菊名にて

17時14分 ドトール菊名駅前店

一時間くらい前に、少しひとりになりたくて近くの図書館へ足を伸ばしたのだが、席に着いた途端、あっという間に閉館になってしまった。日曜日は五時に閉館なのだそうだ。菊名にはもう一年半近く住んでいる。この図書館にも、もうかなり通っているのだから、休日の閉館時刻なんて基礎的な情報くらい把握していたって良さそうなものだが、やはり、覚える気のないことはいつまで経っても身に付かないようだ。

行く場所はどこにもない。かといって、道端で呆然と突っ立っているわけにもいかない。こういうとき、私は滞在先の最寄り駅前にあるチェーン店のカフェによく足を運ぶ。まずは図書館へ、それがだめならスーパーマーケットのイートインコーナーへ、それでもダメなら駅前のドトールへ。

菊名では、つねに収入の目処が立たない中で暮らしてきた。もとより消費を楽しむような性格でもない。空腹を満たすだけの食料と、退屈を埋め合わせるだけの情報環境があれば、それでとくに不満はなかった。何かを楽しむためでなく、できるだけ何も失わないために金を使う。今日も220円でアイスコーヒーのSサイズを購入し、窓際の右端の席に座った。

休日だからなのか、図書館もカフェもほぼ満席近く席が埋まっている。どちらも客の醸す雰囲気は、あまり良いとは言えない。皆、すぐ隣りに他人が座っているのが馬鹿馬鹿しいくらい自分の世界に没頭していて、他の客や店内の様子をほとんど気にかけていない。そんな風に思う自分だって、彼らと変わりはしないのだろう。

最近、よく、人の醸し出す雰囲気というものについて考える。声、仕草、表情、服装などを通じて、わざわざ会話を交わさなくても、その人が今どのような気持ちで生きているのか、といったようなことは、必ず周囲へ漏れ伝わってしまう。自分のことでいっぱいいっぱいなのか、それとも他者へ気を配る余裕があるのか。自分の世界に閉ざしているのか、それとも外の世界へ開けているのか。簡単に言えば、今、いい感じなのか、そうでないのか。きっとそのようなことを見極める目はどんな人にでもあると思う。

元気でなさそうな人を見て思うけれど、やはりせっかく生きているのなら元気でいる方がいいに決まっている。でも、そうは言っても生きていれば、自分のことで精一杯のときも、自分だけの世界に引きこもりたいときもあるのが当然だ。肝心なのは、そういうときだ。そういうときに、どう振る舞うか。外の世界へもう一度また目を向けるにはどうするか。必ずしも拙速に前を向くことだけが答えではない、と、私は信じたい気持ちがある。

より深く自分の中に潜ること。いたずらに他者と接触せず、あえて抽象的な世界へ遠く思いを馳せること。外からの刺激を遮断して、心がひとつの場所に鎮まっていくのをただ待つこと。