11月15日(火)

新潟に帰って来て4日目。基本的にまた実家でゴロゴロする生活に戻っているため、早くも精神が停滞しつつあります。さきほどもツイッターでうっかり知り合いの知り合いが楽しそうにプログラミングの練習に打ち込んでいる様子が垣間見えてしまったために、淀みつつある精神がさらに淀もうとしています。二ヶ月ほど前に八王子のシェアハウスにお世話になっていた頃、私は彼と同じそのプログラミングを序盤の序盤だけ勉強したことがありました。今はそのまま放置しており、練習用にアプリだけスマホにダウンロードされているのですが、「勉強しようと思ったのに全然やってない」というかすかな罪悪感みたいなものが呼び起こされ、今、仄暗いメンタルの底からイヤな匂いが発しています。まともに話したことすらないその人のことを危うく嫌いになりそうです。SNSをみていると、往々にしてこういうことが起こりますが、どうして私はすぐにこうなってしまうのでしょうか。ひとまず昨日から今日にかけての自分の動向を振り返ってみます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日は珍しく外にでも出掛けようかと思い立ち、夕方4時ごろ、まず電車に乗って新潟まで向かいました。新潟に着いてから、しばらく適当に街を歩き、モスバーガーでテリヤキバーガーとモスチキンを食べ、自販機でキリンレモンを買い、ユニクロで冬物の服を物色し、Tジョイ新潟万代で映画『何者』を観て、濱来たラーメンで醤油豚骨ラーメンを食べ、電車に乗って実家まで帰った後は、居間のテーブルに置かれていた夕飯(何だったか忘れた)を食べ、寒いから布団に潜り、ダラダラしているうちに風呂に入る気も失せて寝転びながらカリントウと煎餅をそれぞれ一袋ずつ食べ、スマホでホラーゲームの実況動画を見て、気付いたら寝ていました。目が覚めたのは午前9時。そこから二度寝三度寝を繰り返し、再び目が覚めたのは午後一時。寒さに震えながら居間のテーブルに置かれていた寿司(父はイオンの火曜市に合わせて毎週まとめて食料品を買いに出掛ける。買い物に行った日は昼食が少し豪華になるのが我が家の慣わし)を食べ、デザートにシュークリームといなり寿司を食べ、寒いから一旦布団に潜り、暇つぶしに大富豪と七並べのゲームをスマホにダウンロードして一二時間遊び、ダメだと分かっていながらカルビーのポテトチップスを一瞬で食べ、気付いたら寝てしまっていて、起きたら夕方の6時になっていました。それから夕飯にサラダと焼肉を食べ、湯船に浸かり、スマホで動画を観て、一瞬付けてみたテレビで星野源夏帆が激しい濡れ場を演じている映画を観てしまい少し動揺し、今、ふたたび布団に戻ってブログを更新しています。このような流れになります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうして書いてみると、改めて自分が

〈更新中〉

11月13日(日)

今夜はなんか「スーパームーン」とかいう何十年かに一度月がすごく大きくなって見える現象が起きているらしいんですが、結局一日中家の中に居てしまったためにどんなもんなのかまだよくわかってないおれです。こんばんは。もう12時を回ってしまったけど、とりあえず一旦外に出てみようかなどうしよう。

あ、でも今「スーパームーン」って書きながら思い出したことがあったので、散歩に行くならそれを書いてからにしよう。それで、今日はコンビニでほろよいを買ってから寝よう。

何年前のことか忘れたけど、今でも覚えているすごく印象的な夢を見たことがありました。当たり前だけど、その夢を見た直後は今よりももっと鮮明に覚えていて(今書きながら少しずつ思い出しつつありますが)あまりにも素晴らしかったもんだから、目を覚ました後、鳥肌が立ってしまうほどでした。

夢の中で私は、周りに木や草がたくさんある、山か森か林かよくわからない場所を走っていました。時間は夜でした。たぶんその前のストーリーとかもあったんだろうけど、今はもう覚えていません。とりあえずそのまま木と木の間を走っていくと、急に景色の開けた、少し標高の高い場所に着きました。その先は崖みたいになっていて、そこから辺りを見渡せるようになっています。ここからが印象に残っているシーンなんですが、私がその丘みたいな、崖みたいな場所の先に立ち止まると、下からか上からか、とにかくものすごくでかい月の塊みたいなやつが「デーン!」って現れてくるんですね!…うわーー書きながら全然伝わってる気がしない!!その月の光輝く感じとかがまじですごくて、よく見ると、月だけどただの球体というわけじゃなくて、宮殿とか神殿とかが合わさった感じと言いますか、表面がなにかよくわからない意味深な細工で満ち溢れているんですね!例えば天使とか、なんかよくわからないそういう系の像とか…うわーーもどかしい!!たぶん伝わってない!!伝わってる感じがしない!!

で、夢の中の私もその神々しさに思わず見とれてしまって、そのまましばらく呆然と立ち尽くしていると、気がつくと世界には、私とそのよくわからない巨大な月の塊のようなものの二つだけしかいなくなっていました。足場とかが完全になくなって、自分!月!宇宙!みたいな感じになります。で、私はフワフワ浮きながら、なんかすごいなーこれーみたいなことを思っていたんですが、目を凝らすとだんだん自分以外にも色んなモノが宇宙に浮いていることがわかってきます。例えばなんだろう、深海魚とか。土偶みたいな人形とか。得体の知れないものがたくさん浮いていて、しかもそれが全部キラキラ光っていて、360度全部キラキラしたものに囲まれながら宇宙の中を漂っていました。それからしばらくして目が覚めました。

表現できると思って書きはじめたわけじゃないんですけど、あまりにも表現できなすぎたので、もう止めておきます。とりあえず圧倒的な迫力の夢を見て、その日の朝はなんとも言えない感動に包まれながら目を覚ましました。それくらいすごかったんだけど、でもそのすごさが全然表現できないなーどうしよう。あと「スーパームーン」と聞いて思い出すことがもう一つあるんだけど、でもこっちも上手く書けそうにないなー。もう寝よう今日は。うわーでも月どうしよう。散歩もなーどうしようかなー。行くの止めようかなーどうしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうしようと思いながら、結局コンビニに行ってベビースターラーメンとほろよい(カシスオレンジ)を買ってきました。呑み終えたので、つづきを書きます。

今、家の鍵を探して、冬物の上着を羽織って、自分の部屋を出て、廊下の照明を点けて、階段を降りて、玄関の照明を点けて、扉の鍵を開けて、扉の鍵を閉めるまで、『借りぐらしのアリエッテイ』のテーマソングを聴いていました。分かる人にだけ分かってもらえればいいのですが、私は何か特別な事情がない限りその場にずっと居続けてしまう性質があるようで、おしっこに行きたくなるか音楽を聞いて無理やり気分を変えるかしないと積極的に部屋から出ようと思わないくらい出不精な人間なのです。それで、いつものように音楽を聴きながら無理やり気分を変えてコンビニまで散歩に出かけたのですが、このくらいの年齢(23歳)になっても深夜に外出するのはまだちょっと怖くて、この怖さって一体なんなんだろう、みたいなことを頭の中でぼんやり考えながら歩いていました。いつもより大きな月を見ながら。大きさもそうですが、空が明るくて驚きました。やっぱり何十年か一度というだけあるわ、と言いたくなる気持ちもわかる気がしました。

さて。そんなことを考えながら思い出していたのは、さっき書こうとして辞めてしまったもう一つの月に関する話でした。上手く書けるかわからないけど、ついでなので書いてみます。

大学受験を控えた高校三年生の冬。私は夕食を済ませると、勉強に集中するために家族みんなで住んでいた家を離れて、その当時まだ誰も住んでいなかった、徒歩10分ほどの場所にあるもう一つの家に通っていました(なんで家二つあんのとかそういう細かい話は置いておきます)。一人になって集中して勉強するためでした。とはいえほとんどはかどっていなかったのですが、夜も更けてそろそろ祖父母の家に帰ろうかというころ

〈更新中〉

11月12日(土)

昨日は一日中たっぷり寝て、今朝目が覚めたのは9時でした。朝食に冷凍チャーハンを食べた後、布団に寝転びながら1週間くらい前に借りていた映画でも消化しようかと思っていたのだけどノートパソコンに何度DVDを入れ直してみても一向に再生してくれず、前はパソコンでも観れたはずなのにおかしいなと思いながらウィンドウズメディアプレーヤーを何度もクリックしてみるけどなにもならず、ググってみるとそれはパソコンの設定でDVDの自動再生がオンになってないからということらしくて、なんやねんと思いながら設定をイジってみるけどやっぱりなにもならないのでさらにググると、なんとウィンドウズ10からはDVDが再生できなくなるとのことでした!退化じゃん!1500円でアプリを購入すれば再生できるようになるらしいけどなにそれ!結局パソコンで観ることを諦めた私はいつの間にかそのまま布団の中で眠ってしまい、起きたのは夕方の5時。夕食にマーボー豆腐を食べた後、これだけ寝ていたはずなのになぜか少し頭が痛くなっていることに気づいて、あーあどうなってんおれの体みたいな感じになります。それから、たかがDVDを再生するのに1500円のアプリを買うのはバカらしいと思って調べたサイトでオススメされていた無料でDVDを再生してくれるソフトをダウンロード。チュートリアルの動画がうさんくさくて嫌な予感がするものの、とりあえずDVDを入れてみて正常に動作してくれるかどうか確認したらやっぱり再生せず、午後9時、全てがイヤになったので近所のスーパーにアイスとおでんを買いに出かけます。帰ってきて、いよいよ映画を観ようとリビングのソファーに腰掛けながら借りてきた3本のDVDのうちの一つを再生。これが死ぬほどつまらない。それでも一応最後まで観ようとなんとなくあらすじを追いながら、同時並行でスマホのマインクラフトを起動。うっかりデータを消してしまうも新しくワールドを生成していい感じに石炭を見つけて松明が作れるようになったからさあいよいよ洞窟探検に出かけて鉄を採掘しようと思った矢先にスケルトンに刺されて死亡。過去に何度もこのパターンで死んでいるためイヤになってスマホからマインクラフトをアンインストール。ほどなくして終始つまらなかった映画がよくわからないラストを迎えて、頭がいよいよ痛くなってきた私は布団にもぐりながら、知らぬ間に終わってしまった今日の日のことをブログにしたためています。こんばんは。充電しながら書いていたつもりが電源が付いてなかったみたいでさっき突然スマホの画面が暗くなり、ここまで書いた文章も消えてしまうのかなとヒヤヒヤしていたらそっくりそのまま残っていて少し安堵しているおれです。こんな投稿消えてよかったんだけど!おやすみなさい!

11月11日(金)

トランプが大統領になった9日(水)、先日庭の手入れをさせていただいたお宅に再度向かい、簡単な作業のお手伝いをしていました。今まではK氏の請負の請負という形でしか、誰かとこんな風に関わることはありませんでしたが、今回は事実上初めて、単独でこの「何か」を行ったことになります。知り合いでもご近所さんでも親戚でもない誰かのために、仕事でもアルバイトでもボランティアでもない作業(この日は倉庫の清掃でした)を行う。作業とはいっても仕事は1時間くらいで終え、後はお昼をご馳走になったり、コーヒーを頂戴したり、大統領選について話をしたりと、ふつうに和やかな感じでお宅にお邪魔していました(プレゼントまでいただいてしまいました)。たぶん呼んで下さった方も今日のアレが何だったのかよく分かっていないと思いますが、呼ばれた私でさえ全く分かっていません。ただ、帰り道に一人で電車に乗りながら、こんな形でも人と関わることができるんだなぁ、というほのかな喜びを感じるような、とても不思議な経験をさせていただきました。その節は呼んでいただいてありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

10日(木)深夜12時、東京駅から歩いて5分ほどの八重洲鍛冶橋駐車場で高速バスに乗り、11日(金)朝6時、新潟駅に到着。それから電車で30分、実家の最寄り駅に到着。冷たい雨が降る中、これから登校する高校生たちの列をかき分けて、歩いて実家に向かいます。家に着いたのは朝7時。そのまま布団に倒れこんで、起きたのは昼3時。それから、父がテーブルの上に置いてくれていた焼きそばを食べて、ふたたび布団にもぐります。起きたのは夜8時。ふたたび父がテーブルの上に置いてくれていたスープとおにぎりと唐揚げを食べて、たまたまテレビを付けたらやっていた金曜ロードショーの『紅の豚』を観終わった今、夜11時になりました。こんばんは。

 

 

〈更新中〉

11月10日(木)

昨日、アメリカにトランプ大統領が誕生しました。多くの評論家、知識人、メディア関係者が「なんだかんだ言っても、現実的に考えて、さすがにヒラリーが勝つだろう」と予想したにも関わらず、今回はそれが大きく裏切られた形になります。これから世の中はどう変わっていくのでしょうか。四六時中そのことばかり考えているはずの彼らでさえ予測できなかったのだから、当然ですが素人の私にわかるはずもありません。しかしながら、政治や経済に関する詳細な議論は一旦置いておくとして、あくまで一素人の幼稚でシンプルな感想を挙げるとすれば、私は怒りっぽい人や声を張り上げて話す人があまり好きではなく、そんな印象のあるトランプ氏が大統領になったことを残念に思っています。

今回の出来事はイギリスのEU離脱と同じように全世界に大きな影響を与えているようで、ネット上だけでも政治や社会の今を分析したさまざまな言説に触れることができます。今のところ私は、大統領選の結果を受けて放送されたニコニコ動画の生放送で、昨日チラッと聞きかじった思想家・東浩紀氏の発言が印象に残っています。氏は「今起きているのは政治以前に実存の問題なのではないか。社会的弱者に対して〈理念的には〉優しくあらねばならないという昨今の空気によって、多数派に属する人間が多数派である自分たちのことを素直に肯定できなくなり、その不安が、感情的で身も蓋もない主張を繰り返すトランプを支える原動力になっている」という旨の発言をしていました。近頃話題の、というか数年前から言論界で盛んに指摘されるようになったPC(ポリティカルコレクトネス)の問題が背景にある、という考えです。私もこれに同意します。

最近私が読もうとしてまだ読んでいない本に、批評家・杉田俊介氏の『非モテの品格』という著書があります。読んでいないのに引用するのも変な話ですが、ん?読んでないのに引用するってどういうことだろう。どういうことなんだろう。ねよう。

〈つづく〉

 

11月7日(月)

K氏の友人宅に滞在するK氏から連絡が入り、H氏とともにまたしても神奈川県の藤沢市にやって来ているおれです。こんばんは。4日(金)高速バスのチケットを取り、5日(土)夕方新潟駅前を出発。その夜、渋谷駅に到着し、午後11時過ぎごろ、すぐ前に「突然お世話になりました」と後にしたはずのお住まいに、またも突然泊めさせていただくことになりました。それから昨日6日(日)朝、藤沢を出発。横浜まで移動し、K氏、H氏の知人と会食します。その後、江ノ島の知人のお宅にお邪魔し、そこでもまた突然一泊させていただいて、今、朝を迎えました。これから、昨日会食した知人のお宅に向かい、K氏とともに庭の手入れを行います。怒涛のスケジュールです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

庭の手入れを終え、昼食をいただき、1時間ほどさまざまなお話をした後、江ノ島のお宅に戻ってきました。要点だけ書くとあっさりしてますが、これだけ動いていると、さすがにあれこれ考えることがあります。以下に、最近どぎまぎしたことを思いつくだけ挙げてみたいと思います。

1.おれは食事のマナーがなってないらしい

そんな私をK氏はなんとも思っていない(もっと言えば別に良いどころか、逆にその方が良い場合すらある(理由は後述))とのことですが、自分自身のことながらあまりにも無自覚だったために、衝撃を受けました。そう言えば昔から、他人の家で食事をいただくときに味噌汁をこぼしてもなんとも思わなかったり、レストランに入っても全員分の水を用意せずに自分の分だけコップに入れて席に着いたり、お茶菓子を食べ過ぎて訪問先の人に笑いながら補充されたりしていましたが、思えばそれとかも全部ダメだったんだろうなぁ。今のところK氏からは「左手を床につきながら食事をすること」「器を持たずに料理をよそうこと」の二点を指摘してもらいましたが、そんなこと言ったらきっと他にも死ぬほどあるだろうから、怖いもの見たさでもっと教えてほしいと思わずにはいられません。

2.食事のマナーが悪くても別にいいらしい

K氏と行動を共にする中、主にコミュニケーションに関することでさまざまな議論を交わしました。前述のとおり、客観的に見て食事のマナーがなってないらしい私ですが、それをK氏は肯定的に評価しました。K氏が言うには「もちろん、マナーが良いに越したことはない。でも、一般的に『きちんとした大人』と認められるような作法ができるからといって、自分の本心を相手に伝えられなければ、コミュニケーションが成立しているとは言えない。私(稲村)の場合は、マナーはなっていないけれど『マナーを守れない人間である』ということは相手にしっかり伝わっている。最初からそういうヤツだと思われれば、その人との関係性において、『きちんとした大人』であると認められるがゆえに引き受けなければならない、分不相応な期待を背負い込まずに済む。だから良い」と、いうようなことでした。もちろん彼はあえてこう言っているのでしょうし、私がそれに甘んじて「そっか!マナーなんて要らないんだ!」となるのはお門違いだと思いますが、妙に説得力があり、興味深い議論でした。

3.意外とこの日記を読んでいる人がいるらしい

「他人に読ませるために書いていない」みたいなことを何度も書いていますが、それでも公開しているのだからやはりこのブログを読んでくれている人はいて、当然ですが、その人の中では一つ私の書いた文章を読むたびにそれに対する何らかの評価・感想・判断が日々下されていくことになります。そんな現実に発狂しそうになりつつも、誰でも読めるように公開しておきながらSNS全盛の時代にあえてツイッターフェイスブックにはシェアしない私の意図を汲んでいただけると理解がしやすいかもしれませんが、私は表現という行為を排泄と同じくらいにしか思っておらず、基本的には醜いもので、美しく見えるとしても美しく見せようとする心が醜く、かつ(ここが重要なのですが)その醜さの中にこそ本当の美しさがあるのではないか、みたいな、そんな感じの感覚を持っています。

ゆらゆら帝国の『美しい』という曲の中に、

上品なクソがいい 素敵なクソがなおいい

出てこい出てこない 

だけど それはクソだ 同じさ みんな同じさ

という歌詞があります。このブログに関しては、今になってはもう取り返しがつかないほど書いてきてしまっているのである意味諦めがついていますが、最初に書きはじめたころの「とにかく吐き出したい(かつ褒められたい)」という衝動はどう考えても醜く、醜いからこそ、自分にとってだけは間違いなく意味があると言えるものでした。誰かに読まれていると思うとどうしても自分をよく見せようとして手元が鈍ってしまいますが、あらゆる表現物はそもそもクソみたいなものなので、クソを加工してキレイに見せようとするのでなく「排泄する」ときのスッキリ感、「排泄物」から垣間見える自分の(精神的な)健康状態こそ表現の醍醐味だと思って、今後ともコソコソ書き進めていきたいと思います。

4.

〈更新中〉

11月4日(金)

今年4月に熱海のご自宅に招いていただくなど、要所要所でお世話になっている方(以下、S氏)がシェアしてくれたおかげで、昨日の投稿を読んでくれた方が結構いるようですが、私の性質上、一度書いた文章の完成度にこだわり出すと、今現在の自分の気持ちに寄り添った内容を書けなくなってしまうので、中途半端で粗雑な文章ですが、いつものように書きかけのまま放っておくことにします。どこからともなく湧いてくる「いろんな人が読んでいるんだからもっときっちりした文章を書かないと…」という心の声を斬り殺して、あくまでこのブログは他人のためでなく自分のために、自分の精神的な健康のために書いている、という原点に立ち返りながら書いていくのだと、その旨を強く自分に言い聞かせつつ、今日の日記を始めます。

今月の生活目標

昨日は土砂降りの雨でしたが、今日は爽やかに空が晴れて、心地のよい昼下がりとなりました。昨日、いつものくせでツイッターを開いたら、かつて関わりのあった方が今はもう別の関わりを持たれているらしい旨をほのめかすような内容のつぶやきを目撃してしまったために、ちょっともう、本気でツイッターを辞めようかなと思っているおれです。おはようございます。もうほんとにこういうの良くない。いずれ受け入れざるを得ないにしても、こんな形で心をザワつかせたくない。というわけで今月の生活目標は〈情報環境を整備して、精神的に健康でいられるような行動様式に自分自身をスライドさせていこう〉になります。ちゃんと守ったことないけど、今月も月の初めに目標を立てることにしました。あと、来週あたり、朝井リョウの『何者』が映画化して公開されるらしいのですが、小説をパラ読みした感じまさにそんな私にタイムリーな内容になっているような気がするので、今月はそれがちょっと楽しみです。今までそんなことなかったので、楽しみだと思えるものがあること自体うれしいです。映画の楽しみを知ったり、カフェでコーヒーを飲む喜びを知ったりしたのも、かつて関わりがあった方と関わりがあったおかげだなぁ、なんて思ったりすると、いつもよりほんの少しコーヒーが苦く感じられるような、そんな午後を過ごしています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今、H氏に召喚され、新潟駅から徒歩10分ほどのタリーズにいます。H氏は、S氏や先月お世話になったK氏らとともにさまざまな活動をしており、今は黙々とパソコンに向かって、何やら長い文章をしたためています。

一見すると非常に好青年で、世の中でふつうに上手くやっているように見えなくもない彼らですが、彼らの活動をあえて私なりに言葉にするとすれば、それぞれが世の常識や金銭の都合に縛られず、自らの意思を最大限に尊重する形で生きている、少なくともそう生きようとしているように、私には見えます。私は、彼らを知れば知るほど、彼らの生き方をマネできるともマネしようとも思わなくなっていますが、「一般的にはこうだから」とか「ふつうはこうするから」とかいう論理で自分を正当化せず、徹底して「私はこうする」という語りを貫いている点に関してはとくに、側から見てとても羨ましく、かつ、たびたび勇気付けられる思いを感じます。なにはともあれ、個人的に幾度も楽しいお誘いをいただいたりと、非常にお世話になっております(いつもありがとうございます)。

私が人間的にクソみたいだった(今もですが)時期から面識があり、なおかつ、引きこもりから脱していくきっかけを与えてくれた彼らに対して、私なんぞが言及するのは100年早いのでこれ以上は控えておきます。が、彼らはよく「自分たちの生き方は〈問い〉であって〈答え〉ではない」という趣旨の発言をするのですが、にも関わらず彼らのファンは、まるで彼らの生き方が〈答え〉であるかのように扱いがちのような気がするため、お世話になっているからこそあえて、私はこの場で、なるべく彼らの活動を安易に好意的に評したくないと思っています。今はまだきちんと言葉にできませんが、彼らの突きつける〈問い〉をそのまま〈問い〉として受け止め、まずは自分の中でだけ、自分自身についてのみ納得のいく〈答え〉を作っていきたい。そもそも、個々人の生き方に良いも悪いもなく、私が彼らに対して言うことも、彼らが私に対して言うこともないと思いますが。今回はもう、非常にびっくりするほど堅苦しい文章になりましたが、とりあえず終わります。おやすみなさい。