起きた。時刻は9時40分。いつもより早い。それには理由があった。今日は火曜日ということで、一週間のまとめ買いをするために父が祖母の家に迎えに来る。寝起きのぼんやりとした状態の中、父が玄関の扉を開く音が聞こえた。起きようか寝ようか迷っていると、一階から小声でボソボソと「私がまだ寝ている…」というような話をしているのが分かった。ああ、色々なことに限界が来て学校に行けなくなっていった高校三年生の頃も、父や祖母に同じように私のことを影で言われていたな、と思い出し、イヤな気分になった。私の家族には「肝心なことを本人の前で言わない」という、とても良くない性質がある。言わないだけならまだいいけれど、本人に聞こえてしまっていることを勘付いていないという愚劣さがある。私の目の前に現れる姿を見る限りそれほど悪い人たちではないのだが、私が子どもの頃から彼らに全幅の信頼を置くことができなかったのは、彼らが私のいないところで全く違った顔を見せるからだった。私の陰口が部屋から漏れて聞こえるとき、私はあえて彼らが話している部屋の中に入っていった。そうすると彼らは急に口をふさぎ、表情を強張らせ、脈絡のない不自然な言葉を私にかける。その様が痛快でもあり、苦痛でもあった。私に何か言うことがあるのなら、思っていることをそのまま全て私の前で言えばいいじゃないか。鍵を握るのは祖母だ。祖母は根本的には穏やかで優しい人柄なのだが、自分の意見をはっきり言えないところがあり、その場では同調するものの、後になって恨み言を言う節がある。祖母は、私の前では父の批判をするが、父の前では私の批判をする。私は生まれの母親を知らないので、祖母を育ての母親のように思ってきたのだが、しかし祖母は祖母であり、父の母であった。絶対的なものなどどこにもない。静かな怒りが湧いてきた私は、いつもより早く布団を飛び出して一階に向かった。ようやく勘付いた祖母が甲高い声色でわざとらしく「買い物行ってきまーす」と叫ぶ。私は無視して居間に向かった。

今日はパソコンを買おうと思う。

〈更新中〉

タウンワーク

何回目になるだろう、タウンワークを見ている。父との約束で、私への仕送りは来月から完全に途絶える(送られてきたとしても受け取らない)ことになっているので、いよいよ本格的に仕事を探さなければならなくなった。巻で暮らすことを考えると、家賃2万+水道光熱費1万+食費2万+通信費1万+その他1万と考えて、最低でも月に7万円は稼ぎ出さなければならない。私が今までの人生で稼いだことのある額は月に4万8千円が最大なので、あの頃の苦労を上回る苦労をしなければならないのだと思うと本当に先が思いやられる。今はまだ祖父母の家に居させてもらっているので生活費の問題はないけれど、やはり早めに家から出たいので、今月は精神科に通いながら現実的にその準備を始めていきたいと思う。

求人票を見ていると、まるで中学生の頃の部活動紹介みたいだなあと感じる。映っている写真の顔が皆、揃えたように笑顔で怖い。「上下関係のはっきりしている集団に下っ端として入っていく」という経験は、思えば小学生の頃からずっと苦手で避けてきたけれど、そのツケが今になって顕在化しているように思う。たかだか一年か二年先に生まれたからって何が偉いんだろうと、入った部活で全然先輩を敬えなかったことを思い出す。私は中学生の頃、イケイケな感じの友人たちが入る華やかなサッカー部に自分も入ろうとしたものの、仮入部で「これは確実に仲間外れにされる」と察知して、仕方なく内心馬鹿にしていた卓球部に「どうせおれは…」と思いながら入ったクチなのだが、あの頃の切なかった心境が今もときどき思い出されて、胸にくる。たぶん私はその時から何も進歩していない。あの時、私はどうすれば良かったのだろう。あれから十年経ち、今もまだ私はその答えをタウンワークの中に探している。

精神科の医者は、私の社会不適応の原因をADHDだと疑っているみたいだけれど、私は自分でそうは思っていない。人格形成期に染み付いた他者との距離感や世界に対する信頼感、そうした必ずしも適切とは言えない認識の枠組みが、現在の自分の認知を歪めているのではないかと思っている。私はきっと他人に拒絶されることを怖いと思いすぎているのではないか。そして出会った人すべてに対して、自分のことを良く知ってほしいと思いすぎているのではないか。長い間、私は誰も自分のことなんて理解してくれないという孤独に苛まれながら生きてきた。現に、それは真実なのかもしれない。人と人とは絶対に分かり合えず、ただ互いに自分にとって都合の良い姿を相手に投影し合っているだけなのかもしれない。でも、そう思いながら私は、何をしてきたんだろう。やはり腹の底からそう思うことに耐えきれなかったから、勇気を振り絞って他者の前に立ち、自分の気持ちをぶちまけながら手探りで信じられそうな何かを一つ一つ見つけてきたのではなかったか。今の私になら、働くこともできると思う。働けないと思ったら「やっぱり働けませんでした」と正直に謝ればいいだけのことなのだから。中学生の頃の部活と違って、限られた選択肢の中から選ばなければいけないわけでも、強制的にどれか一つの部活に入部しなければいけないわけでもないのだから。

近況

一昨日、久しぶりに友人と卓球をしたのだが、その疲労と筋肉痛で昨日は家の中でジッと何もしていないこととなった。月初めなので、WiFiがない祖父母の家にいてもまだ3G回線でネットを堪能することができる。私はここ一週間見逃していたバイオハザード7の実況動画を見尽くすことにした。少し前までは、グロテスクなゾンビ映画やホラーゲームの何がどう面白いのか全く検討がつかなかったけれど、ここ数年で趣味嗜好に変化が起きてきて、すっかりR15指定の作品の魅力に取り憑かれてしまった。あれらはたぶんグロいからこそいい。グロさに自分の内面の負の部分を投影して、それを銃なりバールなり斧なりで破壊するからこそ爽快感が生まれてくるのだ。現実世界は複雑だから、世の中や自分の人生にいくら不満があったとしても、わかりやすい「悪」を叩けばそれだけで問題が解決するというようなことはない。それに比べてゾンビゲームは単純だ。ゾンビは倒すしかない。攻撃しなければ攻撃されるだけだから、ゾンビに対する攻撃はつねに正当化される。バーチャルな世界の中でくらい、自分の心に蓄積した澱のような感情を吐き出しても許されるだろう。少なくとも現実世界にそれを持ち込むよりは。私はスマホの小さな画面で、振りかざす斧を、倒される戦士を、噴き上がる血を見ていた。そうして一日が終わった。

今日は、2回目の精神科受診の日だった。ちなみに起きたのは午前11時。卓球の疲れが昨日休んだだけでは解消しきれなかったせいか、それとも持ち前の過眠体質のせいか、一階の祖母に「もうすぐ叔母さんが来るよ!」と声を張り上げられてようやく目が覚めた。私が家族に「朝起きられないんだよね」と相談すると「体内時計が乱れてるんだね」と言われるけれど、それにしても、こうも体内時計は乱れたままなものだろうか。私は自分が睡眠障害やら過眠症やら起立性調整障害やらなんかそういう病気なんじゃないかと疑っている(そうであって欲しいと思っている)。自分の意志が弱いせいだとは、やはりどうしても思えない。前回も書いたけれど、私の場合、寝起きの挙動は自由意志と呼ぶにはあまりにもお粗末な意識状態なので、自分でどうにかしようと思って行動できるような状況では本当にないのだ。しかしそうも言ってられないので起床に関してはまた自分なりに試行錯誤していくことにする。詳細は後述する。

目を覚まして布団を畳み、服を着替えて白飯と味噌汁をかき込むと、玄関に叔母の姿が見えてきた。最寄りのコンビニでコーヒーを買い、叔母の車で病院へ向かう。自分よりも年齢が上の人と世間話をすると、そういやおれももう大人なんだったなと実感する。とりわけ政治や宗教について話が及ぶと、それぞれの人に、軽く話した程度では変わらない、ある程度固まった意見や価値観があるということを再認識する。私が生きている世界というものは、そういうものだったのだ。大人になるということは、自分の信じる価値や思想をそのまま言い放って終わりにするのではなく、むしろそれを腹の底に収めたまま、現実的な他人との関わりを粛々と模索していくということなのかもしれない。私はまだ自分が子どもだと思う。そしてその想いは、何かを感じたり考えたりする上でとても大切な意識だと思う。でも、きっとそれだけでは生きていけない。子どもの心を抱えながら、大人として生きていくこと。目指さなければ大人にはなれない。

一時間半かけて行われた心理テストは、意外にも楽しいものだった。初診のときは、大して話もしていないのにいきなり身に覚えのないADHDを疑われてなんとなく釈然としなかったのだけれど、何がきっかけであれ、これほどみっちりとした心理検査を受けられたのは良かったと思う。しかも、まだあと二日ある。占いやら、就活の自己分析やら、たまにSNSで流れてくる安っぽい心理テストやらとは比べ物にならないほど頭を使うしっかりとした検査だった。頭を使うのは楽しいもんだなあ、と久しぶりに思った。

例えば「今から言う数字を覚えて繰り返して下さい」というような質問をされた。最初は「2、9」という具合に簡単なのだが、だんだん数が増えて「3、2、8、6、4、9、1、5」とかになってくるとかなり苦しくなる。こうして文章にすると伝わりにくいかもしれないが、口頭で一度に言われただけの内容を瞬間的に記憶するのはとても難しかった。「今から言う数字を逆から繰り返して下さい」という問題もあったが、難しすぎて笑えてきた。結果はまだだけど、私はこういうのが苦手な性質なのかもしれない。問題は他にも「日本三景を言って下さい」とか「カードを並び替えて物語を完成させて下さい」とか「模範通りに図形を組み立てて下さい」とか様々だった。

朝、爽やかに目を覚ますことができないせいで、一日の全てもとい人生の全てが台無しになっているような気がしてならない。祖父母の家に来てからもう一週間以上経つけれど、相変わらず起床するのは正午近くの日が大半を占める。今日はどうだろう。おれはこのまままた三度寝するのだろうか。それとも耐えるのだろうか。時刻は9時41分。

朝起きられないとはいえ、いつもiphoneの目覚ましは8時と9時にセットしており、アラームとともに何度か目を覚ましてはいる。問題は、目を覚ますけれど、そこから身体を起こすところまでいかないということにある。布団の中で目を覚ましただけのときの私は、通常の意識状態とは比べものにならないほど異常なまでに睡眠欲が膨れ上がっており、何はさておきあともう少しだけ目を瞑って身体を動かさないでいることがこの世で最も大切なことのように思えてしまう。そして再び眠りに堕ちる。誰しも道端に「どうぞもらっていってください」と書かれた1億円入りのキャッシュバックが置かれてあったら躊躇いなく拾うだろうけど、それに近いくらいの必然性で私はもう一度眠るという選択肢を反射的にチョイスしてしまう。この絶大な欲求を振り払うことでしか、私の一日もとい私の人生は始まらない。正午までに起きられなかった場合、私は一気にその日一日を大切に過ごそうとは思わなくなってしまう。二度寝、三度寝、四度寝くらいまでの、それぞれ5秒、合計15秒くらいの短い間の中でなんとか、あのあまりにも甘美な欲求を自力で振り払わなければらない。身体を起こしたとしても、あの欲求ほど魅力的なものに出会えるとは限らないというのに。これは麻薬のようなものだ。私の一日はどうしてこんな始まり方をするのだろう。目が覚めてからのたった数秒の間に、このまま何もせず睡眠の中に溶けていく快楽に溺れるか、それとも目を覚ましてときに苦痛を伴う現実を生きるか、その厳しい選択を迫られる。そんなの所詮人間なんて快楽に従って生きているだけの存在なんだから快楽選ぶでしょそれはと思う。つらすぎる。他の人も、朝こんなに大変な想いをして目を覚ましているんだろうか。どうもそうじゃないような気がするのは私だけだろうか。私の中にあるなんらかの病的な何か、身体のバランス的な何かが原因なのではないか。あの欲求を意志の力で断ち切るのはあまりにも困難に思えて仕方がないのだが。しかし今はまだ10時3分。マシな方だマシな方だ。起きようじゃないか今日は。だ!

精神科

叔母に連れられて精神科に行ってきた。が、今のところ全くピンときていないので、やはり今後とも変わらず自分で自分を救う方向性でやっていくほかないような気がしている。というわけで、病院から帰った後、私はいつものように図書館に行って本を借りてきた。世の中に適応して生きていくことはもちろん大切なことだけど、適応することばかり考えていると何のために生きているのか分からなくなってくる。何のために生きているのか分からない状態で、働きに出ていくことは可能なのだろうか。金を稼ぐということは、金で買えるものを誰かに売るということだ。公務員の家系に生まれたからか、私は自分が何かを売るということのイメージが付かない。物欲もそれほどないので、どうして人がそれほどまでに何かを買いたいという気持ちになるのかもよく理解できない。生活していくだけの金があればそれでいい。しかし生活するにも金がいる。金を稼ぐには何かを売らなければならない。何も売るものがない私は、何かを売っている人の手伝いをして、その売り上げから余った分の金を分けてもらうしかない。野菜を売ったりテレビを売ったり薬を売ったり冷蔵庫を売ったりしている人の手伝いをすることで、その分け前としての金をもらう。その金で自分に必要な何かを買う。そうしなければ生きていけない。

しかしそう考えると、生きていくためには金を稼がなければならないという想いに込められた必死さと、「この白菜おいしそうだなぁ、今夜は鍋にしよう」と思うその気持ちのなんてことなさが、どう見ても不釣り合いに思えてきてしまうのは私だけだろうか。かたや、生きるために金を稼がなければならない金を稼ぐには何かを売らなければならない何も売るものがなければ何かを売っている人の手伝いをしなければならないと思って何かを売っている人の手伝いをしている人がいて、かたや、その何かを「なんとなく」買いたい気分になってそれを会計まで運んでいく人がいる。そのアンバランスさはなんなんだろう。鬱になるほど苦しみながらそれでも金を稼ぐために仕方なくこれを作って運んで売ってる人がいるんだよな…とは思わずに私たちはお菓子を買うしジュースを買うし洗濯機を買う。そういうことなのだろうか。というようなことを考えてしまうから私はバイトをする気すら起きなくなるんだけど、それはそれでよくない。でも考えてしまうのは仕方がないから、考えながら素知らぬふりして愛想をふりまく、そんな器用さが私にあったらよかったなあ。死ぬほど考えてるのに、何も考えてないフリをしながら仕事場のルールを覚えたり実際に身体を動かして作業したりするのを、私は何時間くらい耐えられるんだろう。休憩時間に考えたことをブログに目いっぱい吐き出したりすれば少しはまともに働けるんだろうか。わからない。

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独り言

最近意識するようになったのだけど、私は一人でいるとき、それはもうよく独り言をしている。あまりにも一人でいろんなことを話しているから、その要領でネット配信とかやってみたらいいんじゃないかと思ってツイキャスライブ配信をしようと試みた(けど恥ずかしくなっていつも数秒で閉じる)のも一度や二度のことではない。そのくらい独り言をしている。たまに街で独り言をしながら歩いている人とすれ違うと気味が悪くて思わず蔑みの視線を送ってしまうことがあるけれど、たぶん私も何人かからは蔑まれながら街を歩いているのだと思う。話したいことは山ほどある。でも似たようなことを考えている人はそんなにいない。だから私は独り言をする。ブログを書くのも独り言みたいなものだ。

私は他人と話すのがそんなに得意ではない。とくに電話をかけるのが苦手だ。今、私は自分から電話をかけなければならない案件をいくつか抱えているのだけれど、明日しよう明日しようと思いながら全くできていない。他人との話し方が分からなすぎてマクドナルドで注文することさえできなかった数年前に比べれば、今の私はかなり他人と話ができるようになった方ではあるけれど、よく考えたら私にはまだまだ社会生活を送っていく上で困難をきたすような部分がある。ていうか、だからこんな感じの生活になっているのだった。

私は、自分の思考回路の中を生きていくことしかできない。その中で最適な行動を選択していくことしかできない。でも思考回路自体になんらかの欠陥や偏りがあった場合には、もう手の施しようがない。「考えているばかりでは何も変わらないよ」みたいなことは死ぬほど言われてきたし、自分でもその通りだとは思うけれども、でも、そんなことを言われてもやっぱり何も変わらないのだった。思考で思考を変えることはできない。それは自分の思考回路そのものが、思考以外のものに依存しているからだ。

と、そんなことを考えていたら、一階から「おーい、おばあちゃんいねかなー」という祖父の新潟弁が聞こえてきた。階段を降りて祖父の話を聞くと、祖母がどこにもいないという。「トイレにいるんじゃない?」と私が言うと、「いやいないんだよー、居間に行ってもいなかったし」と祖父が言う。見ると現にいなかった。私はすぐ近くの祖母の化粧部屋を見た。いた。髪をとかしている祖母と目が合ったので、事の顛末を話す。「じいちゃんが、ばあちゃんがどこにもいないって言うから(探してたよ)。ばあちゃん、徘徊してるんじゃないかって」と私が言うと、「私が徘徊したら終わりだこって」と祖母が言う。皆で笑う。かつては威張り腐っていた祖父が最近認知症になったおかげで、祖父母の家にいてもこんな笑いが起こるようになった。深く話をしようとすると必ずしも意見が折り合わない私たちだけれど、こんな形で笑い合えるのならそれはそれでいいのかもしれないな、と、ほんのり思った。

祖母の話によると、叔母の決定で、来週の月曜、私はカウンセリングに行くことになったらしい。さっき、電話しようと思っているけどできないと書いたのは、実は心療内科のことだった。叔母らしい、と思う。意外な形でカウンセリングを受けることに決まったけれど、決まったからには行ってみようと思う。自分では、こういうことはやはり自分で決めるべきだとずっと思ってきたけれど、でも、きっとこのままの私では決め切れなかっただろう。変えよう変えようと思っても、変わらない。変わらなくてもいい変わらなくてもいいと、そう開き直ろうとしても、腹の底からは思い切れない。自分で自分を支えていくのは大変だ。もっと他人に頼れるようになりたい。

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考え抜いた末に、自分の人生に一筋の光が差してくるなんてことは、たぶんない。私が一人でいるときに、意識せずにぼんやりと考えてしまっているようなことは、大方、私の精神が剥き出しになるのを避けるようにするために作り出された防御壁のようなもので、その中にいる限り、考え方を変えることも行動パターンを変えることもない。それはおそらく私だけのことではない。皆、生きている間に知らず知らずの内に作り上げた自分の壁からなるべく外に出ないようにしていて、そして、いつしか自分が壁の中に入っていることさえ忘れて死んでいくのだ。「本当にこれで良かったのだろうか」という気持ちと、「いや、こうするしかなかったのだ」という気持ちと、その両方の間で揺れながら、なんとか自分の人生を納得しようとし続けていく。

私には、コミュニケーションが得意だとされている人たちもまた、何かの壁の中に引きこもっているように見えるときがある。他者を自分の想像の及ぶ範囲で勝手に解釈することで、自分の壁が壊れることを恐れている。相手の壁を壊すことはあっても、自分の壁が壊れることはないと思っている。自分を守るために作り上げた壁によって最も苦しんでいるのは自分なのに、それを必死で守るような行動を無意識の内に選択してしまっている。自分で壁を壊すことができない。

 

ゆったりと生きていくことはできないものだろうか、と思う。生きていくためには働かなければならない。働けないのなら心療内科に通わなければならない。と、それ以外の思考回路はどこかに存在していないものだろうかと思う。誰も、そちらから率先して自分の壁を取り払ってくれる人はいない。私は、自分が他人と話すことが苦手なのか得意なのかよくわからないけれど、自分の壁がそれほど確固たるものでないためか、どのくらいの熱量で他人と話すのが適切なのか、よくわからないときがある。話してはいけないことと、話してもいいことの区別があまりつかない。例えば初対面の人とでも「いやあなんで生きているんでしょうかね」なんて話ができそうな気がしてしまう。

そういえば、昼過ぎに起きてきた祖父が、「なんで生きているのかわからない、ただ死ぬのを待っているかのようだ」とつぶやきながら、さっき、リビングに降りてきた。部屋掃除を手伝いに来た叔母とワイドショーを観ている祖母は、そんなこと言われても困ると言わんばかりに、「もっと楽しいことを考えて生きたらいいのに」とあっけらかんと話す。私には、その場のいる全ての人間が、壁に入っているように見えた。本当に問うべきことを問わず、本当に感じていることを感じていないふりをして、金正男が暗殺されたことだとか、どこかの高校生がいじめを苦に自殺したことだとかの話をしながら、それなりに楽しく、それなりに穏やかに場をやり過ごす。私には何が正解なのかわからない。ただ誰もが自分の壁を破壊されることを恐れ、そして、そのことによって生きているということの実感から遠ざかっているような気がした。

 

祖母と話をする。おもしろいと思ったのは、80を過ぎても、90を過ぎても、一人になったときに思い出すのは子どもの頃の記憶ばかりだということだった。やはりそうかと思った。認知症になり、いま何をしようとしていたのかを忘れ、ときどき「死にたい」とさえ漏らす祖父も、食事をしながら祖母にぽつりと話をするのは、子どもの頃の辛い境遇についてだと言う。祖父は、戦後の混乱した時代状況の中を、食うために生き、生きるために耐え、そして最終的には組織の頂点まで這い上がった男だった。私と話が食い違うのは、それは仕方がないことだと思う。昨夜「これからどうしていくつもりなんだ」と、祖父は私に説教を食らわしたけれど、私もまた私で自分でもよくわからない説明をしてしまったように思う。でも、これからどうやって生きていけばいいのかなんてわかるはずないじゃないか。私も祖父も壁の中にいた。

終始噛み合わない議論の果てに、私は、捨て台詞のように「おれだって、死のうと思ったことくらい何度もあるよ」と、祖父に言った。祖父は何も言わずのそのそと部屋を立ち去った。働いていようが働いてなかろうが、私が、私たちが話すべきことはもっと本質的なことなのではないだろうかと思った。そう思うのは私がまだ若いからだろうか。しかし、金を稼いでさえいれば、どんな生き方をしていても良いと言うのだろうか。けれどそう問うことは許されない。そこまで言うなら自分で寝床を確保し、自分で食事を用意し、自分で必要なものを全て手に入れなければならない、と、そう言われるのだろうから。

 

可能な限り繊細に世界を感じ取ろうとすること。絶対に分かり合えないはずの他者に寄り添い、その声に耳をすませること。金…。金は、ほしい。金はほしいけれど、でも本当にほしいのはそれだけじゃない。そう思うのは私がまだ未熟だからなのだろうか。

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