自分で自分の病を治す

何かを楽しいと感じるということは、必ずしも何か美味しい料理を食べるとか、素晴らしい映画を観るとか、美しい景色を眺めるだとか、心地よい音楽に身を委ねるということではない。まず自分自身の心が目の前のものを素直に楽しめる状態になっていなければ、たとえ料理がどんなに美味しくても、たとえ映画がどんなに素晴らしくても、たとえ景色がどんなに美しくても、たとえ音楽がどんなに心地良くても、何の感動ももたらさないことは往々にしてある。目の前にあるものが客観的にいくら「素晴らしい」とされていたとしても、それが私にとって何なのか、主観的にどう感じられたのか、というのは別の話だ。自分を楽しませてくれる何かを探す前に、まずは自分自身が何かを楽しいと思える状態になっていなければならない。

では、目の前のものを素直に楽しめる状態とはどういうものだろう。それは、子供の頃のことを思い出せば、なんとなくわかるような気がする。子供の頃、私はエンピツとコピー用紙があれば、いつまでも絵を描いて遊ぶことができていた。上手いか下手かなんて気にしない。ただ描いていた。輪ゴムやセロハンテープや粘土や木の枝などを使って自分なりの遊び道具を発明することだってできた。しかし、当たり前だけど、歳を追うごとにそんなことはしなくなる。年齢に応じて「遊ぶ」という言葉の意味するものは変わっていき、高校生くらいになればもう「カラオケに行く」とか「買い物に出掛ける」くらいの意味に擦り替わっていた。いつしか決められたやり方で他の人と同じように「遊ぶ」のでなければ、「遊び」とは言えないと思うようになった。ただ、その頃にはもう熱中できるほどの面白さは感じられなくなる。さらに大学生になると「飲み会」や「イベント」など周囲で「遊び」とされているものがあまりにも自分の感性とかけ離れていたため、自分の中で「遊ぶ」という言葉の意味が完全に理解できなくなった。やはり本当の意味で「遊ぶ」とは、子供の頃のように周囲の視線を気にすることなく遊ぶということなのではないかと思う。客観的に見ればただ無意味なだけの行為に純粋に没入することができていたのは、おそらく幼少期の頃だけだったと思う。

私はとっくに二十歳を過ぎているから、社会的には当然もう子供とは言えない立場にある。しかし、どういうわけか最近ことあるごとに、私は未だに自分で自分のことを子どもだと思っている、ということをよく感じる。そしてそのことは、目の前にあるものを楽しんだり、他人と友好的な関係を築いたりする上でとても良い作用を及ぼしている気がする。少なくとも、そう思えるようになってからの方が以前よりいくらかマシな人生になってきている気がする。

去年の一月くらいから、ふとしたときによく自分が子どもだった頃の記憶を思い出すようになった。最近は、あまりにもよく思い出すから、思い出している状態の方が自然になって、あたかも自分が子どもの頃の自分に戻ってしまったかのような感覚に陥るときさえある。例えば、今まさにそうなのだが、私は寒くなるとよくリビングの床にうずくまってストーブに尻をあぶりながら暖を取るのだけれど、子どもだった頃の私も、そういえばまさに同じような格好で暖を取っていたことを思い出す。ふと思い出した記憶が目の前の景色に重なると、大人になった私がもう一度それをやり直しているような感覚に包まれる。冬になると、私はよくストーブの前に敷かれた半畳ほどの小さな絨毯の上にうずくまりながら、その絨毯の幾何学的な模様を迷路に見立てて、指を這わせて遊んでいた。学校から帰宅して、夕食がテーブルに並ぶまでのなんてことのない時間。ランドセルに乗った雪を石油ストーブの上に落とすと、ジュワッという音を立てて一瞬で蒸発していくのを見るのが好きだった。お腹が減って夕食が待ち切れないと、祖母にオカズノリをもらって食べていた。ふとしたときに、現在の自分に呼応して過去の記憶が呼び起こされる。そういうことが、最近増えてきた気がする。

そういう、自分で自分が子どもの頃に戻っているかのような感覚になっているとき、私は目の前にあるものを比較的素直に楽しめているような気がする。楽しむと言うより、自分の意識を自分以外のところに向けることができている、と言った方が感覚的に近いかもしれない。早く経済的に自立しなくては、とか、どんな仕事が自分に向いているんだろう、とか、他人からこんな風に見られたい、とか、どういう自分でありたい、とか、自分と世の中との間にどう折り合いを付けていくかということをひたすら悩み続けているようなときとは、全く違う状態になることができる。ただし、当たり前だけどずっとそうしていられる訳ではない。自分で自分のことを考えている内にひたすらモヤモヤが募っていくような、そんな冴えない時間も、相変わらず、一日の内のかなりを占める。

 

自分以外のことに意識を注ぐことができれば、自分について考えて悩むことはない。ある小説家が、小説とは薬のようなもので、自分で自分を治療するために、自分が罹っている病に効く薬を作っている、という話をしていたことがあったけれど、何かに意識を注ぐということはつまりそういうことなのかもしれない。子どもの頃のことに想いを馳せると、上手く言葉にして反論できなかっただけで、必ずしも腑に落ちないまま仕方なく受け入れなければならなかったことがいくつもあったことに気付く。そういうものを大人になってから改めて語り直すことができたとき、私は子どもの頃の自分にまた一つ近付けたような気になる。目の前のものを素直に楽しむためには、まずは自分が罹っている病を自分で治さなければならない。

1月6日(金)

コンピューターと人間|稲村彰人|note

微妙な均衡点|稲村彰人|note

とくにSNS上でシェアしているわけでもないのにいつも私のブログをわざわざ読みに来てもらっている皆さんには無断で、これからnoteでも文章を書いてみようと思う。といってもとくに中身に違いはないのだけれど、noteで書くときは一回ずつ特定のテーマに沿って、ある程度まとまった形で文章を書いていくようにしたい。天パ日記は、全公開しているけれどあくまでも「個人的な日記」と自分なりに割り切ることで、今まであまりにも好き勝手に書き過ぎてきた気がする。でも、これからはもう少し他の人にちゃんと読んでもらえる文章も書けるようになりたい。あと、ツイッターに絵を載せるようになったことについてお前は調子に乗ってるぞと思う方も中にはいるかもしれないけれど、その件に関しても自分で色々と試行錯誤している段階なので、大目に見てほしい。「どうだ書いたぞ」という雰囲気にだけはならないようにしたい。でももしかしたらそう見えるかもしれないから、だとしたらもっと改良を加えなければならない。

と、うだうだ書いているけれど、そこまで私のことを気にしている人なんていないということくらい、自分でもわかっているつもりだ。でもこれは引っ込み思案なりのおまじないみたいなもので、エクスキューズがないと体裁を保てないところが自分にはまだまだある。

今年は自分から出していく年にしたい。出すということを意識的に行っていく年にしたい。いいねの数をものすごく気にしながら、他者からの評価を厳粛に受け止めながら、自分で信じられる何かを他者に向かって投げ込んでいける年にしたい。書いた文章を「勝手に読んでください、つまらなくても自分から読みに来たんだから文句を言わないで下さい」と言いながら待つというスタンスで、身を守ってばかりいられない。全世界が灰色に見えていた頃の自分に申し訳が立たないようなことはしたくないと思いながら、自分から世界に対して「おれという人間がいるので良かったらおもしろがってください」と、たとえそんなことぜんぜん思っていなくても自分を奮い立たせながら、自分なりに身構えて立ち向かっていけるようになりたい。天パ日記は私にとってホームだけど、noteとツイッターは私にとってアウェーだ。他者の視線に八つ裂きにされながら、社会的な自己を自らの手で作りあげていく場所だ。熱い溶岩が冷たい水に当たって固まるように、自分の中でグツグツと煮立たせるばかりでなく、冷たい水に自らぶつかっていけるようになりたい。

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1月4日(木)

新しい年が始まった。12月は完全に冬眠していたけれど、1月の私は何か動きがあるのだろうか。自分は放っておくと「おれは何がしたいんだろう」「これからどうやって生きていくんだろう」みたいなことばかり考えてしまうみたいだから、寒くてもなるべく外に出るとか、考えるならせめてブログに書いて公開するとかして、内に閉じこもりがちな自分の精神をなるべく外へ開放させるようにしたい。わざわざ他人と会うのは億劫でも、誰かに一方的に自分の話を聞いてもらいたくなったようなときに、こうやって気軽に書いた文章を公開できる場所があるのはとても良いことだなあ、と書きながら改めて思う。今年もまたほそぼそと書き続けていきたい。

大晦日からずっと風邪を引いていたのだけど、今日は少し回復してきて、軽く外にでも出掛けようかという気分になってきた。3時頃、自転車に乗って郊外のショッピングモールに向かい、音楽を聴きながら適当に店を回ったりした後、フードコートでうどんを食べた。祖母からなんだかんだお年玉をもらってしまっていたので、なんとなく少し乱暴にお金を使いたくなって、意味もなくノートを数冊買った。このノートをどうやって使うのがいいだろう。新学期になる度に新しいノートを買っていた学生の頃とは違い、今の私にはもう覚えなければならないことも、計算しなければならないこともない。

しなければならないことを自分で見つけるのはむずかしい。今の私は、何かをしなければならないと思うことからほとんど完全に解放され切った毎日を過ごしているけれど、この状態がはたして私にとってほんとうに幸せなのかどうかはわからない。よく「やりたいことだけをやって生きる」ということがとても素晴らしいことのように言われることがある。私自身、そういう風に思うところもないわけではないのだけれど、自分の行動や選択に関する何もかもの原因をすべて自分の「やりたい」という気持ちだけに帰着させるのは、逆に、あまりにもしんどすぎるのではないかと思うときもある。私は買い物をしたいからショッピングモールに行ったのだろうか。うどんを食べたいから、うどんを食べたのだろうか。たしかにそういう面もあるけれど、それだけかと言われれば必ずしもそう言い切れない。

何かの行動を起こしたり、何かの態度を表明したりするよりも前に、私の中にはまず色んなことに対して「本当はどうだっていい」と思っている自分がいる。私にはどうも、何かをやりたいと思う気持ちより、このどうでもいいと思っている気持ちの方が確かな感じがする。何もやりたくないというのとも違う。上手く言えている気がしないのだけれど、やりたいともやりたくないとも言い切れないことの方がもっとたくさんあるのではないかとなんとなく思う。

帰り道に本屋に寄った。そこで立ち読みした社会学者・岸政彦さんの『断片的なものの社会学』がすばらしかった。さすがツイッターで話題になっているだけのことはあった。題名に社会学と名が付いているけれど、エッセイのように読みやすくて、ありがちな結論めいたものを避けているように見えたのもまた良かった。まだ少しだけしか読んでいないので、明日また立ち読みしに行こうと思う。

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12月30日(水)

また夜になった。時刻は1時31分。いや今、32分になった。日付けは12月31日。寝て起きたら大晦日になる。例によって、ふとまた子どもの頃のことを思い出しているのだけど、あの頃はこんなに遅くまで起きていることができたのは大晦日の夜だけだった。20歳からもう3年も年を重ねてしまえば、何もない日でも深夜1時過ぎまで起きているのなんて当たり前になった。丑三つ時が怖くなくなったのはいつからなのだろう。一人で寝るのが平気になったのは、大晦日や正月が待ち遠しくなくなったのはいつからなのだろう。当時の私が、明日がなにか特別な日であるような気になっていられたのはどうしてだったのだろう。あの頃と何も変わらない世界を生きているはずなのに、いつからか世界を驚きや不思議に満ちた場所として感じられなくなってしまった。そして、そうなってから途方もないほど長い時間が過ぎてしまったように思う。

大人になってからほとんど気にしなくなったけれど、照明を落とした部屋の暗がりをじっと見つめていると、視界にチカチカと光る細かい粒みたいなものが見えてくるということがある。一見黒色で塗り潰されているようにしか見えない暗闇に、よく目を凝らすと白っぽい光の点が無数に漂っている。おそらく眼球の中の何かが見えているのだろう。しかし、子どもの頃の私はこれが不思議でならなかった。目を瞑っていてもそうだ。何も見えない、つまり真っ暗にしか見えないはずなのに、しばらくしていると暗がりの中に散らばるように数え切れないほど多くの小さな光の粒が浮かんできて、点滅しながらゆっくり輪を描いて流れている。そこからさらに時間が経つと、背景から黒い渦みたいな模様が滲み出るように現れてきて、無数の粒と混ざり合いながら、視界全体に単に真っ黒とは言い切れない複雑で豊かな景色を映し出す。眠れずに目を閉じているとそれに寝付けない不安が重なって、心細くなった私は思わず隣で寝ている父の布団に滑り込んでしまうのだった。

私が今見えているものは他の誰の目にも同じように見えるものなのだろうか。誰かに確認しようにも伝える言葉を持たなかったあの頃の私は、目の前に広がる不思議な景色をただ感じることしかできなくて、気が付けばまた何事もなく朝になっていた。目を瞑って布団に横たわるというたったそれだけのことが、あの頃にはとても濃密な経験として感じられていた。あの輝きはいつ失われたのだろう。そこには姉がいて、祖母がいて、父がいて、祖父がいて、私はその中の一人として世界のさまざまな事柄に対する捉え方を把握しながら、同時にその取り憑かれるような不思議さを急速に失っていったのだった。

 

時刻は2時36分。父が私の部屋の前の廊下を通る音が聞こえる。ドアの開く音。小便が便器に落ちる音。便器に水が流れる音。水が管を通っていく音。父が軽く咳をする音。この真っ暗な部屋の中にスマートフォンの画面だけが眩しく光っていて、画面を打つこの両手の親指とパーカーの袖をわずかに照らし出している。画面の光に照らされて私の顔もぼんやりとこの暗闇に浮かび上がっているだろう。しかし私はそれを見ることができない。自分の顔を自分で見ることができないという事実がとても不思議なことのように思えるときがある。他人の顔はよく見えるのに自分の顔は鏡を通してしか見ることができない。そして今見ることができるのはこの指とパーカーの袖と、そして画面だけだ。ときどきまぶたを閉じて眼球を休ませながら、書いた文字の先にまた文字を繋げていく。

いま私は頭の中で考えた言葉を打ち込んでいるのだろうか。それとも文字を打ち込みながら考えているのだろうか。そもそも何かを考えているのだろうか。考えているのだとしたらそれはなんなのだろうか。

考えていることと身体を動かすことの間には絶対的な隔たりがある。今こうして文章を書いている間にも、私は不断に私の親指を動かし続けているけれど、「この続きにどんなことを書こうか」と考えることはあっても「次は右の親指をこういう風に動かそう」などと考えることはない。私は何かを考えながら、全く別の仕組みで自分の指を動かし続けている。これは一体どういうことなのだろう。考えてみれば不思議な話だ。しかしそれも、考えてみれば、の話でしかない。あの頃のように切実に世界の不思議さを感じるわけではない。

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どうやって生きていくんだろう

#5まあるい気持ち!ちゃぱうぉにか☆坂爪圭吾さん・あきと氏 - YouTube

#6まあるい気持ち!ちゃぱうぉにか☆坂爪圭吾さん・あきと氏 - YouTube

そういえば以前、ちょうど一年ほど前に、いつもお世話になっている素敵な雰囲気を醸し出しているS氏といつもお世話になっている素敵な雰囲気を醸し出しているK氏に誘われて新潟市内の漫画喫茶でツイキャスを行った動画がユーチューブに残っているはずだよなーと思って探してみたら、あった。映像や写真に映っている自分の姿を見ると「なんなんだこの物体は…」といつも思うのだが、今回もひどい有り様で見ていられない。しかしせっかくだから見よう。私は一年ほど前、いったい何を考えて生きていたんだろう。

恐ろしくてまだ冒頭の数分ほどしか見てないのだが、この頃の私は新潟駅近くのシェアハウスに住んでいて、大学には在籍していたものの通学はしておらず、かといって退学するほどの決心も付かなかったので今よりもっと社会から浮遊しており、本屋で立ち読みしたり、スマホのゲームアプリをインストールしてはアンインストールしたり、川沿いの芝生で昼寝をしたり、シェアメイトとDVDを観ながら一緒に鍋を作って食べたりする非常にゆるい毎日を送っていた。生活費は相変わらず父からの仕送りを当てにして、だらだらと昼まで寝て夜は遅くまで起きるという今とほとんど変わらない生活を送っていた。「あっという間にまた一年が過ぎてしまったなあ」なんて考えると自分が情けなく思えてくるけれど、最近はなんとなくこれはもう仕方がないことのような気がしている。私の人生はとてもゆったりとした速度で進んでいて、私はただ自分の人生のこのスピードに自分を合わせていくことしかできない。

さて。冒頭だけ見た感じだと、私は無料で家を拾ってくるのが得意なS氏とK氏に「何もしなくていいから、とりあえずそこで留守番をしていてくれないか」的なことを誘われているようだ。ありがたい話である。しかし私はありがたい話をもらっても、若手のお笑い芸人みたいにわかりやすいリアクションを取ることができない性質なので、このときもネットサーフィンで仕入れたどうでもいい話題を挟んだりして話の筋を掴み切れていないような雰囲気を醸し出している。名実ともに無職になった今とは違い、当時はまだ大学生という肩書きで自意識を守っていたためか、声がかかったらすぐ動いていく瞬発力みたいなものを今ほど持ち合わせていなかったような気がする。今もそんなにないか。

 

動画を見るのは勇気が要るから、とりあえずここで今年一年をザッと振り返ってみることにしよう。この動画は昨年12月に収録されたものだ。それからすぐ、一年くらいご厄介になっていたシェアハウスは解散して、私は実家に住まいを移すことになった。そのまま3ヶ月ほど何もしない毎日を過ごして、3月下旬にようやく大学を中退。それからS氏に誘われて熱海のお宅に1ヶ月ほど滞在させて頂いた。その後一旦実家に戻ってまた3ヶ月何もしない毎日を過ごす。いろいろと煮詰まってきた私は、友人に誘われて8月初旬に川崎で1ヶ月の住み込みのバイトを始めて、9月からは八王子にある知人のシェアハウスに移り住む。そして9月下旬、金がなくなったので止むなく実家に帰る。再び煮詰まってきたタイミングで今度はK氏に誘われて、9月中旬から2週間ほど佐渡のお宅で生活させて頂く。そのままの勢いで10月11月とK氏とH氏に誘われて新潟と関東を行ったり来たりする生活を送って、そして12月にまた実家に戻って来た、という流れになる。7月以降から本格的に日記を書き始めたため、この一連の過程で起きた自分の心境の変化については拙いながらもそれなりに記録することができた。これは個人的に良かったと思っている。自分からは何も行動を起こせず、誘われるがままあちこちをうろつき回る非常に受動的な一年間だったけれど、そのときどきで考え方が変化していき、少しずついろいろな自意識から解放されつつあるようにも感じる。

 

さて、これから私は何をしたいんだろう。どうやって生きていくんだろう。そうやって考えながら、またいつものように一日を部屋の中で終えてしまいそうな気がしたので、大好きな生パスタ屋さんに足を運ぶために、今日は電車で新潟まで向かうことにする。あそこの生パスタは本当に美味しくて、たとえ予定調和の喜びだったとしてもその日一日を「とりあえず今日はこれ食べられたから良い一日だったわ」と思わせるほどの力がある。早くあの生パスタが食べたい。

 

ていうか、たかが個人の日記でしかないこのブログで他の人のことについて言及するのは、やっぱりあんまり良くないのかな。そういうことする人なんだ、って思われたりするのかな。うわーどうしよう。「おれ、こんなにスゴイ人と知り合いなんだぜ」みたいな感じで自慢してくるイタイ大学生みたいな雰囲気が醸し出されていなければいいんだけど。

 

話を戻します。ん、なんの話をしていたんだろう。

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どうやったら生きていけるんだろう

一昨日、夕食に新潟駅前でラーメンを食べた。接客をしている店員さんを見ていると「おれには絶対にこういうことはできないな」としみじみ感じる。注文するときやお冷のお代わりをもらうとき、私はあまり大きな声を出して店員さんを呼ぶことができないのだが、その日も私が空のコップを手に取りながらしばらくそれを見つめていると「お注ぎしましょうか」と店員さんが駆け寄って来てくれた。私のことを何も知らないはずの彼女がそれでも私に親切に接してくれたのは、それが彼女の仕事だからだ。私にはきっとできない。なんというか、私は不特定多数の人に同じように接しなければならない状況になると自分がどのような態度で振る舞ったらいいのかよくわからないのだ。演技しているような自分の振る舞いに居心地の悪さを感じてしまう。

たまにこういう気分を味わうために街に出るのも悪くない。酒に酔った背広姿の中年男性、待ち合わせをしている様子の清潔感のある若い男性、友達と再会して歓喜の声を上げている女性二人組、品のある洋服店でパリッとした制服に身を包んでいる女性従業員、だるそうな顔をしたコンビニの男性スタッフ、赤信号を走って渡るスーツ姿の男性、すれ違いざまに目が合ってしまった初恋の人に似ている若い女性、おそらく何らかの障害を抱えているように見える少女と彼女を背負う中年女性、座席の隅を陣取って辺りを睨むように見つめている髪の長い男性。街にはいろいろな人がいる。そしてその中の一人として私もいるのだ。これから私はどうやって生きていくんだろう。どうやったら生きていけるんだろう。

前回は、早寝早起きをして生きていきたい、なんてふざけて書いてしまったけれど、でも私の場合、人生について真剣に考えるといつもロクなことがなかったというのも、また疑いがたい事実のような気がしている。思えば大学に入学したくらいの頃から「知らない間に大人になってしまったんだなぁ…人生はもう始まっているんだなぁ…」という倦怠感がいつも私の身体にまとわりついていて、ときどきその反動から今までの全てをリセットして初めから何もかもやり直してしまいたい衝動に駆られることもあった。他の人たちはどうやって生きているんだろう。何もかもわかったような顔をして生きているように見えるけれど、その確信はどこから来るんだろう。何が楽しくて生きているんだろう。本当にそう感じていたということもあるけれど、今になって思えば、そんな風にさえ考えていれば自分の目の前にあるものからいつまでも逃れられるような気がしていたからなのかもしれない。現実に対してずっとぼんやりとした感覚を抱いたまま多くの時間を無為に過ごしてきてしまった。

世界をおおいつくす「愛の新自由主義」―—vol.3|生きる理由を探してる人へ|大谷ノブ彦/平野啓一郎|cakes(ケイクス)

さっき読んだ記事の中に「愛の新自由主義」という言葉があった。「新自由主義」という言葉を使うとどうしても「悪いのは時代のせいだ」「悪いのは社会のせいだ」というような〈自分の人生の問題を社会という漠然とした何かに責任転嫁しているような感じ〉が醸し出されてしまって最適な言葉としては推しがたいところがあるのだけれど、しかし私にはパッと目にしただけでなんとなく言わんとしていることが分かるような気もしてしまったのだった。つまり経済格差が広がっているようにものすごく注目される人と全然注目されない人の格差も広がっているというような話だろう。

「愛」と言うと大袈裟だけど、自分が承認されること、誰かに好ましく思われること、誰かに親切にしてもらうことは、私にとってずっとどこからか突然降ってくるような出来事であり、ただキッカケを待つことしかできないものだという感覚があった。要するに私は人付き合いが下手であり、他人との適切な距離感が掴めなくて苦労することが多い…なんてことをここに書くのは果たして「正解」なのだろうか。みんな自分の本当に思っていることだけを話してくれたらいいのに、適当なウソを吐く人たちが多すぎるせいでソッチが基準になっているような気がするのは私だけだろうか。

でも。とか言って私も適当にウソを吐きながら生きているということを忘れそうになっていた。あ、だめだこれ以上考えるの面倒くさくなってきた。収集つかないけどやめよう。

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12月15日(木)、16日(木)

23時24分。今日は久しぶりに新潟まで出掛けていたのだが、帰りの電車で降りるべき駅を乗り過ごしてしまったため、これから急遽終電の村上まで向かうことになった。駅員さんに「村上駅の近くに漫画喫茶とかなんかそういうものはありませんか」と尋ねたら「たぶんないと思いますが、ビジネスホテルならあると思います」とのことだった。日が落ちてから急に冷え込んできた。私は死ぬのだろうか。お金があって良かった。駅に着いたらまずコンビニでお金を下ろそう。コンビニがあって良かった。イヤホンを耳にはめながら大橋トリオのあたたかい声色に全身を委ねていたらこんなことになった。びっくりした。イヤホンを取ったらいきなり非日常が始まっていた。

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というわけでホテルに着いた。コンビニでは結局お金を下ろせなかったけど、クレジットカードがあったからなんとか泊まることができた。クレジットカードがあって良かった。一人でビジネスホテルに泊まるのなんて大学受験のとき以来なんじゃないか。ダブルの部屋しかないということでホテル代に6000円もかかったけれど、あまりこういう経験をしたことがないのでちょっとウキウキする。私から何もしなくても物語は勝手に始まってしまうものなんだなと、ちょっとウキウキする。

8時54分。起きた。寝る前にある人のつぶやきにいいねをしたら、その人が夢に出てきた。その人と私がそういう感じだった頃に、昔その人とそういう感じになったことがある人が今はもうそういう感じではないはずなのにツイッターでその人に絡んだりするのが個人的にとてもイヤだったので、もし自分がそういう感じでなくなることがあれば絶対にそういうことはするまいと思っていたのだが、私も同じことをしてしまったことになる。私にはそういうところがある。何の話をしているのか自分でもよくわからないので、この部分だけ後で消すかもしれない。とりあえず起きた。一人で午前中に目を覚ますのなんて大学受験のとき以来なんじゃないか。外は一晩で雪景色にかわっていた。

昨日の夜、ホテルにチェックインするときに書かなければならない身分証明書的な用紙に〈職業〉という欄があって、私はそこにためらわず〈無職〉と書いた。書けるようになった。そういえば私がまだ子どもの頃、父がビデオ屋さんでカードを作るときに、職業欄に自営業じゃないのに〈自営業〉と書いていたことを今ふと思い出した。私は幼心に「ん?」と思った。しかし、私をよく外に連れ出してくれる社会的には無職としか呼びようのない素敵な雰囲気を醸し出しているK先輩は以前、市役所的な場所で何か公的な書類を書くときにためらわず〈無職〉と書いていたことがあって、そのときに私は「おお…!」と思ったのだった。私はKの真似をするような気持ちで〈無職〉と書いた。書けた自分が嬉しかった。

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