわからない人たちが織り成す空間で私が違和感なく溶け込めるようになるためには、自分の抱えるどぎつい感情を何らかの形で消化させるか、それとも内に秘めて何も感じていないかのように降る舞うしかない。後者はテクニックが必要なので、当面、まずは前者をやり尽くすしかない。ぶちまかすしかない。

(更新中)