四月十四日

13:31 横浜市中央図書館

昨日の図書館にまた来ることにした。昨日は、なんだか到着した時点で満足してしまって、なんとなく思い出していた過去の記憶にぼんやり耽っているうちに、退館時間になってしまった。こうしてよく見てみれば、地元にあった昔の図書館とは、規模も様子もかなり違う。照明は埃かぶってなんかいないし、こもった匂いもそれほどしない。なにより違うのは、人の多さだ。地元の図書館では老人か高校生の姿ばかりが目に付いたけれど、やはり都会の図書館はビジネスマンや大学生風の人も多くいる印象を受ける。皆、黙々と本やノートやパソコンに視線を向けている。

図書館に来ると、まず黙々と本を読んだりノートにペンを走らせたりしている人たちの方につい目がいく。彼らを見ると、不思議な気持ちになる。何を読んでいるのだろう。何を学んでいるのだろう。この世にそこまで真剣に学ばなければならないことなんてあるだろうか。どうして一つのことにそこまで夢中になれるのだろう。私は、こうやって、キョロキョロと周りばかり気にしているのに。

同じ場所にいるはずなのに、どこか違う世界に行っているように見える彼らが羨ましくて、ここでこうしてつまらないことに思いを巡らせている自分が嫌になってくる。

自分というものを切り離して、一旦、脇に置くこと。違う可能性について思いを巡らすのではなく、いま、目の前にある現実に対してがっぷり四つで向き合うこと。何かを考えているようでいて、肝心のことについてはあまり考えていない自分自身の欺瞞を直視すること。とかとかいろんな御託が次から次に浮かんでくるけれど、どれも上滑りしていて実感が込もらない。

ふいにイヤホンを取る、と、いつの間にか私自身もまた自分だけの世界に潜り込んでしまっていたことに気付く。

 

14:53 同上

電車賃がもったいなくて今日は自転車でここまで来たのだが、途中でスマホの充電が切れてしまった。地図なしで見知らぬ土地をうろつき回るのは少し心細い。巨大なビルが整然と立ち並んでいたかと思えば、猥雑な感じのする通りがいくつもあり、やはり横浜は都会だなあと思う。人々の迫力に気圧されて、心がくじけそうになってくる。

今月から、書類の上で正式に横浜市民になったということもあって、街を眺める自分の目線が以前とは少し変わってきているのを感じる。以前は街を行く人との間にものすごく距離があった。所詮、自分とは関係のない人たちでしかなかった。今は違う。自分も彼らと同じ土俵に立っているのかもしれない、と思える。

 

社会から切り離されて、もうかなりの年月が経った。大学を中退したのが22歳だから、もう4年か。今年でもう26歳になる。

客観的に見て、自分がもうじき26歳を迎えようとしていることを、かなりやばいと感じている。やばい。一言で言うと、やばい。やばいという言葉しか出てこない。こんな風に26歳を迎えようとしている自分を、自分で非常に受け入れがたい。なぜか。なぜかって、それは愚問だ。そんなことはもう言葉にならない。言葉にすれば、それが現実になってしまうような気がするから。現実のものとして受け入れなければならないような気がするから。

こんなはずじゃなかった、という思いが、 正直に言えば、ある。いや、そんなことを言ってはいけない。あの絶望的な状況から比べれば、今は十分に恵まれている方だ、と、思いたい。でも、それと同時に、言葉にならない、なんとも言えない、弱さと言うかなんというか、本当は、きっと、もっとずっと前に克服しておくべきだったはずのいろいろな幼稚な気持ちを、自分がまだうじうじと引きずり続けていることを感じている。それは誰にもどうすることもできない。自分以外にしかどうすることもできない。どうするか。どうにかするしかない。どうするか、とか、そういうことではない。自分でなければ誰も代わってくれないのだから、もう、やるしかないのだ。そうやって皆んな生きているのだ。分かっている。それは分かっている。分かりすぎるくらい分かっている、つもりだ、けど、もしかしたら分かっていないのかもしれない。だからこそ、こうやって自分で自分の問題を大きくして、ああでもないこうでもないと、いや、だめだ、ちょっともう今はだめだ、やめだやめ。外を歩こう。腹が空いたから牛丼でも食いに行こう。

 

18:33 イオン東神奈川駅前店・イートインコーナー

考えすぎて、だめになってきた。でも、これも自分なのだから仕方がないと思うしかないとかなんとか言ってますけども。でも、ちょっとなんかあれだなあ。やっぱり頭の中でだけ考えると、どうもこう行き詰ってくるから、ちょっともうだめだこれは。

 

20:55 同上

どうして、働く、ということを考え始めると、急に頭にストップが掛かってしまうのだろう。自分で自分が不思議だ。でも、働くしかないのだ。それがこの世界のルールなのだ。分かっている。分かっている。

 

一見、プライドなんて捨て去ったような涼しげな顔をして、本当は意地汚く小さなプライドを守り続けている自分がいるということを心のどこかで感じている。それは掴もうとすると、自分の手では決して届かないところへ隠れてしまう。しかし私も私で、逃げていくそれにうっかり手が届いてしまわないよう、自分で自分の伸ばす手を加減しているのだろうということも、またどこかで感じている。分かっている。分かっているのだ。