11月11日(金)

トランプが大統領になった9日(水)、先日庭の手入れをさせていただいたお宅に再度向かい、簡単な作業のお手伝いをしていました。今まではK氏の請負の請負という形でしか、誰かとこんな風に関わることはありませんでしたが、今回は事実上初めて、単独でこの「何か」を行ったことになります。知り合いでもご近所さんでも親戚でもない誰かのために、仕事でもアルバイトでもボランティアでもない作業(この日は倉庫の清掃でした)を行う。作業とはいっても仕事は1時間くらいで終え、後はお昼をご馳走になったり、コーヒーを頂戴したり、大統領選について話をしたりと、ふつうに和やかな感じでお宅にお邪魔していました(プレゼントまでいただいてしまいました)。たぶん呼んで下さった方も今日のアレが何だったのかよく分かっていないと思いますが、呼ばれた私でさえ全く分かっていません。ただ、帰り道に一人で電車に乗りながら、こんな形でも人と関わることができるんだなぁ、というほのかな喜びを感じるような、とても不思議な経験をさせていただきました。その節は呼んでいただいてありがとうございました。

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10日(木)深夜12時、東京駅から歩いて5分ほどの八重洲鍛冶橋駐車場で高速バスに乗り、11日(金)朝6時、新潟駅に到着。それから電車で30分、実家の最寄り駅に到着。冷たい雨が降る中、これから登校する高校生たちの列をかき分けて、歩いて実家に向かいます。家に着いたのは朝7時。そのまま布団に倒れこんで、起きたのは昼3時。それから、父がテーブルの上に置いてくれていた焼きそばを食べて、ふたたび布団にもぐります。起きたのは夜8時。ふたたび父がテーブルの上に置いてくれていたスープとおにぎりと唐揚げを食べて、たまたまテレビを付けたらやっていた金曜ロードショーの『紅の豚』を観終わった今、夜11時になりました。こんばんは。

 

 

〈更新中〉

11月10日(木)

昨日、アメリカにトランプ大統領が誕生しました。多くの評論家、知識人、メディア関係者が「なんだかんだ言っても、現実的に考えて、さすがにヒラリーが勝つだろう」と予想したにも関わらず、今回はそれが大きく裏切られた形になります。これから世の中はどう変わっていくのでしょうか。四六時中そのことばかり考えているはずの彼らでさえ予測できなかったのだから、当然ですが素人の私にわかるはずもありません。しかしながら、政治や経済に関する詳細な議論は一旦置いておくとして、あくまで一素人の幼稚でシンプルな感想を挙げるとすれば、私は怒りっぽい人や声を張り上げて話す人があまり好きではなく、そんな印象のあるトランプ氏が大統領になったことを残念に思っています。

今回の出来事はイギリスのEU離脱と同じように全世界に大きな影響を与えているようで、ネット上だけでも政治や社会の今を分析したさまざまな言説に触れることができます。今のところ私は、大統領選の結果を受けて放送されたニコニコ動画の生放送で、昨日チラッと聞きかじった思想家・東浩紀氏の発言が印象に残っています。氏は「今起きているのは政治以前に実存の問題なのではないか。社会的弱者に対して〈理念的には〉優しくあらねばならないという昨今の空気によって、多数派に属する人間が多数派である自分たちのことを素直に肯定できなくなり、その不安が、感情的で身も蓋もない主張を繰り返すトランプを支える原動力になっている」という旨の発言をしていました。近頃話題の、というか数年前から言論界で盛んに指摘されるようになったPC(ポリティカルコレクトネス)の問題が背景にある、という考えです。私もこれに同意します。

最近私が読もうとしてまだ読んでいない本に、批評家・杉田俊介氏の『非モテの品格』という著書があります。読んでいないのに引用するのも変な話ですが、ん?読んでないのに引用するってどういうことだろう。どういうことなんだろう。ねよう。

〈つづく〉

 

11月7日(月)

K氏の友人宅に滞在するK氏から連絡が入り、H氏とともにまたしても神奈川県の藤沢市にやって来ているおれです。こんばんは。4日(金)高速バスのチケットを取り、5日(土)夕方新潟駅前を出発。その夜、渋谷駅に到着し、午後11時過ぎごろ、すぐ前に「突然お世話になりました」と後にしたはずのお住まいに、またも突然泊めさせていただくことになりました。それから昨日6日(日)朝、藤沢を出発。横浜まで移動し、K氏、H氏の知人と会食します。その後、江ノ島の知人のお宅にお邪魔し、そこでもまた突然一泊させていただいて、今、朝を迎えました。これから、昨日会食した知人のお宅に向かい、K氏とともに庭の手入れを行います。怒涛のスケジュールです。

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庭の手入れを終え、昼食をいただき、1時間ほどさまざまなお話をした後、江ノ島のお宅に戻ってきました。要点だけ書くとあっさりしてますが、これだけ動いていると、さすがにあれこれ考えることがあります。以下に、最近どぎまぎしたことを思いつくだけ挙げてみたいと思います。

1.おれは食事のマナーがなってないらしい

そんな私をK氏はなんとも思っていない(もっと言えば別に良いどころか、逆にその方が良い場合すらある(理由は後述))とのことですが、自分自身のことながらあまりにも無自覚だったために、衝撃を受けました。そう言えば昔から、他人の家で食事をいただくときに味噌汁をこぼしてもなんとも思わなかったり、レストランに入っても全員分の水を用意せずに自分の分だけコップに入れて席に着いたり、お茶菓子を食べ過ぎて訪問先の人に笑いながら補充されたりしていましたが、思えばそれとかも全部ダメだったんだろうなぁ。今のところK氏からは「左手を床につきながら食事をすること」「器を持たずに料理をよそうこと」の二点を指摘してもらいましたが、そんなこと言ったらきっと他にも死ぬほどあるだろうから、怖いもの見たさでもっと教えてほしいと思わずにはいられません。

2.食事のマナーが悪くても別にいいらしい

K氏と行動を共にする中、主にコミュニケーションに関することでさまざまな議論を交わしました。前述のとおり、客観的に見て食事のマナーがなってないらしい私ですが、それをK氏は肯定的に評価しました。K氏が言うには「もちろん、マナーが良いに越したことはない。でも、一般的に『きちんとした大人』と認められるような作法ができるからといって、自分の本心を相手に伝えられなければ、コミュニケーションが成立しているとは言えない。私(稲村)の場合は、マナーはなっていないけれど『マナーを守れない人間である』ということは相手にしっかり伝わっている。最初からそういうヤツだと思われれば、その人との関係性において、『きちんとした大人』であると認められるがゆえに引き受けなければならない、分不相応な期待を背負い込まずに済む。だから良い」と、いうようなことでした。もちろん彼はあえてこう言っているのでしょうし、私がそれに甘んじて「そっか!マナーなんて要らないんだ!」となるのはお門違いだと思いますが、妙に説得力があり、興味深い議論でした。

3.意外とこの日記を読んでいる人がいるらしい

「他人に読ませるために書いていない」みたいなことを何度も書いていますが、それでも公開しているのだからやはりこのブログを読んでくれている人はいて、当然ですが、その人の中では一つ私の書いた文章を読むたびにそれに対する何らかの評価・感想・判断が日々下されていくことになります。そんな現実に発狂しそうになりつつも、誰でも読めるように公開しておきながらSNS全盛の時代にあえてツイッターフェイスブックにはシェアしない私の意図を汲んでいただけると理解がしやすいかもしれませんが、私は表現という行為を排泄と同じくらいにしか思っておらず、基本的には醜いもので、美しく見えるとしても美しく見せようとする心が醜く、かつ(ここが重要なのですが)その醜さの中にこそ本当の美しさがあるのではないか、みたいな、そんな感じの感覚を持っています。

ゆらゆら帝国の『美しい』という曲の中に、

上品なクソがいい 素敵なクソがなおいい

出てこい出てこない 

だけど それはクソだ 同じさ みんな同じさ

という歌詞があります。このブログに関しては、今になってはもう取り返しがつかないほど書いてきてしまっているのである意味諦めがついていますが、最初に書きはじめたころの「とにかく吐き出したい(かつ褒められたい)」という衝動はどう考えても醜く、醜いからこそ、自分にとってだけは間違いなく意味があると言えるものでした。誰かに読まれていると思うとどうしても自分をよく見せようとして手元が鈍ってしまいますが、あらゆる表現物はそもそもクソみたいなものなので、クソを加工してキレイに見せようとするのでなく「排泄する」ときのスッキリ感、「排泄物」から垣間見える自分の(精神的な)健康状態こそ表現の醍醐味だと思って、今後ともコソコソ書き進めていきたいと思います。

4.

〈更新中〉

11月4日(金)

今年4月に熱海のご自宅に招いていただくなど、要所要所でお世話になっている方(以下、S氏)がシェアしてくれたおかげで、昨日の投稿を読んでくれた方が結構いるようですが、私の性質上、一度書いた文章の完成度にこだわり出すと、今現在の自分の気持ちに寄り添った内容を書けなくなってしまうので、中途半端で粗雑な文章ですが、いつものように書きかけのまま放っておくことにします。どこからともなく湧いてくる「いろんな人が読んでいるんだからもっときっちりした文章を書かないと…」という心の声を斬り殺して、あくまでこのブログは他人のためでなく自分のために、自分の精神的な健康のために書いている、という原点に立ち返りながら書いていくのだと、その旨を強く自分に言い聞かせつつ、今日の日記を始めます。

今月の生活目標

昨日は土砂降りの雨でしたが、今日は爽やかに空が晴れて、心地のよい昼下がりとなりました。昨日、いつものくせでツイッターを開いたら、かつて関わりのあった方が今はもう別の関わりを持たれているらしい旨をほのめかすような内容のつぶやきを目撃してしまったために、ちょっともう、本気でツイッターを辞めようかなと思っているおれです。おはようございます。もうほんとにこういうの良くない。いずれ受け入れざるを得ないにしても、こんな形で心をザワつかせたくない。というわけで今月の生活目標は〈情報環境を整備して、精神的に健康でいられるような行動様式に自分自身をスライドさせていこう〉になります。ちゃんと守ったことないけど、今月も月の初めに目標を立てることにしました。あと、来週あたり、朝井リョウの『何者』が映画化して公開されるらしいのですが、小説をパラ読みした感じまさにそんな私にタイムリーな内容になっているような気がするので、今月はそれがちょっと楽しみです。今までそんなことなかったので、楽しみだと思えるものがあること自体うれしいです。映画の楽しみを知ったり、カフェでコーヒーを飲む喜びを知ったりしたのも、かつて関わりがあった方と関わりがあったおかげだなぁ、なんて思ったりすると、いつもよりほんの少しコーヒーが苦く感じられるような、そんな午後を過ごしています。

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今、H氏に召喚され、新潟駅から徒歩10分ほどのタリーズにいます。H氏は、S氏や先月お世話になったK氏らとともにさまざまな活動をしており、今は黙々とパソコンに向かって、何やら長い文章をしたためています。

一見すると非常に好青年で、世の中でふつうに上手くやっているように見えなくもない彼らですが、彼らの活動をあえて私なりに言葉にするとすれば、それぞれが世の常識や金銭の都合に縛られず、自らの意思を最大限に尊重する形で生きている、少なくともそう生きようとしているように、私には見えます。私は、彼らを知れば知るほど、彼らの生き方をマネできるともマネしようとも思わなくなっていますが、「一般的にはこうだから」とか「ふつうはこうするから」とかいう論理で自分を正当化せず、徹底して「私はこうする」という語りを貫いている点に関してはとくに、側から見てとても羨ましく、かつ、たびたび勇気付けられる思いを感じます。なにはともあれ、個人的に幾度も楽しいお誘いをいただいたりと、非常にお世話になっております(いつもありがとうございます)。

私が人間的にクソみたいだった(今もですが)時期から面識があり、なおかつ、引きこもりから脱していくきっかけを与えてくれた彼らに対して、私なんぞが言及するのは100年早いのでこれ以上は控えておきます。が、彼らはよく「自分たちの生き方は〈問い〉であって〈答え〉ではない」という趣旨の発言をするのですが、にも関わらず彼らのファンは、まるで彼らの生き方が〈答え〉であるかのように扱いがちのような気がするため、お世話になっているからこそあえて、私はこの場で、なるべく彼らの活動を安易に好意的に評したくないと思っています。今はまだきちんと言葉にできませんが、彼らの突きつける〈問い〉をそのまま〈問い〉として受け止め、まずは自分の中でだけ、自分自身についてのみ納得のいく〈答え〉を作っていきたい。そもそも、個々人の生き方に良いも悪いもなく、私が彼らに対して言うことも、彼らが私に対して言うこともないと思いますが。今回はもう、非常にびっくりするほど堅苦しい文章になりましたが、とりあえず終わります。おやすみなさい。

11月2日(水)、3日(木)

新潟駅南口のトイレに腰掛けながら、久しぶりのブログを更新しているおれです。ご無沙汰してます。昨日までいろいろあって神奈川県は藤沢市にお住まいのある方のご自宅に滞在していましたが、ちょうどこれから新潟に向かうという方(以下、H氏)がいらしたので、ちゃっかり同乗する形で、新潟に帰って来ました。先月から移動の多い日々を過ごしてきたので、ブログの更新もままなりませんでしたが、リアルがそれなりに充実していればそもそも文章なんて(少なくとも今までこの日記に書いてきたような鬱屈した文章なんて)書こうとは思わないのが人間というもので、なんというか、自分の中の腐敗した感情を全面的に押し出して書いてきたこの日記には書くことが思い当たらないほど健康的な日々を、この数週間、過ごさせていただきました。いわゆる「楽しかったこと」を書くのは苦手なのですが、ここ最近は自分でも自分がどのように過ごしてきたのか把握しきれていないので、せっかくなので書きながら、思い出してみたいと思います。

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佐渡から帰ってきた私は、K氏に連れられるがまま、移動に継ぐ移動の日々を過ごしていました。

28日夕方過ぎ、K氏の家を出発すると、翌29日早朝岩手県に到着。最近、草刈りをすると気分が良くなることを発見したらしいK氏は、フェイスブックでその旨を表明すると、かつて面識のあった岩手県の知人から連絡があり、「親戚の家の庭の草刈りをしてくれないか」との誘いを受けたそうでした。K氏の家に泊まっていた私は、その手伝いという形で車に同乗。岩手県で初対面の方の家を訪問して、おにぎりや芋煮をいただきながら、簡単な庭木の手入れを行いました。作業終了後、ちょうどその家に遊びに来ていた依頼主の友人宅にお邪魔することになり、宮城県気仙沼市へ移動。そのまま一晩泊めさせていただきます。

翌30日正午頃、家を出発。基本的にいつも今後の予定が何一つない私は、翌日神奈川県藤沢市で友人と落ち合うことになっているらしいK氏に付いて行くという形でふたたび車に同乗。道中、仙台市在住の知人女性と会うことになり、彼女に連れられるがまま「数十人で火を囲みながら踊る」という謎のワークショップに参加しました。途中「この雰囲気はどうしても肌に合わないな」と判断した私は、会場のトイレに逃げ込み、しばらく時が過ぎるのを待ちます。それから知人と別れてさらに車で南下していくと、深夜2時頃、栃木県宇都宮市に到着しました。漫画喫茶にて一夜を明かします。

翌31日午前。最終目的地である神奈川県藤沢市を目指して漫画喫茶を出発。相変わらず運転を代わるわけでもなく助手席に座り続けていた私は、道中、K氏とさまざまな会話をしながら時間を過ごします。午後5時、K氏の友人が住むアパートに到着。午後8時、K氏の友人H氏が合流。それから、彼らが行うという「企画」(ツイキャス)を見届けながら、ご厄介になっていた部屋の主人が振る舞ってくれる鍋をいただいていました。ご好意に甘え、そのまま一泊させてもらいます。

翌1日。これから新潟へ帰るというH氏の車に同乗。昼過ぎに神奈川を出発し、深夜一時頃、新潟に帰ってきました。そして今日、「空がありえないほど晴れているのでこんな日に迂闊に家でゆったりしたりすると精神的にとても良くない」と判断したH氏から連絡があり、似たようなことを思っていた私は、H氏に連れられるがままいきなりどこぞの山で登山開始。3合目付近で「この辺りで今日一日を清々しく終えられるくらいにはいい感じに疲労が溜まった」と判断して下山。それからH氏の知人と軽くお茶をした後、共通の知人であり、最近、多くの人に愛される形で閉店が決まったとある喫茶店の店主にご挨拶へ向かいます。少しの間お茶した後、今はH氏と別れ、心地よい疲労感とともに電車に揺られながら家路に付いています。

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家に帰ってきました。こうしてゆっくり過ごすのは数週間ぶりです。佐渡へと向かう前、東京での生活に一旦見切りを付け、風邪で寝込んだままメンタルまで寝込ませていた私は、「ハローワークへ行く」「ネットで仕事を探す」という、できればどっちも選びたくない二つの選択肢の前で頭を悩ませていました。とりあえずハローワークに行ってみた7月。上京し、友人の誘いで川崎のビルの屋上でバイトをしてみた8月。八王子のシェアハウスを拠点に首都圏で仕事を探そうと試みるも、結局何もしなかった9月。そして10月、振り出しに戻ったかのように何もすることがなくなってしまった私は、またこの新潟の実家に帰ってきていました。それから佐渡への誘いが舞い込み、前述したような日々を経て、今、11月になります。少しは働いたけど、一貫して世間的には無職のまま。でも、であるからこそ、自分の中に少しずつ自分で自分を信頼するに値する何かが育っていくのを感じています。ほんの少しずつですが。

数週間前、このブログに自分の父親へ向けた長い文章を投稿しました。実は以前も、あのような内容の文章を父親に送ったことがあります。自分の人生を生きているはずなのになぜか他人事のように過ぎていってしまう、単調だけど重苦しい日々を過ごしていた高校時代。大学受験の失敗によって「勉強だけはできる」というプライドが打ち崩され、何の意味もない勉強をひたすら強いられる日々に違和感が爆発した予備校時代。そして、つまらない授業、つまらない社会、つまらない自分、つまらない人生、そのすべてに嫌気が差して気が狂いそうになっていた大学時代。18、19、20と年を重ねるにつれて、周囲と自分のズレが誤魔化しきれないほど大きくなっていき、自分で自分を保つには何かに反発せずにはいられなくなっていました。その筆頭が、父でした。

本来なら高校生くらいのときに、煙草を吸うなり酒を飲むなりバイクを乗り回すなり夜遊びするなりして、親・世間の価値観を克服し、それに屈しない強固な自我を確立しておくべきだったのだと思います。しかし、そうではなかった私は、19から23にかけて少しずつ父に反抗することを覚え、今になってようやく、思春期の頃にやり残してきてしまった課題のいくつかを克服しようとしています。大学時代、自分で団体を立ち上げようとして失敗したり、山奥の村にインターンに行って研修先の人から「お前はぜんぜんなってない」と叱られたりしたのも、今になって思えば「自分の人生を自分で選択して生きていく」という、当たり前のようだけど、本気でやろうと思えばとても骨の折れる人生の課題に、拙いながらもようやく、立ち向かい始めた頃のことでした。ずっと昔から変わることなく、私は今もこの問いの前にいます。

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〈更新中〉

 

10月27日(木)

最近バタバタして忙しかったけど、昨日、死ぬほど画面が割れていてストレス溜まりっぱなしだったiPhoneをようやく新品に交換できたおかげで、ひさしぶりにブログを更新する気になっているおれです。おはようございます。父含め、何気に読んでくれている人がいるらしいこのブログですが、そんな人たちの顔が目に浮かぶと、まじで何も書く気が起きなくなるので、今、かき消しては浮かんでくる一人一人の顔を必死で打ち消しながら文章をしたためています。

読んでほしくないわけじゃないけれど、積極的に読んでほしいとはとてもじゃないけど言えない。そんな文章をあえて誰でも読める場所に置いてみたっていいじゃないか。どうせいつか死ぬのなら、わめき散らして死のうじゃないか。最近、ある方から「ダウナー系コミュ障」というネーミングをもらって妙にしっくりきてしまった私ですが、一人で考えすぎて勝手に煮詰まって死にたくなるくらいなら、考えたことを片っ端から書き出すくらいの勢いで、いつものようにとりとめもない話をしていけたらと思います。前置き長くなりました。

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前回の投稿から、早2週間が経とうとしています。東京での生活を終え、いろいろなことを仕切り直すべくひとまず新潟の実家に帰宅していた私は、季節の変わり目ということもあって数日体調を崩して寝込んでいたところまでは良かったものの、勢い余ってそのまま人生のあらゆることに対して無気力になってしまい、いつものように昼夜逆転スマホ廃人生活に突入しようとしていました。そんな折、ここぞとばかりに前々からお世話になっている方(以下、K氏)から連絡があり、その3時間後には彼の家に遊びに行き、その翌日には彼と彼が連れてきた数人らとともに佐渡ヶ島へ向かっていました。

日記を更新していなかったこの2週間、私は主にK氏の案内する佐渡の一軒家で生活し、彼らとともに農作業の手伝いをしたり、気が済むまでこたつでぬくぬくしたりする日々を過ごしていました。生産的なことを何一つ期待されない聖域のような空間で、澄んだ海が青色ではなくむしろ緑に近い色をしていることを見つけたり、自分が飛蚊症であることを忘れさせるほど見事な満天の星空に、思わず目を奪われたりしていました。今、電車に乗りながら文章を書いているのですが、家から徒歩10秒で海に行ける佐渡での生活は、多くの人たちが耳にイヤホンを付けながら手に持ったスマホの画面を黙って見つめているというこの電車内の風景とは、わかりやすく対照的でした。

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佐渡から帰って来た私は、しばらくまたK氏の自宅にお邪魔したのち、昨日、自分の実家に戻ってきました。特筆すべきこととしては、駅から家までの道を、歩いて帰っても良かったのにあえて(家にいるときは話しづらくても車内ならまあまあ話ができるのではないかという期待を込めて)実家にいる父に連絡を取って迎えに来てもらったあたりに、自分の、少し今までとは違う心境の変化があったような気がします。それから家で、テーブルの上にあったカップラーメンにキムチを入れて食べたり、テレビの脇に保管してあったクッキーを食べたり、テーブルに転がっていた温泉まんじゅうを食べたりして、寝ました。

今朝は9時ごろに目が覚め、それから久しぶりに祖父母の家に行き、祖父に「今なにをしてるんだ?」「大学は辞めたのか?」「仕事はしてないのか?」というようなことを一通り質問されたり、祖母に「もしものことがあったら大変だから…」「何事もお金がないと始まらないから…」とおそろしい額の「小遣い」を持たされそうになったりしながら、今は電車に乗って再びK氏の家に向かっています。

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K氏の家に着いて、K氏の彼女的な方から「なんか社会性が身に付いてきたみたいだね!」という死ぬほどありがたい言葉をもらってウキウキしていた私ですが、私が選んだDVDをみんなで観るというシチュエーションになって、「やばい…!ぜんぜん面白いという保証がない映画を借りて来ちゃったけど、たぶん、いや絶対面白くないからやばい!これはやばい!」といたたまれない気持ちになっているおれです。どうしてだろう。新潟のシェアハウスに一年くらい住んでいたときも、何度もみんなでDVDを観たりしていたけれど、そのときも私が選んだ映画をみんなで観ることはあまりなく、自分が選んだ映画はなるべく自分だけで観ようとしていました。わかるでしょうか。この、自分で選んだものに対して自信が持てないから、誰かにつまらない顔をされたら一瞬で全てをなかったことにしたくなるこの感じ。いやーいたたまれなくて映画がぜんぜん頭に入ってこない。一緒に観ている人の顔色が気になりすぎてもーーー気が気でない。どうしよう、もう。とりあえずは、でも、この状況を受け入れるしかない、か。ああ。つまらなかったら「私はつまらなかった!」おもしろかったら「私はおもしろかった!」とだけ淡白に言い放って、それで済ませられるような人間になりたい。「つまらない映画を観せてしまったら面目まるつぶれだ!」というような、自分をよりよく見せようとしまう自分の弱さと、今まさにぶち当たっている私でした。おやすみなさい。

10月12日(水)

父親が読んでいるとなると、書く内容もおのずと変わっていかざるをえない。本当なら今まで書いてきた記事を一旦すべて非公開にし、最初の投稿からすべて読み直して、不十分な点を補い、読みにくい箇所は修正し、不適切な表現は適切に変えていきたいところなのだが、気が付けば60日分も投稿してきてしまったので、とてもじゃないけれど気が進まない。でも、たとえ今になって書き直したとしても、書き直す前の文章を読んだ人が、書き直した後にまた同じ文章を読んでくれるという保証はない。人生はやり直しが効かない。前の文章を書き直す時間があるなら、また新しい文章を書く方が早い。そのときそのときにしか書けないことがある。

さて。ご覧の通り、私は毎日とてものんびりとした生活を送っているのだが、そんな私でも、ありがたいことにいつも良くしてくれる方々からときどきお誘いを受けることがある。私も彼らに会いたいので、それらの誘いはほとんど疑う余地なく確実に受けることになるのだが、それ以外では自分からなにかをやろうと思うことがほとんどなくて、近所を散歩したり、ホットケーキを作ったり、日記を書いたり、音楽を聞いたり、昼寝したり、お菓子を食べるなどして、結果的にいつも家にいることが多くなる。しかし、頭の片隅には「ハローワーク行かないとなぁ」「バイト探してみるしかないかなぁ」という社会的義務感の残骸のような思いがこびりついているため、それらを完全に心から楽しめるわけでもなく、そんな日々が長く続いてくると、しまいにはどんどん気分も塞いできてしまう。そうして、食費や交通費などで消えていく口座の残高とともに精神力もみるみるうちに目減りしていくのだが、いよいよ「なんかもう生きていくのヤだな」と思った頃になると不思議なことに口座に数万円のベーシックインカムが振り込まれていて「はーとりあえず今月はまだ生きていける」となるような、そんな何年間かを過ごしてきた。

さて、誰かに誘われているときは良い。川崎で働かせてもらったバイト先はまさに誘われたからこそ行けたのだが、八王子でご厄介になったシェアハウスも、もともとお世話になったことのある人だったのが大きかった。私は自分が今のような状態になっていることを見知らぬ人に上手く説明できないので、自分がだいたいどんな人間なのかをすでに知ってくれていそうな人とだけなるべく関わりたいと思い、誘いがくれば飛びついていき、かつ充実した時間を過ごして家に帰ってくる。しかし問題は家に帰ってきてからだ。

私は、一人になるのが嫌いなわけではない。むしろ好きだ。しかしさすがにそれにも限界があり、一人でいすぎたために無駄な思考を働かせて頭が暴発したり、肉体が衰弱する代わりに精神が過剰に働いて勝手に不安になって落ち込んだりすることがしばしばある。そうならないためにはどうすればいいか。一人でいるからダメなのであれば、誰かに会いに行けばいい。しかし、もちろん誰でもいいわけではない。

たとえば、社会的に言えば「ニート」である今の私を「ニート」であるからという理由で差別する人とはなるべく関わりたくない。そして自分自身の中にそのことに対する負い目がないわけではないので、それによって余計に人と関わりたいという気持ちが削がれてしまうというのはあるかもしれない。というより、今の私にはそれがすべてだ。何も悪いことをしてないはずなのに、何か悪いことをしているような気がしてしまうという私の認識が、私から人を遠ざけている。

何年引きこもっていようが、何十年引きこもっていようが良いではないか。 私は、私たちは、なぜそう思えないのだろう。引きこもりだからダメだ。無職だから自分には価値がない。そう思うことによってむしろ、今のままの状態に自分を縛り付けていることになぜ気付けないのだろう。引きこもりの自分がダメだと思うから部屋から一歩出てみよう、無職の自分がダメだと思うから仕事探しを始めてみよう、そう思うのでは、問題は何も解決しない。他人からどう思われたっていい。そんな、子供の頃にはきっと当たり前のように思っていたはずの認識を少しずつ回復していくことでしか、きっと問題は解決されないのだと思う。振り返れば、私がここ数年の間に経験したさまざまな出来事は、まさにその道筋の上に起きていたことだった。

そもそも、私が問題だと思うものは何も問題ではないはずなのだ。ただ生きている。それの何が悪いのか。親からの仕送りで買い物をしようが、働きもせず昼夜逆転した生活を送ろうが、私がそれを望んだのなら、その日々は私にとって限りなく尊い。それに比べたら、他の人がどう私をどう思うのかなんて小さすぎて話にならない。

私はきっと近所のスーパーでかつての同級生らしき人物を見つけても180度ターンして引き返す必要なんてどこにもないし、父親から私が社会的に見てどんなに間違っているかをまるで犯人を問い詰めるかのような激しい口調で滔々と説教されても、今のようにただなるべく笑顔でなるべく論理的に受け答えするように心掛けてればいいのだ。罪悪感に耐えられないから仕事を探す、というのでは、私の身体はちっとも動いてはくれない。

さっきから勇ましく書きすぎているようにも思えなくないが、なにもこれが今友人たちとともに和やかに夕飯をいただきながら日記を更新しているから、というわけではないことを祈りたい。明日は彼らと佐渡へ向かう。

《つづく》